法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
太光師オルミの舌は頭まで届くだけではない。
鍛えているので、舌だけで100kg超の体を舌一本で腕立て伏せ(?)できる。
※※※※※※※
ファニアは女だ。
それはどうしようもない事実で、女だからこそのトラウマがある。
ひとつは、エクピキの治癒という力への嫌悪感であり恐怖心。
以前はアユミチが一緒にいて手を握っていてくれたから耐えられた。
噂に聞く禁制の薬のような怖さを知っている。
もうひとつは、戦いに敗れた時に蹂躙される恐怖。
足がまともに動かなかったとはいえ、野盗に敗北して犯されそうになった時のことは心の傷として残っている。
忘れようと、見ないようにしようとしていたが、確かに傷はあった。
その両方が目の前に迫り、意識が真っ暗に暗転した。
何を叫んだのか、どんな抵抗をしたのか自分でもわからない。
ただとにかく、気が付いたらファニアはオルミから飛び退くように離れ、激しく胸を上下させていた。
全身から汗が吹き出し、目が回る。
オルミの放つ光を両脇から受けた。凄まじい嫌悪感と倦怠感。
後ずさる右足にどろりとしたぬめりを感じ、自分がオルミの股間を蹴って離れたのだと理解する。
致命的なミスだったが、その直前にオルミにも痛撃を加えていた。
タイミング的にオルミの方も股間を治癒している余裕はなかった。暴れたファニアが股間の傷を蹴り飛ばせばさすがに耐えられなかったらしい。
立ち上がりながら己の股間に光を当てて治癒するオルミと、顎を震わせながらどうにか立ち上がるファニア。
剣は……落としている。オルミの向こうだ。
最悪だ。
オルミは傷を治癒すれば戦えるが、ファニアは……
「素直に身を任せればよい」
オルミの、引きちぎったイチモツが光と共に生えてくる。その付属物も。
赤黒く、汚らしい。
光を止めたオルミの指が、ぼりぼりとそれを掻いた。
「舌まで鍛えておったのは予想外か、んん?」
「……化け物め」
普通の人間の舌ならせいぜい鼻に届くかという程度だろうに、オルミの伸ばした舌はその倍ほどはありそうだった。
それも他の部位と同じように鉄のように硬く、またファニアの剣を弾くほどの力を発揮するとは。
「素直になればこの舌も味合わせてやるぞ。既に股ぐらは欲しがっているのだろう?」
「だ、まれ……下衆め」
そんなことはない。
ああ、言われてみて思うが、そんなことはない。アユミチではない男を相手に、ファニアの体は悦びなど一切感じていなかった。
慣れ、だろうか。過去に治癒を受けた為に。
恐怖心で凄まじい発汗をさせられたが、体はまだ動く。
武器がないことを除けば、まだ勝機はある。
「ふはっ! その強情も可愛いものだ。だが」
オルミの禿げ頭から垂れる血が耳を伝い顎に落ちた。
逸らされたファニアの突きが、頭と耳の表面を裂いていた。致命傷には遠い。
「剣を失ったお前に何ができる? 駄々っ子のように殴りかかってくるか? もはやかゆくもないだろうが」
頭の傷も【指】で癒し、赤く腫れた傷痕と耳をぼりぼりと掻いて見せるオルミ。
爪に、引っ掻いた皮膚がこびりついて汚らしい。
「逃げてみるか? お前が逃げれば軍は持たんだろうが、逃げてみるのもよかろう」
ファニアがここで逃げれば、連合軍の戦線が崩壊する。
オルミもファニアを逃がすつもりなどないだろう。
勝利の余裕か破れかけた法衣の尻を掻きながら目を細めてファニアを眺めるオルミ。
戦利品を見る勝者の目だ。
「……?」
気配を感じた。
上空に。
ファニアも、オルミも視線がそちらに流れる。
「うん?」
「あれは……」
魔法だった。
王都防衛軍の後方……中軍辺りから放たれた火球の魔法が戦場に落ちてくる。
数発、続けてまた十数発。
慌てたように連合軍側からも迎撃の魔法が飛ぶ。
「正規軍がしびれを切らしたようだ。もう少し陽灯司どもを減らしておきたかったが……こちらで処理すればよい」
「な、に……?」
オルミが何を言ったのかファニアには理解できない。
陽灯司を減らしたい? と言ったように聞こえたが。
「……」
オルミの言葉はどうでもいい。ここで正規軍が動き出したとなれば、このまま戦い続ける選択肢はない。
逃げる。
国軍の魔法使いが援護魔法を使い始めたのであれば、総攻撃が来るはず。
ファニアとオルミの戦いの決着などもはや無関係。
問題は、オルミがファニアを逃がしてくれるかどうかだが。
「儂の戦果だけは持ち帰らせてもらおう」
「……」
あらためてファニアに向き直ったオルミは、ファニアを見据えて長く赤黒い舌で自分の耳を舐めた。
右手はもう一度股間を掻き毟る。見せつけるように。
別に見たいわけではないが、相対する敵の動作だから目で追ってしまう。
「こんなに
「……いや」
ファニアはもう一つ思い出した。
思い出した。
忘れたかったトラウマを。心を蝕む膿んだ傷口を思い出した。
「お前……オルミ、貴様……斑徂症に……?」
鉄のごときオルミの肌に浮き出る赤黒い染みのような斑点は、かつてファニアを蝕んだ病魔と同じものだった。
◆ ◇ ◆
「何言ってんだ、お前?」
彼女にとっては悪気も何もない言葉だったのだと思う。
いつもそう。
レーマルジアに悪意なんてない。彼女はいつも率直で明け透け。
「相変わらず意味わかんねえな、お前は」
そう、私はいつもわからない。
何もわからない。
ただあなたという光に吸い寄せられる蛾のように、あなたの傍にへばりつくだけ。
「ポスフォスもエクピキも関係ねえよ、あたしはあたしの好きにするだけだ」
そう、好きにして。
あなたの好きに私の形を変えて。ぐにゃぐにゃに、どろどろに。
「お前だって好きにすりゃあいい。あたしの邪魔をするってなら容赦はしねえ」
邪魔なんてしない。
私はあなたの邪魔になんかならない。
ただずっと、いつも、影みたいにあなたと一緒にいられればそれでいい。
他の何がなくても。
「あぁ? どうしてってお前……」
レーマルジア、どうして視線が泳いだの?
虚空に何を探したの?
ここにはない何か。
それがポスフォスやエクピキやランプシーやフォティゾ、アニラービーだったとしても私は許せたと思う。
「……約束したから、な」
あなたが約束を紡いだ指と繋がるのは、だって。
それでいいなら、それがいいなら、私でもいいじゃない。
あれと私の何が違うの?
違うからいけないのなら、おんなじになるから。
おんなじにするから。
だからその目で私を見て。レーマルジア。
◆ ◇ ◆