法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
情報は大切だ。身に染みている。
年明け、鬼巫との関係修復とパテシーイへの対処をどうにかしなければと焦っていた。
焦るアユミチをノクサが叱った。
――あなた、何でもできる人じゃないでしょ。アユミチ。
言葉は強くなかったが、目が真剣だった。
ノクサの赤い瞳は綺麗で、見ていると吸い込まれそうなほど深くて。
そこに映るアユミチの顔は情けないほど平凡で、肩の力が抜けた。
何とかしなければ、と言っても。
鬼巫派の構成員が誰なのか、どこにいるのか。わからない。
パテシーイをどうにかすると言っても、どうすると?
殺すとしても、教会を襲撃して相手のホームグラウンドで戦うのはあまりに危険だ。
ギネイカの他にも影潰しがいるのかもしれない。
返り討ちに遭うか、仕留めそこなったら?
下手なことをして状況が悪くなるのは前回思い知ったのだ。
――アユミチってさ、結構甘えん坊さん?
ノクサが簡単な悪戯を思いついたように微笑み、アユミチを揶揄する。
――ノクサが留守にしてもいい子で我慢できる?
今までノクサと離れていたのは、捨て森でヘレボルゼ――アニラービーが暴れた時の数日だけだった。
それ以外は片時も離れていない。
……離れていないと、思う?
――蝶々まで警戒してることはないでしょ。
お母さんに任せなさいとでも言うように、平らな胸をぽんと叩いて笑った。
◆ ◇ ◆
「いい子にしていたから、だな」
焦る気持ちを静めて、情報収集をノクサに任せてできることをやった。
廃教会の人々が町に馴染めるように、周辺の住民の困りごとを聞いて手を貸したり、ドブさらいをしたり。
差し入れと称して酒を届けた。一軒一軒に。
うまいだけじゃない。病気によく効くから。
どんな病気も治る万能薬になる。もし困ったら言ってくれ、と。
真っ青な顔をした女が雪の中を訪ねてきて、死病でも治せるのかと泣きながら聞かれた。
酒を持っていった家で、実は家族に気になる症状が……と言われたこともあった。
暮れからずっと咳が止まらない家族がいる。灰息病かもしれない、と。
知られたら町を追放される。捨て森もなくなった今だと家族ごと焼き殺されるかもしれない。実際、町の南部でそういう事件があったとか。
不安を抱える彼らに薬を与え、内密にしてくれと頼んだ。
金はいらない。あまり公になると大騒ぎになる。
近隣住民たちの間で、この一か月の間少しずつ評判が上向いていった。よそ者だが信頼に足る、と。
ノクサに言われた通り、できることをやっていい子にして待っていたから。
その結果、パテシーイが仕掛けてきたこの場がアユミチのホームグラウンドになった。
無闇やたらに動いたのではない。今のアユミチができることをやっただけ。
ノクサもまた、小さな体を生かしてパテシーイ達の話を盗み聞きしていただけ。
エクピキの教会の空気が合わなくて、胸やけがするとは言っていたけれど。
パテシーイや陽灯司、手伝いの信徒たちの不道徳な日々については、けっこう面白かったとも。
恥ずかしがるような年齢ではないだろう。ゴシップ好きのおばさん的な見方で。
鬼巫の隠れ里の場所の調べがついたらしいこと。
この町にエクピキ教の手勢はごくわずか。特に今は中央に集まっているとのこと。
ヴォラス行政府は日和見傾向だということ。
なんでもトローメ南部で大きな反乱があり、その余波で各地で一揆のような機運が高まりつつあるとか。
鬼巫派がエクピキ教団との全面対決に備えているなど。
テレビもネットもないこの世界で、高い確度の情報を得るのは難しい。
行政府の責任者や、国内全域に影響力のある教団の幹部のところになら情報が集まりやすい。
アユミチでは知り得ない情報をノクサが集めてきてくれた。
屋根裏で小型イタチに襲われた時の華麗な活躍も聞いたが、それはまあいい。
ノクサも大変だった。心の底から感謝する。
あと、やっぱり離れ離れは不安だなと言ったら、もうっもうっって肘で頬をつつかれた。
そして襲撃計画当日。
先に打ち合わせをしていた。仲良くなった住民には、アユミチが何かするまでは静かにしていてくれと。
デフィロには、期待した以上の振る舞いを見せてもらった。
本当に偉い子だ。
『ノクサの情報までは聞けてなかったみたいね』
「蝶に気をつけろとは言わなかったんだろ」
ビッテスは知っていたはずだ。アユミチがノクサを女神の使いと言っていたことは。
奇妙な蝶だとは思ったのだろうが、印象には残っていなかった。
彼女が無能というわけではない。アニラービーや死病のこと、ゼラやファニアといった情報の比重が大きい。
なんならジルボン師という陽灯司がアユミチに協力しているという情報の方が、黒いアゲハ蝶の話より重要性が高いかもしれない。
ビッテスが報告していたとしても、記録をまとめる者が、蝶の話など省略したとも考えられる。
ノクサのことに限らず、アユミチ達は捨て森で始末が終わったと考えていたか。
こんな奴らがいたけれど処分した、という報告程度だったとしたら、蝶の話など伝える必要性が乏しい。ほぼない。
アユミチにとってこの世界で最初の協力者で、一番頼りにしている仲間。
ノクサを知らなかったことがパテシーイの敗因だ。
「――っ」
ちらりと後ろを見れば、極限まで集中を高めたカヨウがアユミチを見ている。
行けます。
やりますか、という目で。
「ああ」
リグラーダの短剣の柄を握りながらカヨウに頷いた。
今、ここで使う。
最大の切り札を。
「あれはなんだ!?」
冬の夜空に流星のように光が走った。
ほうき星のように尾を引いて近づいてくるそれは、まさしく神の使い。天の車。
黄金の戦馬車を引く二頭の天馬が、廃教会前に向かって空を駆けてきた。
「こっちに来るぞ!」
「避けろ! 押すな!」
群衆も兵士も、慌ててその通り道から逃れようと離れていく。
当然だ。天馬でなくとも戦馬車の通り道に入れば無事では済まない。死ぬ。
死んだことがあるアユミチだからよくわかる。
「お、ぁ……?」
「司祭さま……司祭さま、どう……」
道に沿って降りてくる軌道で、完全に車線軸の延長上にいるのがパテシーイと彼が連れてきた信徒たち。
虚ろな目をした彼らだったが、空から舞い降りる天馬の戦馬車を目の当たりにして驚愕が勝る。
パテシーイより簡素な法衣をきた陽灯司も、どうしたらいいかとパテシーイと天馬を見比べて口をぱくぱくと。
「構イませんヨ!」
「死ぬぞ」
「イいエ! 死にまセんカラ!」
動揺しない。
パテシーイは心を乱さず、迎え入れるように両手を広げた。
左手の【指】が不気味に蠢く。
しまった。
アユミチの誤算か。パテシーイには何か確信がある。
ギリギリで
死を覚悟したわけでもあるまい。アユミチに勝つ手段があり、それをアユミチは想像もできない。
ギネイカの位置は、ノクサから聞いている。
側面。廃教会の柵と小さな木の陰からアユミチをいつでも殺せる構え。
カヨウの術を邪魔しなかったのも彼らの計算の内なのか。まずい。
おろおろと逃げる信徒たちを背に、余裕の笑みを浮かべるパテシーイ。
しかし既に切り札は切ってしまった。
『アユミチ、横よ!』
「くそっ」
一気にケリをつけようと考えたアユミチが間違っていたのかもしれない。
最悪でもカヨウだけは絶対に守ると、リグラーダの短剣を抜く。
「さア! サあ! 神のちカラを知りナさイ!」
バッタの足を千切る子供のような笑顔で大きく手を広げたまま、天馬の戦馬車の中に飲み込まれた。
パテシーイが何をするつもりか見極めることなど、側面から襲い掛かってきたギネイカが許すはずもなく。
◆ ◇ ◆