法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
花札の誰も、マベラの迂闊さを責められないだろう。
よりによって陽灯司長カシキに姿を見られた。最悪の状況の筆頭だ。
二つの問題が想定される。
ひとつは、この騒乱に鬼巫アハラマが関わっているとみなされること。
もうひとつは、アハラマと瓜二つの影武者マベラの存在が明るみになること。
鬼巫が王都にいたというアリバイが全てひっくり返る。
カシキでなければ、地方都市にはっきりと鬼巫の姿を知る者はいない。見間違いや他人の空似と否定もできただろうに。
カシキはエクピキ教の大幹部。太光師やゲニーメの信頼もある切れ者だ。
隙が無い。
彼が王都イオドキッサに戻れば、鬼巫の立場は危うくなる。反逆者認定される可能性もある。
北の隠れ里も、国軍を動かして捜索討伐となれば無事に済むとは思えない。
ここで討たねばならない。
今、この混乱の中で。絶対に。
それだけ致命的なミスを犯したマベラだが、花札の誰もマベラを責めたりはしないという確信があった。
仕方がなかった。
見てしまったのだから。
女神スカーアの姿を。小さいけれど紛れもなく。
エクピキなどではない。鬼巫の一族が仕えるべき真の神。
スカーアの分け身が舞う姿を目にして判断を誤ったのは、誰も責めたりはできない。
彼女は頭が固い。
怪我の癒えないファニアに下らない仕事を命じたりしていた。追い出すように。
アハラマを慕う気持ちが強すぎるのだ。その結果、優秀な盾になり得たファニアを失った。
レフカースのことは今はいい。
とにかく、カシキを生かして王都に帰すわけにはいかない。
奴隷海将ジナミナと共にエクピキ教司祭を追い、屋敷に入ったところで二手に分かれた相手に、こちらも二手に分かれる。
ジナミナの標的はエヴェニス・ディアホラ。
マベラの敵はカシキなのだから、共に追う理由がない。
いや、エヴェニスも始末はしなければいけないが、最優先はカシキ陽灯司長。
「なんだ、おんな――」
「ふ」
この屋敷はエヴェニスの拠点。
カシキが逃げ込んだ先に詰めていた兵士を、目についた傍から殺す。
先ほどはスカーアに叱られたけれど、ここの兵士を殺して叱られることはないはず。
兵士の休憩所だった。
ディアホラ家の私兵。事前に調べた情報通りなら十人組が五つ、交代で屋敷の警備などの仕事をしているはず。
本来なら屋敷の主は今日は式典に出席で、サボり状態だったのかもしれない。
油断していた兵士どもを瞬く間に血祭りにあげながら進む。
屋敷の奥に逃げるカシキと、後ろから兵士に挟み撃ちにされるのも困る。
休憩所の反対の出口からさらに屋敷の奥へ。
エヴェニスが逃げた方向がメインホールだとすれば、こちらは裏側。兵士の詰め所や洗い場、炊事場などの作業スペースだと思われる。
ごみごみした部屋が続く。
カシキは逃げ、マベラが追う。
陽灯司長カシキには特殊な力がないはずだ。
彼は片手のみ。両手にエクピキの指を持つ連中のような異能めいた力はない。
だから逃げる。追いつきさえすれば殺せる。
「邪魔!」
「うひぃっ!?」
八つ当たり気味に、物陰で性交を営んでいた二人の腹を手刀で切り裂いた。
「がへっは……」
女は、指に魅了され脳が腐ってしまった女。
男の方は司祭だ。陽灯司。ディアホラ家で働く下級の司祭だったのだと思う。
「卑怯者、逃げるな」
「私にはあなたと戦う理由はありませんので」
裏庭に続く長い石造りの通路で、マベラの苛立ちに淡々と応じるカシキ。
言う通り、カシキは何もここでマベラと対決する理由などない。
生き延びて王都に戻れば彼の勝利。逃がせばマベラの負け。
ディアホラ家の使用人を盾にしてでも逃げ切ればいいカシキと、どうしても仕留めたいマベラでは選択肢が違う。
「なら」
ことここに至ればマベラも無難な手段に限らなくてもいいのだ。
町の平穏を乱すのは得策ではないと考えたが、これだけ乱れればもう関係ない。
「地に落つれば届かずの、
ばん、と手の平で札を叩いた。
ばっと宙に散らばった紙片が、ディアホラ家裏庭の建物に小さな影を作る。
「見境なしですか!」
「
この建物の中にマベラの味方などいない。
なら、容赦する理由もない。
咄嗟に手を輝かせ影を払ったカシキ以外、紙切れの影が差した部分が潰れた。
潰れた。
その空間がひしゃげ、縮こまり、無数に空いた穴に引っ張られるように建物全てが続けて歪んだ。
影がかかった場所を押し潰し、食らう魔法。
人間でも建物でも関係ない。
影ひとつひとつは指先ほどだとしても、突如としてなくなった場所を埋めようと周辺が引きずり込まれる。
空間そのものは数秒で戻るが、崩れ出した建物は止まらない。
マベラが使える魔法の中で、最も高威力で加減も調整もできない暴れ狂う力。
味方がいればとても使えない。
どう影が差すかなど見極められないし、続けて引き起こす崩落なども制御できないのだから。
しかし、今はこれでいい。
カシキ本人には残念ながら有効打にならなかったが、裏庭に続く通路と逃げこもうとした石造りの建物が崩れ出した。
「派手なことをされる!」
「おぬしの葬儀の祝いじゃ!」
逃げ込むのを諦め、崩れてくる建物からも逃れて開けた庭に飛び出したカシキに、マベラが肉薄した。
魔法を使う際に腰に戻していた短剣を逆手に、切りつけた。
「甘いですね」
右手で切り上げた短剣を、法衣の金刺繍部分で払いのけられた。
固い。布ではなく何か仕込んでいる。
「おぬしがな」
人を殺す技能なら花札で最も多彩なのがマベラだ。最も得意としている。
右手の刃から半拍遅れで、左手の爪がカシキの喉を貫いた。
「っ!」
「いえ」
貫いたと思った。
中心ではなくとも、首の左右どちらかの血管は切り裂けるタイミングだったはず。
「やはりあなたです、甘いのは」
「なん……」
喉に迫ったマベラの爪は、鉄製の刃に劣らぬほど鋭かった。
しかし、右手の剣を払われた後の一撃。まして小柄なマベラの筋力では、やわらかな喉は裂けても額を貫くまででの力はない。
「つ、う……」
続けて伸びてきたエクピキの指付きの手から、はっと身を躱す。
びかりと光る手が空を掴み、お互いの距離が開いた。
「さすがは鬼巫、死んだかと思いましたよ」
「……ぬかせ」
額から血を流し、けれど声音は涼し気に。
エクピキ教団の大幹部がただものではないことは知っていたつもりだ。
特に太光師は、それぞれが特殊な能力と独特な体術を会得している。
カシキは、一般司祭の最高位に位置する陽灯司長の地位にある男。
エクピキの指は片手だけだが、自分の体が傷つくことに全く躊躇がない。
とはいえ、鋭い爪に対して額をぶつけてくるなど。判断の速さも合わせてまともではない。
「く……」
尖らせた指先に硬い額をぶつけられた。
カシキも傷ついたがマベラも突き指のように関節を痛めた。
「おぬしはここで殺す。それは変わらぬ」
ぐきりと、歪んだ指を無理やり握り直しながら宣言した。
相手にというよりは自分自身に。
「ここは休戦しませんか? 悪くはしませんが」
「ぬかせ!」
額の傷を拭いながらつとめて事務的に。
舐められたものだ。
エクピキ教幹部の口から悪いようにしないなどと。絶対服従しろと言っているのも同じ。
「仕方がありませんか。まあ、仕方がありませんね」
ふざけたことを言っておいて、まるでマベラが聞き分けのないように溜息をついた。
どこまでもふざけた男。
「では」
構え直したカシキと相対する。
エクピキの指を生やす手の平に、額から流れた血をべっとりとつけたまま。
……治癒しなかった?
「っ!」
かすかな違和感に気を取られた直後、カシキの右手から稲光のような輝きが放たれた。
◆ ◇ ◆