法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
ファニアのことは好きになれなかった。
アハラマ様が目をかけ、
よその女に。
外の世界の女に。
意地悪な気持ちを抱いて、つらく当たることもあった。
お前なんか仲間じゃない。私は認めていない。
ファニアが深手を負った時も苛立ちを感じた。
同時に、どこか嬉しい気持ちもあった。
これで追い出せる。
アハラマ様の周りは私たちだけでいい。里の女だけいればいい。
アハラマ様の瞳に映るのは私たちだけで、お前なんかいらない。
レフカースの中にそういう気持ちは確かにあった。
だから、あの、不吉な下町に彼女を一人で行かせるように――
◆ ◇ ◆
火事場、鉄火場に直面した時。
予想できていた範囲内や少しズレた事態までなら、理解し対応しやすい。
大きく外れてアユミチの脳が追いつかない。なんだこの状況は。
エクピキ教の本部に踏み入り、危険がないなどとは思っていなかった。
カシキ陽灯司長が教団を裏切ったのは、どこか納得いくところもあった。アユミチの命の恩人で、根っからの悪人ではないと思いたかっただけかもしれないが。
そのカシキが言う、ゼラの偽物というのも腑に落ちる。
今も大聖堂に残る柱の傍に倒れている。
カシキが裏切り、その隙にアパティを倒そうと仕掛けて、失敗した。
機を逸した。
アユミチは戦闘の達人ではない。届かない。
もうダメかと思ったところで、アパティの後ろから現れた男はカシキの協力者らしいことを言うタシモ・ティッダーン。
男の影から、不自然に伸びた影から飛び出してきた女たち。
タシモの方は、何か力を使い果たしたように膝を着いた。
鬼巫。
西港ディサイでアユミチの首を切った鬼巫と、同じ顔がもうひとつ。
それらに続くのが花札だったのだろう。
アパティの右手を地に落とし、左手を
光を飲み込み逃さない光の柱。
すごい。
素人に毛が生えた程度のアユミチとはわけが違う。
兵士たちともレベルが違う。
これならエクピキを倒せると思ったところで、彼女らが持ち出したもので再度アユミチの脳が停止し、混乱を極めた。
幼女プレヴラ。
西港で奴隷海将が保護していると聞いて、どうしたのだったか。
ムンジィに伝えて彼に頼んだのだ。不安だろうからと。
だとするとムンジィが彼女らに預けたのか?
手に持っている幼女には長すぎる棒は、アユミチがレーマ様からもらった折れない棒。
あれは、捨て森が焼き討ちに遭った時に落とした。崖を登ろうとして川に落として拾えなかった。
折れないとはいえただの棒。そう割り切って諦めたのだけれど。
それをプレヴラが持っている?
考えてみると、アユミチはプレヴラについてあまり知らない。
口数が少ないおとなしい幼女。
少し勘が鋭いようで、ヘレボルゼ――アニラービーの騒動でアユミチたちが分断された時、真っ先にアユミチの居場所に気づいたのがプレヴラだったとか。
持ち前の勘の良さで、流されたあの棒を見つけていたのか。
「ポスフォスの巫女と、かの折れぬ脊椎」
「揃えておいて白々しい」
花札の一人に言われて、何のことかわからない。
その棒は、ねじくれたその棒は、レーマ様が宝箱から適当にくれただけのもの。
レーマ様自身もなんだかよくわかっていなかった様子で、こんなもんでいいだろと。
『うそ……だって、曲がって……うそ?』
ノクサも戸惑っている。
あれがポスフォスの脊椎だと、長く一緒にいて気づいていなかった。
化石を見て誰のものだとかはノクサにも判別はできないか。
それにしても、木の根のようにねじれたあれが、ノクサの知るポスフォスとは一致しなかったらしい。
ポスフォスの巫女……ポスフォスというのはエクピキと戦ったとかいう神様。
主神級の立場で極光とか呼ばれていたような。
巫女? プレヴラがその巫女?
知らない。何も知らない。
ただ偶然、母コニーと共に捨て森にいただけで。
……偶然?
「いっくぞぉぉ!」
「ま――」
体から火の粉を振りまく女がプレヴラを掲げ、振りかぶる。
当のプレヴラはまるで棒と一体になったかのように、無表情のままただ折れない棒を両手で握り締めて。
幼女の背から伸びる
なんだ、エクピキを倒す切り札としてプレヴラが必要で、ムンジィが花札にそれを預けたのか?
いや、違う。何かおかしい。
あいつがこんなことを許すとは思えない。
「――て」
手を伸ばそうとして激痛が走った。
アパティを殴ろうとして【指】のついた手で払われた左拳。
中指、薬指が折れていた。痛みで体が引きつる。
「おらぁぁ斬れろぉぉ!」
容赦なく、微塵のためらいもなく、火の女――コッキノと呼ばれていた花札が、プレヴラでエクピキの【指】を攻撃した。
砕け散れとばかりに叩きつけた。
「ばかっ……」
幼女の体などひとたまりもない。
猛撃。
大岩をぶつけるような、この世界で最初の日にアユミチが食らった
「お前らぁぁ!」
叫ぶが、何もできない。
折れた左指を床について無理やり立ち上がるけれど、今度は頭が揺れた。
「アユミチさん」
ノクサの力でダッシュして、脳が揺れている。よろけたアユミチをカヨウが支える。
既に花吹雪の幻術は必要なくなっていた。
「そのまま押し切れ、コッキノ!」
「任せてっ!」
主光ゲニーメ、干からびた老人のような腹から伸びる大きな【指】とぶつかる折れない棒。
砕けるかと思われたプレヴラの体だが、まさに棒と一体になったように歪みもしない。真っ直ぐに。
「ば、あ、ぁ、だ、が、ま、あ、あ、あ、あ、ぁ、ア?
アパティの体は衝突の勢いで床を転がり離れている。死んだかもしれない。
しかしゲニーメの体は衝突を受け止め、そそり立つ【指】で床に縫い留められたようにとどまり、その場で痙攣を始めた。
干からびた口から声を漏らす。
声というより音。
「カヨウ、プレヴラが……っ」
「わかっています。でも」
助ける術がない。
ばかが、カヨウにこれ以上なんの助けを求めているのか。
何とかしなければ。
焦るだけで何もできない。
「見ておれ、薬師アユミチ」
光の角柱の魔法を使うまま、鬼巫の片方がアユミチに言った。
「そして我らがスカーア、その貴き分け身に捧ぐ」
『ノクサは違うわよ』
「今、取り戻しますゆえ。貴女の御力の全てを」
「アハラマ様ぁ!」
見ていろと命じた鬼巫に、コッキノが呼び掛けた。
「これっ! このままでいい、のっ!?」
「戻りつつあります」
プレヴラに蔓とつないだ女が続けた。
戻りつつある。
レーマ様からもらった折れない棒、ねじくれていたそれが、時間の逆回しのように、ずる、ずるりと。
ねじれが、戻りつつある。
「うむっ! そのままぶつけておれ!」
「あいさっ!」
捻じれがゆっくりと戻っていくのと、合わせてゲニーメの体が激しく痙攣する。
【指】に、そそり立つ【指】はピンと背筋を伸ばすように不自然なほど真っ直ぐに立ち、ヒビが入っていく。
「プレヴラをどうするつもりだ!?」
「他にエクピキを殺す方法がおぬしにあるか!」
エクピキを殺す為にプレヴラと折れない棒が必要だった。
だから使っている。
これでエクピキを倒せばプレヴラは用が済むのか。だとしたら――
「お前らがあの棒で戦えばよかっただろうが」
「我らが触れればポスフォスが宿る。知らぬなら黙っておれたわけ!」
理屈がわからない。
けれど鬼巫たちにも事情はあるのだろう。
黙れと言われ、実際に何も知らないアユミチは言い返せる言葉がない。
「俺は……いつも、使って……」
『そう……そっか、アユミチは男だものね』
男には宿らないということなのか。
宿られると何があるのか、それもよくわからない。
それでも、これでエクピキを倒せるのなら……
「エクピキを倒せば、プレヴラは」
「殺す」
きっぱりと、はっきりと。
ごく当たり前のように。
「でなければ次はポスフォスが復活する。双方、ここで消えてもらう」
「な、ん……」
「何もできぬのなら黙っておれ」
「コッキノ、エクピキが砕ける時の歪みに捨てなさい。逆回りに巻き込まれるわ」
「りょーかいっ」
鬼巫たちは、当たり前の確認をするように言う。
幼いプレヴラの命を道具として、どう利用するのか間違えないように。
理解できない。
他に方法がなく、何もできないアユミチは黙っていろと。
「……俺が」
プレヴラから棒を奪い、エクピキを潰す。
そうだ、アニラービーを倒した時もあの棒で磨り潰したのだ。
あれと同じこと。
『無理。今はもう、近づくことも……』
「でも」
『今あの間に入ったらアユミチの体が潰れる。無理よ、近づくのも無理』
「女神スカーアの言う通りじゃ! すっこんでおれ」
「
アユミチを突き放す鬼巫を、同じ顔をした黒髪の女がたしなめるように呼ぶ。
瓜二つ。分身のように。
『あ、ァ、アばば、ばっだめ、だ……っ』
ぴしり、ぴしりとヒビの入っていくエクピキの【指】と主光ゲニーメの体。
その口からなのかどうなのか、美しい声音が溢れる。
『だめ、だっダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだだめだめだめだめだめポスフォスはダメだぁぁぁぁぁ!』
『エクピキ……?』
『ポスフォスはだめだだめだわかってわかってるわかってるだろうみんなもみんなだってみんなで殺したみんなでみんなで殺したいなくしたなくしたのにポスフォスはだめだみんなでやったのになんでなんでなんでなんでだぁぁぁぁ』
気持ちが悪いほど透き通った少年の声。
『スカーアランプシーフォティゾアニラービーみんなでやったみんなでやったんじゃないかみんなっみんながっみんながしあわせっ世界のためにやったのになんで』
「なにを……」
鬼巫たちも理解はできていない様子。
声は聞こえている。ぎゅっとアユミチの裾を握るカヨウの手も、聞こえていると伝えてくる。
『ポスフォスはだめだだめなんだ世界が人が笑顔が消えるっよろこびが消えてしまうからぁぁ!』
「笑顔……」
『ポスフォスはだめだ世界が滅びる僕の世界を助け――』
◆ ◇ ◆
「思いやり、だと?」
アニラービーが死んだ。
荒れ狂う僕らの太陽を世界の裏側に隠して、だけど再び戻ってほしくて。
だから世界を正しくしたくて、綺麗にしないと彼女は戻れないから。
世界に歌やよろこびが溢れる世界になれば、きっと彼女は戻ってこられる。
「アニラービーのあの様を見てなお出てくる言葉がそれか!」
だって、他に思いつかなかったんだ。
彼女が彼女に約束した世界を叶えれば、きっと元に戻る。
僕には他に方法が思いつかない。
「優しさ、慈しみ! あやふやなものを信じた挙げ句にあの様だ! 光は陰り我らは欠け、世界は歪み捻(ね)じくれた!」
「そうだとしても」
「道が必要なのだ、正しき一本の道が」
昔から彼は曲がったことが嫌いだった。憎悪していた。
主柱たるレーマルジアを失いかけて、さらにその頑なさに拍車がかかった。
「情けないやつ。貴様もアニラービーと同じく人の心に染まったか。次はまさしく永遠に失うぞ。お前の」
「やめろ……」
「レーマルジアを取り戻したいのならば! 道はひとつ! 全て正しき道に」
綺麗な世界。
ポスフォスの信じる綺麗な世界は、平坦で、真っ平で、でこぼこのないまっさらな世界。
影ひとつ差さない、完璧な世界。
そこにはきっと人の笑い声も歌声も涙もない。
「お前にレーマルジアは救えない。彼女の指がお前に触れることはない」
ポスフォスの目指す場所は、僕らとは違う。
彼の言うこともわかるけれど、それはレーマルジアが彼女と約束した世界じゃない。
それはポスフォスが望む世界で、そこにはきっとポスフォスとレーマルジアしかいないんだ。
「陽が沈んでも星が道を照らせばいい」
色も形も明るさも違う星。星々。
人の命を散りばめた僕の夜空で、レーマルジアを迎えよう。
◆ ◇ ◆