法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「姐さんの頼みを断れるわけがねえ。もちろん何でも言ってくれ」
「感謝いたしますぞ、ムンジィ殿」
ムンジィとの再会は喜びの連続だった。
彼自身や他の捨て森の仲間の生存。それと同時にアユミチの生存確認。
アスパーサの予言はあったにしても、実際に生きていたとムンジィの口から聞かされ、ファニアの目から涙が溢れそうになった。こらえきれず零れた。
「しかしお前が左潮伯の使いとは……」
「いんや、俺は付き添いだ。詳しい話は後にするとして、先に会って懐柔しといてくれってよ」
「それは……わかるが、言うべきことじゃないな」
「別に俺ぁ連中の部下じゃねえからよ」
「でしょうな」
東港アナトーリから左潮伯エクソトの密使として訪れたムンジィだが、その心は変わらずアユミチと共にある。
ファニアとは少し違う。
ムンジィとアユミチの関係は、なんというか、ファニアには決して築けない種類の信頼がある。
なんとなく羨ましく思わされる。
「それで、使者は? お前が信用する相手ならすぐにでも会うが」
「それなんだが……複雑らしくて、な。ちぃっと……」
歯切れが悪い。
ムンジィの視線が周囲を気にする。
「あくまで密使ということ、だな」
「そんな感じってわけで」
ファニア達がムンジィを迎えたのは、元々県の行政府として使われていた建物だ。
この蜂起に協力してきた各村のリーダー格の者もいる。
人目が多い。
「私が行こう」
「すまねえ姐さん。俺の口からは何とも言えねえ話でよ」
「構わない、ムンジィ」
ファニアだけを呼び出すなど、怪しすぎる誘いだ。
何ならここでファニアを騙し討ちすれば南部の反乱軍を瓦解させられる。
「私を簡単にどうにかできるという算段なら、後悔させれば済むことだ」
「とんでもねえ、勘弁だぜ姐さん」
「見くびってくれるなよ、ムンジィ」
ああ、アユミチがムンジィを頼る気持ちがわからないでもない。
決して何かに特別優れているというわけではないが、根がいい男だ。
「同じ男に惚れこんだ者同士だ。下手な言い訳など必要ない」
「……面目ねえ」
「黙れ。顔を上げていろ。お前が男を落とせば、アユミチの格も下がる」
お天道様に胸を張っていればいい。
そう、アユミチが生きているのなら彼の為にできることをするだけ。
――と、自らの襟も正して左潮伯の使いに会いにいったファニアだが。
「な……ん……?」
驚きのあまり言葉を失う感覚を思い知ることになった。
◆ ◇ ◆
「イドラ、そなたの献身には感謝している」
トローメ国王ネロは難しい立場にある。
真の味方と言えるのは王の盾イドラ・ディドラーだけ。
父が遺したものの中で唯一、ネロにとってプラスになるもの。
世界最強の人間と呼んでも大げさではない。それだけの存在の忠心を遺してくれた先王クムスは、他の負債を差し引いても良い親の部類なのではないか。
(余への忠心ではないな)
イドラが忠誠を誓っているのは今もクムスに対して。
その意思を継ぐ代理としてのネロだ。
「しかし、いい加減頭くらいは自分で洗える。じきに十三になるのだぞ」
「存じております」
「まったく、余と一緒でなければ風呂にも入れぬのはそなたの方だな。イドラ」
「ネロ様がいなければ自分は何もできませぬ」
「そうであろうよ」
誰も侵入などできぬはずの国王専用の浴室でも傍を離れない。
五年前から当たり前のようにしていたが、最近になって過保護なのだとわかってきた。
父王を守れなかったことを悔やみ、本当に片時もネロから目を離さない。
専用の
通常なら専属のメイドがやるようなこともイドラがする。
頭を洗ったり着替えさせたり。
さすがに食事は調理人が作るが、必ず調理人と運ぶ者にも食べさせ、イドラも先に毒見をしてからネロの番だ。
代々伝わる毒探査の首飾りで安全は確認できるのだが、それでも念には念を入れて。
仕方がない。
十七年前の政変でトローメ王家正統の血はクムスのみとなり、近い血筋は傍系の左潮伯エクソト家くらい。
他、貴族院にはいくらか遠縁はいても、正統王家とは呼べない。
そんな者たちでも、ネロに何かあれば王統であると名乗り戴冠しようとするだろう。
ネロの立場は盤石ではない。
「余が妻を
ネロは父王クムス十七歳の時の第一子だ。
断絶の危険を考えると、早々に妻を迎え子をもうけなければならない。
「どう、とは?」
「夜伽の際も見張るつもりか?」
「無論です」
「……」
当然だ、と返されてしまい頭が痛くなった。
実際、上級貴族では夜の営みもメイド長が無事にことが進むよう監視と補佐を務めるのも普通らしいが。
しかし、無骨な武人がその場に居合わせるのは普通ではないのではないか。
王として性教育も受けているネロだが、イドラがこの調子では前向きな気分にはなれない。
トローメ貴族の中にはきっと人目を楽しむ性癖の者もいるだろう。ネロには理解しがたい。
「お世継ぎを成すのは王の務め。何も恥ずかしいことではありませぬ」
「ではそなたにも、余が見ている前で子を作れと言われたらするのか?」
「否やはありませぬ」
「あれよ、見ていられぬわ」
「では作りませぬ」
「この朴念仁め」
ざぱぁと頭から湯をかぶり、湯船に入った。
イドラもそれに続く。
全裸だが、ネロに何か危険が迫ればイドラは必ずそれを退ける。相手が何人であろうと何者であろうと。
最強の護衛、王の盾イドラ・ディドラー。
ネロはイドラを信頼しているし好ましく思っている。
家族のように。
家族のような存在だからこそ、あまり見られたくないとも思う。
ネロ自身でも自分の肉欲のあさましさがどれほどか想像できない。
逆に、イドラのそんな姿も見たいとは思わない。まあイドラは淡々と作業的にやりそうではあるが。
「ネロ様に何かあればトローメが滅びる。自分がいる限り、決してそのようなことはさせませぬ」
「教団もわかっておるはずだ」
ネロに万一のことがあれば、比喩ではなくトローメが滅亡する。
今の状況はエクピキ教団もわかっているはず。
彼らとてトローメ王国があってこそ甘い汁を
先王クムスのように急進的に教団排除に動くわけでもないネロを、今この段階でどうこうする必要性は低い。
クムスは焦っていたのだと思う。
王統がか細くなり、教団に飲まれていく国を肌で感じて。
優秀な人間だったのも災いした。実際にエクピキ教団にとって痛い
その時点でネロが大人だったのなら、意志を継いでトローメを二分する内乱を起こしていたのかもしれない。
しかしネロは幼く、クムス派の繋がりは盤石ではなかった。
揺り戻しでエクピキ教団の力は増し、今の状況。
二年前、ネロが腐敗貴族の一族を粛正したことがあった。
当然イドラを中心として近衛を動かして。
ネロを背に庇いながら無表情で鉄火場を進むイドラに、貴族たちは肝を冷やした。
王命は絶対である。
それを示すための示威行動として、大々的に。
根回しや裏工作を無視した王権の実力行使。それを実現するイドラ・ディドラーの存在を貴族たちの目に焼き付けた。
多少だが、貴族院と地事院に規律を戻した。
厄介なタシモ・ティッダーン大公がネロの行動を正当であると追認したのも大きい。渋々だったろうが、己の立場と命を守る為に。
大きな権力を有するティッダーン大公だからこそ、有無を言わせぬ実力行使を恐れたのだ。
王による武力行使。他の者がやればテロでも王が行えば正当となる。
ネロをまだ幼いと侮ってくれていた。
そして、イドラの力を見誤っていた。
ただ暗殺者に対する絶対防御ではない。一人で三軍に匹敵する怪物。
総力戦なら討ち取れるだろうが、その前に敵対した大本は大損害を出すことになる。
ネロの尾を踏まぬよう、貴族院もエクピキ教団も若干おとなしくなった。
ネロ自身も、無闇に敵を増やさぬよう控える。父王と同じ轍は踏まない。
大貴族ではなく立場の弱い者をまとめ、王家の権勢を固めながら今後に備える。
現状世継ぎがいないのはネロの安全を担保しているのかもしれない。
「さっさと十五になれればよいのだがな。国軍の指揮権を大公から余の手にできように」
「ネロ様は今のままで十分です」
「そうもいかぬであろう……よっ!」
パシャア!
広い浴槽の水面が勢いよく跳ねた。
ネロとイドラの間で。
「やったか!?」
歓喜の声の後、跳ね上がった水しぶきが視界を埋めた。
すわ襲撃か、と他人が見れば思ったかもしれないが……
「……」
「……つまらん」
ネロの両手が水中から発射した水柱を、イドラが軽く払った勢いで起きた衝撃で水面がはじけた。
仮にネロを狙う何者かが近づいていたのなら、攻撃する前にイドラが仕留めている。
「くそ、今のはかなりうまくできたと思ったのに」
「お見事でした、ネロ様。事前に筋肉の動きも見えず、力を一点に集中させ無駄のない一撃です」
「軽々と防いでおいて言うな」
えい、えい、と。
続けて手をポンプのようにして水撃を繰り出すが、イドラの顔に当たることはない。
指一本で的確に散らし、たまにふざけるようにネロの顔に跳ね返す。
「ぶっ……くそぉっ」
「意地になると読みやすいものです」
「黙れ、一発くらいはおとなしく受けろ」
「そうするなとの王命ですので。五年前にネロ様より」
「言ったな、ああ言ったとも」
風呂で裸でイドラと遊ぶ。
幼くして王にならざるを得なかったネロの、数少ない穏やかな一時だった。
◆ ◇ ◆