法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
アユミチさんはやっぱり甘い。隙だらけ。お人好し。
他の人がアユミチさんの言動をどう受け取るか、あまりわかっていない。
生まれ育った環境が違い過ぎて、常識がない。
そんな彼の不審さも扱い方次第。
先んじて入れ知恵してもいいのだけれど、きっとアユミチさんではボロが出る。
だからあえて放置。
アユミチさんのおかしい言動を不審に思わせてから、カヨウが助け舟を出す。
人間、みんな疑り深いもの。
騙されないように、盗まれないように。損をしないように。
まずはそういう目で他人を見る。
怪しい。不審。おかしい。何か企んでいるんじゃないか。
一度疑いを抱かせてから、なんだ違うのかと答えを見つけた気になると、人間は自分が理解したことを信じる。
あいつは怪しい人間じゃなくてただの変わり者の間抜け。
俺は知っている。
自分がその答えを見つけたと思うと、その人の頭の中ではそれが真実として定着する。
そう思ってもらえば後の立ち回りが楽になる。
演技が苦手なアユミチさんの素の顔と、その隙間を埋めるカヨウの言葉はうまく噛み合う。
アユミチさんにはカヨウが一番合う。ぴったりと、合う。重なる。
他のものなんて重ならなくていい。
カヨウはアユミチさんの影みたいにずっと一緒。
アユミチさんがカヨウから離れられなくなっていく。
ぎゅっと、ぎゅうっと、重く重なって息苦しいくらいに満たされる。
もっと深く。
ねえ、お兄ちゃん。
◆ ◇ ◆
「もっと早く来てりゃあ高く買ってやっただろうにさ」
ディオーネが女将さんと呼ぶグリナは、服飾業というよりは盗賊の女頭目のようなぎょろりとした目でアユミチを一瞥した。
体格が大柄というわけではないが、雰囲気が強い。
女だてらに切り盛りしているという立場のせいか、眼光が鋭く所作にもキレがある。
トローメ王国では女の社会的地位は低い。その中で頭を張る女性なのだから、弱々しいわけがない。
「今更、こんだけ持ち込んだって何になるわけでもない。まあ確かに上物なのは認めるけどね」
式典はもう数日後。
上等な布を仕入れても今から仕立てても間に合わない。当たり前のこと。
グリナはアユミチが持ち込んだ布に関心は示したが右流伯に納める話には否定的だった。
ディオーネに案内された屋敷……というか工場兼アパートといった雰囲気の建物の一室。
特に飾り気のない事務所的な部屋で、大きめのテーブルに手持ちの巻かれた布を並べて見せた。
「ほんとに刃が通らないね。どうやって作ってんだい?」
「外国で作っていてわからない。今度仕入れ元に聞いてみるよ」
レーマ様に捧げられたという事実が、この布を特別にしているのだと思う。
わずかばかりでも神威が備わっている。
「継承式には間に合わなくても使えることはあるだろうさ。
「ええと……」
一反――一巻きでいくらかと、特に値決めなどしていない。
「無地は金貨二枚。柄物は金貨二枚に大銀貨四枚でどうです?」
「はあ?」
「ずいぶん豪気だね、嬢ちゃんの方は」
「貴族様に納められるくらいの物ですから」
答えに窮したアユミチの代わりにカヨウが値段を提示すると、ディオーネは驚きグリナは笑った。
これまでに金貨の取引は見たことがない。一般人が持つには高額過ぎるのだろう。感覚的には三十万円くらいの硬貨。
初夏に訪れた地方郷司トオハ・ルゴールのところでも銀貨で支払われた。結構な金額だったようでここまで金には困っていない。そもそも庶民の収入がそれほど多くないようだ。
「軍のお仕事を請けているならそれくらいお支払いできるでしょう?」
「払えるから払うってもんじゃない。そんだけの値で買ったら何を作っても売る相手がないのさ」
どれだけ上等な衣服を作っても、買ってくれる客がいなければ商売にならない。
大金をはたいて仕入れて、それが在庫に余ってしまえば商売が滞る。
「テュズ、吹っかけすぎだ」
「……はい、お兄ちゃん」
「俺たちもできれば早く売りさばいて身を軽くしたい。今の値段の半値でどうかな? グリナさん」
「半値って言っても……」
カヨウを遮り、代わりにアユミチが提案した。
商品を売って身を軽くしたい。行商人なら不思議はないだろう。
「それでも普通の上等な布の五倍だよ。あんたたち……」
「ディオーネ」
苦言を言うディオーネを今度はグリナが遮った。
なるほど、さっきのは相場の十倍近い値段だったらしい。
「女将さん……」
「こりゃあ乾燥地の綿だよ。この辺りじゃそう手に入らない」
生産地などアユミチにはまるでわからないが、そうらしい。
「繭糸に比べて風通しがよくて汚れにくい。代わりに肌ざわりが悪くて生地が弱いって言うけど、それもない。確かに珍しいもんさ。普通に買えるもんじゃないよ」
グリナの方がそう納得してくれるのはありがたい。
少なくとも上物であることは間違いないのだ。町の人々が着ている衣類と見比べれば明らかに。
「半値なら買うよ。全部ね」
「ありがとう。これで妹にもうまいものを食べさせてやれる」
「ディサイの磯トカゲ料理は絶品だよ。まだ食っていないなら必ず食べていきな」
商売の話を進めながらグリナの話に苦笑い。
確かにそんな料理があるようだが、なんとなく忌避感からアユミチが避けた料理だ。
なんとなく言葉の意味が日本語訳されてしまうせいで、トカゲという食材を口に入れる気にならなかった。
食わず嫌いはよくない。爬虫類は鶏肉に似ているとか聞く。
捨て森では食べ物を選んでいる余裕もなかったのだ。懐かしいと思うにはまだそれほど遠くないことなのに。
グリナは用心棒らしい男を伴って金を取りに行き、その間にディオーネや他の従業員が布を広げて確認していた。
きれいだとか賞賛の声と、もったいないなんて言葉も聞こえる。
エリクサー症候群というのはこの世界にもあるのだろうか。上等な道具を入手しても使うのをためらうような。
とりあえずこの縫製工場兼集合住宅は、グリナを中心として多くの従業員が働いているらしい。
女が多い業種なのはきっと地球でも似たようなもの。不思議はない。
「みんなで出来上がった軍旗や軍服を納めに行くのか?」
「明後日ね。いつもならそんなに量がないから向こうから取りにくるけど、今はあっちも忙しいから」
「よければ手伝わせてくれないか?」
「なんで?」
「商売の為だよ。ディサイで一番金になるのは右流伯のところだろう? 何か売り物になりそうなものがないか見てみたいんだ」
「ふうん……」
待っている間にディオーネとそんな話をする。
ディサイの総督府、右流伯の拠点に入れる機会があれば助かる。
忍び込むにしても何にしても。
「金になるって言うならディアホラ家の方がいいんじゃない」
「そっちはほら、懇意の御用聞き商人がいるだろ。新しく右流伯になる若様の方がチャンスかなって」
「商売熱心ね。私にはこの布を売り込むのも忘れてたくせに」
「それは……」
『褒めときなさい。綺麗だから見とれてたとか』
ディオーネの指摘に言葉が詰まったアユミチに、耳元でノクサが囁く。
そんなこと言えるか、と思いながら片手で口元を押さえて、
「……なんて声かけようか迷ったんだ。ディオーネさんが可愛かったから」
「……」
「……」
微妙な笑みを浮かべるディオーネと、横から冷たい気配を漂わせるカヨウ。
ノクサのくすくすと笑う声はアユミチにしか聞こえない。
「商売人のくせにお世辞は下手みたいね」
そう言いつつも悪い気はしなかったらしい。
アユミチが言い淀んだのが少しだけ真実味を増したようだ。恥ずかしい顔をしているのもあるのだろう。
「なんだい、ディオーネに気があんのかい?」
「いや、別にその……」
「約束の金だよ。確認しておくれ」
戻ってきたグリナの声にびくっとしてから、慌てて出された布袋を受け取る。
中身を確認しないのは不自然だ。中身を机に並べながら数える。
「そんな大金持って、襲われないように気をつけるんだね」
「私たち、これでも魔法使いなので」
「……へえ」
魔法使いなのはカヨウだけだが、アユミチも魔法の道具を持っている。
使用制限など相手にわかるわけはない。要は手出しすると痛い目に遭うと相手が思えばいいだけ。
「ディオーネはこれでも好いた相手がいるのさ。生きてるかわからん男に操を立てて」
「女将さん、やめて」
「うちの末っ子が生きてりゃ嫁にしたかったくらいの器量よしさ。意地張ってないで、いい縁談がありゃ真剣に考えなディオーネ。この……」
グリナはアユミチを観察するように上から下まで見て、
「上等な服を着て、算術もお得意な兄さんが見初めてくれるってなら、ね」
「……」
「お貴族様かい? あんたたち」
アユミチとカヨウの衣服は、今ほど売った布と同じくレーマ様への捧げ物からもらったものだ。
華美ではないが庶民が着るような安物ではない。
その上で今、アユミチは売った布ともらった金を簡単な暗算で計算していた。
日本では小学生レベルの掛け算足し算だとしても、何の教育も受けていない人間ではない。仮に九九を習わなければ、何もせずに身に着くものではないのだから。
貧民や庶民ではないよそ者。高級な珍品を持ち込むのも不審と言えば不審。
「……詮索は抜きにしてくれ」
「じゃあ、右流伯のお屋敷に行きたいなんて言うもんじゃないよ。お互いの為に」
アユミチの迂闊さを咎めるグリナに対して返す言葉がない。
ただ出自が不審なだけならともかく、それが話題の権力者に近づこうとするのなら怪しまれて当然だ。
グリナがどう考えたのかわからないが、アユミチ側には確かにやましい企みがある。
「母ちゃん、それくらいにしとこうぜ」
「だな。いいもん仕入れさせてくれた兄ちゃんには、また売りに来てほしいんだからよ」
用心棒と思った男たちがグリナを母と呼んで宥めた。
ふん、と鼻を鳴らすグリナと、ふうと息を吐くディオーネ。
「ま、変なことに首を突っ込むんじゃないって話だよ。妹が大事ならね」
「ああ……別にグリナさんの頭越しに右流伯と商売しようっていうんじゃないよ。悪かった」
アントニー・マクリアスと商売するつもりなどない。
奴とするのは命の取引だけ。一方的にもらうだけ。
継承式でお披露目となれば絶対に機会はある。屋敷に入り込むことはできなくても、きっと。
「悪かったな、兄ちゃん。母ちゃんも弟が死んでから気が滅入ってんだ」
「いや……」
今ほど話題に上がった、生きていればディオーネを嫁にと言った末っ子は彼らの弟。
ディオーネの好いた相手とやらはまた別人のようだが、そちらも生存が怪しいとか。
命の軽い世界だ。誰も彼も、明日も生きているとは限らない。
「ま、うちのユィッヒなんかじゃディオーネがなびくわけもねえんだけどな」
「フられて泣き喚くのがせいぜいだったろうさ」
「ユィッヒ……」
あらためて、まじまじと彼らの顔を見る。
知らない男だ。だけど、面影がある。
森の集落で、アスパーサに惚れて尽くして、アニラービーに握り潰されて死んだ男の面影が。
「俺は、あの森で……」
「お兄ちゃん!」
ぐい、と。
カヨウがアユミチの裾を引っ張った。
口から出た言葉に、グリナと男たちの目がぎょっと変化した。
ディオーネはきょとんと、何の話をしているのかわからないように皆を見比べているだけ。
捨て森にユィッヒがいたことを知っているよそ者。
それは、少し前までこの町で疫病神として追い立てられた者に間違いないのだ。
張りつめた気配は、決して友好的なものではない。失敗した。
「取引は終わりだ。帰る」
「……ああ、そうしな」
低く呻いたグリナの声を背中に、逃げるようにその場を立ち去った。
◆ ◇ ◆
「女将さん、いったい何が……?」
「……」
行商人の兄妹が逃げ去った後、ディオーネはわけがわからないまま。
彼らがよそ者であることも、普通の庶民ではなさそうなこともわかる。
しかし、少し前に死んだと聞いているグリナの末っ子ユィッヒの名前が出てからの彼らの反応は明らかにおかしかった。
「あんたがうちに来る前にうちの末っ子が死んだって言ったかね」
「そう聞いた、けど……」
「ちぃっと違うのさ、そいつが」
はぁ、と息を吐いてから考えをめぐらすように眉間を強く抑えながら頭を振る。
「灰息病で捨て森に行ったんだよ。どっかの商売女にうつされたとかで、バカな子だよ」
「……」
「あいつらはそれを知ってた。どこで知ったんだか」
初めて会ったはずの商売人が、グリナの家の事情を知っていた。
ただの偶然かもしれない。
そう考えるには彼らは怪しすぎる。何か目的があってこちらに近づいたのか。
「こっちのことを知っていた……探っていた、って考えた方がいいんだろうね」
「……」
やましい企みがある。
ディオーネたちには表に出せない後ろ暗い計画がある。
警戒してしすぎることはない。
「フィリオはどうしてる?」
「今はわからない。夜には一度来ると思うけど」
「来たら言っとくれ。計画を変更する必要がある」
思い通りにいかない。
けれどここで止まるわけにはいかない。
恨みと不名誉を晴らし、この町にムンジィが帰ってこられる千載一遇のチャンスなのだから。
兄の親友でディオーネの想い人。彼は今、どこでどうしているのだろうか。
◆ ◇ ◆