法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
五十を過ぎた男の一撃とは思えない重さ。
コスタス・マクリアス。ディサイの町の人々が恐れる支配者は、ただ権力者という肩書だけの男ではなかった。
「ぬぉぉあ!」
「ふっぐぅぅ!」
上から飛び降りざまに叩きつけられた剣をダガーで受け流したが、重い。
着地した姿勢から即座に肩でぶちかましてきたコスタスの分厚い体を、ようやく痺れが治まってきた左腕で受けるが、押し負ける。
「旦那ぁ!」
「貴様はこっちだ」
押し負けて数歩後ろに飛ばされたアユミチの横から、ムンジィがコスタスの腹を切ろうとしたが、邪魔が入る。
ポーラ隊隊長ヴァイロンの槍が、再会したムンジィとアユミチの間を裂く。
「邪魔を――」
「ムンジィ! そいつの相手を頼む!」
アユミチを気にするムンジィに向けて叫んだ。
「この海坊主よりそいつの方が手強い! 時間を稼いでくれ!」
「おう、わかりやしたぜ!」
「なめたことを」
強敵を任されたのに嬉しそうなムンジィの返事と、ぶちかましの後で構え直したコスタスの苦々しいうめき声。
戦闘能力で比べるなら、当然ヴァイロンの方が上だろう。
下と評価されて苛立つのか、海坊主と呼んだことの方だったのかもしれない。いちいち確認はしないが。
「カヨウ、もう少し離れていてくれ」
「はい」
『アユミチ、大丈夫?』
「ああ、平気だ」
敵に後ろを取られないよう城壁を背にするカヨウ。他の兵士たちはムンジィが連れてきた左潮伯の兵士と戦っているが、乱戦になってアユミチの死角を取られないよう後ろから見ていてくれる。
飛んできたノクサに頷いて、自分でも自覚した。
大丈夫だ。ノクサの力を借りなくても平気。
ポーラ隊副長タニクとの戦いで痛めた足は深刻な負傷ではない。体は動く。
そして、コスタスは――
「死ねぃ!」
強い、のだろう。
というか思い切りが良い。
訓練を受けた兵士よりも一段上の、自信と気概の込められた攻撃は重く速い。
「――っ」
アユミチの胸中に驚きと戸惑いが
殺し合いなどに向いた性格ではないと思う自分が、不思議なほど冷静に相対している事実に。
キァン!
甲高い音を鳴らして、アユミチのダガーがコスタスの剣の軌道を逸らす。
食らえば死ぬ一撃だけれど、当たる気がしなかった。だから冷静に対処できる。
この世界にきた初日は、レーマ様の酒の影響だったのか間接キスの影響だったのか、外的要因で動揺しなかった。
今は違う。
コスタスの攻撃は決して油断していいものではないが、ファニアやリグラーダと比べれば遅い。
戦闘技術で言えば、先ほどまで戦っていたタニクの方が正体不明の多彩さを感じた。何をしてくるかわからないような。
迫力は他を上回るものがあるけれど、それだってバズモズよりは下だ。河原でイサヤの母ノノを襲っていた2メートル超えの悪漢。
ここまで戦ってきた経験、見てきた相手の実力の範疇に収まる。
なら、太刀打ちできない強大な敵ではない。
「生意気を!」
「そうやって!」
ダガーで逸らされながら振り下ろした剣を横薙ぎに。
一歩下がって避けたアユミチに対し、さらに踏み込んで反対から降り直すコスタス。
力強い。だが力任せ。
「見下してるから!」
アユミチも踏み込んだ。
横薙ぎが左に、右から返される前にコスタスの眼前に肉薄し、ダガーを突き立てた。
「ぐぬぅ!」
「命を粗末にするんだろ!」
平民の命に価値を認めない。見下して軽く扱う人間だから、捨て森で生きていた人を焼き殺すなんて命令を簡単に下す。
町の人々に恨まれているのだって似たような理由だろう。
気に入らなければ殺す。それが支配者の当然の権利というように。
「ファニアを! リグラーダを!」
「ぬかせぇ!」
咄嗟に左腕でダガーを受け止め、深々と刺されながら肘でアユミチを突き放すコスタス。
筋力は相当なものでアユミチが押し負けた。
「くっ」
「蛆虫風情の命がなんだと! ゴミだろうが!」
押されて尻から倒れるが、そのまま後転して距離を取る。
コスタスとて人間。腕に刃物が刺さった痛みで追撃まではいかない。
己を叱咤するように傷ついた左腕に噛みつき、ぎゅっと拳を握り込んだ。
「麦束ほどの価値もないクズが、何匹死のうが知ったことではないわ!」
「お前は!」
転んだ拍子にアユミチが掴んだものを握りしめ、血走った目で睨みつけてくるコスタスに向かい吠えた。
「お前こそ! 生きる価値のないクズ野郎だよ!」
槍。
誰かが使っていただろう槍を握り、右腕一本で剣を振りかぶるコスタスに向けて突進した。
「若造がぁ!」
「だぁぁ!」
ノクサの力を借りず、アユミチの力で。
アユミチの肩口に振り下ろされる剣を打ち払い、続けて頬に迫った血まみれの左の拳も払いのけて。
槍の穂先はコスタスに刺さらなかったが、今度はアユミチの突進力がコスタスを大きく後ろに押しのける。
「んぬぉぉ!」
「お前なんかが――」
中庭を横切る水路の縁まで押しやり、今度こそ止めをと思って槍を構え直したところで。
「っ!」
「ぶぉ?」
水路から飛び出した大きな影が、横からコスタスの体を掻っ攫った。
水路の中に。
「な」
「閣下!?」
続けて、遅れて。
西側、海の方に続く水路側から水が溢れ出してきた。
いや、その前からだったのか。本来なら海に流れていくだろう水路から逆流してくる水流は。
「あ……」
「なんだぁ?」
中庭にいた皆が異常に気づき、お互いの敵から距離を取って状況を確認しようとする。
「んがぁっ!?」
そのうち一人が、水流から現れた影に足を取られ、ひっくり返った。
夥しい赤い血を噴出させながら。
「なん……」
溢れてきた水と、その中から姿を現すもの。ぬらぬらとした鱗の。
「わ……に……?」
ディサイ城塞内から逆流した水路から次々と姿を現した生き物を見て。
人間相手には平静だったアユミチだが、開いた口からうまく言葉が出てこなかった。
度肝を抜かれるとはこういうことか。
◆ ◇ ◆
「駄目だ!」
ポーラ隊ですらない下っ端の兵士ごときが、右流伯たるアントニーに意見するなど。
「こんなことをしても騒ぎは収まらない! よけいひどくなるだけだ」
しかし、その反応はアントニーに納得を生む。それだけ人の心に訴える力がある手だと。
反逆者どもにも、ディサイの住民にも、これは強烈なメッセージになるだろう。
ディサイ城塞の内部で、海水と淡水の両方を汲み上げるようになっている水槽。
そこで凶悪な海獣サヴァサゴニを飼育していた。
少々、数が増えすぎて困っていたほど。
アントニー・マクリアスに逆らえばどうなるか。
己の命が大事なら頭を低く身の程をわきまえて生きねばならないと知らしめる。
「馬鹿にはわからんだろう」
城内に逃げ込みながら思いついたのだ。
騒動を起こした連中はもちろん、アントニーをなめている町の住民の肝を冷やす一手を。
「後先考えない反逆者のせいで町に被害が出ている。平民は領主に従うものだと教育し直す必要がある」
「だからって」
「数十のサヴァサゴニが町に放たれたところで町は滅びたりしない。だが、忠誠心のない住民は町を滅ぼす。どちらが町の為か、お前ごときにはわかるまい」
反対意見に対して言いながら、アントニーは自分の考えの正しさにあらためて頷いた。
そうだ、凶悪な海獣が暴れたところでディサイが滅びるわけではない。
「明確な脅威で混乱した民衆をまとめる。乱れた規律を整え直すには他にない手段だ」
「こんな化け物が言うことを聞くわけがない!」
「ああ、そうだ」
当たり前だ。知能のない海獣が命令など聞くはずがない。
こいつらが住民に恐怖を思い出させ、アントニーの言うことを聞くようにしつけるだけ。
「知り合いが何人か食われるのを見れば思い出すだろう。ディサイの民はマクリアス家に守られていたのだと」
アントニーが庇護してやるのだと、忘れられないほどに刻み付けられるだろう。
町にちらばった海獣サヴァサゴニは兵士たちが駆除すれば済む。凶悪だとは言っても別に魔獣などではない。王蠍のように殺せないわけではないのだから。
「排水溝の蓋を開け! 腹を空かせた化け物を表に放つのだ!」
「は……」
「やめろ! お前ら正気か!?」
「……フィリオ」
下っ端兵士の訴えに、本来なら聞く耳など持たないはずのポーラ隊の兵士たちも戸惑いを見せた。
まあ仕方がない。
しょせんは使われる者。たとえリスクがあっても大胆な策を実行するとなれば尻ごみするのもわかる。
「右流伯アントニー・マクリアスの命に従えぬのなら」
支配者の威光は絶対的なものでなければならない。
住民どもへの見せしめとしてサヴァサゴニを放つ。
兵士たちへの見せしめとして……
「反逆者の末路は、こうだ!」
水路の蓋のレバーとアントニーを見比べる兵士たちにわめきたてていた下っ端。
はっと振り向いた時には、領主たるアントニーがすらりと抜いた剣がその男の腹から肩を切り裂き、間抜けな顔のまま水路にざぶんと沈んだ。
「はっ……それ、餌が新鮮なうちに開いてやれ。それとも他にも……?」
アントニーが剣を鞘に納めながらにやりと笑うと、残った兵士たちは慌てて水門を開く作業に取り掛かった。
それでいい。
支配者と被支配者の立場。
ここにきてようやくディサイの長と認められた気がして、誇らしさに頬が緩んだ。
◆ ◇ ◆