法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
暴徒に追われる形になりながらもディアホラ家の屋敷を目指す。
城塞に並ぶ大きな屋敷だ。場所は見えている。
城塞とは違い城壁があるわけではない。
直前に突入した鬼巫たちが暴れたのか、見張りらしい兵士たちの死体と、逆に騒ぎで集まってきた生きている兵士たちと。
「止まれ! ここは陽輝卿の住まい、お前ら平民なんぞが――」
暴徒の類と思われたのだろう。
カヨウとアユミチ。ディアホラの屋敷を襲撃に来たようには見えまい。
後ろからも暴徒の波が近づいてくる気配。鬼巫との合流を目指した方がカヨウも安全だ。
「カヨウしっかり掴まれ! ノクサ!」
『うん』
「はいっ!」
カヨウの小さな体をしっかりと抱いて、ぐっと足に力を込める。
大丈夫だ。ほとんど痛みはない。
走るのをやめたアユミチ達に警備兵の気が緩んだ隙間。
「ぐっ!」
ノクサの力で加速して、一気にその場を抜ける。
「んなっ!?」
「おぁ?」
ぶつかったわけではないが、暴走車が検問を突破するような勢い。
集まっていた兵士の数名が尻もちを着くのを後ろに感じつつ、鬼巫たちの進んだ先はどちらか見定め――
――ズガガァァァ!
見定める必要もなく、轟音と共に正門から左手奥から破壊音が響き渡った。
何が起きているのかわからないが、建物を打ち崩すような強力な力……おそらく魔法。
エクピキ教団の司祭はこの手の破壊系の魔法を得意としないように思う。
太光師も、防御結界や幻惑の術は使っていたが、ビッテスのような攻撃魔法は使わなかった。
鬼巫の魔法の可能性が高い。
「なんだってんだ!?」
「知らねえよ! おい、待て!」
「さっきのも祝砲の暴発じゃなかったのか?」
『お祭り騒ぎだと思っていたみたいね。似たようなものかしら』
駆け抜けたアユミチと、追ってくる兵士たち。
土煙を上げて崩れた建物の方に鬼巫たちがいるのだろうが、そこには敵もいる。
アユミチを追うのとは別方向からも、破壊音に呼ばれて姿を見せる兵士やらも。
兵士だけではない。使用人なのだろう老若男女や、外に出てきたはいいが怯えてうずくまる子供の姿もあった。
「これじゃ――」
「――仕方がありませんね」
アユミチの言葉に続けるように、司祭の溜息交じりの声がやけにはっきりと聞こえた。
次の瞬間、
「うぁっ?」
「くっ」
『うん?』
辺りが赤く明滅した。
強く、危険を知らせるように。
「なに……」
「下らん目くらましなど!」
鬼巫がいた。
ディアホラの庭に赤い光を放ったエクピキ教司祭に向かい、凄まじい連撃を繰り出す。
だが、司祭カシキの方もそれを捌き、攻撃に転じることはないがちらりとアユミチ達に目を走らせた。
『無理よ、邪魔になるだけ』
「あぁ」
常人離れした戦闘技術で戦う鬼巫に、アユミチの腕で加勢するのは難しい。
ノクサの言う通り邪魔になるだけ。
しかし、カシキが何か奥の手を仕掛けてピンチになるようなら手助けを。
「そこも危ないですよ、薬師殿」
「っ?」
鬼巫もアユミチを……というかノクサの姿を確認した隙に、カシキがぼそりと呟いた。
『アユミチ避けて!』
「あばぁぁぁっ!」
なんだと考える暇もなく、突然声を上げて襲い掛かってきた男の突進を転がりながら避ける。
「うべぇぇぇ!」
「どぉぉぉ!」
「じゃっはぁぁぁっ!」
油断していたつもりはない。
だが、最初に襲ってきたのは兵士ではなかった。
庭師か何か知らないが、崩れた建物付近からふらふらと出てきた初老の男。
狂ったように、近場にいたアユミチに向かって飛びかかってきた。
「何を」
「アユミチさん、後ろから!」
「くそっ」
庭師風の男だけではない。
男も女も、目に赤い光を宿らせて襲い掛かってくる。
集まってきた兵士たちも同様に。
「命の危機を模した光です。胆力のない者が目にすれば恐怖に駆られ、この通り」
「つまらぬ小細工を!」
アユミチの方にも、赤い目をした兵士たちが集まってくる。
どうやら正気を保っている人間は異物と見なされるようだ。
獣のように襲ってくるそれらは、技や力など無関係に怖いし気圧される。
「カヨウ、跳ぶぞ!」
「はいっ」
向かって左手の建物、そのバルコニーを見て頷いた。
群がってくる狂気の集団はあくまで人間だ。二階に飛び上がれるわけではない。アユミチと違って。
「ノクサ!」
『いいよ!』
カヨウに爪を立てようと迫る兵士たちから、一気に飛び上がってバルコニーに――
「な?」
「きゃっ」
待ち構えていたかのように、バルコニーの大窓が砕け散った。
しまった、罠だったのか。
◆ ◇ ◆
「この私に逆らった報いを!」
空に舞い上がり、割れた窓の向こうで倒れるアルゴとつんのめって転ぶジナミナを見下ろした。
身の程を弁えぬ愚か者ども。
屋敷を壊されたのは忌々しいが、金ならいくらでもある。作り直せばいい。
エヴェニスに逆らう弟を育てた屋敷など、残しておく方が不愉快だ。
「死ね!」
奴らが粉々になる姿を思い浮かべながら、左手の数珠に力を込めた。
エヴェニスは魔法を使えないが、魔法に似た力ならエクピキの指から放つことができる。
炎の槍を打ち出す槍も、爆裂の力を放つ数珠も、使いこなすことができる。愚弟にはできない。
しょせん、持って生まれた資質が違うのだ。奴隷海将もただ力が強いだけの下民。
両手に指を宿した時、人の重さを操る力を得た。
己自身と、触れた者の重さを。
まるで命の軽重を扱うかごとき神の力。エヴェニスにこそふさわしい異能だった。
その力を使い空を舞う。服の重さは残るけれど、このように軽々と空を舞うことはエヴェニスにしかできない。
太光師やゲニーメ主光でさえできないことを、エヴェニスだけが――
「……は?」
「――」
空はエヴェニスの為にある。
見下ろすのがエヴェニスの立ち位置で、見下ろされるのがその他大勢の凡百ども。
なのに……?
「なぜ、お前がなぜ……?」
エヴェニスより高く、まるで英雄物語の主役のように美しい娘を抱いて。
呆けたエヴェニスに対して、死病の薬師は握った拳を掲げた。
「あ」
どうする、どうすれば。
重く。自分をもっと重くすれば避けられる。
下に。
エヴェニスが、エクピキの指を両手にいただく陽輝卿エヴェニス・ディアホラが、どこの馬の骨ともわからぬ小僧の下に行けと。逃げろと?
「はぶ」
軽いまま、叩きつけられた拳で飛び出してきた大窓に突き返された。
叩き落された。
空から、エヴェニスが。
「ぐ、っこの、私を……っ!」
いや、軽いままで正解だったのだ。
打撃のダメージはほとんどない。精神的な痛手は相当なものだが。
「ふうぅぅぅ」
灼熱の炎で溶けかけた鉄の拳を指にまとわりつかせて、それでも握り締める少女。
いや、先ほどと同じこと。打撃でエヴェニスにダメージを与えることはできない。
刃物だとしても、とてつもない名剣でもなければ特別な法衣で遮られて斬ることはできない。
落ちている炎の短槍も、この下民どもには使えない代物。何も問題はない。
「おかえりだぜ、兄貴」
「は」
怖気がするような冗談をエヴェニスの足元に這いつくばる愚弟が吐いた。
エヴェニスの足を捕まえたまま。
「この――」
「らぁぁぁぁ!」
「ぎゅていひばぁぁぁぁっっ」
左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳左拳右拳――
最後の右拳でエヴェニスの意識が途切れた瞬間、重みを取り戻したエヴェニスの体がアルゴの手からすっぽ抜けて飛び出した。
再び空に。
庭の上空に。
ふわりと、空の感覚。
あぁ、やはりエヴェニスは王を越え神を目指すべき器なのだ。
一瞬途絶えた意識を空で取り戻し、まだ自分が生きていることを認識した。
「ば、がめ……」
エクピキの高位司祭であるエヴェニスは、常識外れの治癒能力がある。
今の瞬間でとどめをさせなかったのが奴らの致命的な敗因。
もう連中の手は出し切った。アルゴもジナミナも重傷で満足に戦える状態ではない。
それに対してエヴェニスは、治癒してしまえば今の攻撃などなかったことにできる。多少体力は削るが。
「え、えくぴき、よ……」
ああ、奴らを殺すのは存分に後悔させてからにしよう。
体の重みで死なぬ程度に骨を砕き、アルゴの目の前であの小娘を犯し、火箸でケツを貫き、目玉をくりぬいて貧民どもにおもちゃとしてくれてやれ。
アルゴの仲間の連中も同様に。あいつが泣いて喚くところを見て
見て。
見て。
ジナミナの拳で潰れかけた目を見開いて、エヴェニスを癒すエクピキの指を目にした。
「あ……?」
目映い黄色に輝く数珠を巻きつかせた偉大なるエクピキの指を。
「や、やめろっばかものがぁぁ!」
存分に力を与えられた破裂の魔法道具は、期待した通りの力を発揮して空高く舞い上がったエヴェニスの体を無数の肉片にしてディサイの町に四散させた。
皮肉にも、普通の重さでジナミナの渾身の一撃を受けたエヴェニスは、かつてないほど高々と空を飛び、あたかも赤い花火のごとくその命を咲かせた。
◆ ◇ ◆