法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「退きましょう」
「う、むぅ……」
判断が早かったのはカシキと呼ばれた司祭だった。
彼は王都から式典の為に来たと聞いている。町を守るとかそういう意識より、状況の不透明さを見て撤退を選んだ。
向き合っていた鬼巫から距離を取り、同じ司祭であるエヴェニスの隣に立って肩に手を置く。
「……ですね」
「逃がさない」
両手にはめた鉄球の拳で殴りかかったジナミナを、エクピキの指の生えた手でいなし、頷いた。
「今はそれがいいでしょう」
ジナミナの二撃目は空を切り、エヴェニスとカシキは重力を無視する跳躍で後ろの城壁を越えていく。
勘違いでも命を救われやりにくい気持ちのあったアユミチとしては、逃げてくれてよかったという気持ちが過ぎる。
あれとてエクピキの手先。殺す相手だとしても、今だけは。
「ふっ!」
ジナミナも、こちらは小柄な体で城壁に飛び上がり、わずかな引っかかりを掴んで跳ねるように追った。
あれが噂の奴隷海将。図抜けた身体能力。
「く、妾もあれを追う。追わねばならぬゆえ」
「ああ」
鬼巫の事情はよくわからないが、ファニアの仲間のはずだ。
彼女の仲間がエクピキ教の司祭と敵対するのなら、邪魔する理由はない。
「ファニアは……」
「知っておるのか?」
「……助けられなかった。俺のせいだ、すまない」
「……伝えてくれたこと、感謝する」
捨て森の爆発に巻き込まれたファニアのこと、それだけは伝えた。
伝えた方がいいだろうと思った。
「そやつの始末を頼みたい。妾は司長を殺さねばならぬ」
「ああ、わかった」
「北府ヴォラス、北東の外れの古教会を」
ぼそり、と。
アユミチたちにだけ聞こえる声量で言い残すと、鬼巫の姿はまた影か疾風のようにかすみ、カシキ達の逃げた方角へと消えた。
「っ!」
アユミチの視線が逸れた瞬間を狙い、ポーラ隊副長タニクの投げたナイフはすさまじい速さだった。
鋭さも尋常ではない。一流の戦士なのだと思う。
三本の投げナイフは確実にアユミチとカヨウに刺さる軌道で、躱すのはとても間に合わないが、
「邪魔だ!」
羽織っていた布で振り払った。
思った以上に重く鋭く、本当なら布を切り裂いてアユミチに突き刺さったかもしれないが、アユミチの身に着ける衣類はレーマ様にもらったもの。
簡単に裂けるようなものではなく、三本ともはたき落とす。落とした、が――
『アユミチ!』
「くぅっ!」
半呼吸だけ遅れて投げた四本目が、アユミチの太ももを撃った。
「へ、へっ」
腐ってもポーラ隊副長。アユミチの血を恐れて近づきたくないとしても、戦う術がないわけではない。
足に攻撃を受けたアユミチが膝を着いたのを好機と見て、今度は直剣を持ち替えた。身動きが取れないアユミチに止めを刺そうと、直剣の刃を大きなダーツのように構え、
「死ねよこの疫病神野郎」
「ばぁか」
しゃがみこんだのはナイフが刺さったからじゃない。
確かに衝撃は受けたが、切られてはいない。
姿勢を低く、後ろ足に力を込めて。
「お前が死ね」
狙いを定めて投げられる前に、タニクの左横腹に突進した。
「ぶぇぁっ!?」
「ぐぅっ!」
アユミチの踏み込み攻撃を知っていたはずのタニクだが、死病の薬師と聞いて遠距離攻撃ばかりに意識がいっていた。
剣を投擲する姿勢で逃げるのが遅れ、アユミチの爆発的な突進に対処できない。
左肩にぶつかり、脇腹にダガーが滑り、数歩たたらを踏む。
「く、ぅ」
アユミチだって痛い。
タニクの右手の剣先が気になって左側に突っ込んだが、体勢が悪くダガーを突き立てられなかった。
タニクの肩を肘で打ちながらダガーを走らせ、タニクの後ろまで突っ込みながら振り返る。
ぶつかった体の衝撃と、踏み込んだ足にも痛みが。
投げナイフは刺さらなかったものの衝撃だけはあった。痛む腿に力を込めたせいでさらに痛む。
「んだぁぁ!」
「くそったれぇ!」
痛いから、なんて言ってられる場合ではない。
ぶつかりながら交差したタニクが突き下ろそうとした直剣を、踏み込みながら握る腕を打ち払う。
タニクの方が腕力も上のはず。だが、わずかに腰が引けている。
「いっ!」
アユミチの肩に切っ先が届くが、アユミチの服には刺さらない。
ずる、とずれた直剣。投擲の為に柄ではなく刃部分を握っていたタニクの手に食い込み、落ちた。
「うらぁっ!」
「ど素人がぁ‼」
アユミチが下から巻き上げたダガーを、タニクはすさまじい反応をみせて皮一枚で躱す。
生きるか死ぬか。必死なのはアユミチだけではない。
そして相手はアユミチよりずっと戦いに慣れたポーラ隊副長。
「がぁ!」
噛みついた。
アユミチの左の二の腕に、鼻を覆う革マスクの下の口を広げ、噛みついた。
「う、ぐぁぁっ!?」
「ぎぃぃぃ!」
歯ぎしり、食いしばり。多くの生き物にとって噛む力というのは他の力より特に強いことが多い。人間もそう。
肉を千切り、場合によっては骨も砕くほど。
タニクが鼻を失ったのも、そういう戦いを経験してきたからなのかもしれない。
服は破れないものの、上下の顎に捉えられたアユミチの腕の肉がぶちぶちと悲鳴をあげ、激痛が走る。
「こん、っのぉぉぉ‼」
「ぶぇふっ」
食いちぎられるより先に、ダガーを握った右拳で、左腕に噛みつくタニクの横面をぶん殴った。思いっきり。
噛みついた口が離れ、ダガーの刃でタニクの顔を隠す革マスクもだらりと落ちた。
「く、っそ……」
「はへ……へ、やるじゃねえか……は、ははっ」
鼻を削がれたタニクの顔。口の上には醜い傷痕と、黒い縦穴がふたつ。その両方から血と鼻水を垂らして笑う。
不気味な男。
さっきまで死病を恐れていたのに、もう吹っ切れたようだ。
実際、アユミチに死病をばらまく手立てなどない。
「こういう殺し合いをよぉ……最近は忘れてたぜ、なぁ……」
「……知らねえよ」
同意を求められても知ったことじゃない。
タニクの左腹の傷は浅くはないが、内臓まで達してはいない。
左肩を打った衝撃でだろう、左腕はだらりと伸びている。
なのに笑う。鼻水と鼻血と涎を垂らしながら、げへげへと。
「どうせ病気で死ぬってなら、こっちの方がいいだろ」
「……」
「ああ、そうゆうわけだからよ」
違う。
タニクはアユミチに言っていたわけじゃない。
「邪魔はしねえでほしいなぁ隊長……大将も、さぁ」
「勝手を言うな」
「そいつが死病のアユミチだってさぁ……」
アユミチの斜め後ろ頭上。
タニクが言わなければ、上からの一撃をもらっていたかもしれない。
「儂の為に仕留めてくれると言うか? お前が」
「ははっそりゃあねえよ大将」
崩れかけた城壁、楼閣。
上の方にいたはずのコスタスと、ポーラ隊隊長ヴァイロン。そして残っていた数名の兵士たち。
それらが中庭に降りてきていた。
「どうせ死ぬなら面白ぇ方がいいってだけだ」
戦っているうちにタニクを挟んだ形になってしまったカヨウとノクサが、中庭を囲みつつある兵士たちを見回しながら身構えている。
どうする。
カヨウがかんざしをぎゅっと握るのを見ながら、ぎりと歯を噛み鳴らした。
◆ ◇ ◆