法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
――あははっ! 気持ちわるぅい!
――ふふっ、こんなの見たことありませんわ。
――ねえ若様ぁ、これって立ちますかねぇ?
エクピキの司祭の大半は司祭の子だ。
陽輝卿の例を除けば、太光師の子が必ず太光師になるわけでもない。親子関係が希薄で、顔を合わせたのも数えるほどということも珍しくない。
ただ高位司祭が認知した子であれば、ほとんどが成人時に【指】を授かる。十五歳。この世界で男児に陰毛が生え一人前とされた時点で。
【指】があれば信仰を集めるのも容易い。徳を積み、主光から認められ陽灯小司、陽灯中司、陽灯大司と昇っていく。
まれに地域でエクピキ教の布教、啓蒙活動に励み、その功績で【指】を授かる者もいるが、まれだ。
全ては主光の裁可。
司祭の子たちの多くは、成人するまでは神職を学ぶ為に共同生活をする。
同世代の者たちと共に、王都のエクピキ教団の区画で。
ザイドロスは陽灯小司の子だった。
幹部候補、エリート意識の高い若者たちが集まれば、当然に光と影が生まれる。
ザイドロスは決して要領がよい方ではなく、ひょろ長くバランスの悪い体躯はどうしたって目立ちやすい。
高位司祭の子らで繋がるグループに目をつけられ、からかわれ、虐げられた。
大海魔カルマリィを討伐し建国に寄与したエクピキ教団の司祭は、伝統的に武力の高さも求められる。
教団の私兵としての側面もあった。
学び舎では教義や歴史、人の心理等に関する勉強とは別に、武闘訓練もする。
当時のザイドロスは、必要以上の苦痛や苦汁を強いられた。
相手にすればちょうどいい発散対象だったのだろう。
怪我をさせても【指】持ちが治す。
痛み苦しむ姿から、よだれを垂らして失禁する様子まで笑いものにされた。
いずれ人を導く時の為に、と。
高位司祭の家が一般の者を召使として学び舎に入れていた。
これも女。慰み者。同世代か少し上くらいの女たち。
彼女らもまた、属する家の子と同じ高さからザイドロスを見下ろして嘲笑する。
頭も体もひょろ長く、指の節も他人より多いザイドロス。
ある時、彼ら彼女らに囚われ、裸にひん剥かれた。
そっちも長細いんだと高位司祭の子が言って、女たちが見たいみたいとせがんで。
辱めを受けた。
恥を掻かされた。
笑われ、蔑まれ、挙げ句に女たちの手練手管で情けない様を晒した。
恥を。
恥辱を。
ザイドロスが太光師まで上り詰めたのは、復讐心があったからに他ならない。
【指】がなくとも、剛力がなくとも、他人を思い通りにできる力を欲した。
教団には多くの資料があった。人の心を操り、捻じ曲げ、磨り潰す方法を探求してきた結果が。
学び舎にいる多くの者は、いずれ【指】をいただけば不要になるものとして見向きもしなかったけれど、ザイドロスは違った。
ずっと劣等感の原因だった自分の体躯を活かし、それらの技術を研いた。
ひょろ長いと嗤った女たちに、そのひょろ長いものを欲して狂うまで。
【指】持ちとして成り上がった後に、当時のことをすっかり忘れたような彼らを理由もなく処断した。
手首から先だけを溶鉄に固め、大罪人の奴隷として下水路清掃の奴隷に落とした。
ただ【指】を奪うのでは許されない。
あるのに使えない。これがもっとも口惜しいだろうと。
復讐を果たし、けれどまだ満たされない。
ザイドロスが味わった恥辱を、汚辱を、屈辱を。
もっと多くの者に返し、与え、伝えていきたい。
その想いこそがザイドロスの心の底にこびりつき、強い力となった。
◆ ◇ ◆
「
全てが崩れ落ちる。
何を見ていた。
何を見せられていた?
女の瞳にザイドロスの目玉を映そうとしていたのだ。
ザイドロスの目玉に映っていたものは?
「大きな魔法は使えなくても」
娘はどこに。
ザイドロスが握っていた小娘の手は、届かない。
もっと向こう。もう少し遠くに。
「近くで対象を絞れば、できるんですよ」
ザイドロスの展開した幻惑を打ち破る為に大魔法を使った。使わせた。
小娘の力ではそれ以上は無理だ。
そして、熟達の術を持つザイドロスに対して、小娘ごときが小技で上回るはずがない。
「ぬ……ァ?」
小娘が握るかんざし。
最初は白金の切っ先がザイドロスを差していたように思うが、今は逆。
「わた、くしが……」
ザイドロスが小娘に見せようとしていた時、小娘もまたザイドロスに見せていた。
そこにはない幻を。
「とても間抜けな顔でしたけれど、ちょうど刻限です」
手が届かない。
いや、手がない。右手が、手首の先からぶっつりとなくなっていた。
「あば……」
雪の上にぼとりと落ちたザイドロスの右手と、遅れて右手で転がる人間の身体。
斬られて、反射でなぎ倒していたらしい。兵士を。
「く、っそ」
左から悔しそうな声が。
左手の甲から食い込んだ刃は、表の【指】まで切り抜けず食いこんだまま。
見て、激痛がザイドロスの神経を掻き毟り脳髄を無遠慮に
「ンび――――っ!?」
ザイドロスの目玉が飛び出すほど見開かれ、視界が赤くぼやける。
左手に剣を食い込ませた兵士はそのまま倒れた。
背中に短剣が刺さっている。近くに伏せていた影潰しのものか。
手首を切り落とそうとしたところ、背中を刺されて目測を誤ったようだが、ザイドロスの脳では瞬時に理解できない。
「ぶぁた、わだぐしに恥を!」
理解できたのは、何を置いても理解したのは、その事実。
「わだぐしに恥を掻かせましだなぁぁ! ごむず――」
げべっと血を吐いて、温かい血の熱でわかった。
手は届かない距離だけれど、少女の足は届いていたのだ。
しゃがみこみ、よだれを垂らしそうな笑みを浮かべていたザイドロスの顎に。
だらりと垂れさがった舌が、上下の歯で半分千切れるほど潰されていた。
「ごの、がよ! 淫売の娘がわだぐじにっザイドゥに足を! 恥じぼぉ!」
許せない。許さない。許されない。
その淫らで卑しい下腹に穴の奥にエクピキの子を植え付けて授けて孕ませてやろうと言うザイドロスに足を向けたのだ。足蹴にした。
どんな罰が必要か。
腹と命さえ残っていればいい。
両足を付け根から切り落とし、糞ハエより下卑な強姦魔にくれてやろう。
それが自分の足を舐めまわし、噛み千切り食うのを見せるのだ。
今度は幻覚ではない。
幻肢痛というものがある。
失くしたはずの手足の感覚を感じるという症状。
醜悪な男に舐め回され、快感を覚え、ザイドロスに泣いて赦しを乞うまで自慰をさせてやろう。
他で得難い大切なエクピキの母体。殺すわけにはいかない。
鬼巫でもよかったが、若い方が好ましい。
「これで終わりだと思うた! おぼいましたかカヨウひめぇ‼ ばひゃあ!」
左手の【指】が光を放つ。
異能である幻惑を使うには足りないが、通常の光はまだ使える。
カヨウが言った通り、近くで、対象を絞れば。
自分の身体を癒す為にだけなら、まだ輝く。
周囲を察知し、状況を理解した。
カヨウを守ろうと兵士たちが集まってきて、ザイドロスはそれに気づかなかった。カヨウの幻術に落ちて錯覚させられていた。
ザイドロスの近くに伏せていた影潰しの女たちと戦闘になりながら、ザイドロスに迫った。
激痛にくらくらしながら、嗤う。
太光師の位に就くまで武闘の修練も怠らなかった。ザイドロスの個の戦闘力も並みの兵士ではない。
精鋭だとしても少数。影潰しとの戦闘でそれも数を減らしている。
体を癒してしまえば切り抜けられないものではない。
ちょうど刻限。
つまり、カヨウもまた限界だったのだ。ザイドロスを
兵士どもの集まりについては計算外だった。
カヨウと遭遇する前に、ザイドロスは幻惑を展開していた。
北府軍全体への幻惑が破られた後、カヨウと兵士たちを分断するように。
その幻惑を破られた感触はない。あれば気づいたはず。
どうやって?
まあいい。関係ない。
とにかく、千切れかけの舌を、左手の甲と失われた右手を癒し、生き残っている兵士どもを殺してカヨウを連れて教団に戻る。
可能だ。
軍をも屠るザイドロスに対してよくまあ抗ったものだ。
カヨウ、カヨウ姫。
不遜で賢くこざかしく愛らしい可愛らしいカヨウ姫。よく頑張りました。
しかし、一手足りない。
ああ、せっかくですから切り取ったザイドロスの舌をお前の穴いっぱいに詰め込んでやるのも楽しそうでございます。
いくらでも生えてくるのでございますから。
「ひゃ! ひゃ!」
左手に食い込んだ剣を振り払い、血まみれの【指】を口に捻じ込んだ。
輝きがザイドロスの舌を癒し、血管を神経を筋を肉を快楽が巡り巡ってザイドロスの全身を癒す。
むきゅむきゅと右手が、失くなった右手が、股間が膨張するような感触とともに生えてきた。
「あなたが言ったんです」
カヨウは数歩下がりながらザイドロスを見上げる。
瞳をそらさず、ザイドロスも目を逸らさない。逸らせない――?
「私の輝きは隠せない、隠し切れないと」
「ひ」
カヨウの幻術さえ切れれば周囲の状況はわかる。手に取るように。
周囲の地形、鼓動、言動を察知する能力ならザイドロスは太光師でも群を抜く。
だから――
「?」
だから、反応した。
想定外の方向から飛んできた杭のような矢に右手を向けて、けれど新しい右手には【指】はなかった。
地面に落ちている手首から【指】を拾うか、主光ゲニーメに再び授からなければ。
「ノクサ!」
今ほど気持ちよく生えてきた右手の平に杭が突き刺さり、大きく体が開かれた。
口に入れていた【指】と左手を涎交じりに吐き出しながら、矢のように飛んできた男の突進を腹に受けた。
「ぶぶぇっ!?」
並みの兵士ではない、どころではない。
一線級、常識外れの力のぶちかましをまともに食らい、そのまま大樹の幹にまで叩きつけられた。
「悪かった!」
男が謝る。
大きな声で、ザイドロスに?
不敬を働いた男がエクピキの輝きを抱くザイドロスに許しを乞うのは当然か。
「いえ」
違う。もちろん違う。どうして違う?
ぶちかまして後ろに置き去りにしたカヨウが、カヨウ姫が、まるで尊い姫のごとく悠然と応じ、頷く。
「いつものことですよ。お兄ちゃん」
ザイドロスの体を大樹に締めつけながら、男は苦く笑った。
◆ ◇ ◆