法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-7.薄闇と厚塗り

 

 王都防衛にあたり、正規軍の出番は最後と決まっていた。

 というか、むしろ防衛線の後処理にこそ労力が必要で、戦闘行為は徴兵した民兵を主に当たらせる。

 一月も膠着状態が続けば反乱軍の方が瓦解するだろうと見越して、無理な攻勢に出ることもない。

 民兵を集めているので、できれば春の農繁期までに終わらせたいところが、それで正規軍が損害を出すのは容認できない。

 収穫量、税収の不足は南部、東部から徴収するとして、まずは適度に反乱軍を押しとどめるよう采配されていた。

 

 反乱軍の見通しは甘い。

 いくらエクピキ教団に不満を募らせる国民が多くとも、実際に行動に出るような人間はそう多くはいない。

 それらが集まってくると雪だるま式に増えていくこともある。

 

 そう、皆無ではない。

 そう考えれば反乱軍の見通しがまるで見当違いとも言えない。

 だから取り締まる。

 国軍の監視の目が厳しかったのは王都内部の民衆だった。

 

 王都で大規模な火災でも起きれば防衛戦が一気に崩れる可能性もある。

 皮肉なことに、つい最近西港ディサイでもあったことだ。

 反乱軍と通じてのことかそうでないのかは関係なく、治安の悪化に乗じて窃盗強盗を企てる者もいた。

 ただ戦場で戦うだけが戦争ではない。王都防衛軍の地の利を生かす為に、治安維持に細心する。

 王宮内や教団本部は院仕隊が警備態勢を固めており、そちらにも隙はない。

 

 

 

 国軍所属の二人は警邏の為、王都東の街区を北に向かって歩いていた。

 日が暮れたとはいえ静かなものだ。

 すぐ近くで戦闘が続いていて、この辺りの住民も駆り出されているのだろう。

 おとなしくさせる為に、事前に中央から食料の配給もあった。無用に外出する必要もない。

 

「落ちぶれた右流伯の末路だってよ」

「お偉い方々の考えることは俺らにはわからねえなぁ」

 

 西港ディサイがホスバルドルに奪われたことは皆知っている。

 だが、その西港の主コスタス・マクリアスが生きていたことはまだあまり知られていない。

 つい数日前に防衛軍前線に現れたというのだから、そう知れ渡ることもない。

 王都内部の見回りをする国軍兵士も、今日になって耳に入った噂を話の種にしながら警邏に歩いているところだった。

 

「ま、陛下に拝謁できたとしても打ち首だろ」

「違いない」

 

 トローメ建国以来で最悪の敗軍の将だ。処罰されないはずがない。

 何のために王都まで来たのか。

 

「足がひん曲がってたって? そんな体で処刑されに王都まで来るもんかね」

「雪辱戦でも任せてもらえると考えたんじゃないか? こっちはそんな余裕もないのにさ」

「お貴族様は命令すりゃあ俺ら兵士がよろこんで死ぬって思ってるらしいぞ。はっ」

「名誉なんかで腹が膨れるかよ。死ぬのは自分らだけでやってくれってな。まあ」

 

 決められたルートを二人で喋りながら歩く。

 ここ数日、何度も繰り返した道で飽き飽きしている。噂話でもしていないとやっていられない。

 正規兵が巡回しているという事実が抑止力だ。別に周囲くまなく神経を張ってやることではない。

 

 

「トチ狂って太光師さまに襲い掛かったって言うんだから、最初から頭がイカれてたんだろ」

「怪我を治してもらってすぐにぶっ潰されてんじゃ、ただのムダ――」

「貴様ら、不敬であるぞ!」

 

 静かな夜道をすっかり気を抜いて歩いていた二人の兵士に厳しい声が突き刺さった。

 はっと足を止め、姿勢を正して声のした方に向く兵士たちだったが、

 

「……ってなんだ、おどかすなよ」

「はっ、呑気にくっちゃべってるお前らが悪い」

 

 声をかけてきたのは別の道から来た二人組の兵士だった。

 王都は広い。同じように二人組であちこち巡回しているのだから、出くわすこともある。

 口やかましい上官ではなく気心の知れた同僚でよかった。上官殿が夜の警邏に出ていることなどそうそうないわけだが。

 

「気も抜けるだろ。なんにもありゃしねえ」

「ほんとだぜ、静かなもんだ」

「こっちもおんなじ、戦争やってんのがそんなに怖いかねぇ。どいつもこいつもビクビク縮こまってやがる」

 

 合流ついでに驚かせてきた兵士たちの方も似たような様子だったらしく、無意味な巡回に嫌気がさしているようだ。

 町全体が息を殺してひっそりと。

 トローメの中心である王都イオドキッサが、まるで貧しい寒村のごとく。

 

 

「騒ぎが起きて面倒なのもごめんだけどな」

「いくら王命だからってこうもおとなしくなるかね。街娼の一人もいねえ」

「王都の市民だ。みんないい子ちゃんってことさ」

 

 不要な外出禁止。集会禁止。

 そう言われたからと言って全員が言う通りにするとは思えない。

 人がいないのかと言えばそうではない。屋内に人の気配はある。

 息を潜め、戦災がどこかに去ってくいれと祈るような空気。

 実際に戦線が迫っているわけでもないのに、目の前に災いがあるかのように。

 

「……んで、噂の右流伯閣下はどうなったって?」

 

 話題を変えるように合流してきた兵士が尋ねた。

 断片的な噂は耳にしていても詳細は知らないらしい。

 

「ああ、オルミ太光師に素手で腹ぁぶち抜かれて吊るされたってよ。鳥の餌だ」

「やっぱり司祭様はすげえな。将軍様より強えよ」

「そりゃあ将軍様はお貴族様だ。世界を救って下さる司祭様とは比べられねえさ」

 

 兵士の中にだってわりと敬虔なエクピキ教信者はいる。

 エクピキの司祭は世界を救い人々を導く使命を帯びた特別な存在。

 ただ血筋だけで上に立つ貴族とは違い、この世の悪と戦う実力を備えている。

 太光師ともなればその頂点。中でもオルミ太光師は最強と名高い。

 

「太光師御自ら前線に立っておられるんだ。イオドキッサのこの陰鬱な空気もすぐに晴れるだろ」

「お前は単純でいいなぁ」

「俺らの懐にもお恵みがありゃあ文句はないさ」

 

 再び夜の町に足を進めながら、兵士たちの心に奇妙な胸騒ぎが湧く。

 静かな町。王都イオドキッサ。

 何か糸が張りつめたような危うさを肌で感じながら、それが何かはわからなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「アユミチくん、わかりますかぁ?」

 

 アユミチは格闘技経験者ではないが、押さえ込みが完璧に入った状態というのはこういうものだろうと実感する。

 筋力でも勝てない敵がアユミチに密着し拘束する。

 目で確認できないが、足の方もタコのように絡みつくビッテスの足でまともに動けない。

 左腕を振り上げた状態で腹に潜り込まれていて、このままでは首の筋が()りそうだ。

 

「お仲間さんの軍隊は雪崩の中ですしぃ、可愛いカヨウちゃんはザイドロス様の手の中ですよぉ」

「どけ、このっ!」

「ふふっ、かわいいですねぇアユミチくん」

 

 ビッテスがアユミチの腹で身をよじると、彼女の乳房が蠢くようにその柔らかさをアユミチの体に伝えてくる。

 冬の行軍だ。薄着ではないのに、やたらと生々しい感触。

 気持ちの悪い生き物。

 

「助けてあげますよ、えぇもちろん。私とアユミチくんの仲じゃないですかぁ。だぁからぁ」

 

 気色が悪い。

 どの口で言うのか。

 ゼラを殺したビッテスが、リグラーダを殺したビッテスが、甘ったるい声でアユミチに囁く。

 

「嘘でもいいんですよ、アユミチくん」

「く……」

「この場しのぎの嘘でもいいんじゃないですかぁ? そう、カヨウちゃんを助けないといけませんよねぇ? だからぁ」

 

 ビッテスの左手がアユミチの胸を撫であげ、首に指を伝わせ、頬を包む。

 柔らかく温かい。熱い。

 

 

「私を選んでくださいませ、ね? ほらぁ、はやくぅ……はやくしないと、カヨウちゃんがどうなっちゃうか……ふふっ、それも彼女のしあわせですけどぉ」

 

 カヨウがザイドロスの手に落ちる。

 ザイドロスの居場所を目指してビッテスが潜む罠にはまった。

 すぐ近くにザイドロスがいたはず。不気味な力を有すると同時に、エクピキの高位司祭は争いにも長けている。

 

「小さなあの子だと、ザイドロス様のお相手したらきっと裂けちゃいますよぉ」

「黙れ」

「でも大丈夫、男の人のアユミチくんにはわからないですよねぇ」

「うるさ、んぐぅ」

 

 ビッテスの指がアユミチの喉首を掴み、万力のような力で声をねじ伏せる。

 声を出せず、かふかはと呼吸を確保するのに必死にさせられる。

 魔法などなくともアユミチを屈服させる力を持つ女。

 

 

「痛いのとぉ、癒されるのがいっぺんに、何度もなんどもなんかいもずぅっと繰り返されちゃうと、ねぇ……あぁ、んっ……」

 

 アユミチを押さえつけながら何を思い出すのか、ビッテスの足がぎゅっと絞られる。

 熱い息をアユミチの腹に吹きかけながら。

 

「体の奥を傷つけられて、暴れて、でもその痛いのがすぐに蕩けちゃいそうな感覚で塗り替えられちゃうんですよぉ……みんな、誰でもみぃんな、とろっとろになっちゃうんですぅ」

「か、はっ……!」

「初心な処女が次の朝には自分から舌を伸ばしてエクピキのお恵みをほしがるのを、いっぱいいっぱい見てきました。ザイドロス様の【指】はとっても素敵なんですよねぇ」

 

 アユミチの喉と顎を絞るビッテスの【指】が、淫らな記憶をなぞるように蠢く。

 

「薬指をうしろに、中指を……そう、ずぅっとすごくしていただきながら、そうするとぉ……ほら、手の平が一番イイところにきて下さるのがわかるでしょう? あぁアユミチくんは男の子だからわかりませんかぁ? わたしあれとっても好きなんです。私だけじゃなくって」

「ふ、がへ」

「あのリグラーダさんも、かわいい声で鳴きながらキスをせがんでましたねぇ」

「っ!」

 

 ぎりぎり窒息しない程度の力でアユミチを締めるビッテスを、充血して赤く染まる視界で睨みつけた。

 許せない。

 死んだリグラーダを辱め、嘲笑するこの女を殺す。絶対に殺す。

 

 

「可愛いカヨウちゃん、可愛らしいカヨウちゃんですよねぇ? 早く助けに行かないと……ザイドロス様はとってもお気に入りでしたよ」

 

 カヨウはザイドロスの【指】の幻惑を打ち消した魔法使いだ。

 あの時、ひどく動揺していたのは知っている。

 カヨウに固執していたとしても不思議はない。

 

「カヨウちゃんが、小さなお口をあけてザイドロス様の長いながぁい舌をほしがっちゃう前に……どっちのお口でしょうねぇ、あはっ」

 

 何がおかしい。

 歯を食いしばりもがく。しかしアユミチの左手は自分の背中側を掻くくらいしかできず、右手は二の腕をつぶれそうな握力で掴まれていてまともに動かない。せいぜい手首から先だけ。

 

「さあアユミチくん、言ってくださいまし。ええそう、嘘だっていいんです。わたしを選んでくださいませ」

「んぐ、ぇ……」

「ゼラよりも――」

 

 すぅぅっと。

 熱かったビッテスの吐息から温度が消える。

 

「あの女よりもわたしが良いと。ゼラよりもビッテスを愛している、ねぇ……? それだけ。たったそれだけですからぁ」

 

 上っ面の言葉でいいから、と。

 そう、ビッテスが求めているのはアユミチの愛情だとか心だとか、そんなものではない。

 ただ自分が、自分に屈辱を味合わせたゼラに勝ち、ゼラより上に立ち、ゼラが命がけで守ったアユミチを奪ったという虚飾を欲しがっている。

 

 

「はやく言ってくださらないと、アユミチくん」

「は、ふはっ……」

「もう手遅れかもしれませんよぉ? 可愛いあの子の喉の奥も、鼻の奥も、耳の中もザイドロスさまの涎でいっぱいになっちゃってるかも……なっちゃいますよ」

 

 喉を掴む力をわずかにゆるめて、再び生温い腐った吐息で囁きかけた。

 

「言って。ね、言って下さったら全部許してあげます。もちろん、どんな淫らなことも全部なんでもいいんですよ」

「ふっはぁ……」

「それともぉ……カヨウちゃんがママになるのを見たいですか? それも見物かもしれませんけどぉ」

 

 止められかけていた呼吸が戻り、何とか息を吐き、吸い込む。

 苦しい。

 ビッテスの乳房に押される腹が苦しい。

 

「失ってから後悔しますか? あの女の時みたいに」

「……」

「どうせアユミチくん、なんにもできないでしょう……あなたにはあの女も守れなかったし、あの子も守れない。違いますか?」

「……あ、あぁ……」

 

 ゼラを守れなかった。

 カヨウを守る力もない。

 ビッテスの要求に屈して、ただ言葉にすればいい。

 自分の無力を認め、惨めでも無様でもとにかくカヨウの無事を願うくらいしかできない。

 

 

「ゼラ……」

 

 言葉にする。

 口にする。

 

「リグラーダ……」

 

 ビッテスを裏切りアユミチを守って死んだリグラーダ。

 詫びる言葉もない。報いることもできなかった。

 

「カヨウ……」

 

 情けないアユミチにいつも寄り添ってくれるカヨウ。

 カヨウが自分からアユミチに何かを求めることはない。

 ただ与えてくれるばかり。

 小さく華奢な体なのに、アユミチの背を支えてくれる。

 

 

「ビッテス……俺は……」

 

 窒息しかけ、情けなさも相まって涙がにじむ目でビッテスを見た。

 美しい顔に黄金色の宝石のような瞳。

 造形美というだけではなく、女としてどう見られるか、見られたいかが染みついた柔らかな表情。

 

「俺はお前が大嫌いだ、臭いんだよビッテス」

 

 ゼラを守る。

 リグラーダも守る。

 彼女らの尊厳を、たとえ今この世にいないとしても、彼女らの尊厳はアユミチが守る。

 

 カヨウの身も必ず守る。

 だから、ここで俺がビッテスを――

 

 

「あーあ、もういいです」

 

 ぶつん、と。

 喉を絞る指に力がこめられて、何か糸が切れるような音がした。

 切れた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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