法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「捨て森を焼き払ってゼラを殺したのはディサイの軍じゃない。エクピキ教だ」
年越しの御馳走を食べた後、アユミチは皆を集めて話をした。
今まで言わなかったことを。
「そんな……」
「事実だ。今まで言えずにいて申し訳なく思っている。すみませんでした」
「……」
頭を下げるアユミチに、皆は戸惑いながらも責める様子はない。
トローメの国民は基本的にエクピキ教の信者だ。熱心ではなくとも。
アユミチが別の女神の使徒ということは伝えていたので、既にエクピキから心は離れていたかもしれない。
「でも……」
「麻呂のことは気にせんでよい。この身は既にエクピキの徒ではないようでごじゃる」
皆がちらちらと気にするのはジルボン師のことだ。
エクピキの【指】持ちの司祭に対する気遣い。
「ジルボン師は何も悪くない。襲ってきたのは太光師のアパティとザイドロス、それにビッテスだ」
どよめく人々と、目を丸くしてアユミチを見上げるデフィロ。
ショックな話をすると先に告げておいたが、簡単に受け入れられるわけもないだろう。
「俺はエクピキ教団と敵対している。だけど、皆にもそうしてほしいわけじゃない。トローメじゃエクピキ教は強大だ。皆を死なせたくない」
話しながら自分の気持ちも整理する。
そうだ、アユミチは彼らを巻き込みたくないのだ。
鬼巫派にしてもエクピキ教団にしても、アユミチが誰と戦うとしても他の人を巻き添えにしたいわけじゃない。
「デフィロ」
「……」
「デフィロはエクピキ教司祭の家の子供だ」
「それなら……」
「ただの子供だ。捨て森に放り出された皆と同じように家を失った。デフィロがゼラや他の誰かの仇なんかじゃない。だから」
隠し事をやめて素直に話す。
その中で問題点も出てくるだろうし、逆にアユミチが思い悩んでいたことがあっさり受け入れられることもあるだろう。
デフィロの身の上についても隠さない。
彼の怯えはきっとそこにある。何が敵で何が味方かわからず、不安で潰れてしまいそうなのだろう。
「ディサイから逃げてきたデフィロを鬼巫派が監禁していた。そうとは知らずデフィロを見つけて助け出したけど、それで鬼巫派との関係がこじれてる。ごめん、俺のミスだ」
「アユミチ様のせいじゃ……」
「いや、俺のミスなんだ。調べるつもりで接触したエクピキ教の陽灯大司にはめられた」
パテシーイとのやりとりも皆に話す。
ここも危険かもしれないこと。北府はエクピキ教の勢力がさほど強くはないから、逃げるなら北から国境を越えるのがいいなど。
「デフィロ、ごめん。君の反応を試した」
「……はい?」
「捕まっている間に何か聞かされていないかって。俺のことを」
鬼巫の仲間ならアユミチがエクピキ教と敵対していることは当然知っている。
何か恣意的な情報を吹き込まれていないか表情を窺っていたが、デフィロは初めて聞く様子だった。
「俺があの時君の家にいたのは、エクピキ教の幹部を殺す為だ」
「っ……」
「君の父の敵としてそこにいた。殺すつもりで一発ぶん殴った。死んだ時のことはよくわからないが、何かで爆発して死んだ」
お前の父親を殺す目的で家にいたのだと。
ごまかすのをやめる。それを知ったデフィロがどう判断するか。
デフィロはわずかに息を飲んだが、既に予想していたのか納得の色の方が強い。
「いえ……聞いたのは僕の家が……アルゴ・ノーツに、父が殺されたって……」
「……」
「叔父だそうです。会ったことはないです、けど」
どんな人間だったにしてもデフィロには親に違いない。
叔父に殺されたと聞かされてどんな気持ちだったのか。アユミチには想像もできないが。
「父は……父がいろんな人に嫌われていたのは知っているから。使用人たちも父を怖がっていたし、母様も……」
何を思い出したのか、握ったデフィロの手が震える。
「父と話すことはほとんどなかった。だけど僕に会う人はみんな、父を褒めて……怯えて、その気持ちは僕もわかって……」
「俺は君の父親を殺した側の人間だ。恨んでくれていい」
「……でも、助けてくれた」
半泣きの顔でアユミチを見上げて、
「僕は……あなたに感謝している。それは嘘じゃない……本当に」
「……」
「だから、僕は……」
どうすればいいのかわからない。
アユミチにもわからない。デフィロをどう扱えばいいのか。
ただ、ごまかして嘘をついてここまできて、何も解決しなかった。
「心配すんな、坊主」
声がかけられた。
デフィロに対してだったのだろうが、思わず自分に言われたようにアユミチの耳にを打つ。
「アユミチ様に恨み言言ったっていい。俺らにも。家族を殺された子供ならそれくらいいいんだ、言いたいこと言ってくれ」
「ええ、吐き出しちゃっていいのよ。遠慮することなんてない」
言葉が出てこないデフィロに対して、
「どうりで、めそめそ泣きやまねえのもしょうがねえ。当たり前だぜ」
「こんな子供にむごいこと」
住民たちの口から絞り出すように漏れだす言葉。
「え……?」
「司祭様が治してた生傷も、捕まえてた連中がやったってことですよね?」
「食事も喉を通らないくらい怯えて、かわいそうに……」
「アユミチ様、鬼巫の連中と揉めたってのは気にすることはねえっすよ。子供とっ捕まえていたぶるような奴ら、盗賊と変わらねえ」
かわいそうに、つらかったでしょう、俺らが守ってやる。
家族と住む場所を失ったという事情も共通点として作用した。
労りの言葉を受けて、しばらくは戸惑っていたデフィロは下を向いてゆっくりと首を振る。
「僕は……」
違う、そうじゃないと。
自分の気持ちを言葉にしようとしてうまくできないデフィロに、住民たちは今度は黙って続きを待った。
「僕は、家じゃ……ちがう、僕はただ……父とは、ずっと……話してなくて、だって……父の気に入ることしか言っちゃいけなかった、から……」
「それでも坊主の親父だろ。他にはいねえ」
「アユミチ様の前で言うのもなんだけど」
一人の女性が歩み寄り、デフィロの手を取った。
目に涙を浮かべて。
「お父さんのこと、残念だったわね。泣いていいのよ」
「……あ」
今日まで声を殺して泣いていたデフィロ。
その堰を切った。
◆ ◇ ◆
父は厳しい人だった。
父と会う日は緊張した。
何も失敗してはいけない。気に障ることを言ってはいけない。煩わせてはいけない。
正直に言えば苦手だったと思う。
使用人たちが父の陰口を言うのを耳にして、デフィロも共感するところがあった。
ただ、強さは疑いようがない。
正しいかどうかではなく、ただ事実として強大な存在。
その影に怯えて過ごしているのは、使用人たちもデフィロも大差なかった。
母が死んだ。
前日まで健康だったデフィロの母が死んだ。病死だと言われた。
誰も疑問を挟まなかった。幼かったデフィロは泣きながら肌で理解する。
疑念を抱いてはいけないのだと。
ただ悲しみ、畏れた。
――神は人の死を悼まない。
父の言葉はそれだけだった。
妾の葬式は簡素に、あっけなく。
デフィロは跡取りではない。王都の教団本部に奉公に出ている兄が跡取りで、デフィロはただの予備。
エヴェニス・ディアホラに人の情など期待してはいけない。
いや、案外と情動はある人間なのだ。
己自身にだけ強く、厚く。彼を楽しませるものには好意的に、煩わせる者には悪感情を示す。
生前の母も言っていた。父を怒らせてはいけないと。
いつしかそれが当たり前となり、それがディアホラ家の当主というものだと思うようになっていた。
アユミチ達と喧嘩別れした後、教会を見つけて。
なんとなく、言葉にできない
あそこにいるのも、父と同じタイプの何かなのだろうか、と。
アユミチとカヨウ、あの兄妹との時間はデフィロにとって今までにないものだった。
戦災を逃れるひどい旅路だったというのに、それまでの人生とはまるで違う。
アユミチのおかげでひもじさをほとんど感じなかったから、というものあるだろう。
解放感と、なんとも言えない安堵感があった。
ディアホラ家の子供という扱いではなかったが、アユミチはデフィロに優しかった。
下心や、父が囲っていた女たちのような媚びた色とも違う。
ただ子供を気遣う年長者として。
落ち着いたら家族を探そうと言われた時だけ、心の奥に不安がよぎったけれど。
鬼巫派にはエヴェニス・ディアホラを始めとしたエクピキ教の悪行を聞かされた。
聞いていると、嘘ではないとわかってしまうことも多い。
かなり悪意に満ちた見方の話だったが、そういう事実があったのだろうとわかる。
父ならそうした。
他のエクピキ教の司祭もそうなのだ。そういう力がある。
エヴェニス・ディアホラなど死んで当然。地獄で永遠に磨り潰される末路だと言われて否定できない。
人を人とも思わぬ所業を当たり前にしてきた。
母はきっと、父の意に添わぬ何かをしたのだ。だから父に殺された。処分された。
鬼巫派の話になくとも、デフィロ自身が実感している。
死んで当然。殺されてもしょうがない男。
でも、アユミチはそうは言わなかった。
襲撃目的でディアホラ家を訪れたと言うのに、デフィロの父を悪く言うことはなく。
他の住民たちも、誰も、デフィロの父を
――それでも坊主の父親だろ。他にはいねえ。
父に頭を撫でられたことがある。
エクピキ教典の難しい一節を、デフィロが
父は笑ってデフィロの頭を撫で、褒めてくれた。
たった一度だけの記憶だけれど。
あの日、あの時。
陽輝卿エヴェニス・ディアホラは間違いなくデフィロの父親だった。
殺されるくらい憎まれ、死んで当然と唾を吐かれる男だったとしても。
デフィロにとっては他にいない父の死を悲しんでいいと言われて、初めて父が死んだことを悲しいと思えた。
鬼巫派に聞かされた時に浮かんだ感情は、安堵だった。
廃教会で掘り返された腹の奥の悲しみに耐えきれず、幼子のように泣いた。
エヴェニス・ディアホラの死を泣いた人間は、きっといなかっただろう。
けれどデフィロの父の死は、デフィロと廃教会の人々の涙が送ってくれた。
神が人の死を悼んだりしないのなら。
悲しむことはきっと人の特権なのだ。
◆ ◇ ◆
レーマルジアよ。
私は恐ろしいのです。
時と共に全て塵と消えていくことが恐ろしい。
かつてはそのような思いはなかったのに。
新しいものを目にすればするほどに、この記憶も感情も全てが失われていくことが怖い。
何もかもが泡沫、無に帰す未来を恐れ、怯えております。
母たるものよ。
どうか命に慈悲をお与えください。
永遠に続く道をお示しください。
◆ ◇ ◆