法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
日本で言えば二月。日は短く見る間に暗くなっていく。
灯りに溢れた日本とは違い、透き通る空に無数の星々の輝きで空が埋め尽くされる。光がちりばめられたカーテンのよう。
月も満ちて、寒々しく薄白い夜空。
「……」
廃教会の外で空を見上げていたアユミチは、寒気から身を守るようにマフラーを口元まで引き上げた。
一人立つアユミチの逃げ道を塞ぐ形で、左右から十数名の兵士が列を作り近づいてくる。
ごろつき等ではない。北府ヴォラスの正規兵だ。
「貴様がホドウか?」
「……そうだ」
アユミチとは聞かないのだな、と。
もう知っているだろうに、兵士たちには伝えていない。
アユミチという名前で捕縛すれば捨て森の薬師と繋がる。それは知られたくなかったのか。
「デフィロ・ディアホラ誘拐の容疑及び内乱予備罪の容疑で貴様を逮捕する」
「へえ」
喋っている間に、廃教会から皆が出てきた。
兵士が押し寄せてきて不安は当然。周辺住民も何事かと窓や戸の隙間から顔を覗かせる。
「そんな覚えはないんだが」
「貴様の言い分は詰め所で聞く」
聞くつもりなどないだろう。
捕らえてしまえば後はどうとでもなる。
北府の中にもエクピキ教寄りの派閥もあるだろう。この兵士たちはそれらの差し金。
「他の皆は?」
「おとなしくするのなら何もせん。町の者ともうまくやっていると聞いている」
あくまでアユミチだけを、公権力で捕縛にきた。
廃教会の人々は半年近くここに住み、近隣住民との関係も悪くはない。
密かにジルボン師がごく少額で治癒をしていたこともあり、実際はかなり良好なようだ。
強引に取り潰すとなると住民からの反発も予想される。
「おとなしくするのならば、だ」
公権力は、言うまでもないが強い。
抗えば相手に武力行使する大義名分を与えてしまう。
パテシーイの仕掛けだとわかっていても、正面から来られると対処が難しい。
ここでアユミチが下手なことをすれば、強引に全員を捕縛、処刑という方向にも持っていける。
アユミチ一人であれば強硬手段もあっただろうが、廃教会の皆のことを考えると打つ手がない。
「抵抗するなら他の連中もまとめて――」
「僕が誘拐されたなんて言った奴は誰だ!」
デフィロが進み出た。
大きな声で、近隣にもはっきりと聞こえるように。
「デフィロ・ディアホラは僕だ。僕を助けてくれた恩人たちを誘拐犯などと言った不届き者は誰か!」
「それは……」
アユミチと話していた隊長格の兵士が、あまりに凛としたデフィロの立ち居振る舞いに気圧され、言葉を詰まらせた。
デフィロはまだ子供。武器を持った兵士たちの前で毅然とした態度を取るとは思っていなかったのは無理もない。
アユミチが同じ年齢の頃に大人相手にやれたかと言えば、絶対に無理だ。俯き加減にもごもご喋るのが関の山。
ジルボン師や廃教会の人々がデフィロの心を救ってくれた。
そして、後から連れてきた幼いポロの存在もデフィロを変えた。まるで兄のような意識を育てた。
元々、厳しい父親の目に認められるよう教育されている。
大人とはいえ木っ端役人相手に気後れする器ではない。
「子供は黙っていろ、これは大人の」
「お前たちは僕を探しに来たのではないのか! 陽輝卿エフェニス・ディアホラの子デフィロがここにいる! 僕を無視するのはどういう了見か言ってみろ!」
「我々は……我々は、この男を逮捕する為に来ただけだ。
「これを見よ!」
デフィロが上着をまくり、インナーの胸の刺繍をばんと叩く。
「陽輝卿の紋だぞ! 余人が
貴族の身分を詐称することは死刑らしい。アユミチは知らなかったが。
良家の家人であれば身分証代わりに家紋の入った物を持つ。
陽輝卿の身内である証を見ろと言われ、目を泳がせた兵士たちにもう一度命じた。
「お前たちは僕が誘拐されたと言う! ならば問おう。デフィロ・ディアホラの身を安んずるのが第一か、嫌疑も不確かな男を逮捕するのが先か!」
「我々が受けた任務は、その男の……」
「誘拐などないと言っている! 付近住民にも聞いてみるがいい、僕がここでどんな暮らしをしていたか彼らも見ているのだから! なぁ‼」
最後の呼びかけは、騒ぎで集まりつつある住民たちに向けて。
人の上に立つ教育を受けてきたデフィロだから、周りを使うのもうまい。
一人で何とかしようと考えてしまうアユミチではできなかったと思う。
「……どうやら行き違いがあったようだ、兵隊さん」
「う……む……」
大部隊ではない。小隊二つのまとめ役程度では判断できまい。
追い詰められて暴走する前にアユミチが声をかけた。
小心者の心理ならアユミチにもよくわかる。親近感がある。
「デフィロを誘拐して内乱なんて、そんな恐ろしい考えなんてないんだ。兵隊さんたちも、ちょっと何か間違った情報で命令されただけなんだと思うんだけど」
「そう……かもしれん。だが」
「今日はもう遅い。俺は逃げたりしない。何なら見張ってもらっていても構わないから、確認してもらった方がいいんじゃないか? 逃がさなければ兵隊さんも面目は立つだろ」
廃教会の十数人だけではなく、集まってきた住民たちの雰囲気も非難の色が濃い。
誘拐されたと言われる子供が堂々と正論を掲げ、兵士たちは命令だからと狼狽気味。
強行するのは得策とは言えない。
西港ディサイに続きトローメ各地で反体制派の勢いが増しているという噂もあるようだし。
「俺は逃げない。俺が逃げればここの皆に迷惑がかかる。家族同然の仲間だ」
「……見張りを置くのなら」
兵士たちはパテシーイの事情を理解してきているわけではない。
ただ命令を受けてアユミチの身を押さえにきただけ。
アユミチの出した折衷案でも、命令を失敗したとはならないだろうと――
「喜ばしイですネ!」
さて。
茶番は終わりだ。
「兄ト慕っタ御方、エヴェニス殿の遺児トお会イできるトは、なんト良イ夜でショウ!」
この男にとっては全てが茶番なのかもしれない。
公権力に屈してなすすべなく捕まるのならそれでよし。
うまく運ばないのなら自分が動く。どう転がるか見物していて。
「パテシーイ師……」
「ソの子はワタシがぁ、引き取りマしょうネ!」
夜の町を、ぞろぞろと数十人の信徒を引き連れて現れた。
松明を掲げ、焦点の定まらない目で付き従う老若男女の信徒たちとパテシーイ。
ある種の異様な雰囲気に押され、兵士たちも野次馬もアユミチを挟んで反対側にじりじりと寄っていく。
その方が邪魔にならなくていい。
「デフィロ、ありがとう。ここからは俺の仕事だ、下がっていてくれ」
「……はい」
「あやツられてイるのデス! 幼イ子になんトむごイ!」
人を苛立たせるのには向いた性格だ。
他人を操っているのはお前の方だろうに、という論争を吹っかけても何にもならない。
「……」
野次馬の住民たちには効果がある。
立派な法衣を着た陽灯大司という確かな肩書を持つパテシーイと、流れ者の集団。
この構図になればどっちが正しいのかわからなくなる。
先ほどまでの、理屈の通らない公権力とは違う。
「ソこにイる子供たチは惑わサれてイるのデス! 忌むベキ邪教の使イに!」
「馬鹿なことを――」
「下がってなさいと言われたでしょう」
言い返そうとしたデフィロに、ぞっとするほど冷たい声をかけたのはカヨウだ。
冬の夜の空気より冷ややかな声音で。
デフィロは黙り、パテシーイは嫌らしく目を細めた。
「ワタシがぁ? この手デ! 指デ! 救っテ差し上げマしょうネぇ」
広げた左の手の平の中で、【指】が蠢いた。
◆ ◇ ◆