法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
王弟ニーモを擁立した東部、南部連合軍が国中に激を飛ばした。
エクピキ教団に支配されたトローメ王国中央を打破し、真のトローメを人々の手に取り戻すのだ、と。
敵を明確にしたことにはメリットもデメリットもある。
トローメの国民の多くはエクピキ教信者。エクピキと敵対することを受け入れられない者は少なくない。
逆に、不平不満を溜め込んでいた国民も多い。エクピキ教司祭の横暴や
よほど敬虔な信徒であれば、自ら志願して国軍に参加して戦う者もいるだろう。
反乱軍側――王弟派側は、勢いをもって王都まで攻め上がり教団本部を叩きたいはず。
王弟ニーモが叉波王に認められたトローメ王だという喧伝は、人々の支持を集めるのに十分らしい。
東港、南港の領主がついたのも大きい。
兵力差で言えば、それでも国軍が倍以上を擁する。正規兵二十万。その他動員をして百万を数えるかもしれない。
東部南部連合軍では、海兵まで集めて五万までいかない。
義勇兵など集めて三十万まで行くのかどうか。集まったところで烏合の衆では、守備側の国軍が圧倒的に優位。
勢いを失えば王弟派に勝機はない。
「北府も腹を決めた。エクピキ教には表舞台から退場してもらう」
血の粛清があった。
アユミチがどうこう言える話ではない。
北府の行政府に根を張っていた黄帯派――エクピキ教の息がかかった官吏たちを捕らえ、処刑。
治癒術に魅入られた者であったり、それを利用して資産を増やしていた者。
日本で言えば麻薬の密売人と繋がっていた行政官僚というところか。
法に照らしても極刑にされても仕方ないのだから、アユミチが口を挟める問題ではない。
今の北府では、アユミチの言葉が神の言葉のように扱われかねない。
あいつが気に入らないと口にしたら、翌日には晒し首になっているかもしれないくらいに。
迷惑な話だが利用はできる。
ファニアに会いたい。
東港エクソト伯も協力しているということなら、きっとムンジィ達も一緒だ。
合流したいし、とにかく会いたい。
会いたい。
生きていると知って、居ても立っても居られず、だからと言って簡単に行けるはずもない。
天馬の馬車は月に一度だけ。つい先日呼び出したところだ。
乗ったとしても国内のどこかに連れていってもらえるのか。
月が欠け始めた今、万全な状態かどうかわからない。試すわけにもいかない。
ゼラのことを伝えたい。
彼女を生き返らせる。レーマ様を降臨させ、ゼラの命を取り戻す。
その為にエクピキ教団を倒す必要がある。
アユミチが説明などしなくても、ファニアはその方向で動いてくれているようだけれど。
ファニアに会いたい。
ただ、会いたい。
考えれば考えるほど、理由などどうでもよかった。
謝りたい。
誰を生き返らせるか。ゼラを選び、死んだと思っていたファニアを選ばなかった。
きっと彼女は許してくれるだろう。正しい選択だったと言ってくれるだろう。
ファニアを選びたい気持ちがあったのも本当で、言い訳を聞いてほしくて、許してほしくて。
甘えたいのだ。結局は。
ノクサやカヨウとは違う。ゼラ以外でアユミチが甘えていいと思う女性。ゼラが許してくれたファニアだから。
カッコ悪い。情けない。
そうだ、それがアユミチの本性だ。
カヨウに言われるのも仕方がないのだけれど、そんなアユミチをファニアに認めてもらい、その上で背中を押してほしい。
ゼラを救うために進めと、ファニアに。
「……ファニア」
彼女が生きていると知って心が大きく揺れ動いた。
アユミチが切り捨てた二人目の妻。
親密な関係にあったわけではないが、彼女に望まれゼラに許された女性だ。
もう一度会う機会があるのであれば何としても会いたい。
戦乱の機運は既にトローメ全土で高まり、各地で暴発を始めている。
ニーモ派としては迷っている時間はない。既に南部は王都に向けて動いているのだろう。
アユミチは北府を利用する。
女神の使いとして北府の決起を後押しする。
トローメ王国の未来の為などではない。アユミチがファニアと会う為に。
「アユミチ様、こちらでしたか」
用意された部屋で落ち着かず空が見える物見台にいたアユミチに、北府内務局ジョカン次官が声をかけた。
アユミチとの窓口担当の役割を押し付けられているらしい。
「北府総軍、出兵可能です」
朗報でしょう、と言うように笑顔で。
「年初より、周辺国の近隣都市が流行病の対応に追われているという情報に間違いはありません。こちらに手出しできる状況ではありません」
「そうですか」
寒い時期に流行るインフルエンザのようなものだろうか。
地球でもペストやコレラが戦争に影響したような歴史があったと思う。
「これも女神レーマ・ルジアの御威光のおかげでしょう。エクピキを倒せと」
ただの偶然だと思うが、そういうことにして畏怖を高めるのもいいかもしれない。
他国の動きを気にせず動けるのはありがたいので、本当に神の加護のようにも感じる。
「なら、王都に攻め上がってエクピキ教団を討ちましょう」
「レーマ・ルジアの名の下に」
そんなに大層なものじゃないとアユミチの口から言うわけにもいかないが。
ジョカン次官の誇らしげな表情に苦笑を返した。
神が地続きに存在する世界。
力ある神に気に入られれば相応の恩恵が期待できる、ということか。
社長や創業者一族にいい顔をしておいて損はない。
「……」
エクピキや他の神々の信者たちも何かしらの恩恵を願っているのだろう。
ただ飴だけをくれるようならいいのだけれど。
神様の方だって、それぞれ望みや飴がほしいんじゃないか。
ショタ溢れる世界だとか。
他の神々の望む世界も、なんだかロクな世界じゃなさそうな気がしてきて再び苦笑いが浮かんだ。
◆ ◇ ◆
「余は、トローメ国王ネロ・トローメである!」
立派になられた。
五年間、一番近くで見守ってきた。
少年が王として立ち、王として成長していく様を最も近くで見てきた。
これほどの幸せはない。
イドラ・ディドラーが生まれたのはトローメの北東に位置するベゼロイタ国の北方。
一年の約半分が氷に覆われる大地に過ごす少数民族に生まれた。
気温は低いが日照時間が長く、氷雪に反射する日光で目を傷めやすい。
その気候に適応したイドラたちは特に目がよく、夜の闇でも遠くまで鋭く見通す。
しかし土地は貧しく、数の少ない一族はベゼロイタ国の支配下にあった。
もう十五年前になる。
何かの戦でトローメに敗れたベゼロイタが、戦後賠償として金銭や奴隷をトローメに贈った。
一族から女子供を出すよう命令があり、イドラが名乗り出た。
自分であれば百人の奴隷に足りる。トローメ王も普通の奴隷より興が乗るだろう、と。
幼い頃から一族の中でも特殊だったイドラは、その力ゆえ浮いていた。
異質。異常。異物。
その珍妙さで共に過ごしてきた一族と父祖に報いられるのなら、イドラはその為に生まれてきたのだ。
心からそう思ったわけでもないが、出ていく理由としては腹落ちした。
――お前の力なら簡単に俺を殺せるな。
イドラとほぼ同い年くらいのトローメの王子クムス。
なぜ笑うのか。
――ああ、殺せる。トローメをぶっ壊してやる。
――俺にはお前のような奴が必要だ。
まだ互いに十五になるかならないかの頃だ。
しかしクムスには既に王の気配があり、ただの力自慢のイドラには他に何もなかった。
――トローメを壊す。壊さねばこの国は生まれ変わらない。
――なにを……お前は何を言っている? 唯一の世継ぎだろう?
――病んでいるのだ。父も、この国も、どうしようもなく病んでいる。
クムスの差し出した手を生涯忘れることはない。
――俺とお前で、その病巣を取り除くのだ。
――病巣……エクピキ教を?
――俺は王として。お前は俺の盾となれ。敵は多い。
腐ったトローメの病巣、エクピキ教を取り除く。
そんなことができるのか。
国中のあちこちに根を張る教団を敵にすれば、王であっても無事に済むとは限らない。
――叔母上を失った今、当面は俺の身は安全なはずだが。
――そういうもの、か?
――叉波王が王の船なら、お前は王の盾になれ。イドラ・ディドラー。
王船叉波王。トローメを強国たらしめる大戦艦であることはイドラも聞いている。
それと並ぶ称号を?
――成し遂げた暁には、そうだな。お前の生まれた土地を見に行こう。
――俺の……故郷など、なにも。
――何もない場所などない。世界のどこにだって、そこにしかない景色がある。
クムスの言葉は、今まで否定してきたイドラの胸中の想いに突き刺さった。
ああ、そうだ。
氷の結晶を貫く陽射しが映し出す六角形の光柱。
夜中でも地平を照らし続ける白い夜。
吹雪の中を真っ直ぐ歩み続ける大雪鹿の群れ。
二度と目にすることはないと思っていた故郷の姿を思い出して、それを見せたいと思った。彼に。
――腐った国の大掃除をして、そんなものよりずっと美しい世界を見せてやる。共に見よう、イドラ。
――美しい……?
――楽しい、でもいいな。
見てみたい。
一緒に。
――できるのか? そんなことが。
――できなければ死ぬだけだな。
そう、彼は死んだ。
道半ばで死に、イドラとの約束は永遠に果たされない。
約束は破られた。
「トローメ国王ネロ・トローメの名において命ずる!」
遺されたのは、王たらんとする子供たちだけ。
王都中央広場に集まる群衆に向け、王城露台から声を張る。
「トローメと神の下に、逆賊を討ち果たし根絶やしにせよ!」
◆ ◇ ◆
「何をお考えなのですか、まったく」
「そう言ってくれるな」
「言わずにいられるものか」
つい言葉がぞんざいになってしまったが、クムスは笑って受け流す。
その笑顔に、もう一度深く息を吐いた。
「二人目の男子。王統が途絶える不安が減れば、より命を狙われやすくなる。そう言っていたのはあなただ」
「確かに、言ったな」
「ならば」
「お前のおかげだ、イドラ」
両腕に幼子と赤子を抱きながら、父親のような笑顔をイドラに向けた。
「お前という得難い忠臣がいる。お前がいたからネロが生まれた。ネロが生まれ、子供というものがどんな存在か知ることができた。ニーモも、お前がいるから生まれた」
「奥方様は?」
「ネロの時のようなことにはさせん。信頼に足る者をつけ国外に送る」
国母の影響力を恐れる者もいる。
宮廷の沼で死を選んだ前妻のことを思い、母親の処遇については考えていたらしい。
「ネロがいる限りニーモが王になることはない。ティッダーン派も躍起になって追うこともあるまい」
「影潰しどもは?」
「あれこそ関心はあるまい。教団にとって大事なのは叉波王を動かす王統だけだ」
トローメ王国を支えるのは圧倒的な海軍力。
その下支えがあってこそ国が安定し、その中でエクピキ教も広まっている。
王統が途絶えるのは教団にとっても不利益だ。
降嫁した傍系が叉波王を動かせるかどうか未知数な状態で、正統のクムスやネロを害することはないと考えられた。
「まあそう怒るな、イドラ」
「怒っているわけではありません。楽観できないだけです」
「王の盾イドラ・ディドラーがいるのだ。心配などいらん」
何度か、影潰しを連れた太光師にも会っている。
異常者ザイドロスを除けばイドラが後れを取ることはない。相手が何人だろうが。
ザイドロスの幻術についてはクムスの持つ霧の真眼という宝物で破れると言う。
クムスとイドラが揃っている限り、不逞の輩にクムスを害させることはない。
「この子たちはお前の子も同然だ。お前にも喜んでほしいと思っているんだぞ」
「……畏れ多い」
我が子のように。
二歳のネロがイドラに手を伸ばすのを見て、そっと指を差し伸べる。
小さく手がイドラの無骨な指を握って、その温もりが氷を融かすようにじんわりとイドラの心に染み伝わった。
◆ ◇ ◆