法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
明確な目標があるのとないのとでは、結果に違いを生ずることがある。
ただなんとなく筋トレをしている時よりも、100キロを持ち上げるなど決めてやった方が成果が出る。
日課だからと剣の素振りをするより、うるさいハエを斬る為と見据えて鍛錬すると上達ぶりが違う。
アユミチとの出会いはムンジィにとって幸いだった。
ただ何となく生きてきたムンジィだが、アユミチがバズモズに立ち向かった姿に心が震えた。
見ず知らずの誰かの為に、とても勝てそうにない相手に立ち向かう。
その上で勝ってしまった。
まあ、勝った場面は気絶していて見られなかったわけだが。
ムンジィが食らったバズモズのぶちかましを思い出して、次に戦うことがあるならと想像した。
身がすくんで動けなかった自分を恥じ、もし次があるなら役に立ちたいと思った。
誰かの為に正しい道を選ぶ。
ディサイから逃げ出して腐っていたムンジィが夢見た姿だ。
なりたかった自分。諦めていた理想の。
見た目からは普通の青年としか思えないアユミチが、子供やらのために身を張っているのを見てきた。
一緒に戦い、生き抜いてきた。
おとぎ話みたいな戦いを、このディサイにいる友人たちに話してやりたい。
「何がおかしい?」
「は?」
槍を短めに構えるポーラ隊隊長ヴァイロンがムンジィに尋ねた。
「何を笑っている?」
「ん、ああ」
笑っていたのか。
手に残るしびれは、すでにヴァイロンの一撃を弾いた時の名残だ。
さすがポーラ隊隊長。他の兵士とはレベルが違う。
綺麗に防がれるとは思わなかったのだろう、体勢も崩れなかったムンジィに対してやや警戒姿勢のヴァイロン。
「へ、嬉しかっただけさ」
「たかが一合、しのいだ程度で――」
「旦那に頼ってもらって嬉しかった。そんだけだぜ」
アユミチとコスタスが大将同士の一騎打ちをする横で、コスタスの側近ヴァイロンの相手を任される。
男として、こんなに嬉しい役目はない。
「時間稼ぎを頼まれただけのことで」
「だなぁ」
「っ!」
短く持った槍が、はじけるような勢いでムンジィの腹に迫った。
槍の名手だと噂される。
しかし――
「旦那ほどじゃねえ」
再びムンジィの曲刀がその穂先を払いのけた。
払いのけた先から蛇のようにぐにゃりと軌道を変えムンジィの肩に突き刺さる槍――だが、
「そいつも!」
弾いた時の感触で二撃目が来ると思った。
槍の間合いより内側に入り、曲刀を握る拳をヴァイロンの腹に叩き込む。
ヴァイロンの槍はムンジィの背中を掠めただけ、殴った後に曲刀の刃を滑らせるムンジィと後ろに飛ぶヴァイロン。
「……ヘレボルゼほどじゃあねえや」
「く」
変幻自在さで言えばヘレボルゼの触腕の方が鬱陶しかった。
革製の腹当てとその下の薄皮ほど切られたヴァイロンが舌打ちする。
ムンジィも、掠っただけだが右肩から肩甲骨にわずかな痛みを感じながら笑ってみせた。
「なるほど、そこそこできるらしい」
「姐さんほどじゃあねえが、一応な」
ファニアは強かった。あれは別格だ。努力や経験で追いつけるレベルではない。
他に強かったと言えば、敵だけれどビッテス。星光のビッテス。
アユミチの助けになる為には、ああいう非常識な敵を相手にしても時間稼ぎ程度はできるようにならなければ。
「いい練習だぜ」
「チンピラごときが……時間など稼いだところで他の兵士が集まってくるだけのこと」
「まあそうだけどよぉ」
へへ、と。
今度は笑いが漏れる自覚があった。
「倒しちまっても構わねえだろ。俺が、あんたを」
「……」
濡れる中庭の地面を踏み直したヴァイロンは、周囲やコスタスの様子に気を配るのをやめてムンジィだけを強く見据えた。
◆ ◇ ◆
二十年以上、衛兵として職務を果たしてくれば、ただの職業という以上の意識が芽生える。
生きがい。存在意義。誇り。
ヴァイロンを支えるものは軽いものではない。
コスタスの側近として、うまみはもちろんあったが、利得とは別に背負うものがある。
町のチンピラ風情がそれを壊し踏みにじるなど許せるわけがない。
どうせ愚にもつかない不満を支配者に向けているだけ。
浅はかで軽率。怠け者の享楽的なテロ行為。
自分の思い通りにならないからと、騒ぎを起こして火事場泥棒でも目論んでいるのだろう。
「お前などに、何ができる」
ディサイの町を落とすことなどできない。この程度の戦力で。
ヴァイロンを倒すことなどできない。この程度の技量で。
下らない我欲で成功を手にすることなどできない。下衆の根性などで。
とはいえ、これだけの騒ぎ。
トローメ王国はマクリアス家の責任を追及するだろう。コスタス、アントニーの失脚は免れないが。
「私の町を!」
「お前のじゃねえだろ」
ヴァイロンの突きをいなす曲刀捌きはなかなかのもの。
技量というより度胸が据わっている。居直っているだけかもしれないが、腰が引けていないし目を逸らさない。
しかしそれだけで一流の戦士と戦えるものではない。
「は!」
二連突きを弾かれた次の瞬間、ヴァイロンの穂先が足元を薙ぎ払った。
それすら見切って一歩引いたチンピラだが、甘い。
「ぬりゃぁ!」
「くっ」
槍の軌道を変え、地面に突き刺した。
土に突き刺さった穂先を思い切り上に、真下から土をチンピラの顔めがけて巻き上げた。
「っそ!」
槍の範囲からは逃れていても泥礫は届く。
相当な勢いで泥土を顔に叩きつけられれば、誰でも顔を背けて目を瞑る。
「でりゃあ!」
隙を生じたそこに、大矢のように体ごと突き出した。
猛烈な槍の一撃に対して後ろに飛んで距離を取ろうとするが、その動きに合わせて穂先はぴたりとチンピラの体を――
「るっせぇ!」
バックステップした地点でくるりと半回転、そこから逆にまたくるりと。
左に、右に。ヴァイロンの槍が追いきれない。
突き出された槍の柄を肘で押しのけながら懐に入ったチンピラの曲刀が、ヴァイロンの肩口を滑りぬけた。
「ぐぬぅぅっ!」
切られた。一撃を受けた。
チンピラの生き汚さを見誤った。と同時に、肩を斬ったチンピラを槍の石突で
「へ」
すかる。空を切る。
ヴァイロンに一撃をくれながら、チンピラは調子に乗らず即座に逃げていた。
そこまで大した戦士ではないというのに、それを自覚して深追いをしない。
思った以上に厄介な相手だとようやくヴァイロンが認識したところで――
――ぶぉ?
コスタスの疑問めいたうめき声と、ばしゃんと派手な水音。
やられたか。
ちらと目を走らせて、
「閣下!?」
思わず声が漏れたのは、コスタスが倒されたからではない。
この混戦の中、そんなこともあると予想のうちではあった。想定外だったのは、人より大きな水棲肉食獣サヴァサゴニが近くの水路から現れたから。
コスタスが飼っている海獣。
それが町側に溢れてくるなど、コスタスが何かしたのかと思わず声が出ただけ。
「なん、っだぁ?」
チンピラの方は見たこともなかったのだろう。強靭な顎と硬い鱗を持つ青黒い肉食獣。
ヴァイロンを斬った後、水路沿いに位置を取ったのが不運。
「は」
アントニーだ。城内に逃げ込み水路を開いたか。
あのボンクラなら後先考えずにやりそうなこと。ロクでもない思い付きだが、今ばかりはいい。
さすがにチンピラの気が逸れた。
他の兵士たちも同じく、水路から跳ね上がってくるサヴァサゴニに、べたりと水路の縁にかかる凶悪な爪に、動転して戦いを忘れる。
「褒めてやろうアントニー!」
状況を把握したヴァイロンが一手早い。
水路沿いで立ちすくんだチンピラに向けて、今度こそ逃げ場のない一撃を。
「死ね!」
同じく水路沿いに、べたりと上がろうとする音を無視してチンピラの腹に穂先を貫いた。
「――?」
サヴァサゴニの手足は長くはない。
もっと長い手が、まるで忘れていた呼吸を取り戻そうと必死になるように、ヴァイロンが踏み込もうとした足首を掴んだ。
「あ?」
「っ!」
足にしがみつかれバランスを崩したヴァイロンに対して、一手遅れたはずのチンピラが曲刀の刃を振りぬく。
くそ、が。
やはりあのボンクラ、褒めてやるのではなかった。
喉笛を切り裂かれたヴァイロンは先ほどの言葉を訂正もできず、水が溢れつつある水路に顔から突っ込んだ。
◆ ◇ ◆
「ん、がはっげほ……くはぁぁっ」
「は……フィリオ?」
水路から化け物が出てきたかと思ったら、続けて兵士が上がってきた。
陸に上がり、背中を激しく上下させて激しく咳き込む兵士を見て、慌ててその体を水路から引き離す。
化け物どもは血の匂いに敏感なのか、水路を町の方に逆流して流れていくヴァイロンの体を追いかけていった。
「おい、フィリオ! 俺だ、わかるか?」
「げほっ、ぶぇふっ……は、ふはぁっ……むん、じ……?」
敵も味方も戦いどころではない。
お互いに離れながら、水路から湧いてきた化け物が死体に食らいつくのを見て青ざめている。
コスタスを水路に突き落としたアユミチも、ムンジィが助けようと引っ張り上げる兵士の反対側を掴んでディサイの兵士から離れた。
「アントニーに斬られて……俺も死んだのか……」
「ばか言ってんな、死んでねえよ。アントニーに斬られた?」
「あ……? あ、あぁ……そうか、ディオーネが……」
兵士の革の胸当ては、確かに切れ味鋭い剣ですっぱりと斬られていた。
しかしその下の布地は、眩しいほどの白さ。
「ディオーネ……ムンジィ、知り合いなのか?」
「ああ、旦那。こいつは俺の悪友で……旦那が女神様の服をこいつに?」
「違う……いや、そうか」
アユミチはディオーネの縫製工場にレーマ様の布を売った。
それが巡って彼の鎧下として使われたのだろう。鋭い刃からフィリオの命を守った。
フィリオの呼吸が落ち着くまでにムンジィと言葉を交わし、アユミチも関係を理解する。
彼らはこの反乱騒ぎの主犯だ。マクリアス家に対する反体制派。
「……」
水路は中庭から町に繋がっている。
外は火事と暴動の騒ぎが聞こえていたが、その騒ぎの色が何やら変わっていくのが城内でもわかった。
逆流した水路から化け物が町にあふれ出した。
さらに収集がつかない事態になっているだろう。
「ムンジィ……本当にお前か?」
「ああ、俺だフィリオ。ディオーネは無事なのか?」
「港にいる。脱出の手配を……ああ、ムンジィ、本当にお前……」
呼吸はどうにか整ってきたが、感極まって言葉に詰まるフィリオ。
「ディオーネが待ってる。ムンジィ、お前をずっと」
「ん、あぁ……そりゃあ」
「アユミチさん」
悪友と言っていたが親しかったのだろう。
二人の間に口を挟むのをためらうアユミチに、カヨウが背中から声をかけた。
「捨て森の皆の仇、取れましたね」
「いや……そうか、な」
「コスタス・マクリアス。まず一人です」
ぐいっとアユミチの裾を掴み、胸におでこを当ててアユミチを労るカヨウ。
戦いの中で考えている余裕はなかったが、確かにひとつの目標だった。ひとつ果たした。
それからムンジィを見上げて、
「ムンジィさん……生きててよかった。本当に」
「ああ、嬢ちゃんも。旦那のこと、見ててくれたんだろ。ありがとな」
さっきはまともに会話している時間がなかったので、あらためてお互いに顔を合わせて頷き合う。
その様子を見ていたフィリオが、
「ムンジィ? その子は……その兄妹は知り合いなのか? お前、その妹と……?」
「はぁ?」
「は?」
親し気な様子だったので勘違いしたのかもしれないが、フィリオの発言を理解できなかったムンジィは間抜けな声を、理解したらしいカヨウは冷たい声音で返す。
『まったく……なんだか妙な縁があるもんね』
「みたいだな」
戦いどころではなくなってきた状況で、周囲を警戒しながらノクサもアユミチの肩に戻ってきた。
遅れてカヨウとの仲を疑われたことに気づいたムンジィがむきになって否定し、それはそれで面白くなさそうなカヨウがぎりっとかんざしを握る。
どうやらこの様子だとディオーネはムンジィと縁があった――知り合いの妹以上の何かがあったのだろう。
『この場はもう片付きそうだけど、どうするの?』
「……」
どうするの、と。
聞かれている意味はわかる。
マクリアス家への復讐はいったん果たしたとみていいだろう。
アントニーはどこにいるかわからないが、今後の状況を想像すれば生きている方が苦しいくらいにロクなことにはならない。
「エクピキ教、だな」
レーマ様との約束でもある。
このトローメに根を張る腐った連中。レーマ様の復活の妨げで、ゼラを取り戻すのに邪魔なもの。
『鬼巫……ノクサをスカーアと間違えたのはムカつくけど、あれが手伝ってくれるのは悪くないんじゃない?』
「そうだな。それに奴隷海将の子も……そうだ」
色々とそれどころじゃなくて後回しにしていたが、ここで一区切りするのなら情報共有と確認しておかなければいけない。
「ムンジィ」
頼れる相方が帰ってきてくれた。
呼びかけてからそう感じて、ふと頬が緩んだ。
「頼みがある。お前にしか頼めない」
◆ ◇ ◆