法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

176 / 237
6-12.誇り高く

 

 捨て森の薬師について、キデ・マノスはよく知らない。

 キデだけではない。左潮伯である父カッダも、南部総督アリストも、噂に聞く以外のことは知らない。会ったことがないのだから。

 しかし。

 

「なんという男なのだ……」

 

 感謝はしている。

 父が庇護していた王子ニーモの命を救ってくれた。

 万一の為に、カッダもキデも同じ薬を飲んでいる。

 ムンジィの話だと、事前に飲むことで死病から守ってくれる効果もあるという。

 捨て森という逃げ場がなくなったことで死病への恐怖心は皆高まっている。

 奇跡の薬を身内に優先して飲ませたことは、気が咎めないでもないがしょうがない。誰だってそうする。

 

 薬師アユミチはファニアの夫であり、北府で生きていると聞いた。

 彼がいればまた薬は手に入る。

 内戦での勝利に次いで彼の確保は重要事項だった。

 重要事項のはずだった。

 

 

「吾輩も商売をしておりましたので。キデ閣下以上に戸惑い、悩みましたぞ」

「……だろうな」

「ですが、これこそがアユミチ殿なのです。まさに彼らしい」

 

 戸惑い悩んだと言うわりに、髭の商人は晴れやかに、まったくもって清々しいほど楽し気に笑う。

 

「治療法を探し公表したいと。それを吾輩に任せたいと言って下さいましてな」

「彼には治せるのだろう?」

「されどそれは女神様よりの賜りものによるとのことでして」

 

 不思議な酒瓶を持っているとも聞いた。

 薬師本人以外に開けることはできず、神の美酒が無限に湧くのだとか。

 

「人の手により死病を治せるよう探してほしいと。吾輩の……少し特別な力がございますれば、それをもって治療法の確立をとお命じになられたのです」

 

 特別な力。

 それが何なのか知らないし、詮索もよくないだろう。

 普通なら、自分だけが持つ特別な力は独占し、隠匿し、自利の為に使うもの。

 イーペンが語らなかった気持ちは理解できる。

 

 

「吾輩やアスパーサ殿はアユミチ殿に救われ死病を畏れる必要がなかった。ゆえ、間近で看病と観察ができ申した。残念ながらなかなか救うまでには至りませんでしたが」

「そうか……」

 

 死病の研究ができなかったのはまさにそこだ。

 近寄れば死ぬ。

 誰も自ら好んで棺桶に足を突っ込みたくはない。

 過去にはそうした研究者もいたようだが、誰も成し遂げなかった。

 

「とはいえ、まだ完癒とは参りませんでな。病状をやわらげるところまではどうにか」

「毒蔓草と葉蛭、それに緑砂などと……トローメのどこでも簡単に手に入る材料とは」

「緑砂は沿岸に限られますな」

 

 港育ちのキデは内陸の事情に明るくない。

 それにしても、どれも調達に困らない材料から死病に対する薬ができるとは。

 罹患すれば必ず死ぬと言われていた死病が、その症状の進行を抑え、運が良ければ回復に向かう。

 これまでのことを思えば劇的な成果だ。

 

 

「死病の大本はアニラービーの死で(もたら)されたと伝承に言われております。アニラービーの嫌うものが毒蔓草の臭いと蛭だとアスパーサ殿がお聞かせ下さった」

「緑砂は?」

「コニー殿の一言ですぞ。吾輩とんと知りませなんだ」

 

 嬉しそうなイーペン。

 コニーとは、娘を鬼巫の花札にさらわれた母か。

 西港から一緒に東港まで連れてきた母娘だった。部下の中には娘プレヴラを絶対助けると息巻いている者もいる。

 そう、鬼巫の動向も気になるところではある。

 

「緑砂の大本は海底で育つ石のようなものだとか」

「ああ、馬糞岩と呼ぶ。ある程度大きくなると砕けて緑砂になり波際に溜まるんだ」

「まさに。傷が膿んだ時に緑砂を混ぜて洗うとお聞きしたもので」

 

 確かにそんな治療法もある。

 大抵の海岸には潮の加減で緑砂溜まりがあり、特に価値もない。なかった。

 だが、死病の対抗措置になるなら見方が変わるが、しかしありふれていて取り尽くすことは不可能だろう。

 毒蔓草も水蛭も同じく。

 

「そうやって作った薬を飲ませたのか」

「採取した血に与えて試し、効果がありそうだったものを」

 

 死を待つ患者にとって、何もせず死ぬよりは怪しげな薬だとしてもよかったのだろう。

 昨年までなら追放され捨て森で死ぬはずだった命。

 今は捨て森もなく、各地で死病患者が焼かれているとも聞いていた。

 その噂があるから死病にかかった者が必死で隠れ、今後は余計に被害が広がるだろうという予測もあった。

 

 

「見事だ、イーペン殿。よくぞ……」

「なに、まだ途上の道でありますゆえ」

「そうではない」

 

 まだ完全に治せるわけではない。研究途中だと口を引き締め髭を撫でるイーペンに、首を振り、頭を下げた。

 キデ・マノスは貴族の生まれで、次期左潮伯だ。

 常ならば、仮にキデが悪くとも軽々に頭を下げたりはしない。

 それが貴族というもの。間違えさせた者が悪いというくらいの対応も珍しくはない。

 

 だが、今は素直に頭を下げた。

 男として、人として、イーペンという男に頭を下げた。

 

「公表しないという道もあったはずだ。たとえ薬師殿……アユミチ殿がどう言ったにせよ、イーペン殿あなたが公表する必要はなかった。今、王都に広がろうとするこの病魔の災厄に対して、あなたはどれだけでも対価を求めることができた。抱えきれないほどの財貨を得る好機だった」

 

 イーペンは薬の製法を南部東部に公開し、作った薬を持って軍の後を追ってきた。

 ファニアが言っていたのだ。過去に王都で彼女は罠に落ちて死病に感染したと。

 同じことがないとは言えない。あり得る。

 その対抗手段を研究途中のイーペンに依頼し、ファニアは進軍した。

 ただ薬を持ってくるだけでも十分な成果だったのに。

 

「イーペン殿。あなたは自らの利を捨てて人の道を選んだのだ」

「ふむ……気づきませんでしたな」

 

 そんなわけがあるか。

 髭を撫でつけ、その口元がわかりやすく上がっている。

 自慢げに。誇らしげに。

 

 

「あなたと、捨て森の民には必ず報いよう。このキデ・マノス。心より敬意を表する」

「頼もしいお言葉、痛み入りますぞ」

 

 薬師アユミチの方はよくわからない。

 よくわからないが、治療法の確立はアユミチにも利があることだ。

 彼自身の価値は落ちても、世界で唯一死病を治せる存在という危うい立場から逃れられる。

 だからイーペンに治療法を研究させたのかもしれない。

 

 しかし、イーペンにとってはどうだ。

 命じたというアユミチは遠く、正直なところ生死も定かとは言えない。

 仮に再会を確信していたとしても、イーペンが商売っ気を出しても咎められることもなかったはずだ。

 

 だが、イーペンは確実に儲かる製法を公にして、商機をふいにして、ただちょっとばかり自慢げな顔で笑う。

 信じられない。

 

 

「大したことでもありませんぞ」

「馬鹿を言うな」

「それです」

 

 キデの言葉に、イーペンは我が意を得たりと大きく頷いた。

 何がそれなのか。

 

「アユミチ殿があまりに馬鹿でしてな。吾輩もすっかりうつったというわけでございますな。馬鹿がうつるとはなんとおそろしい」

 

 わっはっはと大笑いするイーペン。

 貴族の言葉尻をつかまえて大笑いとは、とんだ無礼者なのだが。

 

「は……ははっははっ! そうか、それはおそろしいな!」

 

 砦の外には、押し寄せた国軍兵士……既にもう兵士とは呼べない残党に、薬が与えられているところだろう。

 治療法がある。助かる(すべ)がある。

 恐慌状態を抜け、死人の群れのようだった者たちに、ほんの少し道を照らす。

 鮮烈なエクピキの奇跡とは違うが、これこそが神の導きと尊ばれるべきものなのかもしれない。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。