法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
手を伸ばした。
溢れる光の中で手を伸ばした。
何を思っていたのか。
助かりたい。死にたくない。俺もその輪の中に入れてくれ。
そんな気持ちはまるでなかった。
自分が高尚な人間だなんて思ったことはない。小悪党でちっぽけな、ケチな男。つまらない人間。
そんな男のくせに、もうだめだと覚悟した瞬間に考えたことが、なんとも気恥ずかしい。
――ああ、俺ぁもう旦那の手助けができねえのか。
残念だな。
この兄さんと、もっと一緒に生きてみたかったな。
そしたらきっと、腐ったこんな国だって明るく楽しくできたんじゃねえか。
離れ離れになっちまった悪友とも、また笑って飲める日があったかもしれねえ。
紹介したかったんだ。
この兄さんは俺が見込んだ男の中の男だって、よ。
ま、俺が見込んだなんて大した箔になるわけじゃねえんだが。
でもさ、一緒にいりゃわかるはずだぜ。
この兄さんはバカみてえにいい奴で、ほっとけねえ。自分の腹ん中の膿が消えてくみてえに軽くなる。
一緒にいると、俺なんかでもお天道様に恥ずかしくねえ気持ちになれるんだ。
気分がいい。そう、気分がいい。
この国は腐ってる。
この兄さんの甘さじゃ生きていけねえ。
手伝いたい。助けたい。力になりたい。
そんな望みが失われる。俺は今日ここで死ぬ。
そう覚悟して、残念だなって思ったんだ。
――忠実な従者。
とんでもねえ
兄さんを守ろうと自分の体を光の泡にしていたその一粒が、指先に。
――お前は生きなさい。
「あねさ――」
泡粒がムンジィを包み、次の瞬間には溢れた光で弾き飛ばされていた。
遥か東の海に。
東の海に流星が落ちた。
捨て森が光の奔流に飲まれた夜のことだった。
◆ ◇ ◆
「間に合ってよかったぜ、旦那」
「む……」
「嬢ちゃんの魔法のおかげで見つけられた。ありがとな」
やや幅広の刀身の曲刀に、見慣れない紋章が描かれた布を左肩に巻き付けている。
しかし、その物言い声音は間違えるはずもない。
「ムンジィ!」
戦馬車と共に上から飛び降りてきたのは、捨て森で死んだはずのムンジィだった。
アユミチとカヨウの窮地に、手にした曲刀でポーラ隊副隊長タニクの耳から胸元まで切りつけながら。
砲撃で崩れかけていた城壁から飛び降りてきたのか。
空から降りてきたわけではない。
「なん……だぁてめ……むんじ……?」
アユミチを殺そうと迫っていたタニクを、ムンジィの曲刀が止めた。血まみれのタニクがムンジィを睨む。
「おめえはもう退場だ」
「なめんなチンピラがよぉ!」
耳を切り落とされ、それでもタニクの戦意は消えない。
むしろ獰猛に、手にしていた槍を振り上げるままムンジィを切り裂こうと――
「なめんな」
ムンジィの方が速かった。出足が早かった。
足元から振り上げられる槍の穂先より先に踏み込み、曲刀で撫でるようにタニクの喉を裂いた。
「が、びゅへ……」
「うちの旦那に怪我させやがって」
アユミチが蹴り上げた土砂で血涙を流していたタニクは、距離感やムンジィの足さばきを見極められなかったのだろう。
つい今ほど落ちてきた戦馬車から頭を庇っている兵士たちの前で、タニクは首からどぷりと血を零しながら倒れた。
「……幻術、だったか」
天馬と共に現れたように見えたムンジィに固まっていたヴァイロンだが、タニクが殺されて我に返る。
「ムンジィ……去年、うちの隊員を殺した男だな」
「へっ、礼ならいらねえよ」
「チンピラごときが」
ムンジィの軽口に怒りを募らせたのはヴァイロンだけではない。
「チンピラが一匹加勢にきて何になる」
ヴァイロンの後ろからコスタスが声を震わせた。怒りに。
町を引っ掻き回され、息子は敵前逃亡。子飼いの部下を殺されて怒らないわけもない。
「幻なんぞ何の役に立たん! そやつらを殺せぇ!」
自らも剣を握り、階段の途中から飛び降りながら命じた。
動揺していた兵士たちもその号令にびくりと背を正し、槍なり剣なりを握り直す。
アユミチも、ようやくしびれが治まってきた左腕に力を込めるが、どこまで戦えるものか。
「は、だぁれが一人で来たってんだ?」
「ムンジィ?」
十数名の兵士、精兵が相手だというのにムンジィは笑う。
そうだ、そもそもムンジィはどうやってここに?
「上出来だ新入り!」
ムンジィが跳び越えてきた崩れかけの城壁から、ムンジィと同じように左肩に紋章付きの布を巻きつけた男たちが姿を現した。
「東港のオヤジに右流伯の首を土産にするぜ!」
「おぉぉ!」
カヨウの幻術を見て迷わず走ってきたのだろうムンジィと、その背中を追いかけてきた海兵たち。
数は多くないが、それはコスタス側も同じこと。
「エクソトの!」
「東の猿どもがぁ!」
ぶつかり合う二つの勢力。マクリアス家の兵士と対するのは東の港を拠点とするエクソト家の兵士たち。
右流伯と左潮伯は犬猿の仲だと。
なるほど、大砲や火薬を用意してまで騒ぎを広げた背後関係を理解したアユミチに、ムンジィが誇らしげに頷く。
「……生きてて……よかった、ムンジィ……よかった……ありがとう、ムンジィ」
「お互い様ですぜ、旦那」
折れかけた気持ちに再び熱が灯り、アユミチも頷き返して立ち上がった。
◆ ◇ ◆