法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
誤字多いかもしれません。
「しっかり掴まってな。手紙、女神様に頼む」
「うん……あの……」
不安そうな少年の顔。
頭を撫でて、戦馬車の取っ手を握らせる。
「大丈夫だ。アユミチから言われてきたって言えば優しくしてくれる」
「ご主人様より……?」
「俺なんかよりずっとだ。すごく綺麗なんだぞ。この天馬だってすごいだろ」
「……うん」
満月の夜、禁域の方角から現れるレーマ様の戦馬車。
その荷台から先月頼んだ荷物を受け取り、代わりに少年を乗せた。
少し前に孤児院で買った少年。
何かのアレルギー体質らしく、定期的にひどい鼻水と顔の発疹で苦しんでいた。
安く買えた。孤児院の管理者には妙な顔で見られたがどうでもいい。
死病でも治せるのだ。少年の問題を解決してレーマ様に送り出すまでにはすっかり懐かれた。
「あの……ありがとう、ご主人様。ぼく、ご主人様に買われて……すごく、よかった。よかった、です」
「……気にするな。礼なら女神様に言ってくれ」
「うん」
礼を言われるようなことはしていない。
ただ都合よく利用しているに過ぎない。
恵まれない人生だったから、大したことでもないのに過剰に恩義を感じているだけ。
手持ちの薬を与えて飯を食わせただけで。叩かれた痣を擦って慰めたくらい。
「じゃあ、またな」
「また会えるの待ってる」
「ああ」
空を駆けていく戦馬車を見送る。
炎のような鬣をなびかせて黄金の戦馬車が駆けていく。
「……あれが噂の流星ってことか」
『普通の人間には認識しづらいのよ。いないはずの神の眷属なんだし』
ここ数か月、似たようなことをしてきた。
神域まで戻る時間はない。
満月の夜にレーマ様に呼びかけると、わずかな時間だけ戦馬車が迎えに来る。
他人に見られたら騒ぎにならないかと思ったが、それらしい噂で聞こえてくるのは流れ星の話。
満月の夜に大きな流れ星を見ただとか。
噂が噂を呼び、東の海にも星が落ちたとかいうのまで。
東の海には星が落ちた。これは凶兆。
西の海では新たな右流伯アントニーが立つ。これこそ日の出だと。
どうやらアントニー・マクリアスが自分の評判を高める為に噂を利用して拡張しているらしい。
身の丈に合わない虚像。
今、それをぶち壊してやる。
『アユミチ……怖い顔になってるよ』
「……あぁ」
『危ないと思ったら止めるからね。アユミチが怒っても』
「頼む、ノクサ」
冷静ではない。平静ではいられない。
ここ数か月の間も、何度かノクサに
アユミチだけじゃない。カヨウもいる。無茶をすればカヨウが死ぬと、ノクサは容赦なくアユミチの耳元に囁き、暴走しそうなアユミチを止めた。
「……ノクサがいてくれてよかった。本当にそう思ってるから」
『聞いてるわよ、この子』
「正直な気持ちだ」
『そ』
アユミチと一緒に戦馬車を見送ったカヨウだが、アユミチがノクサと会話している時はだいたい黙っている。
カヨウとノクサ。今のアユミチの一番の理解者で仲間。家族。
絶対に失わない。もう、絶対に。
町から離れて少年を送り出して、借りている宿に戻った。
秋の夜長とはいえすっかり夜更け。
小さな部屋でカヨウを抱きしめて眠る。
離さない。
絶対に離さない。しっかりと捕まえておく。
「あの……トイレに行きたいんですけど」
「……うん」
身じろぎしたカヨウに言われて、けれど離さない。手が離させてくれない。
「もう……」
男女の仲ではない。兄妹……にしてもおかしいけれど。
むしろアユミチの方が甘える子供だ。母の胸から離れられない赤子のように。
「そんなに心配なら一緒に行きますか? お兄ちゃん」
「……ごめん」
怖がりで情けないアユミチに、いつもカヨウは優しかった。
いつもいつでも、カヨウはアユミチに優しかった。
◆ ◇ ◆
夏の終わりに近づく頃にはディサイの厳戒態勢も解かれ、人も多く出入りするようになる。
大きな町なのだ。人の出入りはもともと多い。素性のわからないよそ者排除などいつまでもやっていられない。
郷司トオハ・イゴールや近隣で聞いた話だと、西区にマクリアス本宅がある。軍主要施設も。
東区と南区は後から町に住み着いた住民が多く、商売人の割合が多い。あるいは貧しい雇われ人など。
やや特殊なのが北区で、ディサイの町が整備される以前から住んでいた漁業者が多いらしい。
割合で多い少ないというだけで、全員がそうというわけでもない。
捨て森で一緒に過ごしたユィッヒは北区の出身だと言っていた。
ムンジィはどうだったのだろうか。彼はあまり自分の過去を語らなかったから。
ああ、兵士を殺して町を追い出されたとは言っていた。
自分とムンジィの共通項に苦笑いが浮かぶ。ろくでもない状況の犯罪者仲間。少しだけ、ほっとした。
ムンジィはなぜ兵士を殺したのだろうか。もう聞く機会はないけれど。
「俺の妹に用事か?」
大衆酒場にカヨウが一人で座っていれば、声をかけてくる男には事欠かない。
日本ならそんなナンパなどそう多くないだろうが、ここは違う。
もうすぐ秋祭りの雰囲気で浮ついた雰囲気の酒場で、カヨウに声をかけた男の後ろから五秒間不可視の道具で忍びより、抜いていないダガーを首元に当てた。
「お……おい兄さん、やめろって。冗談さ」
「……」
「悪かった……なんもしねえよ」
「そうだな」
どこから現れたかわからない相手に武器を突きつけられる。
随分と恐ろしいらしい。
アユミチのズルを、ただものではないと感じてくれた相手は、割と素直に話を……
「いかれてるぜ、お前」
話を聞く前にどこかに行ってしまった。
今日ははずれか。まあ仕方がない。
大衆酒場で乱闘などしていればすぐに兵士に捕まる。アユミチだってただの脅しだ。
「お兄ちゃん、怖い声がうまくなりましたね。本当に何人か殺しているみたいですよ」
「そうだろ」
びびって逃げてしまった男を見送ったアユミチに、カヨウが何とも言えないフォローをしてくれた。
情報収集なんて言っても情報屋がいるわけでもない。いるのかもしれないが見つけようがない。
適当に気になっている場所をめぐり、夜はこうして酒場で人々の噂話に耳を立てていた。
何の成果も得られない日もあれば、兵士がどこどこに集まっているだとか、アントニーの継承式の準備でどこに働きに出ているなんて話も聞こえてくる。
今まで意識したことはないが、酒場での情報収集というのはこういうものか。
日本と違って話題の少ない世界。今、この町で真っ先に話題にあがるのはマクリアス家の継承式のこと。
「あんたすげえな」
「?」
「あいつは酒癖が悪いんだが、今日は肝を冷やしただろ。どうやったんだか見えなかった。相当腕が立つらしいな、あんた」
「可愛い妹に寄ってくる虫が多いんでね」
「ははっ、そりゃそうだ。おい、この二人にミードを一杯。俺にも」
カヨウに声をかけてきた男は逃げたが、やり取りを見ていた別の男が横から声をかけてきた。
見えなかったのは当然。神様の道具を使ったのだから。
「町の人間じゃあないな。俺はフィリオ。ぐうたら兵士だ」
「……ホドウだ」
「妹の名前までは聞かないさ。俺には可愛い奥さんがいるんでね」
ぐうたら兵士と名乗ったフィリオ。
兵士という単語に不快な気持ちも湧くが、今はやめておく。
むしろ兵士というなら聞きたいことがある。多い。
「兵士……ポーラ隊、とか?」
「そんなお偉く見えるか? とんでもねえ、年中町の見回りの下っ端だよ。今夜もこの後見回りだ」
「そう……」
年中、町の見回りということは、捨て森の焼き討ちにも参加していない。
仇ではない。とりあえず。
「仕事の前に一杯か。ぐうたらなのは本当みたいだ」
「祭りに加えてアントニー様のお披露目式、ありがたいことに毎日あっちへこっちへ。飲まなきゃやってられねえ」
「大変そうだな」
お祭りの前後は警察も忙しい。
継承式の為に払いのいい仕事も多く、浮かれた人間の騒ぎも増える。
初夏の死病騒ぎの抑圧からの解放感も手伝って余計に。
「この町の人間はみんな言う。アントニー・マクリアス様様だって」
「コスタス閣下より金離れがいい。皆大好きだろ」
「俺が聞いてた話と印象が違う」
「おおっと、それは言わぬが酒ってやつだ」
フィリオが頼んだ酒が運ばれてきて、新しい杯が三つテーブルに並ぶ。
手を着けずに、フィリオはアユミチに少し顔を寄せて指を一本立てて見せた。
「亡き弟君の話は禁句だぜ、ホドウ。マクリアス家に生まれたのが不思議なくらい立派な男だったにしても、死んだら何にもしてくれねえ」
「……」
「ま、元々アントニーがいた。家から離されて育ったおかげで真っ直ぐに……ちぃっと変わり者に育ったんだな。あれは」
アントニーに死んだ弟がいたのは既に聞いていた。死病で死んだとか。親に焼き殺されたとか。
「まともな人、だったのか」
「お貴族様ん中じゃそこそこ。クソ野郎のマーチスなんかを慰労しなけりゃ、今頃後継ぎは……いや、なんでもない」
「……」
ポーラ隊のマーチス。
捨て森から戻った彼が死病を広めたのは事実らしい。
その報復に焼き討ちを。
「んで、喜び勇んだアントニー様が大部隊率いて捨て森で魔獣討伐だと。どこまで本当かわかりゃしねえ」
「……」
報復の経緯はともかく、当のアントニーは決して正義感でそうしたわけではない。
後継者としての地位が確かになったことに浮かれ、自分の名を高める為に大々的に焼き討ちをしたのだ。
死病を焼き払い魔獣を討伐した英雄。
そんな虚栄を求めて。
「都から貴い御方まで呼んで継承式だと。金が出回るおかげで町のモンもそりゃ浮かれるさ」
「貴い人って?」
「エクピキ教団の太光師――」
ぎりり、と。
「――を呼びたかったらしいが、体調が悪いとかで。陽灯司長のカシキ……様、だとか」
「……陽灯司長」
あれから色々と聞いた。
エクピキ教団の太光師は現在三人。ザイドロスとアパティはその中の二人だ。
絶対に殺す。
「っと……そんな顔しちゃいけねえな兄さん。なんだ、ディアホラ家に恨みでも?」
「? いや、ない……けど」
「俺の勘違いか。ならいい……なんだ、エクピキ教に知り合いでも?」
「……あぁ」
殺しても許せない相手がいる。
だけど、そうではない人の顔も浮かんだ。
「世話になった人が……陽灯小司のジルボン師って」
麻呂はエクピキの使いであるぞ、なんて言っていたっけ。
甲高い声が煩わしくて、デブで尊大で、だけど内心はやけに小心者。
思えば悪人ではなかった。
立場的に偉そうだったにしても、焼き殺されるような悪人ではなかった。
「珍しいな。指持ちなんてどいつもこいつも……まあいい」
「あんたは嫌いみたいだな、フィリオ」
「とんでもない、大好きさ。俺らに仕事をいっぱい回してくれる神様だからな」
エクピキ教団の幹部が来る。
太光師の体調が優れないとやらの話、あの爆発に飲まれて死んだのか。どうなのか。
聞き出したい。できれば居場所も。ビッテスの……あの女の所在も。
「妹が眠くなってきたみたいだ。行こう、か……テュズ」
「はい、お兄ちゃん」
アユミチが喋っている間、フィリオと周辺の様子に気を払っていたカヨウに声をかけて立ち上がる。
つい喋り過ぎた気がしたのと、この男の正体にも不安を覚える。
なんでだか、どこか話しやすかった。
友人のように。
「引き留めて悪かったな。最後にひとつ」
「なんだ?」
「店を出て左の道はやめとけ。歩きやすそうだがすぐ見通しが悪くなる。さっきあんたが脅した奴もよくいる」
「……わかった。ありがとう」
忠告を聞かずにノクサに先行してもらったら、確かに最初にアユミチにびびった男が店から出てくるアユミチを窺っていた。
後をつけて人気のないところで、という魂胆だったのだろう。
ノクサの力を借りるまでもなく、襲ってきた男の腹に、すっかり得意になった突きを叩き込んで悶絶させておいた。
「さっきの人、後で頼んだミードに口をつけませんでしたね」
「ああ」
フィリオ。
何かを探っていたのだろうか。
もし敵の方から食い付いてくれたのなら、それはそれで突破口になるかもしれない。
◆ ◇ ◆
「一口もつけなかったな」
手つかずのミードの杯三つに苦笑する。
やはり只者ではない。最近、何か様子のおかしいよそ者がいるとは聞いていたが。
「何を考えているのかわからんが、こっちの邪魔はしないでほしいもんだ」
別に毒など入っていない。
警戒心を試しただけ。あれだけ警戒しているのなら普通ではない。
「二度とない日だ。あいつに報いる……」
ミードを一気に腹に流し込み、フィリオも夜の街に出た。
◆ ◇ ◆