法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
北府に女神が降臨するより二十日前に遡る。
鬼巫アハラマの花札、白のレフカースは、緑のクロロテッサと共に冬の街道を南進して南部の町に辿り着いた。
数名の院仕隊の兵士たちも同じく。
院仕隊の兵士たちに交じる一人の女。ビッテス。星光のビッテスは旅の間中頬を赤く染めていた。
発情するかのようにだらしなく頬を緩め、目を潤ませて。
「レフカ」
十日以上の行程となれば花札単独では行動させられない。
単独で最も長く活動できる黒のマベラなら不可能ではないが、それとて息苦しさで能力が落ちる。
宿でクロロテッサと寄り添い、互いの巫気を吸い、補い合う。
「あれは貴女をからかっているのよ。いちいち気を荒立てるのはやめなさい」
「……」
クロロテッサは花札の中で一番年長だ。
南部反乱軍のファニアの真意を確認する為に選ばれたのは妥当な人選。
一人で行かせられないから他の誰か。
赤のコッキノは論外。青のキュアナはクロロテッサの代役としてアハラマの近くを離れさせにくい。
消去法でレフカースしかいなかった。
最も経験豊富で院仕隊副長ビッテスに対抗し得るクロロテッサと、サポートとしてのレフカース。
ファニアがいたのなら、護衛として彼女は非常に有能だった。
いや、ファニアは鬼巫の隠れ里の生まれではない。
巫気を分け合うことができないから無理か。考えても仕方がない。
「彼女の手管は貴石の魔法。極めて強力だけど何度も続けられない。私たちを確実に仕留められるタイミング以外で何かしてくることはないわ」
「……わかってる」
「今はファニアちゃんのことよ。本物だとしても、どう転ぶかわからないのだから」
南部で反乱軍を指揮しているというファニアに対する使者として来た。
目的、要求は何なのか。
なぜ反乱など起こしたのか。
トローメ王国への忠誠……などレフカースも全くないが、鬼巫への忠心はどうなのか。
「あれは……里の生まれじゃない」
「そうね」
「私たちとは違う」
過去にも、外界から花札となり里に迎えられた女はいる。
閉ざされた世界に新しい血が入ることは歓迎された。鬼巫に認められた女だから、という前提だが。
女にも恩恵はある。
鬼巫の巫気を宿せば、外界の人間よりも老いにくい。
それは人の身として他では得難い強い魅力。望んで手に入るのなら誰もが欲する恩寵だろう。
まさに神の奇跡。
エクピキの醜悪な治癒術などとは違う。
女神スカーアの
「彼女が私たちと同じ思考をするとは思わない方がいい」
「レフカちゃんは本当に固いのねぇ」
「クロロテッサ」
「はいはい、わかってるわ」
ファニアは花札に混じった異物だった。
生まれ育ちも考え方もレフカース達とは違う。
鬼巫の名を表に出して反乱など、国に対してではなくアハラマに対する反逆だ。
許せない。
「ファニアちゃんがいた頃から、ずっと厳しく当たっていたものね」
「別に……」
「ラハ様がレフカちゃんより気にかけたから? レフカちゃんってほんと可愛い」
「そうじゃない。違う」
融通の利かないレフカースに、クロロテッサはいつもこんな風に言う。
いつも通り。
ビッテスと同道してきて余計に張りつめていた気持ちが少し和らぐ。
「大丈夫よ」
「……」
「本当にファニアちゃん本人だったとしても、ラハ様がレフカちゃんより大切にするはずないでしょう」
「見透かしたように言うのはやめて。クロロ」
「はぁい、ごめんなさい」
そう、いつも通り。平常心で。
今、レフカースが任されている仕事は極めて難しい対応。
臨機応変に動かなければならない。
「最悪、ファニアの偽物と反乱軍と星光のビッテスを相手にする可能性もある。私たちでも簡単じゃない」
「うまくいけば、揃ってビッテスをやっつけちゃうって線もあるんだけど」
「あの性悪が素直にやられてくれるなら、それこそ可愛いものです」
そうねえ、と笑うクロロテッサの影が揺れる。
ビッテスの異常性は承知している。ただ強さ比べで決着がつく相手ではない。
それでも絶好の好機には違いない。
好機なのだ。
スカーアに目覚めの兆しがあり、トローメ王国が大きく揺れてエクピキ教の影響力も低下してきている。
これまでなら、エクピキ教に不利益な揺れがあれば国軍や院仕隊が動いて即座に摘み取っていた。
去年の捨て森の異変で、太光師とビッテスが身動きを取れないほど消耗した。
ただ怪我をしただけならすぐに復帰するはずの連中が、生命の根源を脅かされるまでの危機。
それが
西港ディサイが陥落し、陽輝卿エヴェニスを始めとして陽灯司や教団施設が襲撃された。
それに対する行動も散逸的で、太光師どもが本当に消耗していたのだと確信する。
同時に、教団本部の静けさを不気味にも感じた。
スカーアに目覚めの兆しがあったように、エクピキ本体にも何かあったのかもしれない。
ことここに至れば、先に復活を果たした方が優位を取れるだろう。
決定打は何か。
たとえば、ゲニーメ主光を討滅しスカーアに捧げれば。
あるいは、鬼巫アハラマの聖体がエクピキに捧げられたら。
復活の決め手になり得る。
危うい状況。王都を去って隠れ里に帰る意見もあった。キュアナから。
しかしそれではむざむざエクピキの復活を許すことになるかもしれない。
王都にいるからこそ、ゲニーメ主光を殺す機会もあるかもしれない。
ゲニーメ主光を殺すとしても、教団の戦力はできる限り削いでおきたい。
その筆頭格が太光師どもと影潰し最強と呼ばれる星光のビッテス。
彼女自身、それがわかっていて自ら囮になっている。誘われている。
下手を打てば逆賊として軍を差し向けられるのだ。
やるなら絶対に殺す。
そして、そこから引き返せないスタートになる。
トローメ王国が滅びようがなんだろうが、スカーアの復活を叶え鬼巫の里を楽土とするまで。
ファニアが、もし本物のファニアが南部の反乱を引き起こしたというのなら、彼女はきっと鬼巫の為に動いている。
南部の反乱は既に王国全土に伝わり、人々の不満は支配者階級だったエクピキ教団に向いている。
レフカース達にとって有利な状況。
絶好機なのだ。今、この時が。
「だけど」
千載一遇などというものではない。
神がこの地から消えて千年以上、人の歴史の中でこの瞬間は二度とない節目になる。
そこに居合わせ、重要な役目を負うことに唇を結ぶレフカースに、クロロテッサはまた見透かすように微笑んだ。
「最悪の場合ってさっき言ってけど、ね」
「うん?」
「最悪の場合は」
ふわりとレフカースを抱き包み、背中を撫でながら囁く。
「本物のファニアちゃんと、影潰しビッテスをまとめて相手にする、じゃないかしら」
「……」
「生き延びたファニアちゃんが必ず私たちの味方なんて、だぁれも保証してくれないんだから」
「……そうですね」
強く意志を持っているつもりだったけれど。
レフカースの心に甘えがあったかもしれない。
クロロテッサはいつも見透かしたように、こうしてレフカースを導いてくれる。姉のように、いつも。
◆ ◇ ◆
「さすがに警戒されてますねぇ」
花札の中でおそらく最も腕の立つ白のレフカースと、最も頭の切れる緑のクロロテッサ。
力押しで殺してしまえなくもないけれど、それは美しくない。
美しくないものはつまらない。
せっかく花を
天のエクピキもそう仰るに違いない。
それに、今のビッテスの関心は二枚の花札の方ではない。
ファニア・イア・イオルテ。あの捨て森の爆発から生き延びていたとは。
「アユミチ君が生きていたというのも信じられませんけど、何かご存じかもしれませんしぃ」
本人以外に名を
ファニア本人なのだろう。
そういえばアユミチ達と戦った時にあの場にいなかった。
ディサイ軍の襲撃も受けていて、他の場所にいたのだろう程度にしか思わなかったけれど。
「花札よりも悦ばれると思うんですよぉ。彼の方が」
名の知れぬ女神を崇めるというアユミチは、世界にとって異質な存在。
エクピキの脈動も、彼が現れたことに呼応しているように思われる。
鍵は、きっとアユミチだ。
エクピキの復活がビッテスに永遠の悦楽を与えてくれることは疑いない。
花札とのお遊びなんて幕間の余興に過ぎない。
それでも、手出ししやすいように他の影潰しは連れずビッテスだけなのに。
ファニアと合流して三対一で確実に殺そうと考えているのか、とも考えたがそれも少し違う。
花札の方も、ファニアの出方を量りかねて迷っている。
端々の言動、表情からそれは読み取れた。
「リグラーダさんも死んじゃったし、新しく可愛い子もほしいんですけど」
ただ顔が可愛いだけではつまらない。
レフカースのような気の強そうな敵対者なら、堕として教育するのも楽しそう。
花札は自動で自害すると聞くから手に入れるのは難しいか。
「拉致ってしまえたらいいのに」
つい妄想が広がってしまい、濡れた舌でべろりと唇をなめた。
色々と溜まっている。遊び相手の陽灯司も連れてこられなかったから。
「明日は、乱暴な気持ちになっちゃうかもしれません」
舞台が整えば、視線が集まれば。
ただの暴力も美しい芸術に昇華するかもしれない。
ビッテスを愉しませてくれることを期待しよう。
◆ ◇ ◆