法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
消防条例というものがある。日本には。
店舗などで使うのぼりやカーテンは、燃えにくい素材を使わなければならないなど決まりがある。
この世界にはない。
だが、それにしても火の回りが異様だ。風が抜けるような速さで連なる旗に燃え移り、強い火勢が建物の壁や屋根にも広がっていった。
アントニーの密かな客として城壁から見ていたアユミチは、完全に出遅れた。
得意げな顔をしたところを、不可視の魔法道具とリグラーダのスリングショットで打ち抜いてやろうと思っていたのに。
正門から中央広場に集まっていた群衆は大パニックで、楼閣の上も警備兵がわらわらと現れてアントニーの姿が隠れてしまう。
「くそっ」
『アユミチ、落ち着いて』
ぐい、と。ノクサの小さな手がアユミチの襟を引っ張った。
カヨウの方に。
「……あぁ」
算段が狂って気持ちが乱れるが、この混乱は危険だ。
カヨウの身が危険。
敵は……この火を放った者は、どう考えてもマクリアス家に恨みを持つ者。この城は襲撃対象で、今のアユミチとカヨウはこの城の内側の人間と見られかねない。
誤解だが、誤解を解く方法が見当たらない。
パニックの中、暴動も起き始めている。火事場泥棒というのはどこの世界にもいるものらしい。
火を仕掛けた誰かが本気でマクリアス家の誰かを殺そうとしているなら、暴動に乗じて襲ってくるはず。
騒ぎに便乗して略奪狼藉を働く者と、目的を持った何者かを見分ける……無理だ。手がかりがない。
「カヨウ、とにかく――」
「私を置いていかないで下さいね、お兄ちゃん」
「……あ、あぁ」
傍を離れないようにと言いたかったが、カヨウの方から言われて面食らってしまう。
そうだ。しっかり者だとしてもカヨウはただの少女。不安になって当然。
アユミチがしっかりしなければ。しっかりと繋ぎとめておかなければならない。
「手を離すな。アントニーを探す」
「はい」
邪魔にならないように、でも離れないように、アユミチの服の裾をぎゅっと掴む感触に安堵する。
その重みに気持ちが少し落ち着いた。
「火か……」
城壁から身を乗り出し過ぎないように再確認。町に火の手が回っていく。
消火できないまでの勢いではないが、群衆が集まっていた中でのこと。逃げ惑う人々は統制できない。
アユミチだって考えたのだ。
町を混乱させるのなら火事がもっとも手軽で有効だと。
しかし、放火は選べなかった。
捨て森を焼かれた記憶は新しい。カヨウだって大火災なんて見たくないだろう。
パニックがアユミチの後押しをするとも限らない。
今だって、警戒が厳重になりアントニーの居場所を見失った。
何より、無関係な人を巻き込み過ぎる。
アントニーやエクピキ教関係者だけを焼けるのならいいが、放火の被害を受ける大部分は無関係な町の人間になる。
ただこの町にいただけで焼かれるなんて……
腹の奥から苦いものがこみ上げ、選べなかった。
「まだ近くにいる――」
ズガァァァァッ!
轟音が響き渡った。
町の方から。
「爆発?」
旗の並ぶ先の建物が破裂し、黒い煙が上がっていた。
吹っ飛んだ瓦礫が城壁や楼閣にまで届き、下の群衆がさらにパニックに陥る。
――砲撃だぁ!
――逃げろ! どけぇ!
その声を受け、楼閣に固まっていた兵士たちもさすがに動揺する。
ちらりと、特設された楼閣の後ろの階段からアントニーが降りていくのが見えた。顔は見えなかったが服装がそれだ。
表から砲撃を受けているとなればここも安全ではない。
中庭側に逃げるのも当然。
旗があっという間に燃え広がったのも火薬を使っていたからなのか。
襲撃者はかなり入念に準備をしてきている。
「カヨウ、行くぞ!」
「はい!」
誰がどういう意図で騒ぎを起こしたのか知らないが、アユミチの目的はまずアントニーの命だ。
表で警備を引きつけてくれるのならそれでいい。都合がいい。
中庭側に集まってきた警備兵たちで警護を増やしながら奥に逃げていくアントニー。
ポーラ隊とは違う軍服の中に、見知った顔が――
◆ ◇ ◆
「あいつら……」
怪しげな兄妹。
何者かはわからないが、常人ではないことは確か。
横から見ていても見えない動きで暴漢の急所を突く兄と、魔法使いだという妹。
千載一遇の好機だというのに、フィリオでは対処できない兄妹がそこにいる。
旗を織る糸に、特に燃えやすいものを使った。
火薬や油を混ぜていれば他の人間が気づいただろうが、素材そのものが燃えやすいことまで気づく者はそういない。
集まった群衆は予定通り大混乱。
繋いでいた糸で火薬樽も爆発し、泡を食ったアントニーが楼閣から中庭に降りてきた。
ポーラ隊の大半は表側の混乱の対処に当たっている。もとより式典の為に城門前に整列していた。
隊長ヴァイロンは楼閣の上で全体に指示を。副隊長タニクはコスタスについていた。アントニーと一緒ではない。
持ち場ではないが楼閣から降りる階段近くにいたフィリオは、アントニーの警護に合流するように入り込んだ。
砦の奥に逃げ込むアントニーの近くに。
これならフィリオでも隙をついて殺すことができる。その配置だが、視界の端に気になる兄妹の姿が横切った。
アントニーの客を示す腕章をつけている。
敵だ。
フィリオが反マクリアス派に接触したのは、親友ムンジィの為だった。
東区と北区の境辺りで育ったフィリオとムンジィ。
十三の頃に親を亡くしたムンジィは船乗りの下働きに出るようになったが、その後も気心の知れた幼友達として付き合いは続いた。
軍に入ったフィリオが、くだらない仕事の愚痴を垂れることも多かった。
口は悪いが人として筋は通すムンジィに、妹ディオーネが恋心を寄せていたことくらいわかっている。
ただ、親友の妹というのが悪かったのかもしれない。ムンジィはディオーネとの距離を詰めようとはせず、年月が過ぎる。
ある時、ポーラ隊の一人がディオーネの存在を知った。
妹との仲を取り持つよう強圧的に迫り、断ったフィリオの立場が悪くなるような噂を軍内部に流した。
ディオーネのことを言いふらさなかったのは、変に広めて他の競争相手が出てくるのを嫌ったのだろう。
つまらない不正やらをしているのかと上司に問われ、そんなことはないと否定するフィリオ。実際に証拠も事実もない。
むしろ噂を広めた男のやり口だった。軍の資材の横領、横流し。
フィリオが折れないのなら強引にディオーネをモノにしようと思ったのだろう。
何となく嫌な予感がして家に立ち寄ったフィリオと鉢合わせして、取っ組み合いになった。
相手は腐ってもポーラ隊の一人。戦闘技能ではフィリオより上で、背中から床に叩きつけられた。ディオーネの悲鳴が頭に響く。
激しく咳き込みくらくらする頭を上げると、ムンジィがいた。
ナイフで男の腹を突き刺し、血塗れのムンジィが。
ディオーネの悲鳴を聞き駆けつけてくれたらしい。
乱闘に女の悲鳴。家の外にも人が集まってくる。
――全部俺がやったことにしとけ、いいな!
いいも悪いも聞かずにムンジィは飛び出していった。
フィリオの説明は全て握り潰された。
ポーラ隊の悪行など表ざたにできるわけもない。
押し込み強盗のムンジィが兵士を殺して逃げた。
衛兵殺しの悪人として手配された。
腐っている。この町は腐っている。
ムンジィの悪名を晴らしたい。町に戻り、妹と一緒になってほしい。
しかしフィリオに何ができるのか。ただの下っ端の兵士にすぎないフィリオに。
そんな時、向こうから接触があった。
反マクリアス派の誘い。
フィリオはその誘いを受け、軍内部に潜む協力者となる。
ディオーネは組織の息がかかった縫製工場に。裏切らないよう人質と言う意味合いもあったのかもしれない。
フィリオは反マクリアス派の女と結婚して、妹は家を出たという形で。
ムンジィの汚名を払拭すると言っても、ポーラ隊も軍も一度下した手配を撤回などしないだろう。
マクリアス家の支配をひっくり返してやれば、ムンジィもこの町に戻ってこられる。
そんな好機があるかと言えば……
異常な事態が巻き起こった。
それに伴うマクリアス家の代替わり。
ここで騒ぎが起きれば町の支配体制を揺らがせることができるかもしれない。
新右流伯になるアントニーかコスタス、どちらかでも暗殺することができればどうか。
意外な話も耳に入る。
反マクリアス派の後ろには左潮伯エクソト家の影響があるとか。
もしうまくことが運べば、エクソトの名でマクリアス家やポーラ隊の悪行を糾弾することもできる。
ムンジィの手配を取り消し、町に戻って暮らす希望が見えた。
西港ディサイから南に逃げたと聞いている。捕まっていないのだから、うまく生き抜いているのだろう。
親友で恩人。
彼の為に何もしてやれないのではフィリオも腐った連中の同類。そんなのはごめんだ。
「……」
反マクリアス派は連携が密ではない。
フィリオの他に同じく軍内部のスパイがいても、誰がそうなのかわからない。
捕まった時に芋づる式に壊滅しない為に。
「っ」
拳を握り、歯を食いしばった。
ここじゃない。
フィリオが命をかける場面はここではない。
砦の奥に逃げ込むアントニーに付き従って足を進めるうちに、怪しい兄妹の姿は見えなくなっていた。
◆ ◇ ◆