法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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5-3.生温い笑顔

 

「ありがとう、ジルボン師」

「はやく言っておじゃれ。アユミチの傷とならば他の何を置いてでも治すと言うに」

 

 一晩を過ごしてから、ジルボンに足の怪我を治してもらった。

 変な治り方をしていたファニアの時は一度傷を開いて治していたが、今回はそんなことはない。

 相変わらず、マッサージ器に当たるような感覚の後で怪我がすっかり治っていく。

 

「生きて会えたのが嬉しくて忘れていたんだ」

 

 嘘ではなかった。

 本当に、死んだと思っていた人たちが生きていてくれたことが嬉しかった。

 アユミチがゼラを選んだ時、彼らは皆死んだのだと思ったのだ。死が確定したと。

 全員ではないけれど、助かった命があったことはアユミチの胸の奥の重いものを少しだけ柔らかくしてくれた。

 

 

『先に逃げていたんだったっけ』

 

 そうだ、アユミチが集落に着いた時には大半の住民は逃げた後だった。

 プレヴラが無事だったように他にも生き延びた人がいる。

 

「ファニア殿や他の者のことはわからぬ。面目ないでおじゃる」

「それは……」

 

 すまなそうに謝るジルボン師に、気に病むなと言おうとして言葉に詰まった。

 ファニアやアスパーサ、他の人たちの姿はない。

 

「司祭様は私たちを守って下さいました。ゼラ様から森を出るよう言われて、私たちを先導して下さったんです」

 

 顔が陰ったアユミチに、別の住民が庇うように前に出る。

 続けて別の住民も、

 

「鬼巫様相手にもそりゃあ堂々と、アユミチ様の民に指一本触れるなって」

「なんということでもなかろう、よすでおじゃるよ」

 

 言いながらもたるんだ頬の肉がさらに緩んでだらしない。

 うん、と頷いてアユミチの表情も和らいだ。生き延びた人を責めるつもりなどない。

 本当に、鬱屈していたアユミチの心の棘を丸くして、カヨウのあきれ顔もどこか優しい。

 

 

「して、アユミチ。こんな足でもまた子供を助けておったとは」

「……見捨てていけなかった。なりゆきだよ」

「そうでおじゃろ」

 

 それが変な重荷になっているが。

 あらためてデフィロに向けて丸顔に笑みを浮かべるジルボン師。

 

「心配は無用でおじゃる」

 

 このまま、ジルボン師に任せてしまえば……

 今、何かをどうこうする必要はない。

 エクピキの指本体を片付ければ、他のものも合わせて消滅したりするかもしれない。

 彼らを手にかける必要などないのだ。ここに置いていけばいいだけ。

 

 

「アユミチも麻呂も、貧しい難民であれ誰であれ行き場のない子供を見捨てたりせん。安心して――」

「難民なんかじゃない」

 

 表情が硬く強張っていたデフィロを気遣っての言葉だったのだろうが、不愉快に受け止められたようだ。

 

「デフィロ、ジルボン師は」

「陽輝卿エヴェニス・ディアホラの子、デフィロだ。副助祭の身でも一介の陽灯小司が侮るなんて許さない」

「なん、と……陽輝卿と」

「やめてくれデフィロ。ジルボン師は俺の恩人なんだ」

 

 立場や家柄で言えば、下級役人と支配階層くらいの違いがあるのだと思う。

 しかし、ジルボン師にそんな態度を取られてはアユミチも面白くない。

 昨日までは礼儀正しい子だと思っていたのに。

 

 

「それに……貴様、なんだその身は」

 

 アユミチの言葉に少しだけ迷う素振りを見せてから、すっとジルボン師の左手を指さした。

 左手。

 

「う、むぅ……」

「情けない、見苦しい」

 

 太った体型のことでも言っているのかと思ったが、どうも違う。

 言われたジルボン師が恥じるように左手を隠した。

 

 

「エクピキの指をいただきながら徳のかけらもない。そのような有り様で陽灯司など務まるものか」

「デフィロ!」

「……失礼する」

 

 ふん、と。

 アユミチに対して少しだけすまなそうに唇を噛み、上目遣いで一度だけ見上げてから背を向けた。

 反論もせず黙り込んでしまったジルボン師とデフィロを、アユミチも誰も言葉をかけられずに重苦しさだけが古教会に残された。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 言い過ぎたとは思う。

 しかし、陽灯小司程度にかわいそうな難民扱いをされて、ついかっとなってしまった。

 デフィロはディアホラ家の後継ぎではないが、いずれは教団中枢に席を置く立場。

 あの年齢で陽灯小司にしかなれなかった男とは身分が違う。階級が違う。

 

 昨夜、アユミチと再会しての彼らの宴の中で、ちらちらと聞こえた。

 鬼巫を讃える言葉を。

 隙間風だらけのボロ教会。大きな声では言わなかったが、それらしいことを言っていた。

 

 北府ヴォラスは鬼巫に好意的な人間が多いとは聞く。

 それゆえかエクピキ教団の影響も弱いとか。

 しかし、よりによってエクピキの司祭が鬼巫と結んでいるなどあり得るものか。

 

 父から聞いた。鬼巫どもはエクピキに帰依しない異教徒でありながらトローメ王国の重鎮として存在している。

 エクピキに従わぬなどそれだけで大罪。

 天に背くのも同じこと。

 そんなものを認めるなど許せない。

 

 

 しかし、デフィロを助けてくれたアユミチの旧知。

 思想的にいろいろ間違っているから陽灯小司止まりだったのだと思えばそうなのだろう。

 だが気になった。

 少しも徳の痕がない左手。本当にエクピキの指なのか?

 積んだ徳、救済した人間の数だけ黒く刻まれるものが何もなかった。

 

 偽物かもしれない。

 そう思ったのだが、実際にアユミチの足を治す様子を見てますます混乱する。

 何か違う。デフィロが知っている陽灯司と違う気がする。

 気持ちが悪い。

 

 

 そこにきて難民扱い。困窮した貧民扱いで。

 今まで見たことのないほど薄気味悪い柔らかな表情を浮かべて、安心しろと言われては。

 ぞっとして、苛立って、爆発した。

 あの場にいたくなかった。あの場所から早く出たかった。

 

 あんな空気、デフィロは今まで吸ったことがなかったのだから。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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