法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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4-9.仮面の微笑

 

「うまくいきましたね」

「……」

 

 町での聞き込み、情報収集に限界を感じていたのは事実だ。

 誰も彼もがマクリアス家に不満を持ちながらも表立って叛意を示すわけもない。

 どちらかと言えば、エクピキ教のディアホラ家の方への不満の方が耳に入ってきた。

 

 海の仕事をしていれば大怪我を負うことも珍しくない。

 普通の治療では治らない状態で、エクピキの癒しを受ければその代価は大きい。

 治ったはいいが多額の借金で家財を失い、船を取られ、家族ともども奴隷扱いなど。

 それらの財力で、港湾整備などの公共事業的な仕事の元締めもディアホラ家がほとんど独占している。

 働けば働くほどディアホラ家が儲かる仕組みになっているらしい。

 

 当然、マクリアス家とディアホラ家は手を結んでいて、ディサイでは政治と経済のトップが癒着しているわけだ。

 日本でそういうことを考えたり実感することは少なかったが、これでは貧富の差が拡大するばかり。

 とはいえディアホラ家が違法なことをしている根拠もなく、下手に騒げば今度は兵士に取り締まられる。

 不満はあってもどうしようもない。平民はつつましく生きていくだけ。

 

 

 マクリアス家にしろディアホラ家にしろ、今の立場が揺らぐことなど考えてもいないのだろう。

 町の支配者としての暮らしがこのまま続く。多少の波風はあっても失われることなどない。

 ただ森で暮らせればよかった人々を踏みにじり、焼き殺しておいて、自分たちは安穏と暮らせると思っている。疑問に思うことすらない。

 上に立つ資格があると思い込んでいるアントニーの馬鹿面を思い出して、ため息が漏れた。

 

 

『堂々としちゃって、本物のお嬢様みたいだったね』

 

 ノクサの感想には黙って頷くだけだ。

 成金の若社長のような顔でアユミチたちを迎えたアントニーに対して、カヨウの振る舞いは満点以上の出来だった。

 

 

 少し身なりを整えて、正面からマクリアス家に乗り込んだアユミチとカヨウは、無事にアントニーとの対面を果たした。

 式典までもう数日のこと。

 アントニーの顔も知らないままその日を迎える不安もあったし、どこかでリスクを伴う行動は必要だった。

 

 昨日、グリナの縫製工場で下手を打ったことで腹をくくった。

 いざとなればカヨウの幻術とノクサの力を使って逃げる。

 まずはアントニーの顔を覚えれば、今度はノクサに頼んで探すことも可能になる。一度見ておきたい。

 

 乗り込みましょうとアユミチに迫ったカヨウだが、最初から自信があったのかもしれない。

 本物の令嬢のような立ち居振る舞い。

 アユミチでさえ、どこかのお姫様が話しているのかと思ったくらいだ。

 

 

 ――この身は我が主のもの。どうぞご理解を、右流伯閣下。

 

 挨拶の後にカヨウの手に触れようとした男に、カヨウはするりと躱して微笑んだ。

 踊るように、舞うように。

 滑らかで洗練された所作に見えた。

 

 高貴な佇まいに飲まれたアントニーは手を引っ込めて、後ろで見ていたアユミチも息を飲むほど。

 誰だこれは、と思わされるほどの雰囲気。場を支配する気配。

 中身のない男とは役者が違う。本物の上位者のように。

 

 ――いずれ主の許しがあれば、アントニー様。その時は。

 

 見る者を固まらせてから、ふわりと。がらりと柔らかな空気に変わる。

 何を勘違いしたのか、アントニーの方はカヨウの言葉にずいぶんと納得を示して、気持ちが悪いくらいに上機嫌だった。

 

 

 アユミチたちの捨て森を焼いた男。主犯。

 目の前にすればもっと怒りがわいてくるかと思ったが、あまりに凡庸な男で肩透かしという気分だった。

 こんなつまらない男の虚栄の為に。

 怒りより虚しさの方が強かった。

 

 でも、殺す。

 継承式。多くの人が目にする場所で、人生で最も華やかな舞台から地の底に叩き落す。

 あの森で死んでいった仲間たちの魂に、少しでも慰めになるのなら。

 

 

「何か不足でしたか?」

「……いや」

 

 カヨウとアユミチは、ぜひ継承式を観覧していってくれと滞在を許可された。

 ディサイの西港に繋がる要塞っぽい区画の中。マクリアス家の本宅から少し離れた別の建物に。

 

 まともに名乗りもしないよそ者を、高級な贈り物をしただけでもてなすなんて妙な話だ。

 アユミチ達の正体に気づいているのかとも考えたが、アントニーの言い分は少し妙だった。

 

 ――名乗れぬ事情もわかっていますよ。お客人。

 

 何がわかっているのか知らないが、わかった気になっているようだ。

 死病を持ち込んだ捨て森の敵、という扱いではない。

 高級官僚向けの賄賂に使えればと思ってレーマ様に送ってもらった首飾りは、想像以上の効果をもたらしてくれたらしい。

 

 

「……本物のお姫様みたいだったよ」

「そうです?」

「どこで覚えたんだか」

「ゼラ様やファニア様とか……の感じを真似てみただけです」

 

 名前を上げてから言い淀み、アユミチの顔を見上げて気遣うように首を傾ける。

 

『それだけでできるものかしら……小さくても女って役者ね』

「小さいのはお前もだろ」

 

 ずっと服の奥でブローチに擬態していたノクサがひらひら舞う。

 飛びながらカヨウに含む言い方をするノクサに、カヨウの目もちらりと追う。

 

「黒蝶様も参考にしました」

『あら、あら』

「優雅に舞うように飛びますから」

「カヨウがノクサみたいになるのは困るな」

『あら、まあ。言ってくれるじゃない』

 

 純真なカヨウがノクサみたいに擦れてヒネた性格になったら困る。

 アントニーの手をするりと避けた時のステップは、言われてみればノクサのようでもあった。

 捕まえられない綺麗なもの。そんな感じ。

 

 

「アユミチさんは、黒蝶様をお好きでしょう?」

「……そう見える?」

「はい」

「カヨウが言うならそうなんだろうな」

「はい。時々、ゼラ様に接するような目をしていますから」

「……」

『怖い怖い』

 

 ふふっと笑って、小さな窓に飛んでいくノクサ。

 

『念のため、周りを見ておいてあげる』

「頼む」

 

 ノクサなら地上何階だろうが狭い隙間でも関係なく周囲を偵察できる。

 ここは敵地。近くに潜む気配は感じられず、怪しい魔法なども感じないとノクサは言っていたが、用心しすぎることはない。

 ゼラのように見ていると言われ、嫉妬を恐れたのかもしれない。

 

 カヨウの幻術も色々と練習してきた。

 屋根裏や床下に潜む人間がいたとして、ぼんやり光る獣のような幻術を走らせれば息を潜めていられないだろう。

 

 

「ここからが本番だ」

「はい」

 

 高級な贈り物で顔合わせできればというつもりが、思いがけず内部に入り込めた。

 後戻りはできない。

 復讐の式典まであと三日。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 陽輝卿エヴェニス・ディアホラには家族の思い出がほとんどない。

 エクピキ教の神職は、見習いの陽分司の下積みを経て指をいただく陽灯司になるのが通常だが、それは下層の人間の話。

 高い位にある家の後継ぎは教団本部で幹部の補佐を務め、代替わりの際に家に戻る。

 そのまま教団本部に残る場合もある。

 

 エヴェニスが西港ディサイに戻るのは最初から決まっていた。

 女を多く抱え、娼館なども経営するディアホラ家だ。血を分けた弟なども生まれたようだが、不要なものは名もないまま外に出された。

 当主がよほど気に入った女から生まれたのでなければ特別にすることなどない。

 かといって血を分けた子を殺すこともない。

 

 獅子と同じだ。

 どこぞでも自分の血が広がっていくのは悪い気分ではない。

 ただ、家との繋がりは断ち切りたい。

 だから、どうなってもいいように孤児として捨てる。その後、うまく生きる者も出てくるだろうと。

 孤児院にわずかばかりでも寄付をする。富を社会に返しているという顔をしつつ、こちらも利用する施設になる。

 

 

 予期せぬ死もある。

 エヴェニスの父は四十半ばで死んだ。

 後継ぎ候補とて、何かのはずみで死ぬこともある。

 予備は必要。

 

 エヴェニスも、最初に産ませた子は利発そうではなかったから廃嫡したが、次の子を後継ぎとして王都に贈った。

 それから十数人の女を孕ませ、政略結婚用の女子の他に男子を一人だけ家に置いている。

 嫡男に何かあった時の予備。

 順当に嫡男が家を継げば、残った方は教団本部に送って残りの生涯を過ごす。

 

 

 カシキ陽灯司長はそんな出自だったはず。教団大幹部の家の次男。

 思いのほか有能で主光ゲニーメに気に入られ、結局教団本部で陽灯司長まで上り詰めた。

 ただ有能だっただけとは思わない。とても表に出せないような狡知なことをしてきたのだろう。追求するつもりなどないが。

 

「ザイドロス師、アパティ師ともにお加減が優れないとか。カシキ司長も大変なお立場でしょう」

「お気遣い痛み入ります、エヴェニス卿。こんな時だからこそ、非才の身を尽くす機会と思っております」

 

 役割の違いはあるが、カシキとエヴェニスは同格の位階になる。

 両手に聖印のあるエヴェニスの方が上と言えなくもないが、ひけらかして誇ることもあるまい。

 

 

「お二方とも、私が見習いの頃からよくしていただいた大恩があります。落ち着きましたらお見舞いに伺いたいところですが……」

 

 太光師の代理で本部から来たカシキの表情を窺う。

 王都から国王ネロの名代として貴族院の副議長も来ているが、あんなものは飾りだ。右流伯継承を認めるというだけの人形。

 カシキは違う。

 封書などでやり取りできない用件を持ってきているはず。

 

「死病ではありません」

「……」

「口さがのない者がそのような噂をしていると聞きますが、死病ではありません」

 

 タイミングが悪かった。

 捨て森が焼かれ、その直後に太光師二人が表舞台に顔を出さなくなった。

 よもや死病の呪いにかかったのでは、などと噂されるのも仕方がない。

 

「捨て森に悪神がいたのは事実です。アントニー様の……大げさな話ではなく」

「ほう」

 

 さすがに言葉を選んだ。法螺話とは言わず。

 正直、アントニーを知る者は誰もアントニーが悪神を倒したなどと信じてはいない。

 話を盛った、作ったと思っている一方で、三晩続いて夜空を焼いた光はトローメのあちこちから見えていた。事実として何か天変地異があったのだ。

 

 

「悪神を討ったのは太光師でしたか」

「実際には影潰し副長です。申し訳ありません、こちらから抜いて補充もできず」

「いえ、影潰しは教団の刃。私の私兵ではありませんので」

「ディサイにエヴェニス卿があれば不安などないとオルミ師が仰っておいででした」

「過分な評価ですな。多少、覚えがあるだけです」

 

 武闘派のオルミ太光師の顔を思い出して苦笑いが浮かぶ。

 荒事などそう起きるわけもないが、エヴェニスが対処できないことはないだろう。私兵もいる。

 

 エクピキ教団は各地に拠点を構えて、世界を巡っている旧神の力を持つ存在を調べていた。

 全てはエクピキ復活の為に。

 復活がいつになるのか見えない以上、いただいた指で現世の享楽に(ふけ)ることがもっぱらだが。

 

 エクピキの信徒である影潰しが悪神を討ったとすれば、その力はエクピキに還ったのだろう。

 復活の日が近づいたか。見えてきたのか。

 

 

「アパティ師、ザイドロス師はその戦いで命を削るほどの力を行使したためにお休みなのです。副長も似たようなところです」

「知っていれば我が身もその場で奉仕させていただきたかったところですな」

「私も同じ気持ちですよ。エヴェニス卿」

 

 エクピキの復活がなれば。

 信徒には報いがある。

 エヴェニスは両手の聖印を見て、無数に浮かぶ読めないほど微かな文字の模様に目を細めた。

 エクピキに尽くしてきた証。

 もしエヴェニスが生きるこの時代にエクピキが復活してくれるのであれば、それは何より素晴らしい。

 

 

「復活の日は近い、と?」

「ゲニーメ主光のお言葉ではそのように。ただし同時にあちこちで不穏な影も見られます」

「でしょう」

 

 捨て森から天を焼いた火で、他の神々の遺物もくすぶり始めた。

 燃えカスだった炭に熱が入ったように、じわりじわりと。

 今まで見つけられなかったそれらも、動き始めてくれればわかってくる。

 

「主光が察知された気配で言えば、偽りの曙光ポスフォス。重なる日陰スカーア。己を見ぬフォティゾ」

「逃げたランプシーは遠いようですね」

「東の海に落ちた流星とやらも気になります」

「その話はアントニー閣下の作り話かと思っておりましたが」

 

 東の海に星が落ちて、西からアントニーの日が昇る。

 箔をつけるための与太話だと思っていたが、どうやら東でも何かあったらしい。

 

 

「南でないことも気になります」

「大昔に捕らえた神の残滓カルマリィが、この状況で沈黙というのも不思議なものですが」

「こちらの海軍では何か噂になっていませんか?」

「残念ながら、無能者の集まりでして」

 

 南には王船叉波王(ざはおう)がいる。

 大海魔カルマリィの体。滅んだ神の肉から生まれたはずだが、今は休眠というか活動していない。

 遥か昔、あれを手中に収めるために初代トローメ国王にエクピキ教団主光が手を貸したと言われているのだが。

 

 エクピキ復活の際に利用価値があるかもしれない。

 そのはずが、先代国王の死後、叉波王は力を失った。完全に死んでしまったのか。

 

 何事にも予備は必要。家の跡取りにしても、神の復活にしても。

 どうも海の者はあてにならない。

 粗暴で不規則な海の連中を思い浮かべ、ふっとエヴェニスは鼻で笑った。

 

 

「偉大なるエクピキの道を開くとなれば、祭りなどにかまけている時間はありませんね」

 

 太光師二人が動けず、残った一人も王都を離れられない。

 これはエヴェニスにとって良い巡り合わせだ。

 エクピキ復活を間近に、誰が最も貢献できるのか。優位な立ち位置にいる。

 ポスフォス、スカーア、フォティゾの残滓を掴み、捧げる。こんな港町の祭りなど取るに足らない。

 

「いえ、エヴェニス卿」

 

 欲が顔に出ていただろうか。カシキは柔らかな表情のまま頭を横に振り、

 

「こういう祭りにこそ思わぬものが集まってくるのではないか。私はそう考えているのですよ」

「……なるほど」

 

 呑気に右流伯継承式などに来ているかと思えばそんなわけもない。

 カシキ陽灯司長こそ、誰より功を積み上げてきた男だったのだと思い出して微笑み返した。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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