法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-15.波の起伏

 

「いつものことですよ、お兄ちゃん」

『あはっ、言うじゃない。平気そうね』

 

 笑ってくれるなよ、と苦笑い。

 言われたアユミチとすれば笑えない。いつも本当にすまなく思う。

 しかし、ノクサが笑った通り一言で不安を拭い去った。

 賢く、頼もしい子だ。

 

「今は」

 

 カヨウは無事。なら今すべきことはひとつ。

 ザイドロスを殺す。

 腰のダガーを逆手で抜き、そのまま突き立てる。

 

「きさっ!? ビッテスは何を」

「死んだよ!」

 

 ビッテスが相手をする以上、アユミチが戻る可能性など考えていなかったのか。

 実際、あれは異常なレベルの強者だ。

 アユミチがどうにかできたのは奇跡に近いまぐれだが、アユミチだからビッテスが判断を誤った。

 ザイドロスが信じられないのも無理はない。

 

 

「そのような」

「お前も!」

 

 思い切り胸に突き刺そうとしたダガーを、【指】のついた左手で払われた。

 切れない。

 【指】は異様な硬さとゴムのような感触を併せ持つ。以前、捨て森でもそうだった。

 

「なぜ折れぬ! なぜ砕けぬのですかぁ!?」

「知るかよ!」

 

 アユミチの使うダガーはリグラーダのものだった。

 切れ味が良いのはわかる。妙に頑丈だとも思ったが、ザイドロスの疑念はどうも違う。

 陽灯司の【指】はエクピキのコピー品だったか。神のコピー。

 普通の武器では歯が立たないものかもしれない。

 

「神なら切った! お前も!」

 

 このダガーでリグラーダはアニラービーを斬っていた。

 あれも神もどき。似たような神もどき相手に負けはしない。

 

 

「このような! 下民にわたくしが!」

「るっせぇ!」

 

 ザイドロスの右手には太い釘のような短矢が突き刺さったまま。握る力が入らない。

 ぶちかましで大木に体を叩きつけた。ダメージは明らか。

 そもそも既にかなり消耗していたようだ。カヨウや兵士たちのおかげで。

 それでも、ザイドロスの力はアユミチより上だ。押さえつけていてわかる。

 今は大木とアユミチの押し込みで拘束しているが、自由にさせたら勝てないかもしれない。

 

「ここで!」

「いひゃあ!」

 

 再びの振り下ろしも【指】で防がれた。

 逆に、長い腕と指の異様な関節でアユミチの目を抉ろうとしたその手を、今度はアユミチが振り払う。

 決定打に欠ける。

 ノクサの力を使いたいが、一瞬の隙で目や喉を持っていかれそう。

 

 

「恥がどうとか言っていましたけど」

 

 まるで何かに目を奪われるように、ザイドロスの意識がほんの少しズレた。

 アユミチにとって十分な隙とは言えない、本当にわずかに。

 

「お前は生きているだけで十分に恥ずかしいですよ。ザイドゥ?」

「か――」

 

 ザイドロスの目玉の血管が膨れ上がる。

 アユミチを映さない。

 

「ほら、気持ち悪い」

「ノクサ!」

 

 ザイドロスの意識が逸れた隙に、ダガーを握る手に精一杯の力を込めた。

 予備動作の隙が生まれた。

 精一杯の力を込めて刃を突き立てた。

 

「だぁぁ!」

「むぐぅぅぅぅ!?」

 

 アユミチの右手に激しい痙攣のような感覚を受け、次の瞬間にはずだぼろになったザイドロスの左手が弾けた。

 ぐじゃぐじゃのミンチになった左手から【指】がぼろっと地面に落ち、最後にザイドロスの喉元にダガーが突き刺さる。

 

 

「ぶひゅ……」

『アユミチ、後ろ!』

「っ!」

 

 ノクサの声を受けて即座に横に転がった。

 いちいち後ろを確認などしていられない。ノクサが示す方向を無条件に信じて転がると、飛んできた何かがアユミチの袖を掠めてザイドロスにぶつかった。

 

「つ……」

「うどりゃぁ!」

 

 アユミチを殺そうとした女兵士。おそらく影潰しの一員が勢い余ってザイドロスの腹に刃を突き刺し、その後ろから追った北府軍の兵士がその女を背中から叩き切った。

 乱戦の中。ザイドロスと一対一というわけではない。

 

「ご無事ですかアユミチ殿!」

「あ、あぁ……助かった……助かりました、ありがとう」

 

 ノクサの声掛けで助かった。

 そして、北府軍の兵士のおかげで影潰しも仕留められた。

 見ればカヨウの左右には別の兵士たちが警戒についている。

 

 

「ありがとうございます、ジョカン次官」

 

 駆け寄ってきたのが北府官僚のジョカンだと気づいて改めて礼を言いながらカヨウに寄る。

 周囲を警戒しながら。

 

「いやいや、お二人を危険にさらしてしまい悔恨の極み。ですが……」

「……」

 

 ビッテスとの戦闘の後、何かに惹かれるようにここに辿り着いた。

 ビッテスとて空を自在に飛べるわけではない。極端に離れたわけではなく、アユミチの足で間に合う距離。

 戦闘に気づき、カヨウの背中越しにザイドロスを見つけた。

 だらしない顔を晒していたザイドロスの顎をカヨウが蹴り上げ、その形相(ぎょうそう)が憤怒に変わったちょうどその時に。

 

 後は今の通り。

 周囲の戦闘にまで気を配る余裕がなかったが、北府の精鋭がザイドロス手下の影潰しと戦っていたようだ。

 兵士たちの死体もあれば、影潰しの女の死体もある。

 今、アユミチを襲ったのが最後の一人だったらしい。

 

 

「やりましたな」

「……」

 

 大木の幹に縫い留められたようなザイドロスの死体。

 元々、妙にひょろ長い枝のような造形、質感の男だった。

 目や鼻からどろりと樹液のように血を流し、絶望の表情で事切れている。

 

「……やりましたね、アユミチさん」

「難敵、あの太光師ザイドロスを討ちましたぞ」

「……あぁ」

 

 太光師ザイドロス。

 ビッテスを連れて捨て森を襲い、ゼラやリグラーダ、皆を殺した奴らの親玉。

 その死体を見て、こんなものの為にと虚しさが心を過ぎるけれど、カヨウの声を聞いて頷いた。

 

『喜ばなくてもいいんだよ』

「……あぁ、そうだな」

 

 ノクサの声はアユミチにしか聞こえない。

 だからきっと皆は、ジョカンやカヨウの言葉に頷いたと思っただろう。

 勝利を喜ぶという気持ちにはなれなかった。

 ひとつ、課題をクリアした意識はあるけれど。

 

 

「いや……ああ、ここでこいつを倒せたのはよかった」

 

 憎むべき仇を討ったのに、嬉しいとかそういう気持ちにはならない。

 しかし、間違いなく前進だ。

 エクピキを打倒し、レーマ様再臨の場を整える。そうすればゼラが生き返る。その為に戦っているのだから。

 

「大軍を迷わせるくらいの幻術使いだ。王都の中で出くわしたらもっとひどかったかもしれない」

「まさしくアユミチ殿の仰られる通り」

 

 そう考えると恐ろしい。

 北府軍という戦力があったからザイドロスを引っ張り出せたが、王宮内などで遭遇していたら、使い方によっては致命的な同士討ちをしていたかもしれない。

 対抗手段があると思い、軽視していた。

 あらためて自分の迂闊さにぞっとする。

 

 

「すみません、ジョカン次官。敵の罠を見抜けず被害を……」

「まさか。敵の首領の一人ザイドロスを討ち、影潰しも数を減らしたのです。この程度の被害で済むとは思ってもおりません」

「それでも、死んだ人は戻らない。彼らの家族に……」

 

 生き残っていた兵士たちが、まだ警戒しながらも死んだ同僚の遺体を正すのを見る。

 戦争だ。味方が誰も死なないなんてことはない。

 

「……アユミチ殿のお言葉と共に、十分な恩賞を届けましょう」

「お願いします」

 

 カヨウの左右を守っていた兵士の姿勢がわずかに伸びた。

 唇を噛みしめ、アユミチに向けて頷いてくれる。

 何をしてやれるわけでもないアユミチに、そんな顔をしないでほしい。

 ただ、カヨウを守ってくれることには感謝を。

 

 

「本隊の方はどうです?」

「そちらも先ほど伝令が参りました。アユミチ殿の慧眼によりほとんど被害はなかったと。それが逆に……」

 

 山の中腹。

 ザイドロスが軍の進行を惑わす為にやや高い位置に陣取っていたせいで街道からは外れている。

 主街道から別の道への分岐を一望できる山中。

 一望できるとは言っても距離がある。ザイドロスの【指】の光は届いたかもしれないが、アユミチの目で遠くまで見渡せるわけではない。

 

「敵の罠に被害が少なかった為に、勢いづいてしまったようで。既に王都に向かい進んでいるようです」

「……」

 

 集団というのは制御が難しい。

 アユミチ達が戦っている間に、北府軍主力は下の街道を進んでいた。

 敵に騙され、その罠を打ち破った。

 その意識が彼らの士気を上げ、自分たちも大きな働きをしなければ、と先走るのは人として自然なことでもあった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「いい稼ぎだったがトローメにゃ帰れねえなぁ」

 

 男は少し前まで馬番に過ぎなかった。

 馬番とは言っても大きなお屋敷の馬番。公子様を乗せる馬車を引き、世話する役目だ。

 

「元より、金をもらった時点でトローメには戻れんよ」

 

 馬番の男と一緒に飯を食っていた従者……元従者は首を振る。

 そうは言ってもトローメ寄りに街道を進んだのは、住み慣れた国に近い方が気が休まるから。

 他に数名いた同行者たちはあちこちに散った。

 あまり表沙汰にできない大金を手にして、後ろめたさもあっただろう。

 最初から主人の計画のうちだったのか。供に選んだのは家族や友人との付き合いの薄い者ばかりだった。

 

 

「ホスバルドルの軍隊様も大変だ。春の大攻勢に備えて国境に集まってたら、そこで死病の大流行だなんてよ」

「そのせいで国境にも近づけない。挙げ句に内戦だと」

 

 馬番も従者もやれやれと息を吐く。

 一生働くほどの金をもらったものの、異郷の地で行くあてもない。

 とりあえず生きていくのに困りはしないが、どうしたものかと。

 

「ご主人にとっては正解だっただろう。役目をはたして戻ったところで嫡男でもない、後継ぎになれるわけでもない」

「その跡目も、内戦でどうなることやらってか」

 

 彼らの主人は与えられた役目を放棄して姿を(くら)ました。

 同行してきた供に大金を渡して、後は好きにしろと。

 驚いたが、もらった金額に戸惑っているうちに主人は消えた。

 

 トローメの王都からホスバルドルに、友好の使者として訪問したはずだったが。

 この金は友好の証。その一部。

 本来ならホスバルドル国内でトローメと繋がりのある有力者に届けられ、たとえば国境に配備された軍を解散させる働きかけや、西港ディサイを占領している海将ノアカッセに叛意がある可能性を噂させるように使われたはずの金銭。

 

 

「トローメでは内戦。こちらでは死病の大流行と。もしご主人がご存じで逃げ出したなら、ついでに助けてもらったことになる」

「知ってたんなら教えてほしかったよ」

「言われても信じなかったさ。たぶんな」

 

 賄賂として贈るはずの金が届かないことで、トローメにとってどう不利になるか。

 ホスバルドルが攻め込む可能性は、国境付近から流行した死病で頓挫した。

 しかし本国は内戦のせいで先行きがわからない。

 全て主人は知っていたのだろうか。

 父である大公が用意した金を持ち逃げした公子様は。

 

「……俺なんかが考えても仕方ねえ」

 

 馬番などが考えても仕方がない。

 

「そうだな」

 

 従者も同じく。

 そんなことを考えるより、死病が迫ってくる前にもっと遠くに離れた方がいい。

 

「もっと遠くの国で、この金を元手に何か始めるか」

「だなぁ」

 

 消えた公子も、他の同行者たちも、皆似たような考えに行き付くのだろう。

 沈みゆく泥船のような祖国を離れて新しい人生を歩む。まあ悪くはあるまい。

 その泥船の中で死んでいくよりはずっといい。

 

 

「ふるさとに乾杯だ」

「トローメの栄光に」

 

 何となく波の合う二人、軽く杯を掲げて二度と戻らぬ祖国を偲んだ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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