法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-1.薄明の戦地

 

 クルサドは怯えていた。

 反乱軍が、エクピキ教徒を殺せと集まり攻めてくるのだそうだ。

 父も兄も兵隊として戦うよう命令を受けて行ってしまった。

 まだ十歳のクルサドは残されたが、どうすればいいのかわからない。

 母と共に家を守る。そう言われたけれど。

 

 王都近隣の村々の男たちは兵士として連れて行かれ、残された者の中には逃げ出す者も少なくない。

 暴悪な反乱軍が迫っている。

 場合によっては命も財産も奪われる。

 だが逃げたところで安全が約束されるわけではない。

 

 運を天に祈り、命を拾えることを願う。

 弱者にできることはただそれだけ。

 

 しかし、天とは何だろうか。

 王なのか。神なのか。

 クルサドに内戦の恐怖をもたらした王。

 一度だってクルサドを助けてくれたことのない神。

 どちらが助けてくれるというのか。

 

 冬麦を踏まなければならない。

 誰も助けてくれない。人手も減り、母と二人で畑と家を守らなければ。

 北部ほどではないとはいえ凍えそうな日々が続く。

 日が昇らぬ朝方から夜遅くまで母と共に畑仕事をして、霜焼けになりかけた手足を温め合って眠る。

 

 誰も助けてはくれない。

 ただ二人、何も悪いことが起きぬよう祈りながら夜を過ごした。

 泣きたくなる。誰かからもらったマフラーに首を包んで小さく丸くなっていると、その温もりで少しだけクルサドの胸も温かくなった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 戦意の高い軍と低い軍では、当然前者の方が精強だ。

 数の多さという優位は、あまりに数えきれない中では個人個人にはわかりにくい。

 上の方はこっちが有利だと言うけれど、本当のところはどうなのか。

 本当は敵の方が圧倒的に多くなっているのでは?

 だいたい、有利だと言うなら百姓まで駆り出して武器を持たせなくてもいいんじゃないか。

 

 悲観的な噂の方が伝播しやすい。

 噂話だったはずが、いつのまにか事実として広まっていく。

 

 上の人間はとっくに逃げ出している。

 ディサイの町がホスバルドルに奪われたように、王都も攻め落とされるのは確実。

 そもそもエクピキ教や貴族どもが今まで何をしてくれたというのか。

 敵はなんでも王弟ニーモ殿下で、地方領主たちはニーモ派として次々に参戦しているとか。

 こんな戦の為に死ぬのは嫌だ。バカバカしい。

 

 

 国軍の正規兵はともかく、徴兵された民兵はきっかけがあれば四散する。

 そういう空気を読んでいたのかもしれない。

 エクピキ教団の陽灯司百名が各部隊に割り当てられた。

 

 訓練中に怪我を負った者、もともと何かの古傷を抱えていた者たち。

 それらに惜しみなくエクピキの奇跡を、治癒を与えた。

 つい今ほど開いていた傷が跡形もなく消え去る。

 過去に失った指が嘘のように生えてくる。

 

 素晴らしい。

 素晴らしい。

 北府で最近あったように、神の奇跡を目の当たりにした人々の心は震え立った。

 

 これならどれだけの大怪我を負っても問題ない。

 我らの後ろにはエクピキがいる。

 御名を讃えよ。

 

 今までの人生でエクピキの恩恵など受けたことがなかったのに、目にすれば単純なものだ。

 それだけではない。

 

 大功を挙げれば褒美もある。

 怪我を心配する必要がなくなれば、今度は明るい未来に目が行く。

 投資詐欺で、最初に小金を稼いだ人が都合の良い情報にばかり耳を傾けるように。

 

 民兵という集団は正規兵よりも扱いやすかったのかもしれない。

 数十万の軍勢を百人の陽灯司で癒しきれるはずはないのだが、客観的な視点が欠ける。

 エクピキ教が逃げずに戦場に立ったことが士気を上げた部分もあっただろう。

 

 王軍と反乱軍。

 勢いはほぼ同じとなり、守る王軍の方が数は多い。

 地球で言えば二月下旬。

 トローメを二分する戦いの幕開けは、昇る太陽のようにもう誰にも止めることはできない。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「三日間だぞ! 戦端が開いて三日! 王都に迫るどころかまだ正規軍すら表に出せておらん!」

 

 同じ報告を聞いているのだから怒鳴られなくても知っている。

 怒っているというわけではなく、興奮している。

 父に代わり前線指揮に立つキデ・マノスは、南港ノーテス総督アリスト・デルキュリーの言葉に苦々しく頷くしかなかった。

 

「アリスト様、大きな声を出されては兵が不安になる」

「この程度で不安になるような弱卒は我が軍にはおらん……が、農兵もおるか」

「ご理解、助かります」

 

 父カッダ・マノスが後軍でニーモに付いている今、前線の指揮はキデとアリストが担っている。

 役職的に上位になるアリストに物を言うのは疲れる。戦よりも。

 とりあえず声を静めてくれて息をついた。

 

 

 想像以上に敵の戦意が高い。

 正規の国軍兵士ではなく民兵を主とした守備兵が、思いのほか強く抵抗する。

 こちらが正統な王だと口上をあげても、向こうは向こうで当然正統性を主張しこちらを逆賊だと言い募った。

 一日二日で決着すると思っていたわけではないが、戦線が膠着するのは予定とは違う。

 

 退くわけにはいかない。

 しかし、無理に押しても敵の主力はまだ後方に温存されたまま。

 

 

「アリスト様、まだたった三日のことです。東港から後詰も参りますし、国中から賛同が集まりつつあります。そう悲観されることはないでしょう」

「悲観しているわけではない、キデ殿。これがひと月続けば補給が不足する。決戦に出るなら早い方がいい」

 

 アリストの言い分もわかる。

 東港も南港も、海路であれば得意分野だが陸路での補給が十全とは言えない。

 今はまだいいが、糧食が不足すれば現地調達も必要になる。強引に行えばそれこそ賊軍として国民の支持を失う。

 短期決戦の必要性はキデも承知している。

 だとしても、正規軍本隊を引っ張り出してからでなければ。

 

 いや、このままでは見通しが暗い。

 当初の目算では、士気の上がらぬ民兵を蹴散らすことで敵全体に動揺を走らせ、国軍からも脱走兵などが出て収拾が付かなくなる。はずだった。

 混乱した国軍主力を打ち破り王都に乗り込む。

 

 思惑が外れた今、何ができるのか。

 ここで敗れれば死ぬ未来しかない。

 最悪、ニーモと叉波王をもって他国に亡命する道もないことはないが。

 

 

「決戦は」

 

 それまで黙っていたもう一人の軍筆頭、ファニアが口を開いた。

 

「太光師を討ってからがいいでしょう。あの男は私が討つ」

「……だな」

「太光師オルミか」

 

 民兵の士気の高さは、前線に立つエクピキ教太光師の影響も大きい。

 後ろからは陽灯司による治癒を。

 前には鉄塊のような肉体で暴れ回るオルミがいる。

 

 既に二度、ファニアが戦っていた。他の誰も手出しどころか近づくこともできない戦闘で、一度は腹を深く切り裂いたが数秒後には完治して戦いが続いた。

 血を拭うかのように手で撫でただけで傷が消え、腹の肌は元通りだった。

 不死身のオルミ。ファニアの技量と伍するだけでも脅威だが、即座に己を癒す力は卑怯だと言いたい。

 

 

「ファニア殿が相手をしてくれて助かっている。あれを手つかずで暴れさせたら戦線が崩される」

「しかり、さすがは花札の一枚と。我が家臣たちもすっかりファニア殿に心酔しておるわ」

「過分な評価です、ノーテス卿。太光師を討ち漏らしている今の私には、とても」

「なに、あの巨体が逃げ帰るのを見せてもらうだけで士気が上がる。女神のごとき美女が味方となればなおさらだ」

 

 怪我は治るとしても疲労はする。

 丸一日戦い続けられるわけではない。

 戦場の華ファニアの戦いぶりは敵味方に印象的で、巨漢で禿げ頭のオルミは実に悪役らしい。

 悪漢を撃退するファニアの構図は、味方を大きく勇気づけている。

 

 オルミが連れていた女兵士どもは、こちらの精鋭たちがいくらか殺したが、こちらの被害も少なくはない。

 負傷兵が増えて不利なのも口惜しいが事実。

 士気は落ちていないが、戦力は削られている。

 何かのはずみで勢いが落ちたところで敵が攻勢に出れば、敗色濃厚となる。

 

 

「兵たちに再度聞かせておいた方がいいでしょう。エクピキ教団はその力を己の為にしか使ってこなかったのが現実だ。今この戦では自分たちの権益を守る為に戦っているが、それが終われば貧しい者を救ったりしない。あの治癒の力は奴らの特権にしかならないと」

「ああ、旗も用意できた。敵兵にも聞かせてやる」

「南部海兵の大音声(だいおんじょう)、戦場の果てまで届けてやろうぞ」

 

 敵の兵だって、今までエクピキの恩恵など受けられていたはずがない。

 陽灯司には異様なほど便利な力があるのに、お前たちの為に使われたことはないと知らしめる。思い出させる。

 治癒術を目の当たりにしている今だから、陽灯司へ感謝ではなく怒りを向けさせたい。

 

 今まで簡単に救えた命を、奴らの胸三寸や金勘定で捨ててきたのだ。

 いざ自分たちが困るから惜しみなく与えているだけ。

 そんな奴らの為に戦場に立つ必要があるものか、と。

 

 

 大きな旗に、民を守らぬエクピキ教などと書いていくつも用意した。

 同時に、部隊で声を揃えて教団への不信を訴える口上も準備している。

 

 城を攻めるは下策。

 心を責めるが上策。

 

 こちらの敵は、トローメ国民で構成される民兵などではない。

 貴族院とエクピキ教団を打破し、ネロを玉座から下ろす。

 同一民族内での戦だ。

 相手を根絶やしにするのが目的ではない。

 

 

「ネロ陛下もまだまだ幼い」

 

 南部総督アリスト・デルキュリ―は、落ち着きを取り戻したことをアピールするように髭を撫でて笑った。

 

「反逆者を根絶やしになどと。勇ましい物言いは結構だが、あれで多くの民の心が離れてくれた」

「そう、ですね」

 

 ファニアは少し言葉を詰まらせながら同意する。

 彼女の聞くネロの印象と違ったのだろう。

 滅多に表に出ることのないお飾り同然の国王ネロが、苛烈な言葉で民を鼓舞した。

 鬼巫の花札であったとはいえ直接話す機会などなかったはず。

 

「暴君に付くか仁君に付くか。国中に広めれば味方も増える。長期戦となっても活路はあろう」

「アリスト様の言われる通りです」

 

 キデは心と裏腹にアリストに同調して頷いた。

 長期戦になれば勝ち目は薄い。

 早期に勝利を掴む必要がある。

 

 

「近日、南北に日が昇る、と」

「?」

 

 ファニアが微かに和らぎの顔を覗かせた。

 年相応の女性らしさ。

 

「私の……友人が、そう言っていました」

「例の占い師殿か?」

「おお、南部の一揆を成功に導いたという者だな」

「ええ」

 

 占い師ではあるが遊女の身分ということで、キデも誰も会ったことはない。

 遠目には見かけたが、貴族が声をかけに行くような相手でもない。

 ファニアは捨て森で知り合ったと言うことだから、事実遊女だったのだろうと思う。

 

 戦の勝敗については、占い師ごときが口にすることではないと断られたと聞いている。

 いかがわしいエクピキ教団を討つ戦に、胡乱な占い師の意見を求めるなど据わりのいい話ではない。勝利はキデ達の手で掴むものであり、あやふやな奇跡に委ねるものではない。

 どうやら節度や道理を弁えている占い師らしい。

 

 

 

「北に太陽……北府だな」

「動きがあるという報告は確かに。北からの援軍となればありがたい」

 

 南東から攻めてきたキデ達にとって、北方面の情報はどうしても集めにくい。遅れる。

 北からの援軍の予見が現実ならそれはそれでいい。別に勝敗の行方を占ったのではなく、人の動きの事実というだけ。

 膠着状態に陥りかけた戦局が動く。

 正直に言って不利と見ていた戦況が、五分か優位に変わる。

 

「だが南というのは……」

「我らのことであろう、キデ殿。南部、東部、そして北部から」

 

 そういうことになるのか。

 東から日が昇ると言わないのは、まあ当たり前のことだからとして。

 

 

「私は良い友人を持った。私を良き友と引き合わせてくれた夫に、最大の感謝を伝えたい」

 

 彼女をこんな笑顔にさせる夫というのはどれほどの人物なのか。

 会ってみたいと思う反面で、男としての器で負けそうだとアリストと顔を合わせて肩をすくめた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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