法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
なんにしても鬼巫派と話をしなければ。
状況証拠的には真っ黒のアユミチだけれど、何も言わなければ犯人と見なされるだけ。
元花札アデスタを殺したのはアユミチではない。
デフィロはディサイから保護してきた子供だ。出生は関係ない。
色々と言いたいのだが、鬼巫派と接触する方法がなかった。
年が明け、浮ついた雰囲気の北府ヴォラスの町でも、直近に殺人事件があった倉庫街には冷たい空気が漂う。実際に薄っすらと雪も積もって寒いのだが、冷たさの種類が違う。
倉庫に立つ警備兵が赤ら顔の付近住民と話していたので、アユミチも声をかけてみることにした。
「年明けだっていうのに大変だね」
「まったく迷惑な話だぜ、くそ寒いのに難民どもときたら」
「お勤め頑張れよ、ははっ」
数センチほど積もった雪の中、警備兵は深い溜め息と共に愚痴をこぼす。
貧乏くじを引かされた兵士を冷かしていたのだろう住民は、アユミチと入れ替わりに去っていった。
「なんで兵士さんが見張りを?」
「よく知らん。また襲撃があるかもしれないから見張っておけってよ」
「へえ」
「誰もいねえ何もない倉庫なんて誰が襲撃するんだか。だいたい民間の倉庫なら勝手に警備員でも雇えばいいだろうに」
「町の管理じゃないんだ」
「ここらの区画は全部民間のもんだ。なんだお前、よそ者か」
「野次馬だよ。事件があったって聞いたから」
「面白いことなんてねえよ。っとに」
どこの世界にも野次馬根性というのはある。
事件から数日経って、今さらという感もあるが。
「何か盗まれたのか?」
「被害も何もないってさ。そもそもここの所有者もわからん。難民の死体以外にも血溜まりがあったって言うから
「そうなんだ」
兵士には何も知らされていない。
鬼巫派の女たちの死体は見つかっていないようだ。生き残っていたシュキが片付けたのかそうではないのか。
「何にもないのに見張ってもしょうがないんじゃ」
「そう思うんだったら上に言ってくれ。さっさと帰って一杯やりてえ」
結局、事件現場では何も知ることができなかった。
『鬼巫とこの町の行政の関係はよくないみたいね』
「そうか?」
『鬼巫が死体を隠したなら事件なんてなかったことにした方がいいんじゃない? わざわざ兵士を見張りに置いてるのはどう?』
「……行政府も、鬼巫派と接触したがっている?」
『捕まえたいのかもしれないけど』
なるほど。
ここが鬼巫派の拠点のひとつだったのは間違いない。
しかし撤収した。
見張りの兵士を置いているのは、殺しの犯人捜しなんかの為じゃなく鬼巫派の尻尾を掴むためか。
ディサイでは行政府とエクピキ教団は癒着していた。
北府ヴォラスでは少し事情が違う。
住民は全体的に鬼巫に好意的で、エクピキ教団の影響力は弱い。
だからと言って鬼巫派と行政府が緊密というわけでもない。
『ディサイのことも耳に入っているだろうし、他にも何かあったのかもね』
「鬼巫につくかエクピキ教につくか迷っている、とか」
トローメ王国が揺らいでいる。
町の支配者層とすれば、負ける側に立ちたくないだろう。
ディサイでの事件やディアホラ家を潰したことは無駄ではなかったか。
隣国ホスバルドルから、寝返れば地位は安泰なんて打診があったとしても不思議はない。
エクピキ教と敵対している鬼巫と手を結び、反旗を翻す。
その為に鬼巫派と接触したいと考えたとしても不思議はない。
王都の鬼巫に使者を出すのはリスクが高すぎて、この地元で密かに話したいとか。
「隠れ里の場所はわからないだろうし」
『簡単にわかるなら、教団の怖い部隊が乗り込んでいるでしょ』
ノクサと話しながら、結局当てもなく町を歩くことになる。
人は迷った時に見知った場所を選びやすいらしい。
このヴォラスでアユミチが歩いたことのある場所は少なく、その中のひとつ。
比較的裕福な層が暮らす区画で、子供の泣き声に吸い寄せられてしまったのは仕方がない。
「ぶぇ、え……っぐ……」
「仕方なかったのよ」
血濡れた包丁を手に、立ち尽くす女。
塀に囲われた裏庭の中までアユミチが飛び込んだのは、ノクサが先に見つけたからだ。
男の死体。
泣きじゃくる子供。
刺した女。
「……帰ってって言ったじゃない。こないでって言ったのに」
女の名前はダスピナ。
ディサイから逃げてきた女で、夫と子供を壁外に残して住み込み奉公に出ていた女だった。
「馬鹿な人……どうしてポロまで連れてきたの……」
アユミチには想像しかできない。
妻とディサイに帰ろうと夫は説得したのだろう。
断られ、子供を連れてもう一度説得に来たのではないか。
しかし妻の心はもう夫のところにはなかった。
何が彼女を変えたのか、そんなことは知らない。
「……」
倒れた男の腹から背中に抜けた傷。大量の血が溢れていた。
彼女の手の赤く濡れた包丁の切っ先は、ポロと呼んだ子供へと向けられている。
このまま放っておけば子供を刺すのかもしれない。
妻も子も自失しており、そこから動かないけれど。
「……子供は殺すな」
「……」
「俺が連れて行く。あんたのことはもう知らない。俺にはどうでもいい」
何も言われなかった。
力なく泣き続ける子供を抱き上げ、裏口からその場を後にした。
迎えに来た元夫を刺したダスピナのその後をアユミチが知ることはなかった。
きっとどこの世界でも似たようなことはあるのだろう。
父も母も失った幼いポロを抱いて廃教会に帰った。
◆ ◇ ◆
トローメは比較的温暖な地域だが、北府近隣の冬は相応に厳しい。
雪が積もり、往来する者もほぼいない。
鬼巫の隠れ里は山中にある。
神秘的な力で隠されているから隠れ里。
場所だけわかっても入れるものではないが、当然場所も秘匿されている。
隠れ里を出るのは鬼巫と花札の他は数えるほど。
死んでも隠れ里の秘密は洩らさない。
雪の降る中、シュキは隠れ里に戻る。
他数名、ヴォラスに駐在していた鬼巫の民は先に里に帰した。
花札は通常二人で任務に当たる。特殊な例を除いて。
一人と二人ではあらゆることへの対応力が格段に違う。
その片割れであるアデスタが殺された。
スカーア復活に向けて大事な時期だ。先行き不安のまま行動はしない。
「……」
後を尾けてくる者はいない。
何度も確認した。
雪の降る山で尾行など難しいというレベルではないが、それでも必要以上に警戒する。
絶対に追跡者がいないと確信できるまで警戒した為、冬とはいえ通常七日の道のりが十日を超えた。
仕方がない。里の安全の為に必要な時間ならいくらでも。
「……神座すはいと深き陰の内。我が陰を飲む
昼と夜の狭間にシュキの体がねじり切られるように入り込んだ。
「……ふう」
白い雪の世界から一変、灰色の空と緑と水の郷がシュキを迎え入れた。
故郷の匂いに安堵する。
「シュキ様、お勤めご苦労様です」
「うん」
隠れ里と外との境界、石塔を縄で結んだ入り口近くの見張り台。
高床になっている露台から労いの言葉がかけられ、軽く応じた。
「アデスタ様のことは既に聞いております。どうぞ」
「うん」
呼ばれて、屋根付き露台に昇った。
里の女が両袖を広げてシュキを迎える。
「……」
「巫気を、どうぞ」
「ん」
見張りと言っても隠れ里に誰が侵入するはずもない。
ただ見張りの女には役割があった。
鬼巫の里の者にとって外界は息苦しい。
水の中のように。あるいはひどく高い山のように。
二人以上いれば、互いに宿す巫気を吸い合って補うのだけれど、アデスタを失った。
花札に選ばれたシュキは、同じ花札かヨハルハ以外の巫気は吸わない。
アハラマの花札たちも同じく。
そんな花札や鬼巫に対して体を開き、里の巫気を吹き込む役目を負う。
穢れを祓い、里の香りを吹き込む女。
「ん……う、ぁ……」
「お辛かったでしょう」
雪山を歩くのに着こんでいた衣類をそっと脱がしながら囁かれる。
息苦しい中、大変だっただろうと。
アデスタを失い、つらかっただろうと。
「スカーア様のお目覚めは近づいております。こんな悲しみの日はもうすぐなくなります」
「う、ん……」
「どうぞ今は全てを忘れ、お委ね下さいませ」
やわらかな温かさに包まれて、つうと涙が零れ落ちる。
アデスタとは反りが合わないながらも幼い頃からずっと一緒だった。
殺されてしまった悲しみと、里に戻った安堵が
里の外で苦しい思いを抱えてきた者を慰めるのが、彼女らの役目だった。
皆の前に戻れば、鬼巫の里の花札として凛としていなければならないのだから。
見張り台の彼女らは姉巫と呼ばれ、尊ばれた。
◆ ◇ ◆
「もう始末してもよろしいのでは?」
求められていないことに意見するのは珍しい。
影潰しの女が仕える陽灯司に自発的に意見することは滅多にない。
少なくともギネイカは今までしたことがなかった。
「さテ、サて?」
「生かしておく必要は……いえ、危険かと感じますが」
「ギネイカにソこまデ言わセるとは、かレも大したもノですネ」
「得体が知れません」
「ソこが知れナい、と」
不気味だった。
ギネイカが殺せないと感じる相手は少ない。極めて少ない。
少なくとも一対一で殺せない相手など、太光師や星光のビッテスなどの一部を除けばそうそう思い当たらない。
パテシーイでさえ、たとえば太光師から命じられれば殺せると思う。
返り討ちに遭う可能性も十分にあるが、殺せる確率が悪くても2割以上はある。
ホドウ。
あの男は、簡単に殺せる。
殺すつもりで準備すれば十割殺せる。確実に殺せる。ギネイカなら絶対に殺せる程度の素人。
演技や擬態ではなく確実に弱いのに、得体が知れない。
ギネイカが見失った。
ギネイカの尾行を見破られた。
動かなければ影潰し最強のビッテスでも見切れず、花札さえ
凡庸にしか見えない男がギネイカの尾行を察知し、姿を
相手が達人であれば理解できるがそうではない。
未知数の不気味さを感じる。
始末したい。
「彼には感謝シているノですヨ」
「……」
「おかゲで得難イ情報が手に入りマしタし」
「はい」
「デすかラ!」
パテシーイは上機嫌だ。
それはギネイカにも喜ばしい。夢にも見ないほど甘いご褒美をたくさんいただける。
息苦しい雪の中に数日間埋まっていた苦労も報われて余りある。
「彼にモ妹にモ! たっぷリと味わっテいただきタイ!」
危険だと思うのだけれど。
でも、パテシーイがそうしたいのならギネイカは従うだけ。
「人の身ノ無力を! 思イ上がリを! 己を知ルことデ神を知ルのデス!」
パテシーイはあの兄妹にも見せたいのだ。神の道を。
偉大な神を信じるには、自身の矮小さを知らなければならない。
人の身でできることなど知れている。何もできはしない。
ホドウが現れたことでパテシーイに大きな福音がもたらされた。まさに神の差配。
「私は嬉シいのデス! 喜ばシいのデス! 始末ナど勿体ナい! 彼ラにモ神の愛を届けマしょう!」
「御心のままに」
「神の! 御心のママに!」
ギネイカ達の仕掛けとホドウの裏切りと見える行動で鬼巫派は
真冬に山に向かうような女に理由がないはずがない。
まとまらずバラバラに向かった女たちの足取りを追った。
雪は音を吸い、しかし足跡は残る。ギネイカになら追跡は可能。里の境界近くを特定できた。
最後の仕上げに、元花札の女を待ち伏せした。
何日も潜み、入り口を掴んだ。
そのせいで一か月ほど費やしてしまったが、今まで尻尾を掴めなかったことを思えば劇的な成果だ。
パテシーイとギネイカの道が、暗い山中に輝かしく伸びていくのを感じて身を震わせた。
◆ ◇ ◆