法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「わかってるからちっと落ち着け!」
ステンに対してムンジィも声を荒げ、それから深く息を吐いた。
俯いたままのコニーはプレヴラの服を握りしめて震えている。
「プレヴラの嬢ちゃんは絶対に助ける。そんなの当たり前だろうが」
油断していたと言われれば否定できない。
何かことを起こすなら星光のビッテス。そちらにばかり気を張って、まさか花札の方がプレヴラを誘拐するなど考えもしなかった。
会談を終えた翌日、忌々しいビッテスが帰るのを見届けた。
最後にムンジィに、あなたも生きていたんですねぇなどと笑い、
ゼラの仇。リグラーダもこの女からアユミチを守って死んだ。カハロの母親も。
ムンジィが逆立ちしても敵う相手ではない。
アユミチの無事を知らなければ、無意味に襲い掛かって死んでいたと思う。
この女は必ず倒す。今は無理だとしても、アユミチと合流して必ず。
鬼巫の使いだって、見ていた限りこの女とは明確に一線を画していた。
彼女らもファニアに劣らぬ使い手だと聞く。手を借りることができれば、確実にこの女を――?
いない?
――先に帰っちゃったみたいです。嫌われているみたいで寂しいですねぇ。
プレヴラの姿がないことに気づいた時には既に二人の花札は町を出ていて、後で目撃証言からプレヴラを連れ去ったと知る。
コニーは朝からプレヴラを探していたらしい。
昼頃になって事態を皆が知り、しかし身動きが取れない。
宣戦布告に等しい宣言をした後だ。各地にニーモが正統な王であると発して戦に備えなければならない。
ファニアは動かせない。ファニアが動けない以上、他の誰が花札やビッテスの後を追えると言うのか。
「ステン、すまない。コニーも」
忙しいだろうに、コニーの顔を見に来たファニアが頭を下げた。
「連れていった花札はクロロテッサ。普段は冷静で決して感情任せで動くような女ではないはずなんだ」
「じゃあなんで……っ」
ファニアに怒鳴り返しそうになったステンが口を
「すんません……ファニア様のせいじゃあないのに」
「構わない。アスパーサにも聞いてみたんだが、やはり読めないと言っていた。昨日の会談の準備でかなり疲れていて、後で来ると言っていた」
アスパーサの先読みは強力な力だ。
絶対ではないが、かなり優位に事態を運べる。
国中が乱れていて先が見えづらい情勢だが、今日明日の一部に絞って予見してもらっていた。
どうすれば話がうまく進むか、見えにくい中を何度も探って、無理をして。今はひどい頭痛に苛まれ起きていられないほど疲弊している。
プレヴラの誘拐まで見通すというのは範囲外。
「しっかし、わかんねぇ……なんだって嬢ちゃんを攫ったりするんだ」
「皆さん」
小さく震えていたコニーがぽつりと。
「お心遣い、ありがとうございます。プレヴラの為にこうして心を砕いていただいて、皆様の優しさはあの子にも届いていますから」
「コニー、だけどよぉ……」
「ステンさん。あの子はきっと無事ですから。今はそう信じさせて下さい」
何もできない。
なら、今は無事と信じる。
ほどなく王都に向かうのだ。無事でいてくれさえすれば助ける機会はある。
「私にもわからない。なぜプレヴラを連れて行く必要があったのか。連れ去るとなれば手が塞がる」
「姐さんの言う通りだ。それなら……なんでもねえ」
余計なことを言いそうになってムンジィは首を振った。
邪魔者なら殺した方が楽。生きていれば人質なりの使い道がある。
そう言いかけて、さすがにコニーの前で言っていいことではない。
「……アユミチの旦那が生きてるってのは、あっちも知っているんですかね」
「ああ、それなら……あぁ、知っているらしい」
即答しかけたファニアが言い淀み、もう一度頷き直した。
それから少しバツが悪そうに、
「花札の秘儀でな。影を通して少しだけ聞いた」
会談の前後を通じて、花札たちとファニアが密談するタイミングはなかった。
しかし何らかの形で情報交換はしたらしい。
「アユミチはディサイから離れ、今は北府にいる。ジルボン師や他の仲間もいるようだ」
思いもしなかった名前に皆が面食らったように戸惑い、少しだけ頬が緩んだ。
あの坊さん達も無事だったか、と。
「連中がアユミチの旦那のことを知ってんなら、読めたぜ」
プレヴラを誘拐した理由。
子供を攫って鬼巫の連中に何があるのかと思ったが、この場合なら子供の方が役に立つ。
合点がいった。
「俺らに対してじゃねえ。旦那に対しての人質だ」
鬼巫たちから見てもアユミチは未知数の存在。
ファニアが味方かどうか見極められなかった彼女らは、アユミチと縁のある子供を攫った。
「クロロテッサは……そうだな」
口元に手を当てて少し考えてから、ファニアが小さく頷いた。
「アハラマ様の為になら何でもする、か」
◆ ◇ ◆
「うまくやってんじゃねえか」
「お褒めに与かり光栄ですよ、アルゴ・ノーツ殿」
秋の争乱から年を越して、西港ディサイは表向きは平和な日常を取り戻しつつあった。
「本国から兵糧攻めに合うことは予想できていましたので。町の住民との関係を円滑にできたのはあなた方のご協力のおかげです」
「は、そいつはよかったぜ。つーか、あんたんトコのメムナーンだな。ディサイの兵士どもをうまく扱ってやがる」
「彼は元々トローメ人ですからね」
アルゴ・ノーツと奴隷海将ジナミナを協力者として。
ホスバルドルの占領軍指揮官ノアカッセのディサイ運営は、この数か月に限ればうまく回っていた。
マクリアス家とディアホラ家が溜め込んでいた資産を使い、必要な物資食料は適正な価格で買い付けた。
今までディアホラ家がみかじめ料として取っていた税を廃止し、その半分程度を改めて税として設定。
暮らし向きが楽になった住民たちは、次第に新しい支配者に寄っていく。
大きな商売人の元締めとしてのディアホラ家がなくなったことで、商業界隈も明るく。
恒久的にこのままではないにしても、ノアカッセは別にこの町をずっと統治していくわけではない。
今はこれでいい。
「トローメ人、か……あんたも、ホスバルドルの生まれには見えねえが?」
「母が西方の少数民族の出なので。妾でしたが」
「悪いことを聞いたか」
「別に。どこにでもある話でしょう。トローメ王宮にも、王の盾ディドラー殿も北方異民だとお聞きしますし」
国元で散々言われたこと。悪意なく質問されたくらいで今さらどうとも思わない。
「戦の後、貢物で女子供を送ってくるんだと。聞いた話じゃ、百人の奴隷の代わりになるっつって来たのがそのディドラー殿さ」
「百人以上の価値がありましたね」
「乗り込んで王を殺してトローメを滅ぼすつもりだったとも聞いたな」
「どなたがそんなことを?」
「先王クムスさ。酒の席で笑い話にしていたそうだ。自分が暗君なら自分の盾に殺されるってよ」
名君の器だったという話は聞く。
腐ったトローメを建て直そうと精力的に動き、その結果腐ったトローメにより排除された。
「ディドラー殿に限らず、そりゃあ色々あるだろうぜ。どこの女に産ませた子供かもわかってない奴もいるくらいさ」
「トローメは特に、家中で女の立場が弱いと聞きます」
「それでしっぺ返しを食らう奴もいる。最近で言やぁ陽輝卿んトコだな」
「あなたが言いますか」
「他の誰が言うんだよ」
はっと笑って酒を呷るアルゴ。
怪我はだいぶ良くなっているようだ。
ジナミナの方は、異常な回復力で既にほぼ完治している。
意外とメムナーンと仲良くやってくれていて、ディサイの町ではわりと人気の二人になりつつある。
「この様子じゃトローメはもう持たねえ。エクピキの威光とやらももう終わりだ。近くでトローメを食い荒らそうとしてる連中に任せるよりか、いっそあんたが新しい王にでもなった方がいいと俺ぁ思ってんだぜ」
「そんな器じゃない自覚くらいはありますよ。混乱期の王には強引さが必要でしょう」
確かに、トローメの体制は大きく揺らぎ、破綻してきている。
教団と王国の利害が一致している間はよかった。
しかし、教団の力が重くのしかかり、王国はそれを支えきれない。
癒着ではなく利用されてきた行政が、教団ごと倒れていく。
「……不気味ですね」
「あん?」
「エクピキ教団です。このままでは自分たちも潰れることは目に見えているのに、何もしていない」
莫大な財力を持ち、影響力も王家よりも大きい。
信徒に声をあげさせ何か手を打つわけでもなく、自らが何か動く様子もない。待ちの姿勢。
「嵐の気配ではないのに海がおかしい。そんな印象です」
「不気味っても、元々がおかしい奴らだ。だいたい、痛みで射精しちまうような治癒術が気味がわりぃと思うんだが」
「ええ、確かに」
人を依存させるような治癒術。快楽中毒の麻薬のように。
「エクピキ神はなぜあのような奇跡を人に与えるのか。最初から人を堕落させるのが目的のようにも」
◆ ◇ ◆
トローメ王国の権力中枢にあって、異質な境遇の少女がいた。
大半が政略結婚の使い道しかされない女子。身体には傷ひとつなく、口数は少なく口答えせず。着飾るのも嫁ぎ先に気に入られる為。
トローメの貴族社会ではそういうものだった。特に権力中枢に近ければ近いほど。
少女は、父にいっぱいの愛情を表して、父もまたそれに応えた。
少女が父を父親にした。
父は初めて人の愛を知った。
少女に父がいなかった。
少女に父はいてはならなかった。
少女は星空に父を描き、星の瞬きを父の声と聞いた。
彼女たちは既に王都にない。
異質な少女たちの足跡はトローメ王国を大きく捻じ曲げ、その歪みからたくさんの命が零れ落ちた。
◆ ◇ ◆
「パテシーイが死んだか」
ゲニーメにはわかる。
【指】を分け与えた者が死ぬ時、それまで刻み付けてきた人々の声が下腹から伸びる【指】に伝わってくる。
喜び。悦び。歓び。
エクピキへの感謝と愛の震動はエクピキを強く奮い立たせる。
素晴らしい。
この時の為にパテシーイは生まれてきたのだ。
他の陽灯司たちもそう。
人々の痛みを癒し、彼らの魂がエクピキの嘆きを癒す。
神と人を繋ぐ道が広がればエクピキが再びこの地に現れ、人は永遠に救われる。
アリロイア!
アリロイア!
復活の日は近い。
ゲニーメの少年の背丈を越えるほどにそそり立つエクピキの【指】は、既に肘まで溢れ出ている。
信徒たちの前に姿を見せることもならぬほどに。
「主光のお言葉とはいえ、よもや」
「殺しても死なぬような奴であったがな」
ゲニーメの寝台、その天幕の向こうでアパティとオルミが呻いた。
天幕の内には女たちのみ。柔らかな肌でもってゲニーメとエクピキの身を慰める。
「あれの野心はなかなかのものでございました。彼の魂をエクピキに捧げてくれたと考えるのもよろしいですな」
エクピキ復活がまさにならんとする今は、少しでも
【指】に集めた人々の感謝の言魂が注がれるのは歓迎する。
世界を救済する為に。
「王国を二分しての戦。これもまたエクピキのお導きなのでしょう」
「ひひっ! ありがたや」
「腕がなるわい」
戦。戦。
人はいつも争う。
それすらエクピキの顕現が成れば救われる。誰も争う必要などなくなる。
道を敷くのだ。遥かなる黄道を。
誰も苦しむことなどない。
「前線に出られますか、オルミ師」
「無論よ。エクピキの道を開くことこそ我が役目であろう」
「わたくしは裏に。ええ、ええ。あの可愛らしい娘っ子が北府からやってくるのでございましょう」
「パテシーイを倒したというのも気になります。私もザイドロス師にお供したいところですが……」
「そなたはゲニーメ主光のお傍を離れることはない。鬼巫達もいよいよ動くであろう」
「確かに」
太光師たちがそれぞれの役目を確認するが、ゲニーメの耳には夢現のようにしか響かない。
ゲニーメの意識が少しずつ何か別のものに変化していく感覚。
ふわふわと、ゆらゆらと、ぬるぬると。
全ての
きっと母の子宮に還る時は、このような幸せに包まれていくに違いない。
全ての人に安心して歩ける道を示す。
永遠の楽土を。
その道が繋がる未来が瞼に浮かび、安らぎに身を委ねた。
◆ ◇ ◆