法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「出ろよ、王子様」
「あ……?」
船倉に転がされていた男は、ナフタンの呼びかけの意味がわからず本当に疑問を返しただけだった。
もともと育ちが悪いせいだろう。威圧的な声色で。
「若大将が呼んでんだよ。星王の使いと話したいって」
「星王……はっ、おとぎ話かよ」
「てめえがおとぎ話みたいなもんだろうが、自覚ねえのか? 流れ星で海に落っこちてくるなんざ」
拾った船乗りたちの間で、チンピラのような男を王子様と揶揄して呼ぶのはここ十日ほどで定着していた。
西の空から飛んできた流れ星が海に落ちた。
近い海域にいたこの船がその正体を確認に行き、銀の泡に包まれ海に浮いていた男を見つける。
船乗りの間で聞く星王のおとぎ話がある。
慣れたはずの海で迷った時、見たこともない星を目印に故郷に導いてくれる不思議な海の精霊がいると。
正体不明のそれを星王の使いと呼ぶ。
海で拾ったチンピラをそれになぞらえて王子様と呼ぶようになった。
「俺らが海にいる間に陸でも妙な話になってんだってよ」
「妙な?」
「お前が言ってた通り、捨て森が光ってたらしいぜ」
はっと顔を上げたチンピラの顔は、家族を思う兄のような表情をしていた。
縛り上げて船倉に転がした時には口汚く罵声を浴びせたナフタンも、その顔を見て少し気まずい気分で息を吐いた。
「まるっきりホラ話ってわけじゃなかったらしい。悪かったな」
「……んなことどうでもいい」
空から落ちてきた男が、目を覚ましたらわけのわからないことをまくし立てたのだ。
聞いている方からすれば頭がおかしいチンピラとしか見えず、とにかく西港に向かえなどと騒ぐものだから力ずくで船倉に押し込んだという流れ。
流れ星に乗ってきた正体不明の人間をどうしていいのか、いなかったものとして魚の餌にしてもよかったのだが。
とりあえず上の判断を聞こうと母港である東港アナトーリに戻った。
船が陸を離れていた間に、トローメ国内で大きな騒ぎがあったらしい。
少し前から噂になっていたが、死病を治す薬師が現れたとかいう。
それが神の怒りを買ったせいで捨て森が消し飛び、三日三晩西の空が輝いた。
焼いたのはディサイの跡取りとも言うし、国軍が動いたような話もある。
拾ったチンピラの話とあれこれ合致する。
どうやら本当に捨て森の生き残りだったらしい。その上で斑徂症や灰息病などの症状もない。
さて、どうしたものか。
症状は見えないが死病の感染がないのかはわからない。
皆が近づくのを嫌がり、船倉に閉じ込めたまま港で丸一日。
最初に取り押さえた船員の内の一人ナフタンが水や食い物を持っていった。
感染を恐れなかったわけではない。
このチンピラが死病じゃないと決めつけることで、自分も死病にかかっていないと信じ込みたかっただけだが。
もし死病だったなら。
家族にも会えない。帰るわけにもいかない。
陰鬱な気持ちで船で時間を過ごしていたら、報せがきた。
若大将が話を聞くから連れてこいと。
この時点でまるで症状がないことから、ある程度の安心はあった。
得体のしれない男だが健康そうでよかった。自分も死病に冒されてはいないらしい。
そういえば船酔いに悩む様子もない。船に慣れているようだ。
流星とともに現れたから考えもしなかったが、近場の船から何かの魔法で飛んできただけなのかもしれない。
「若大将……?」
壁と繋がる枷を外され、手首を擦りながら疑問を口にする男。ムンジィとか言ったか。
やはり近場の者ではない。
喋り方もそうだが、常識がない。
「東港アナトーリで若大将って言ったら決まってるだろ」
見た目通り物を知らないチンピラなのか、呆れながら教えてやった。
「左潮伯の御曹司、キデ・マノス・エクソト様だ」
◆ ◇ ◆
「がははっ! 悪い悪い、王子様なんて聞いていたんでな」
「俺が名乗ったわけじゃねえ」
ムンジィの姿を見て、連れてきたナフタンが黙って頷くのを確認すると、その男は口を開けて大笑いした。
想像と違ったということらしいが、勝手にあだ名をつけて想像を膨らまされてもムンジィが知ったことではない。
無礼な態度だがムンジィとて礼儀をわきまえているわけでもなく、どうでもいい。
「そっちこそ、次期左潮伯様とは思えねえよ」
「よく言われる。働き者の顔だってな」
「……」
ぬけぬけと言ってくれるが、確かにその通りだ。
港や海で仕事をしていれば日に焼ける。そういう顔だった。
屋敷に引っ込んでいる生っちろい様子ではない。ムンジィよりいくらか年上に見えるが、胸筋も居住まいも重厚感がある。海の男。
「
「そっちの事情は俺にゃ関係ねえ。早く西に戻りたいだけだ」
「気持ちは……まあわからんが、そのお前さんの事情を聞きたい。誰も見たこともない荒波に正直どうすればいいかわからん」
荒波。
ムンジィが海に落ちてここまでの間、ひどく荒れた天候はなかった。
つまり、海の荒れ模様の話ではなくて陸の話だ。
「捨て森が、消えたってのは……」
「信じられん話だが事実らしい。実際、この近隣の村々からでも西の空が夜でも明るいのが見えていた。三晩」
「……くそっ」
捨て森は西港ディサイに近かった。トローメ王国の反対側、東港に吹っ飛ばされていたことに焦燥を覚える。
この辺りまで光が届いたとなれば、捨て森が無事だとは思えない。
「俺は……」
「ムンジィと言ったな。お前の知る限りのことを話せ」
「話したら――」
「話しても、自由にしてやると約束はできんが」
死病を治す薬師の出現と、捨て森が消し飛ぶような天変地異。
その事情を知っていると訴えたムンジィのことを、彼らがどう扱うのか。
エクピキ教団と敵対したのだ。トローメ体制側の左潮伯から見ても敵と判断されても仕方がない。
ごまかす。
どうにか取り繕って、話を作って、この場をやり過ごす。
「……俺は……俺ぁ、ただ……」
ムンジィがこうして無事だったのだ。
アユミチだって必ず生きている。けれど、きっと途方に暮れている。
ゼラに救ってもらったムンジィの命。こんなところで無駄にはできない。
一刻も早くアユミチの下に戻り、彼の力になりたい。善人すぎて危なっかしい彼を。
「女か?」
「……ちげえよ、くそ」
ああ、そうだ。
西港のフィリオとディオーネはどうしているだろうか。
あれだけの騒ぎだ。彼らも混乱に巻き込まれているかもしれない。
どうにか西に向かいたい。
「今さら捨て森に行ったところで何も……何なら死ぬだけだと思うがな」
「俺の命なんざ、どうだっていいんだ」
「……」
「……聞きたいなら聞けよ。後で聞かなきゃよかったなんて言っても知らねえぜ」
うまい言い訳などムンジィの頭では考えつかなかった。
アユミチなら……アユミチだって、うまいこと騙して乗り切ろうなんて芸当はできなかっただろう。
「捨て森を消し飛ばしたのはエクピキ教団の糞野郎どもだ。太光師? みたいに言ってたっけな。金もとらず死病を治してくれる旦那のことがよほど邪魔だったんだろうよ」
「太光師だぁ? わざわざ捨て森なんぞに……いや、あの光はそうすると……」
エクピキ教団の最高幹部が、わざわざ病人の隔離場所に足を運ぶかと言われればあり得ない。
しかし、高位の司祭だから天変地異のような魔法が使えたのかもしれないとも考えられる。
次期左潮伯キデ・マノス・エクソトに、信じがたいことだが事実なのかと戸惑わせたのは、ムンジィが事実を話したからだ。
適当な作り話だったのならすぐに看破しただろう。
「お前はあれか? その薬師の部下ってわけか」
「部下……じゃねえ。なんつうか……」
あらためて聞かれると、自分がアユミチの何なのか。
部下というのはしっくりこない。ムンジィはそれでも全く構わないが、アユミチはそうは言わない気がする。
「旦那は命の恩人で……馬鹿正直で、お人好しで……」
「……」
「女神様の使いなんだ。すげえ力もあるのに偉ぶったりしねえ、いい奴なんだ。すげえ、危なっかしいけど……俺ぁ、旦那の……」
兄貴分、みたいな気持ちで。
ムンジィの方がダメダメなのに何が兄貴分なんだか。
今回だって何もできなかった。
何の助けにもならず、みすみすゼラの命を削って助けられただけ。
情けない。
悔しい。
「おれ、は……」
「泣くことはないだろう。別にいじめてるわけじゃないんだ」
ムンジィの目尻が湿ったのを見たキデ・マノスが大きく息を吐き、それからがははと笑った。
「だいたいわかった。お前が泣くほど惚れこむ男だったってわけだな」
だが、と首を振って、
「その薬師も、捨て森が消し飛んだとなれば」
「一緒にいた俺がこうして無事なんだ。俺が生きてて旦那が死んだはずはねえ。きっと……」
無事に生きて、いるのなら……?
アユミチは次にどうする? 何をする?
捨て森を焼かれ、ゼラや仲間を失ったアユミチが向かう先を考えてみれば。
復讐をするなら、手始めはきっとディサイだ。
ムンジィがディサイの生まれだからそう結び付けてしまうのかもしれないが、現実に距離も近い。そこに復讐相手がいることも間違いない。
「奇跡の薬師が生きていてくれるならこっちは助かる。捨て森がなくなったせいで妙な不安が広がってきているところだ」
「だったら」
気ばかり焦るムンジィから詳しい経緯を聞き出したキデ・マノス・エクソトが、他情報と合わせて計画を立案実行するまでには、もう数か月を必要とした。
逃げ出さぬようナフタンの船でこき使われた期間は、結果的には船員たちとの信頼を築くのに必要な時間だったとも言える。
◆ ◇ ◆
「薄汚い猿どもめ……」
コスタスは気の長い性分ではない。
しかし短慮というわけでもない。二十年以上ディサイの町を統治してきた経験もある。
ロクでもない一日になる可能性は頭にあったが、想像を大きく超えた。
「火薬も、砲も、エクソトの仕業というわけか」
反体制派の準備がよすぎた。
ただの不満分子の散発的な騒動のようなものを、左潮伯エクソトが支援して一斉に起こしたのか。
町の騒ぎはそれで説明がつくにしても、奴隷海将とも連携していた?
いや、そこに接触していたなら察知できたはず。あれは別口というか、騒ぎが起こるだろうと予測して動きを合わせたのだろう。結果的に連携した形になっただけ。
「死病の輩と組みよるとは、こざかしい」
言葉にしてみて飲み込める。
死病が治る奇跡の薬師とやら、あれも最初からエクソトの手引きだったのだろう。
ありもしない噂話を巻いてディサイの町に病を招き入れさせた。
そう考えれば色々と辻褄が――
「奴らも、知っておったか。腐れ坊主どもが……っ!」
捨て森に調査に行き、この町には戻らなかったエクピキ教団子飼いの院仕隊ども。
この祭りにも参加しなかったエクピキ教幹部連中も、この事態を読んでいたというわけだ。
「……この儂を舐めよって……許さんぞ」
この場にいたはずのエヴェニスもカシキも姿を消している。
早々に逃げた。
教団と左潮伯が結託してコスタス・マクリアスを陥れたのか。
先王クムスが
トローメ海を我が物にしようと左潮伯エクソトが考えたとしても不思議はない。コスタスも考えたのだから。
しかし陸戦で国軍に敵うわけもない。下手なことをすれば潰されるのは自分たちの方だ。
叉波王の戦力が欠けるという事実も悪い波だ。
静観するという道を選んだコスタスとは逆に、エクソトの連中はエクピキ教団と密約してマクリアス潰しに動いた。
この騒ぎでマクリアス家を潰し、その後のことも話がついていると考えた方が自然。
「ぎ、ぃ……っ」
はらわたが煮えくり返り、食いしばった歯がぎりぎりと音を鳴らす。
勝機はない。
仮に反徒どもを残らず嬲り殺したとしても、教団が敵に回ったのならマクリアス潰しは確定路線。証拠も証言も関係ない。
「儂の町を……このコスタスをコケにしよったこと、必ず……」
思い通りにさせてなるものか。
激しい怒りの反面、迷いも浮かぶ。
どこで間違ったのか。どうすればこの事態を避けられたのか。
「……」
ディサイ城塞の中庭で始まった乱戦の端で、左肩を押さえながら何もできずにいる男。
捨て森の薬師アユミチ。
あんなものに関わらなければ、相手にしなければ、優秀だった次男も失わず左潮伯どもの策謀にもはまらなかったのか。
どこにでもいそうな凡庸な男だ。
戦い方を見ていても際立った才能があるわけでもなく、本人も自覚があって逃げようとしていた程度の。
くだらない小物。
あんな男の為にコスタスの人生を台無しにされるなど。
「冥途の土産じゃ!」
この場が詰みだというのなら、せめて息子の仇くらいは討って死ぬと腹を決め、中庭に飛び降りた。
◆ ◇ ◆