法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-27.老いた夢

 

 何もできんから見ているしかないのか。口を閉ざし沈黙するか。

 

 

 娘が生まれた。

 男児は既に何人かいたが、娘は初めてだった。

 兄弟の中で頭抜けた優秀さを示した儂が、父から大公の座を譲り受けた頃のこと。もう三十年以上前。

 少しばかり気が大きくなっていたのだろう。それまで気にしたこともなかったが、我が子の様子に目を向けるようになる。

 娘は天使だった。

 

 爛漫な子で、無愛想な儂を父様父様と呼んでくれて、儂は初めて親になった。

 儂の預かり知らぬところで顔に傷を負った。

 母は、儂の怒りを畏れたのだろう。密かに娘を教団に連れて行き、儂は娘を永遠に失った。

 父であるという喜びを失い、代わりにぽっかりと底知れぬ穴が開いた。冥府へと通ずる。

 

 

 トローメを亡ぼしエクピキ教団を打倒すれば娘に再び会うことができる。

 

 そんな怪しげな妄言に(すが)るとは、父になる前には想像もしなかった。

 ティッダーン家において親子の情など、判断を誤る元凶。取るに足りない下らぬものとしか扱われていなかったのだから。

 妄言に踊り家も国も亡ぼすのだから、まさに教訓は正しかったとも言える。

 

 

 カシキ、あれの母親はホスバルドルの貴族の女で、幼い頃から母の嘆きを聞き続けていた。エクピキの光に侵されながらも、ふと正気を取り戻すたびにカシキに吹き込んでいた。

 言われた通り、カシキが教団中枢に昇れるよう口添えをした。軽く。

 胸の奥にエクピキへの恨みを根付かせた青年。

 エクピキ教団の在り方を憎むがゆえに実直に職務に励み、教団に評価されるのは皮肉なものだ。

 

 【指】を持ち、陽灯司長へと昇っていくカシキ。

 その過程で、彼は彼の立脚点を忘れていった。

 【指】を持った人間は、それ以前と人格が変わるような話はたびたび聞く。

 呪いのようなものかもしれないし、ただの人間だ。欲望に負けることもあるだろう。時間と共に怒りや悲しみが薄れて消えていくのも理解できる。

 

 カシキは失敗だったか。

 いや、カシキを見ていることで、儂の願いも薄れてしまうのではないかと不安になり、より強固になった。

 娘が(よみが)るのなら、何を裏切りどれだけの苦しみが生まれようと構わない。

 儂の決意を失わせない為にカシキが必要だったのだと思うと納得できた。

 

 

 そのカシキが土壇場(どたんば)になって接触してくる。

 エクピキ教団を滅ぼす為に協力しようと。

 過去に儂の方からそんな話をしたことはないが、やはり優秀な男。小さな情報を集めて結論に辿り着いたらしい。

 

 すっかり教団の犬になったかと見ていたが、このタシモ・ティッダーンの目まで狂わせていたのなら大したものだ。

 そう評されたカシキは首を振った。

 西港で薬師アユミチに触れ、思い出したのだと。

 

 捨て森に現れた正体不明の奇跡の薬師。

 死病を癒し、神を討滅し、捨て森を消し飛ばした爆裂にも生き延びるとは。

 エクピキに毒された者を正気に戻す力まであるというのか。

 いったい何者だ。

 儂とは違う、何でもできる男。

 それほどの力があれば、儂とて最愛の娘をむざむざ失うこともなかっただろう。

 

 

 だというのに。

 いざ本物を見ればなんでもない。

 ただの男。どこにでもいそうな、平凡で自信なさげな男だった。

 既に老齢に差し掛かった儂の目にも無様な、素人丸出しの走り方で幼女を助けようとどたばたと。

 毒気を抜かれた。

 

 鬼巫に一喝されていた。

 何も出来ぬのなら黙っていろと。

 イドラに一瞥されていた。

 何も出来ぬのだろうと。

 

 そうだ、何かをできるような男ではない。

 王都イオドキッサで、大公の名で出した触れに従い、自宅で息を潜めて嵐が通り過ぎるのを待つだけの人々と大差ない。

 どこにでもいる男。

 

 だが。

 その男が、イドラ・ディドラーを前にしながら、雷光の刃を向けられた幼女を庇ったのだ。

 あのままならポスフォスの脊椎と一緒に砕けて死んでいただろう幼い娘を、無様ながらも掬い上げた。

 イドラが見過ごしたのは気まぐれだったのだろうが、彼の行いで娘の命は助かる。

 

 

 特別な力ではない。

 ただ、そうしたかったから。

 この子は違う、死ぬべきじゃないから助けてくれと。

 理屈も何もない。気持ちだけ。

 

 ああ、そうなのか。

 娘を教団に連れて行かれた後の儂はどうだったか。

 大公の権力や使える武力、伝手。そういうものを駆使しても奪い返せる見通しが立たずに。

 遅れて、遅くなって、手遅れになってから。

 もう話すこともできあい、儂を父様と呼ぶこともなくなった娘を見て、あの子の笑顔を永遠に失ったのだと絶望したのだ。

 

 あの時にどうしていれば。

 今の彼のように、この薬師アユミチのように。

 なりふりもしがらみも何も考えず、ただ娘を取り戻そうとしていたのなら。

 エクピキの光に脳を焼かれた娘など見なくて済んだ。

 

 

「何もできんから見ているしかないと思うか?」

 

 儂は既にほとんどの力を使い切っている。

 先代鬼巫ヨハルハを闇討ちし、花札たちを数日間封じた。

 もはやまともに立っていることさえ難しい。

 

「口を閉ざし沈黙するか?」

 

 そうしろと命じられたから従うのか。

 幼女を抱え、混乱しながらも必死で目で道を探す青年に問う。

 

 彼の目はこちらを見ていない。

 だが、耳には届いている。唇の震えが止まった。

 

 

「お前ごときの力で勝てる相手ではない。諦めるのであれば」

「いやだ」

 

 口から零れた言葉は、またなんとも見苦しい。

 聞き分けのない子供のよう。

 

「俺は……」

「命が惜しくば逃げればよかろう」

 

 息子たちにも言った。

 娘と違い息子たちには父として振る舞ったことはほとんどないが、せめて最後くらいは、と。

 今さら素直に聞くわけもないだろうが。

 

「……死にたくない」

 

 そうだろう。

 

「でも、俺は……俺は、こんな……っ」

 

 それでも立つのだろう。お前は。

 あぁ、そうだ。

 儂は期待しているのだ。

 かつての自分が立ち向かわなかったものに、お前ならどうするのか。

 二十数年、この日を待っていた。

 だから、若者に意地悪を言ってやりたくなる。老いた自分にはできなかったことを。

 

 

「お前に何ができる。薬師アユミチ、何の力もないお前にできることなど」

「それでも」

 

 幼女を柱の脇に寝かせて、向き直る。

 絶対に敵うはずのない強大なものに立ち向かう。

 

「俺は……俺が、ここでやらなきゃいけないんだ」

 

 若者よ。

 底意地の悪い老人の言葉に踊らされるとは、実に若い。

 もっと性根の悪い女の予言に踊ってきた儂に見せてくれ。

 この腐った世界に進める道があるのかを。

 夢を、見せてくれ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「イドラ・ディドラー!」

 

 叫ぶ。

 折れた指が痛い。正直泣きそうだ。

 彼の姿を見ているだけで涙がにじむ。

 

「……」

 

 意にも介さない。

 鬼巫たちがどうにか隙を見出そうと窺っている。アユミチになど注意を払う必要はない。

 

「聞いてくれ、イドラ・ディドラー」

「……」

「話を聞いてくれ……」

 

 何もできない。

 アユミチは戦士でも騎士でもない。本来、戦場に立つような人間ではない。

 

「あんたの大事なその子を助けられなくて、すまない……ごめん」

「お前に、何が……」

 

 初めて、イドラがアユミチにわずかに気を向けた。

 警戒は鬼巫に向けたままだが。

 

「何もしてやれない……けど、話をしよう」

 

 戦うことはできない。

 だけど、だから何もできることがないなんて、そんなことはない。

 

「その子の……ネロの為に、話をしよう」

「……」

 

 助けたかった。助けられなかった。

 他に道を選べなかった。

 イドラの気持ちは、たぶんこの場でアユミチが一番わかる。

 そして、ネロの気持ちも察することはできる。

 近すぎて見えなかっただろう気持ちを、イドラに伝えたい。

 知らなきゃ可哀そうだ。

 

『話して解決するのかしら?』

「話さなきゃわからないことばかりだ。だから、話をしよう」

 

 神様は人に言葉を与えたって言うじゃないか。

 それはきっと、(ののし)り合う為じゃあなかったはずだから。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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