法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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5-25.事象の水平線

 

叉波王(ざはおう)のないトローメなど恐れる必要などない!」

「我がティルソに栄光を!」

「父祖の怒りを奴らに思い知らせよ!」

 

 海を挟んでトローメ南に位置するティルソの国土は貧しい土地が多い。

 海産物と貿易が産業の柱になるが、海洋権益の多くはトローメに牛耳られてきた。

 トローメ海軍の打倒はティルソの悲願。

 五年前、先王クムスを敗死させた海戦は国を沸き立たせた。

 百隻近い軍船を撃破されておいて勝利とは言い難い惨状だったが。

 

 あれから五年、さらなる勝利を求める国民の声があったからこそ、海軍の船団を復旧できた。

 西港ディサイをホスバルドルが攻め落としたという報告が入る。

 ならば我らも。

 どれだけ急いでみても、大戦を仕掛けるとなれば今日明日でできるわけもない。

 年が明け、冬だというのにしばらく安定した天候が続くと気象官からの見通しに、ティルソ全体が盛り上がってしまった。

 

 ホスバルドルに後れを取るな。

 ティルソこそがトローメを討つべき。

 完成した大艦隊をもってティルソの民に勝利を。

 

 条件は整っている。

 トローメの弱体化は明らかで、先の戦以降叉波王がまともに戦っている気配がない。何か不具合があるのだ。

 しばらく天候が落ち着くのであれば、まず一撃加えて国民感情に応えるのは悪くない。

 

 

 ティルソの女王エリッサ・ティルソは、太陽神ポスフォスの名の下に命を下した。

 

 

 その結果、新たに建造した旗艦と共に彼女は海に沈んだ。

 新造艦を中心とした大艦隊の大半も、もろとも海の藻屑となる。

 

 冷たい冬の海で意識を閉ざす前に彼らは思い出していた。

 三百年の間、付近海域を支配し続けたトローメ海軍の精強さと、大海魔カルマリィから作られた怪物戦艦叉波王(ざはおう)の恐ろしさを刻み付けられながら、暗く冷たい海に沈んだ。

 彼らの太陽の旗と共に。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「国主、ですかぁ?」

 

 頭を下げろと言われても、下げる必要はない。

 今のビッテスは国王ネロの使者。代理人だ。

 国王が他の誰かに膝を屈する必要はない。相手が上位者でなければ。

 

「それって反逆? じゃあないんですかねぇ?」

 

 面白い。楽しい。

 ビッテスは意外なことが好きだ。

 戦闘は、得意だけれどそれが好きなわけではない。相手をいたぶって挫けさせるのが好きなのであって、戦闘行為そのものは退屈なことが多い。

 普段から全方位をだいたい知覚できてしまうビッテスにとって、戦闘中に意表を突かれることは少ない。

 

「ニーモ殿下、でしょうか? ネロ陛下の弟君の?」

 

 十を過ぎた程度の少年の顔立ちは、確かに国王ネロと似た雰囲気がある。

 しかし、先王クムスの死後からずっと表舞台に姿を見せなかった王弟だと言われて、はいそうですかと認めることもない。

 たぶん本人なのだろうな、とは思う。そういう匂いがする。

 だが、殺してしまって偽物を擁立した彼らの退路を断つという道もある。どうしようか。

 

「正当なるトローメの国主であらせられる。わきまえよ、院仕隊副長」

「そう言われましても、ねぇ?」

「……」

 

 花札の二人も全く知らなかったようで、戸惑いながら半歩下がっている。

 ビッテスの連れていた院仕隊の兵士たちは、ビッテスが頭を下げないので迷いながらも手を揃え会釈するような角度の姿勢。

 

 

「私たちぃ、ネロ陛下の名代で来ているんですよぉ。ずっとお会いしていないニーモ殿下のお顔は知りませんしぃ、兄王のネロ様を差し置いて国主だって言われましてもぉ」

「ニーモ陛下が持たれるは海の至宝。千海の中子(なかご)。トローメ王国国旗にも描かれているのを見覚えていよう」

 

 薄っすらと光を放つ濃紺の宝玉。

 光っている。光を反射しているのではなく、玉自体が。

 宝石……ではない。貴石を扱うビッテスだからわかるが、鉱石ではない。

 

「トローメ国主に伝わる正当な王の証である」

「そんな風に聞きますけどぉ」

 

 他国でいえば王冠や玉璽に当たる国宝だ。

 王の証と言えばそうかもしれないが、その御物を持っていれば王だと言うなら誰でも王になり得る。

 

 

「千海の中子? それが本物だって言えるんですかぁ?」

 

 一見するだけで異様な力を秘めている宝物。間違いなく本物だ。

 けれど、それをどう証明する? 何か手があるのなら見てみたい。だから煽る。

 

「私から言わせてもらいたい。よろしいかな、エクソト伯」

「お頼み申す、ノーテス卿」

 

 さらに後から続いて出てきた壮年の男を、カッダ・マノスがノーテス卿と呼んだ。

 南部反乱軍の拠点に来たはずが、南部領主である南港ノーテス領主がいる。

 既に根回し済みだったか。

 

 

「つい先日のことゆえまだ王都には伝わっていないかと思うが、ここに」

 

 今度は南港の兵士たちが大きな旗を持ち込み、それを広げて見せる。

 南蛮ティルソの旗。それも王旗。

 

「身の程も知らず攻め寄せたティルソの艦隊を、ニーモ殿下……ニーモ陛下が見事打ち破られた。王船叉波王(ざはおう)を指揮し、完膚なきまでに」

 

 少年ニーモの横で膝を着き深く頭を下げた。

 

「ニーモ陛下こそトローメ国王であらせられる。先王クムス陛下亡き後、眠っていた叉波王が応えたこれこそトローメ王たる証」

 

 なるほど、なるほど。

 とても面白い展開。

 ただの反乱軍討伐などではなくて、これはトローメ全土を巻き込む大戦になる。

 どうしよう。

 どうした方が楽しいだろうか。

 

 この場に集まった全員丸ごと無差別魔法で殺してしまうのは?

 できなくはないと思うけれど、きっとビッテスも死んでしまう。討ち漏らしも出てくる。

 世界中が相争う様子を見届けたいし、そこできっとエクピキの復活も成し遂げられる。

 ここでせっかくの特大の火種を潰してしまうなんてもったいない。

 

 

「使者殿、お分かりになられたか?」

 

 キデ・マノスが場を仕切り直すように尋ねた。

 一同、膝をついた姿勢から直り、少年ニーモを守るように重心を置きながらビッテスを見ている。

 花札たちに言葉はない。鬼巫本人が来ていれば何か言えただろうが、しょせんは使い走りの部下では国を分断する話に口を挟める度量はない。

 何が鬼巫の利益になるか、まったく読めない。

 その点、ビッテスは何も気兼ねすることがない。

 今のトローメの情勢であれば、何をしてもエクピキは悦んでくれるだろう。

 

「こぉんな大事、王国の臣下の身では何も言えませんよぉ」

 

 成り行きを見守りたい。

 火種がもっと大きくなって、捨て森を焼いたよりもっと強く激しい猛火で国中を焼き尽くして、エクピキの復活を迎える。

 

「ひとつだけ、ニーモ殿下に……ニーモ様にお言葉をいただきたいのですけどぉ」

「臣下の身で――」

「構いません、エクソト伯」

 

 初めてニーモが口を開いた。

 力強くはない。言ってしまえば弱々しい。

 父王を失くしてから病床に臥せっているという噂だったが、本当に肺が細い声。

 

「ありがとうございますニーモ様。お言葉にあまえてぇ」

「……」

 

 ビッテスの甘い声音に敵意の視線がいっぱい集まってくる。すごく気持ちいい。

 お綺麗な顔のニーモがどんな表情を見せてくれるか。

 

 

「お兄様にぃ? なんとお伝えすればいいんでしょうかぁ?」

 

 血を分けたお兄ちゃんに、なんて言ったらいいの?

 お兄ちゃんを蹴落として王様の椅子を奪う弟を許して、とか。

 

 

「兄には……」

 

 ビッテスの記憶によればネロが十三歳。ニーモが十一歳。

 兄弟姉妹を相争わせるというのは、古代から余興として行われている。

 奴隷剣闘士の兄弟だったり。

 影潰しとして集められた姉妹だったり。

 

 嫌がるからやらせる。嫌がるから楽しい。死ぬ間際になれば死に物狂いになるからたまらない。

 それを王家の兄弟でやらせたら、どれだけ興奮できるだろうか。エクピキもお歓びになる。

 

「王としての務めを果たします、と。ニーモがそう言っていたと伝えて下さい」

「確かに、承りましたよぉ」

 

 決意は固いという意味なのだろう。

 もっと人間的な言葉を期待していたけれど、この場では仕方がない。

 やはり直接対面させてあげなければ。

 

「確かに、星光のビッテス。ニーモ陛下の御意志をお兄様にお届けしますぅ」

 

 兄弟の涙の対面の為にビッテスができることをしよう。

 トローメの最期を飾る尊い二人の為に、盛大な送り火を。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 ファニアとの再会を意識しすぎていた。

 南部反乱軍との公式な会談だというのを忘れ、ファニアやビッテスといった個人にばかり目が向いていた。

 不測の事態に何も言えない。

 

 レフカースは、皆に言われるように臨機応変な対応は得意ではない。

 手合わせ訓練でコッキノに勝率が悪いのは、コッキノが直感で動くタイプだからだ。

 ペースを乱された時は仕切り直したいが、この場でレフカースが仕切り直すことなどできなかった。

 

 クロロテッサならうまくやれるのでは?

 そう思ったが、クロロテッサもまた口を閉ざしたまま。

 ファニアとの喧嘩腰なやり取りに口を挟んで和ませるかと思っていたのだが、それもなく。

 最初からクロロテッサに仲裁を期待していたつもりではない。けれど。

 

 

「……?」

 

 会談の途中から入ってきた一団は、また取り留めがない。

 そもそも反乱軍、義勇兵の集まりは不揃いの集団だったのであまり気になることでもないが。

 

 クロロテッサの瞳が映しているのはニーモではない。

 トローメの王が誰だろうと、忠誠心で仕えているわけではない鬼巫派としては一大事ではない。

 内乱による不透明な先行きは心配だが、ニーモ本人に強い関心を持つかと言われれば違う。

 だとしても、重要人物のはず。

 

「クロロ……?」

 

 この場で最も警戒しなければならないビッテスのことさえ忘れたように。

 ファニアの後方、大広間の端に母娘がいる。

 女給、小間使いだろうか?

 

 ニーモより幼く見える娘は、彼女の背丈より大きな捻じれた木の棒を抱えている。

 なぜこの場にいるのかよくわからない。気にするほど重要な人物には見えないが。

 

 

 

 だから、そう。

 王都への帰路、クロロテッサが幼女プレヴラを(さら)って逃げ出した時にレフカースは混乱した。

 混乱して、けれどもう戻れずクロロテッサに従うしかなくて。

 クロロテッサを責め立てるレフカースを影に潜んでいたマベラが止めた。

 

 だって、どうして。

 こんな意味のないことをして、戦乱間際のトローメでアハラマの立場をさらに危うくするなんて、全く意味がわからない。

 何もわからない。

 何もわからないレフカースの怖さを、マベラはぎゅうっと抱きしめて包んでくれた。

 クロロテッサが意味のないことをするはずがない。

 そう、そうだけど。

 だったら話してほしいのに。

 

 

 そういえばクロロ。

 どうして、ファニアに何も言わなかったの?

 恩人アユミチが生きていることも伝えず、ファニアが保護していた幼女を誘拐するなんて。

 

 レフカースが頼りないから何も教えてくれないのだと泣いた。

 泣いたレフカースにマベラはいつもより優しく、ずっと、抱きしめてくれていた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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