法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
カヨウは武具に詳しくないので、刃がついた槍を何と呼ぶのか知らない。
三日月の形の刃を持ち、雷光をまとう見事な槍。
強いことはわかる。カヨウはもちろん、アユミチでもとても敵わない。
鬼巫らしい女が、肩から腹まで真っ二つに切り裂かれた。
カヨウの目に映ったその光景は、次の瞬間には変わっている。切り裂かれたのは小柄な鬼巫より少し背の高い、清流のような雰囲気の女。
「キュアナ!」
「ちぃっ!」
火の粉を迸らせる女が名を叫び、入れ替わっていた鬼巫が舌打ちと共に扇を広げた。
カヨウにはとても見えなかったけれど、一瞬で入れ替わったのか。それとも魔法の力で身代わりになったのか。
死んだのはキュアナで、鬼巫二人とキュアナで作っていた黒い光の角柱が消えた。
黒く光るような角柱は、神の力も吸い込む特別な魔法だった。
エクピキはまだ死んでいなくて、解いたらもう一度
迷いが鬼巫たちの判断を誤らせて花が一片散る。
「うぁぁぁ!」
「殺せ!」
火の女コッキノが真っ先に、続けて鬼巫が命じる。
殺せ。
エクピキの【指】を奪って少年を生かそうとする騎士イドラ・ディドラーを殺せ。
そして少年ネロを殺せと。
赤、白、緑、黒、黒の女たちがイドラに襲い掛かる。
誰もが、アユミチが瞬間的にやってみせるくらいの速さと力強さで仕掛ける。だけど。
「やらせん!」
炎をまとう剣を雷光の槍で打ち払い、術を唱えようとしていた緑にぶつける。
白が真一文字に振るった紙を、垂直に左手で叩き落しながら、片方の足首だけで跳んだ。
「げぶっ!?」
「この」
足先だけで跳んだのに、これもアユミチの必殺の踏み込みのような速さ。
指を植え付けられて痙攣している少年ネロ、それを叩き潰そうと大きな木づちを叩き下ろそうとしていた黒の片割れを蹴り飛ばした。
木づちの柄を折られながら転がる黒と、もう一人の黒が手にした扇をイドラに振り下ろした。
「痴れ者がぁ!」
「ぬぅっ!」
蹴りを放った姿勢のまま片手で扇を受け止め、反対の手の槍で黒を薙ぎ払う。
今度は黒の方が、もう一方の手の扇でそれを受け止めた。
ぶつかった瞬間
「くぬぅぅぁ!」
「あぁ」
端整な顔を歪める黒い鬼巫と、先ほど扇を受けた腕を折られながらも表情一つ変えないイドラ。
扇と槍の打ち合いは、カヨウの目には互角に見えたけれど、イドラの足が先に出る。
消えた、と思った次の瞬間には鬼巫が蹴り飛ばされていた。
「ぐはっ」
「ラハ様!」
相当な勢いで蹴り飛ばされた鬼巫を、緑が投げた札が編み込まれた蔦の塊になって受け止める。
「退かぬならば」
「色彩れば目もあやなり、
「むうっ」
鬼巫にとどめをと向いたイドラの目の前を、白と金銀の無数の紙片が遮る。
小さな紙片。その数は数百、数千にも見えるほど。
「鬼巫殿が! カッダ!」
「……申し訳ございません、ニーモ陛下」
鬼巫たちとイドラの攻防に隙間が生まれ、取り残されていた弟王が指を差す。
側近に、鬼巫を助けるように。
「ディドラーが相手では……」
「だけど……」
「……」
左潮伯と呼ばれていた初老のカッダでは、イドラを相手に大した役には立たない。
鬼巫の花札たちは、一人一人がアユミチと同じくらい強いようにカヨウには見えた。それらがまとめて戦い、それでも劣勢。
一人、二人の手が増えたところで変わらない。
苦い顔で沈黙するカッダを見て、別の理由もあるのだろうと感じた。
「イドラ・ディドラー! お願いだ、僕の話を――」
「あなたに危害などありません。俺は、ただネロ陛下を守るのみ」
イドラにとっての敵は、ネロを害そうとする相手だけ。
敵対しなければ、ニーモやカッダに敵意などない。
エクピキを宿したネロをただ見逃せばいいのだ。左潮伯としては無理にイドラを倒す理由はない。
何なら、エクピキ教団の幹部からエクピキを取り上げたという形で内戦を収めることも選択肢になり得る。
どうあってもエクピキを滅したいのは鬼巫たちと、アユミチの事情。
白の放った紙吹雪の隙で態勢を立て直し再結集する鬼巫たちと、【指】を生やすネロを背に槍を構え直すイドラ。
イドラの折れた左腕が、泥人形でも
「おのれ……」
「これがエクピキの力か」
一斉攻撃でやっと負わせた一撃が、なかったことになっていく。
エクピキの治癒の力。
太光師たちが使う異能とは違う。治癒の奇跡はエクピキの力としてよく知られている。
「なるほど、素晴らしい」
治った左手を開いて、握って。
神の力を確かめるように頷いた。
「痛みすら感じなかった。これが神の……ネロ様の御力。ネロ様の恩寵か」
「……」
ネロの【指】から漏れてくる光が、ネロを守るイドラを癒す。
同じ光を見ているけれど、カヨウや他の者は治癒の対象にならないようだ。
おそらくは、アユミチと黒蝶の関係に近い。何かしら結んだ相手にだけ。
「去るのなら追わん」
ただでさえ桁外れの強さを持つイドラに、エクピキの治癒の後ろ盾が備わって。
勝ち目などとてもあるとは思えない。
「俺は、ただネロ様を」
「キュアナを殺した!」
鼻息荒く目を血走らせて、赤の女が遮った。
叫ぶだけで火の粉が舞う。生来魔法の力が強いのと、制御が苦手なのだろう。
「お前は! キュアナを殺した!」
「妾の花を散らして、生かしておけようものか」
鬼巫……たぶん、この黒い扇を持っているのが本物の鬼巫なのだろう。
木づちを持っていた同じ顔の女は偽物というか分身。
赤に続けて鬼巫が宣すると、白と緑も構え直す。
「何はなくとも、その奸悪な【指】を滅ぼすのは決まっておる」
理由を続けたのを聞いて、鬼巫の中にも迷いがあったのだと察する。
無敵に思えるイドラを相手に、退くという選択肢もあった。
けれど赤の激情は引っ込みがつかず、鬼巫としても部下の心情に引きずられる。
だから、ただ感情だけでなく戦う理由を示した。己自身に。
「……」
さて。
カヨウはどうだろうか。
あらためて状況を整理する。
周りに転がっている陽灯司長カシキと、ゼラに似せられた女。
同じく意識のない北府の兵士たち。
鬼巫を連れてきた貴族の男と、為すすべなく立ち尽くすニーモと左潮伯。
特に何も思うところはない。
誰がどうなろうと、カヨウにとって重要ではない。
ああ、このゼラに似せた女は少しだけ面白いかもしれない。
少し離れた柱の横で、両手から血を流すプレヴラを抱いて座り込んでいるアユミチ。
彼は、どうしたいだろうか。
すごく混乱しているのが遠目にもわかる。
すべきことの優先順位がまるでわかっていない。
鬼巫と力を合わせてイドラを倒し、エクピキの【指】を滅ぼす。
それができないのなら逃げる。
その場合、レーマ・ルジアを再臨させてゼラを生き返らせる道は遠のくだろうけれど。
少し、つまらないか。
だってそれじゃあ、カヨウの気持ちの終着点も遠くなる。
ゼラには戻ってきてほしい。心から願っている。
戻ってきた上で、アユミチの心の一番大切な場所を占めたい。絞めたい。閉めたいのに。
表面上はいい。ゼラを大事にしてあげればいい。
だけど、だからこそ。
見えないところで、一番深い奥の奥の深くまで、カヨウと密やかに繋がってくれるなら。
アユミチは逃げられない。逃げるような人じゃないし、カヨウを逃がせるほど強くもない。頼もしくない。
頼りなくて弱くて情けなくて愛おしい人。いとしいひと。
カヨウの気持ちの終着点には
だって、カヨウはアユミチの
「アユミチさん」
考えている。
何とかしなきゃって考えて、考えて。
でも何もできないって泣きそうな顔。可愛い。
カヨウが手伝ってあげないといけないか。
どうすればこの場を解決して、レーマ・ルジア再臨に向かわせられるか。
「私が」
カヨウが導いてあげたら……
「……」
そっか。
そうか。
カヨウが死んだら、アユミチさん。
あなたは、選び直してくれますか?
カヨウか、ゼラか。
命を捨てることでしかあなたを救えないのなら、カヨウだって。
思いついてしまって、それはとても甘美で。
とっても苦い、だけど甘い。
甘い、甘い死が来る。
◆ ◇ ◆