法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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4-22.英雄幻想

 

 町の騒ぎは収まらない。

 さらに人を食う化け物が出たと叫ぶ人々で、中央広場周辺だけではなく町全体が恐慌状態に。

 

 アグノアは知っている。

 ディサイの城塞に人を食う化け物が飼われていることを知る、数少ない一般住民の一人だ。

 

 家族が食われた。スパイとして。

 アグノアが見ている前で家族はあれに食われた。

 エヴェニスは穏やかな表情で食事をしながら見物し、美しい女たちがアグノアの上で淫らに踊っていた。

 

 

 火事、暴動に怯えて倉庫の奥で縮こまっていたのに、化け物だ食われるという悲鳴を聞いて表に飛び出した。

 歯ががちがちと音を鳴らし、けれど薄暗い倉庫の奥からその化け物――サヴァサゴニが這い出てくるような妄想に耐え切れず。

 

 表に出て見れば、やはりサヴァサゴニ。

 アグノアの家族を食った海獣が、大通り脇を流れる水路から這い出てきていた。

 海獣だが、四つ足で歩く。走る。

 小さなトカゲが草むらに逃げ込むような速さで、大人より大きな青黒い獣が襲ってくる。

 

 肉食。人の肉を食うことを覚えたサヴァサゴニは、直前の暴動で怪我をした者めがけて襲い掛かる。

 人間の倍ほどの口を開けて、鋭く尖った無数の牙でかぶりつく。肉を引きちぎる。

 

 

「あ、あ……」

 

 決して数が多いわけではない。

 だが、数匹が視界に入るだけでこの世の地獄のような光景。

 ましてアグノアはあれらが親を食うところを見たのだ。

 恐怖も絶望も限界を振り切った。

 

 

「落ち着けぇ!」

 

 壊れかけた楼閣から、誰かが大声をあげた。

 知らない男。着ている服がディサイの人間らしくない。よそ者か。

 

「コスタスは死んだ! サヴァサゴニ(わに)の飼い主はもういない!」

 

 腹から張り上げた言葉にを耳にした住民たちは、ぎょっと虚を突かれてよそ者に視線を集めた。

 サヴァサゴニの飼い主、コスタス・マクリアスが死んだと?

 

 そうだ、住民たちの胸中には暗黙の同意があった。

 この化け物サヴァサゴニはマクリアス家のもの。コスタスの財産であり手下。

 逆らえばどうなるか、見せしめとして放たれたのだと。

 その恐怖心から戦意を挫かれていたのは間違いない。

 

 

「その獣は殺せる! 落ち着いて戦え!」

「うるせぇぇぇぇぇ!!」

 

 アグノアの喉から、少年の体から、自分でも信じられないほどの声量の絶叫が(とどろ)いた。

 戸惑いが広がる広場の色を塗り替えるほどの、魂の叫び。

 

「ふざけんなよそ者が! ふざけんなぁ!」

「ふざけて――」

「高いところから偉そうに! 何がコスタスを殺したんだ! 誰が頼んだってんだよ‼」

 

 自分は安全な場所でいいかもしれないが、下で同じことが言えるものかと。

 よそ者が、今さら、なんで十日前にやってくれなかったんだ。

 町の住民の視線が、楼閣の男とアグノアの間を行き来する。

 

 

「お前のせいで町はめちゃくちゃだ! 何もかもめちゃくちゃじゃねえかよ!」

「お……おお、アグノアの言う通りだぜよそ者が!」

 

 町の住民たちの中には、アグノア一家の身に何が起きたのか察している者も少なくない。

 マクリアス家、あるいはディアホラ家の不興を買って処分されたのだとわかっている。

 一人戻ったアグノアの様子を見て、事情を察すると同時に支配者への恐怖も再度覚えたことだろう。

 頭を低く、上の者に目をつけられぬよう生きるのなら、今の日常が守られる。

 豊かではなくとも普通に暮らせるはず。

 

 

「今さらしゃしゃりでて来て偉そうに! コスタスが死んだって何も変わんねえよ!」

「だから変えるんだ! 皆で!」

「上から言ってんじゃねえぇ!」

「そうだそうだ! てめえが降りてこいやよそ者!」

「コスタスが死んでもエヴェニスがいる! なんにも変わらねえよ!」

「あいつの言うこと聞いたら反逆罪で拷問だぞ! 引きずりおろせ!」

 

 アグノアの言葉に続けて、町の住民たちも目を覚ます。

 こんな反乱騒ぎをしたところで何も変わらない。コスタスが死んだとしても別の誰かがその席に着くだけ。

 反乱を警戒して、もっと悪くなるかもしれない。

 いや、もっと悪くなる。絶対に。

 よくなるわけがない。

 善くなるはずがない。

 

 

「マクリアスの獣より先にあいつだ! 反逆者を捕まえろ!」

「おおぉ!」

 

 アグノアの叫びに、町の住民たちの心がひとつにまとまった。

 サヴァサゴニを傷つけて処罰されるなんてまっぴらだ。

 なら、あの反逆者を捕まえて警備隊に突き出せば町の住民として今後も安泰。なんなら褒美をもらえるかもしれない。

 

 サヴァサゴニに襲われている不幸な者や、まだ消し止められない火事も後回しに、楼閣の上のよそ者にディサイの住民の敵意が集まった。

 よかった。

 これでよかった。

 あの化け物の餌にされるのがアグノアの家族で最後だなんてそんな理不尽、アグノアには許せない。

 だってそれじゃ、アグノアだけ不幸で損じゃないか。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

『だから言ったのに』

 

 唇を尖らせるノクサのぼやきが胸に痛い。

 

「こっちを攻撃したって何にもならないだろ!」

『理屈じゃないのよ、人間って。だから面白い時もあるけど』

「アユミチさん、門やぶられちゃいます」

 

 元々、祭りで開いていた城門だった。

 暴動で慌てて閉ざしたが、(かんぬき)をしっかりと固定できていない。外側から激しく押され、見る間にがたがたと緩んでいく。

 

 コスタス、ヴァイロンが死に肉食獣が溢れ出して、ディサイの城兵は次々に逃げ出した。

 ムンジィが連れてきた左潮伯エクソト家の兵士も離脱する。そもそも本格的にやり合うと言うより一撃離脱のつもりだったらしい。

 隊長格らしいキデという男はアユミチを連れて行きたがったが。

 

 死病の不安が東側にも広がっている。

 患者が出た時に送り込む捨て森がなくなったから。

 なるほど、救急病院がなくなった地方都市のような状況なのだろう。

 兵士たちが携帯していた水筒にレーマ様の酒を注いでムンジィに押し付け、港に行くよう言った。

 

 アユミチは、鬼巫と奴隷海将と合流してエクピキ教幹部を討つ。

 それを聞いたキデは驚きつつ、それならばと頷いた。

 左潮伯はエクピキ教団側ではないらしい。その確認も含めて言葉にしたわけだが。

 

 

「くそ、俺の判断ミスだ。悪かった」

 

 悲鳴と混乱が続く広場に、コスタスの死を告げれば冷静さを取り戻せるのではないかと考えた。

 アユミチの浅知恵だ。

 

「いいえ、アユミチさんらしいです」

『ま、それがアユミチのいいところよね』

 

 ムンジィが戻りコスタスを倒して、英雄的(ヒロイック)な気分になっていたのかもしれない。

 ここで悪い支配者をやっつけたと言えば町の人たちが味方になってくれる、なんて。

 結果は悪い方に転がった。

 広場の隅で叫んだ少年の叫びに、住民たちの心は大きく動かされた。

 

 

 口惜しい。

 混乱を収めて少しでも被害者を減らせればと思ったのに。

 

 アユミチもしばらくディサイで過ごし、住民たちもただの人間なのだと実感した。

 普通の人々。コスタスや支配階級に不満を持ちつつ日々を過ごしているだけの、当たり前の人間。

 海獣に食い殺されるなんて死に方、できればしてほしくない。きっと弱い人から犠牲になるのだろうから。

 

 何でもできるわけじゃない。

 どこまでいっても、アユミチは平凡な男でしかない。英雄ではないのだ。

 

「仕方がない。とにかくエクピキ教だ」

 

 切り替える。

 このまま城壁にいても何もならない。

 できること、やらなければいけないこと。

 混乱を増しただけの自分の行動に後悔はあったが、頭を振って鬼巫たちが向かった方角の大きな屋敷を目指した。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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