法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「……ふざけているんですか」
罠だ。
カヨウを小娘だと思って夢みたいな言葉で動揺させようとしている。
「めっそうもございませぬ。そのような嘘を並べる理由がわたくしにありましょうや?」
「……」
アユミチを連れ去られ、兵士たちともはぐれたカヨウを言葉で篭絡する意味がない。
ザイドロスがその気なら力づくでカヨウを捕らえることも、殺すこともできる。
少しでも時間を稼ぐ必要があるのはカヨウの方で、ザイドロスではない。
ビッテスに奪われたアユミチを助けに行きたいけれど、それだってカヨウの力で何ができるのか。
ザイドロスの幻惑に惑わされないように先行したつもりが、ザイドロスの思惑通り孤立して相対することになってしまった。
その上で、ザイドロスが語りかけてくる。
カヨウの私的なことを、身分で言えば遥か遠いはずの太光師が。
考えなかったわけではない。
どうしてカヨウは強い魔法が使えるのだろう、と。
たまたま、偶然、才能があっただけ。
アユミチの力になりたいと強く願ったから。
そんな理由で強い魔法使いが生まれるのであれば、世の中にもっとありふれていてもいいはず。
実際に魔法が使える者は少なく、大規模な魔法を使える者はその中でも少数。
カヨウの親は、出自は?
知らない。知らないのだから、何かの間違いで高貴な身分だったりする可能性はある。
ファニアよりも。
ゼラよりも。
もしかしたら高貴な血筋のお姫様かもしれないなんて、子供じみた願望が少しもなかったなんて言えない。
魔法のことだけではない。
魔法のことよりも明らかに自覚するところがあった。
カヨウの顔立ちは、高い身分の人から見ても美しく気品を感じるらしい。
可愛らしく、麗しく、魅力的な女。
孤児院にいた頃はそこまで際立っていたわけではない。
幼かったこともあるだろうし、どこかくすんだ……霧がかかったように、印象の薄い少女だった。
まるで何者かに隠されていたかのよう。
アユミチと出会い、女として愛されたいと思うにつれて磨かれていく気がした。
そんな自分の容姿を自覚して、うまく利用してきた。
なぜだか身分の高い人がカヨウをもっと丁重に扱ってくれて、疑似的にだけれどお姫様気分も味わった。
「王家には表には出せぬ醜聞もございます。日の当たらない陰に隠された部分が」
「関係ありません」
「ここでお聞きにならねば永遠に知り得ぬことでございますがね」
卑怯者。
最初からこの男はそうだ、卑怯者。
カヨウだって知りたくないわけじゃない。
「大海魔カルマリィを討滅しトローメ王国を建国した初代トローメ国王の協力者と名高いのは……我らがエクピキ教主光でございます。次いで鬼巫、マクリアス家とエクソト家と」
「……」
「とは別に、もう一派。歴史から身を潜める家系があったそうでございます。死病患者を捨て森に導くのが彼女らの役だったとか」
「……彼女?」
「女系の一族だったと教団の記録にございました。鬼巫らのように女のみというわけではないようでございます」
トローメ建国前から存在していた捨て森の管理者のような一族。
建国の際、何らかの形で初代国王に協力することもあったかもしれない。
「表舞台には立たない。決して王家と結ばれることもない。王家の協力者として知恵を貸すという密約があったと」
「それが何の――」
「結ばれてしまったのでございますよ。国王陛下と」
どこにでもありそうな物語。
禁じられていても、禁じられるからこそ惹かれる。
「無論、不義でございますもので。さりとて彼女らの知恵はトローメにとって重要なもの。子は王宮に置かれましたが、その後は知れませぬ」
「……それが私だと?」
「いえいえ、あなたが生まれるよりずいぶん昔のこと。先王クムス陛下が即位されるよりもっと前、トローメ王家の直系が次々と亡くなられることがございました。まるで密約を破った罰とでも言うように」
約束を破ったら罰が下る。
不思議な力を持つ一族だったのなら、呪いめいた何かもあるかもしれない。
「王宮はその内情を隠す為に固く閉鎖され、わたくしどもにもその後はわかりかねますが」
細長く長身のザイドロスは顔も縦に長い。
木の幹のような顔面に、横に走った細い目を嬉し気に歪めてカヨウを見る。
「話に聞く通りに、霧のように隠されていたのでございましょう。捨て森の内に隠されているとは考えに至りませんで」
違う、捨て森に隠されていたわけではない。
孤児院に預けられ、病気で捨て森に流れ着くことになっただけ。
だけど。
「……」
仕組まれていたように。
運命というものが定められているのなら、カヨウが捨て森に行くのは決まっていた。
偶然、アユミチに出会えたけれど。アユミチがいてもいなくてもカヨウは捨て森に行った。
「……仮に私がその血筋だとして、なんです? あなたはアユミチさんの敵で、私の敵です」
最低限、知りたいことはわかった。
もしかしたらカヨウはトローメ王家に縁のある血筋かもしれなくて、魔法の才能は特殊な家系だったからなのかもしれない。
それで、だから何だと。
エクピキ教はアユミチの敵に違いないのだから、カヨウの出自らしいものがわかったからと言って何も変わらない。
まさかカヨウがザイドロスの汚い手を取り、頬ずりして感謝を言うとでも思っているのか。
「ひひっ、わたくしどもが邪教の薬師の敵というのは間違いございませんが。ですがカヨウ様、カヨウ様」
「……」
「あなたは違う。あなた様にはふたつの道がございます」
左右、指を一本ずつ立てて見せるザイドロス。
妙に長い指、関節がたくさんあるようにも見えて不安を覚えさせる。
その指でどれだけの奸悪を行ってきたのか。考えるとぞっとするほど。
「既にあなた様方の軍は雪崩に飲まれております。全滅とまでは申しませぬが壊滅、軍としての働きは不可能でございましょう」
「……」
「ですがカヨウ様、あなた様が彼らと道を同じにすることはございませぬ。ええ、あなた様は違う」
ザイドロスは同じような言葉を繰り返す。
繰り返す。
繰り返し、繰り返して。
「カヨウ様は違うのでございましょう」
「私は……」
私は、違う。
私は彼らとは違う……?
そう、私は北府の兵士とは違う。
「は……い……」
「カヨウ様は敗残兵とは違うのでございます。カヨウ様、あなた様」
「私は……」
カヨウは……アユミチさんだけ無事ならいい。
北府が負けても、トローメが滅んでもいい。
そんなのどうだっていい。
「薬師様の為に、カヨウ様はお選び下さいませ」
「私が……選ぶ……」
右と、左で。
長くて長い太光師様の指がゆらゆら揺れる。
カヨウの右の瞳と左の瞳の中で、ザイドロス様の【指】が、カヨウのおめめを優しく優しくパパみたいなパパの手で撫でられるみたいに撫でて下さるみたいにカヨウの脳の中でゆらゆらゆらゆら揺れて回ってまわってくるくる届いてくる。
「薬師様を助けたい。そうでございますね? カヨウ様」
「そう……そう、です……」
「でしたら選ぶのでございます。カヨウ様が選ぶのでございますよ」
ふらり、と。
足が一歩出た。
「ザイドロスと共に薬師様をお助けする道。ああ、彼女にはわたくしが命じますから心配はございません」
「しんぱい……ない……?」
そうだ、ビッテスはとても恐ろしい魔法使い。
だけどザイドロス様の手を取れば、【指】を握れば、カヨウは心配しなくていい。
右で揺れるとても長くて長くてすごく頼もしい【指】をザイドロス様の【指】に
「もうひとつ、カヨウ様には道がございます。おおカヨウ様」
「はい……ざいどろす……さま……?」
手を伸ばしかけたカヨウに、おあずけするようにザイドロス様の左の指がぐるぅりと揺れた。
喋りながら、ザイドロス様の口から見える舌も長くやわらかく揺れて、右に左に。
全部長くて、とても長くて、神様みたい……?
「トローメの姫として立つのでございます」
「ひめ……?」
もうひとつの道。左の【指】の未来。
「教団が、わたくしザイドロスが支えて差し上げましょう。カヨウ様、おおカヨウ様カヨウ姫様」
「ささえて……」
「正統なる姫としてこの混乱を収めれば、カヨウ姫様。全てはあなた様に跪くのでございます。あなた様と我らエクピキに」
カヨウが、トローメの姫になる?
そうするとどうなるの?
「囚われた薬師殿を姫様がお助けすればよろしいのでございます」
「わたしが……アユミチさんを」
「彼は死病を治す薬師。ビッテスも殺すことはございません。戦の後でも、復活したエクピキの下でカヨウ姫様の名で救い出せばよろしいのでございますよ」
「でも……」
お姫様だったらきっと何でも命令できるに違いない。
カヨウがお姫様になれば、みんな言うことを聞く。
アユミチさんが生きていてくれれば、カヨウが何でもしてあげられる。
「だけど、今……アユミチさんがこまって……」
「絶望から救うのでございますよ。カヨウ様」
「あ……」
絶望。
「終わりの、どうしようもない絶望の底から救われた者がどう感じるか。姫様はご存じないのでしょう」
未来のない真っ暗などん底から救われた時。
助けられた人が、助けてくれた人をどう思うか。
「知って……カヨウ、知ってます……わかります……」
「それは何よりでございます。カヨウ姫様はよくおわかりでございますね」
左の指が大きくゆらゆらする。
ああ、だめ。
アユミチさんを苦しませるなんてだめ。
でも、そうしたら。
左の【指】なら、狂いそうなほど魅惑的なザイドロス様の左の手を取れば。
――カヨウが一番になれる。
ゼラじゃない。
ファニアじゃない。
カヨウが、アユミチさんの一番になれる。
「さあ、ザイドロスの手をお取りくださいませ。姫様。カヨウ姫様」
「あ……」
選ばないと。
選ばないといけない。カヨウが選ばないといけない。
ゆらゆら、ふらふら、ゆぅらゆぅらと。
揺れながら近づいてくる右の【指】と左の【指】と。
真ん中で長い舌もれぇろれぇろと揺れながら近づいてきて。
ううん、カヨウの足が近づいていって。
「えら……えらべな……選べません、ザイドロスさま……わた、し……カヨウは……」
「もちろん、よいのでございますよ」
迷うカヨウにザイドロス様は決断を迫らない。
決断を迫らないから、ほんの少しだけ安心する。
「両方の手を伸ばせばよろしい。カヨウ様、カヨウ様は姫様でございますから」
とっても背の高いザイドロス様がかがんで、立てた【指】をカヨウの右と左に離して、手をいっぱいに左右に伸ばせば届くくらいに広げて。
しゃがんだザイドロス様のお顔も、ちょうどカヨウの目の前に。
「カヨウ様。全部望めばよいのでございますよ。カヨウ姫様」
長い指を立てていた両手を広げて、真ん中の指と合わせて六本のすごく長い【指】でカヨウを
両手をいっぱいに広げてカヨウの小さな【指】を絡ませたら?
きっとパパに甘える女の子みたいにザイドロス様に――
「あぁ……」
吐息が漏れた。
光いっぱいの未来を見て、カヨウの花色の唇から吐息が漏れて、ザイドロス様の長くて長くて神様みたいな舌が……
◆ ◇ ◆