法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-5.土足で胸に

 

 雪煙の中でも光は通る。

 乱反射し、さらに深く混迷を極める。

 

 主が(さら)われたと悟ったと同時に天馬の魔法でザイドロスの幻惑を打ち払った。

 ビッテスが飛び去った方角に向けて駆ける戦馬車の幻は、他の者たちに方向を指し示したのだろう。

 ザイドロスの幻惑を破ると同時に向かうべき方向を指す。良い判断だ。

 

 賢い娘は好きだ。

 理知的な女であればあるほど貶め辱めることに悦びを覚える。

 狙い通り、アユミチはザイドロスへの切り札としてカヨウを連れてきてくれた。思い通り、狙い通り。

 アユミチの方はビッテスに任せる。ずいぶんと入れ込んでいたようだし、ザイドロスの幻惑とは相性が悪い。

 

 狙いの少女カヨウは、どうか。

 ザイドロスの幻惑を破る力を有する少女ではあるが、幼い。何度も続けられるほどまでではない。

 一方のザイドロスにしても、山中から大規模な幻惑を展開し続けた。

 人の精神を(むしば)むような幻惑であればとても息が続かなかっただろうが、実在する道を誤認させることだけに絞れば不可能ではない。

 

 まだ余裕はある。

 そして、ビッテスがふたつの魔法(・・・・・・)で巻き起こした雪煙もザイドロスに好材料。

 混乱した人間は必ず周囲を見て確認しようとするもので、乱反射するザイドロスの光を四方から目に入れる。術中に落ちる。

 

 

 矢のように飛んでいったアユミチを追うカヨウは、まさにまんまとザイドロスの掌中に飛び込んできてくれる。

 他の兵士たちはそれぞれ明後日の方向に、カヨウの幻を追って遠ざかった。

 周囲に伏せているわずかな影潰しの手勢もザイドロスの幻惑の影響を受けてしまうのは仕方がない。神の光はいちいち人を敵味方に区別などしてくれないのだから。

 幻惑の効果が切れた後に、それでもこちらに近づく勘の働く少数を始末してくれればそれで十分。

 

 異能の力はほぼ使い切った

 山中の中腹、やや開けた場所で待っていたザイドロスを見て、少女は足を止めた。

 数歩近づけば手が届く距離。指が届く距離まで。

 

 自分の周囲にわずかに幻惑を展開して、捕まえるまで待つつもりだったが先に気づかれた。

 やや残念だが、逃げられる距離でもない。むしろ楽しく悦ばしい。

 ひどく整った顔立ちに強い輝きを秘めた瞳でザイドロスを睨みつけ、小さな手で握ったかんざしをザイドロスに向ける。

 

 

「ひひっ、ご案内しましょうかなお嬢様」

「……」

「そう怖い顔をされずともよいのですぞ。あなたがわたくしの元に来たのは神の御導き。何も恐れることはございません」

「怖がっているのはそちらです。私はあなたなんかどうでもいい」

 

 まさに、まさに。

 恐怖心の有り無しは別として、心の底からザイドロスなどどうでもいいと見下げている目で言う。

 まるで高貴な姫が下賤な出自の者を見るような視線。

 

「よいでございますな。尊い気位、このザイドロスの目に狂いがなかったと、悦ばしいことでございますね」

「頭が狂っているでしょう、あなたは」

「ひひゃっ! 実に小気味よい言いよう、心地よい痛みでございますぞ」

 

 ザイドロスは高貴な娘が好きだ。

 トローメでは女の立場が弱く、貴族家の娘でも利用価値がなければ切り捨てられることも珍しくない。

 家長の意向に背いたり、使用人と密通して除籍されたり。

 今まで尊い立場だった者が後ろ盾を失い落とされるのをもてあそぶのはたまらない愉悦だった。

 顔や体に傷を負った貴族の娘を、治癒の奇跡にどっぷりと漬けこむのも楽しんできた。

 

 

「……余計な話は不要です」

 

 そう言いつつ、その目の奥で時間を稼ぐ道を探している。

 当然、小娘にザイドロスを倒す力などない。

 時間を稼ぎ、兵士たちが追ってきてくれれば、疲弊したザイドロスを討ち取ることも可能と考え、時間を稼ごうと。

 

「話は大切でございますがね」

「何が――」

「カヨウ様、あなたほどの魔法使いがおいそれと生まれるはずもないのですよ」

 

 敬称付きで呼ばれ、半歩下がりながらもカヨウの視線がわずかに上がってザイドロスの目を映す。

 かんざしの先がわずかに揺れた。

 

「……」

「あなたは特別な方でございます」

「そんな言葉で」

「特別なあなたの存在を巧妙に隠したものが誰なのか。これはあなたにとって大事な話かと存じますが、わたくしにはどうでもよいことでございますね」

 

 表情の薄い少女の瞳がわずかに揺れ、唇を結ぶ。

 

「知らないのではございませんかな? あなたは、あなたの親を」

 

 眉がかすかに傾く。

 結んだ可愛らしい花色の唇がわずかに開きかけ、結び直される。

 

 

「並みの魔法使いであれば市井の者の中に生まれることも。ですが神の力に届き得るほどとなれば異様」

「……」

「古き時代、神に近く仕えた者の血筋は現代の貴族に続くわけでございますが、薄い血ではそう強い力は発現されませぬ」

「何が言いたいんですか」

 

 話は不要と言った少女カヨウがザイドロスに尋ねる。

 可愛らしい。

 

「幻惑の力を扱うわたくしだから見えたのでございますよ。あなたを隠そうとしていた怪しげな霧を」

「そうやってごまかすなら――」

「まさに! そう、誤魔化そうと誰かが! カヨウ様あなたを!」

 

 親を知らない少女。

 自分の出自が何か尊いものだったなら、と。

 憧れめいた気持ちを心の底に秘めていたとしても不思議はない。

 非凡な幻の魔法を扱える理由が、隠された尊い血筋だと言われれば信じたくもなるだろう。

 

「わたくしに害意があれば、あなたに有無を言わせず兵を並べていたのでございます。わたくしはただあなたに真実をお伝えしたくお待ちしていたのでございますよ」

「……」

 

 アパティも気づいていない真実をザイドロスだけが知っている。

 エクピキ復活への捧げ物としてもっとも面白く価値のある彼女の存在は、ザイドロスにもたらされた恩恵。

 

「あなたに危害を加えるなどめっそうもございません。このザイドロス」

「……」

「お命じ下されカヨウ様。真実をつまびらかにせよと」

 

 恭しく、少女を持ち上げるように【指】を抱く両手を天に広げて見せる。

 

「カヨウ様の秘められた輝きは隠しおおせるものではございません」

「……何のことだかわかりません。けれど」

 

 かんざしをぎゅっと握り直してザイドロスを強く睨む。

 

「言いたいことがあるなら話しなさい。ザイドロス」

「ひひゃぁ」

 

 呼んで下さった。

 呼んで下さった。

 ザイドロスの名を、愛おしい花色の唇に乗せて呼んで下さった。

 蔑みの視線を隠そうともせず、恐怖で震える下腹を隠し切れずに。

 

「王宮より零れた宝。あなたこそがトローメの姫でございますよ。カヨウ様」

 

 

 それだけではない。

 それだけではない、が。

 お姫様になりたくない少女などおらず、ザイドロスの言葉を切って捨てられない捨てたくない少女の心の迷いは、見ているだけで絶頂を覚えるほどの愉悦を与えてくれた。

 

 さあて、誰がどういう理由でこの少女を隠していたのかは知る由もないが。

 エクピキ復活に捧げる為に、美しい姫の心と小さな体を、ザイドロスの掌で存分に愛でて躍らせて咲かせてみせよう。

 ただの王家の娘というだけではない、それ以上の――

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 意識が暗転したのは数秒のことだ。

 不意に猛烈な勢いで上空に担ぎ上げられて、その加速で意識が吹っ飛んだ。

 

『アユミチ! しっかりして!』

 

 幸いだったのは二点。

 今までノクサの力を使って似たような加重を何度となく経験し、体が慣れていたこと。

 それと、襟首にしがみついたノクサが頬を叩いてくれた。

 そのまま完全に意識を没する前に何とか覚醒し、充血する目で状況を把握する。

 

「ふふっ、こぉんなにぎゅうってするのは二回目ですねぇ」

「び、っですぅ!」

「はぁいアユミチくぅん」

 

 上空。

 雪山の上空を飛びながら、柔らかな女体を絡ませてくるビッテス。

 足元から現れ、アユミチの腹に抱き着いて跳躍したらしい。

 何らかの魔法を使ったのだろう。飛び立った地点は濛々と白い雪煙が立ち込めている。

 

「アユミチくんがこんな風に跳んでましたからぁ、真似っこですよぉ」

「この――」

 

 空中で踏ん張りは聞かないが、胸元で恍惚の笑みを浮かべるビッテスの顔を殴りつけようと拳を握った。

 体勢の自由が利かないのは相手も同じ――

 

「せっかちさんですねぇ」

「うぁっ!?」

 

 アユミチの右拳がビッテスの顔に届く前に、鞭のように片手で打ち払われた。

 軽く払っただけに見える一撃が重く、アユミチとビッテスの間に圧倒的な力の差があるのを思い知る。

 以前、リグラーダの短弓を至近距離で握って受け止めていた。反応速度も筋力も常識では考えられない。

 

「もうひとつお仕事をしてから、ちゃぁんと気持ちよくしてあげますからねぇ」

「おま――」

 

 アユミチの拳を打ち払ったビッテスの手に透き通るような宝石が握られていた。

 

『アユミチ!』

「く、あ」

 

 透明な宝石が光を放つ。

 アユミチには為すすべがない。

 ノクサの声を耳にして、せめてノクサを守ろうと左腕で襟首と自分の顔を覆った。

 

「星震う声は咽頭搾れど届かじ、方量に胸搾り嘆き奏でよ。万斛の叫鳴」

 

 至近距離で、アユミチより遥かに身体能力に優れた敵に魔法を唱えられて、咄嗟にできることなどなかった。

 せめて地上であればノクサの力を借りてもがけばどうにかなったかもしれないが、空中で姿勢もままならないままのアユミチでは。

 

 

 ぶぉぉぉぉぉぉォ!

 

 強烈な震動を感じた。

 ビッテスが放り投げた宝石の方角――北府の軍勢が駐留する方向にビッテスが放った魔法による震動を。

 

 

「雪崩か!」

「勘がいいですねぇ、賢い子は好きですよぉ」

 

 アユミチを狙った魔法ではない。

 当然だ。密着したこの状態で強烈な魔法を放てばビッテスとて無事では済まない。

 そもそもアユミチを始末するのなら魔法などいらない。このまま絞め殺すか地面に叩きつけるだけで十分。

 

 軍を停止させた方角に向かう山の斜面表層が、ビッテスの魔法の余波でひび割れ崩れ落ちていく。

 中腹から始まったそれが周囲を巻き込み、下の山道になだれ込み、白い雪煙を巻き上げながら進んでいった。

 自然の猛威。誰にも止めることなどできない。

 

「これで向こうの人たちは壊滅ですねぇ、かわいそうに」

「お前が、それをっ」

「そんなに邪険にしない方がいいんじゃないですぅ? よ、っと」

 

 アユミチを抱えて数百メートル以上飛び上がったビッテスが、着地の手段を何も用意していないはずもない。

 別の宝石を何か下に投げると、ばふっと山中に積もっていた雪に円状に何か力が働き、ふわりとその中心に落ちた。

 

 背中から雪に軽く沈むアユミチ。ビッテスの右手がアユミチの脇から背中に回りがっしりと右腕を掴まれていた。

 両足にもビッテスの足が絡み、自由なのは先ほど顔を庇って振り上げていた左腕だけ。

 その左腕だって振り上げた下にビッテスの頭をねじ込まれ、せいぜいじたばたする程度の自由しかない。

 

 

『無理よアユミチ、これじゃ暴れても無駄』

「ち、くっ……」

 

 ノクサの力を借りようと考えたが、アユミチより遥かに強い力で抑え込みに入られた体勢。

 もがいて振りほどきたくても力がうまく入らない。

 ビッテスに触れられている嫌悪感から逃げ出したいアユミチだが、相手がそれを許すわけもない。

 

 

「やぁっとお話ができますねぇ、アユミチくん」

「お前と話なんか、するかよ!」

「あらあらぁ、カヨウちゃんがどうなってもいいんですぅ?」

 

 アユミチの顔が凍り付いたのを見て、にまぁぁっと笑う。

 ビッテスの不意打ちを受けてカヨウと引き離された。

 向こうに敵が迫っていないわけがない。

 

「カヨウを……」

「大丈夫ですよぉ」

 

 甘く、甘ったるいほど柔らかい微笑みで、柔らかな胸をアユミチのヘソあたりに擦りつけながらビッテスは頷く。

 とても嬉しそうに。

 

「アユミチくんが、わたしを選んでくれればぁ? それでみぃんな、大丈夫になりますからねぇ」

 

 何に復讐をしたいというのか、何に拘泥しているのか。

 ビッテスの微笑を見て理解した。

 

「砂嵐の魔法よりもぉ、わたしの雪崩の方がとってもすごかったでしょう? アユミチくんが助けを求めるのもぉ、わたしの方がずっとずぅっと、イイんですよぉ」

「おま、え……」

 

 言葉がうまく出てこない。

 ビッテスがアユミチを殺さないで捕まえた理由は、アユミチに対するこだわりではない。

 おそらくビッテスの自尊心を激しく傷つけた相手への当てつけとして。勝利条件として。

 

「アユミチくんに、すっごいコトしてあげますね。あの女ができないコト」

『……最悪な女』

 

 身をくねらせ、柔らかな体をアユミチの腹にすり当て笑いかける。

 まるで恋人にするかのように。

 

「だからアユミチくん。わたしを選びましょう? ねえ、アユミチくん」

 

 カヨウの身を守る為にゼラを裏切れ、と。

 既にこの世にいないゼラへの当てつけとして、勝利条件として、アユミチに頷かせようと。

 美しいビッテスの顔と蠱惑的な柔らかい温もりに、腹の奥から胃液がこみ上げてきた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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