法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-30.隠し玉

 

「ファニア・イア・イオルテ」

 

 知っている。

 国軍に入った頃から有名だった。

 女だてらに他を寄せ付けない武力。

 イドラにも並ぶのではないかなどと噂されていた。

 

 噂は噂。

 確かに並ではない傑物ではあったが、イドラに及ぶまでのものではない。

 精神的にも未熟で芯になるものがなく、そこそこで終わるだろうというように見えた。

 あくまでイドラの目からのそこそこであって、常人のそれではない。

 

 

 しかし。

 しかし、今はどうか。

 確たる芯を持った立ち姿は堂々と。

 手にしているのは焦げた直剣だというのに、それがまた妙に様になっている。

 その身を焼かれ、それでも折れずに戻ってきた剣。

 油断はするまい。

 

「イドラ・ディドラー」

 

 名を呼び合う。

 なるほど、最後の花として立つ資格がある。

 これ以上の敵は望むべくもあるまい。

 

 

 余計な茶々が入った。

 星光のビッテス。影潰し最強の魔法使い。

 先ほどの魔法を食らってみれば確かに。イドラが子供のような悲鳴をあげて転ぶなど、誰も想像もできなかっただろう。

 イドラだけでなくこの場にいた全員が。

 

 上空から落ちた花札クロロテッサは昏倒している。

 鬼巫アハラマは、心が挫けた。

 ここまで追い詰めたイドラに手が届かず、絶望が心を削った。

 身体の痛手以上に心の立て直しが難しいだろう。アハラマがそれでは花札も動けない。

 無理やり起きようとしたコッキノだが、脇腹から多量の血を流して膝を着いた。近くのレフカースがその腹に紙を当てるが、その顔色も土気色。

 

 他に動けそうなのは、少し離れた位置でビッテスの魔法を受けた少女くらいか。

 ……まあいい。

 何ができるわけでもあるまい。

 

 

「私はエクピキを討つ」

「俺はネロ様を守る」

 

 鬼巫たちに傷つけられた体は、光の治癒で戻ってきている。

 天雷の葬槍(ケラヴノス)を握り直し、ファニアに正対した。

 

「エクピキの光、か」

「そうですよぉ」

 

 ファニアの呟きに笑いを含んだビッテスの返答。

 ゆっくり確認している時間はなかったが、焼けた肌とかろうじて腰帯だけの姿だった。

 星光のビッテスの魔法には宝石が必要なはず。手持ちがあるようには見えなかった。

 それでも、ネロを守る手にはなる。

 不快な女だが今は許す。

 

「卑怯と思わば言うがいい」

「……いや、残念だ」

 

 失意だけ。

 他の問題をビッテスに預け、イドラとファニアは互いしか見ていない。

 戦士と戦士。

 こんな場でなければ好敵手と感じたのだろうが、この場でなければ全身全霊で戦いに(のぞ)むこともなかっただろう。

 確かに、残念だ。

 

「……」

 

 もはや交わす言葉もない。

 向ける刃と殺意だけが世界を支配した。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「ノクサ、あの女を」

『そうね』

 

 ファニアとの再会を喜ぶ時間はこの後だ。

 嬉しくて、頼もしくて、イドラ・ディドラーを任せてしまった。

 久しぶりに見たファニアの顔がとても凛々しく、堂々としていて。

 

 大丈夫だ。

 いや、でも。

 ……大丈夫だ。

 

 迷いは浮かんだが、やはりファニアの背中は信じるに足るだけの何かを感じた。

 イドラは任せた。

 ならばアユミチは、そのファニアの死角を守る。

 折れた指の痛みも何も関係ない。

 

「そぉんな熱い目で見られたら恥ずかしいですよぉ。わたしのおっぱいですかぁ?」

「……」

「ちゅうちゅう吸いたいなら、いいですよぉ」

 

 挑発に乗るつもりはない。

 アユミチと同時にファニアも揺さぶるつもりなのだろうが、本当にどこまでも下品な女だ。

 

『バカね、アユミチは小さいおっぱいが好きなのに』

「お前が俺を動揺させるな、違う」

『ちょっと力み過ぎよ。息を吸いなさい』

 

 言われて、確かに頭に血が上って視野が狭くなっていたと気づく。

 腹の奥まで息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。

 ファニアとイドラのにらみ合いは微動だにせず、周囲はその空気に飲まれている。

 ビッテスの魔法のせいか、意識を失っていた北府の兵士たちも目を覚まし、腹をおさえて呻いている。

 アユミチたちと違い、無意識無防備であれを食らうと、また昏倒するくらいの衝撃だったようだ。

 

 

『そ』

「助かる」

『でしょ』

 

 ノクサの軽口のおかげで少し視野が広くなった。

 プレヴラは意識がないまま。

 この子はポスフォスの巫女とか呼ばれていた。捨て森でアユミチが折れない棒に触れさせたのが原因なのだろうと。こんなことに巻き込んでしまった。

 アユミチの背にいた為か、ビッテスの怨霊の声の魔法の影響はなかったようだ。

 

「……」

 

 半裸というか、ほぼ全裸のビッテス。

 右半身に広く生々しい火傷の痕がある。この状態でまだ生きていたか。

 両手には何も持っていない。

 彼女が強力な魔法を使う時には貴石が必要なはず。

 魔法はない。

 先ほどの不意打ちはその場の全員の脳髄を掻きまわすような魔法だったが、あれが爆炎などの魔法だったなら全滅していた。

 ビッテスに手札はない。

 とはいえ、この女自身が安々と倒せるようなものでもない。イドラほどではないとしても。

 

 ノクサの力で急襲すれば、いけるか。

 ビッテスの火傷も軽くはない。エクピキの光を受けているが、治癒される様子もない。

 おそらく今はイドラだけがネロの恩寵を受けられる状態。

 今なら、今度こそアユミチの手で仇を――

 

 

『誘いよ』

 

 動こうとしたアユミチをノクサが制した。

 ビッテスはアユミチだけでなく残る鬼巫たちにも警戒を向けていた。

 その視線の動きにつられそうなアユミチに、ノクサは冷静に。

 

『あれは確かに異常だわ、肌でものを見てる。裸の今の方が厄介……普段からあれじゃ全身ぞわぞわで気が狂いそうなものだけど』

「……」

『視線に惑わされちゃだめ』

 

 そうは言うが、人間が相手の動きを見るにはどうしても視線を追ってしまう。

 ビッテスが影潰し最強と呼ばれる理由のひとつでもあるのだと思う。

 

 

「アユミチくんはぁ、いつも尻込みしちゃいますねぇ」

「……」

「いいですよぉ」

 

 ビッテスの顔が、半分やけた笑顔が、にやけた美貌が、アユミチに向けられた。

 この女にとってこの場で一番苦しめたい相手はアユミチだ。

 

「じゃあわたしから、シてあげるからぁ!」

「ま――」

 

 アユミチが、イドラが、動こうとしたビッテスに静止の言葉をかけようとするけれど。

 にぃぃ、と嗤ったビッテスの顔が、その頬の内側が、既に攻撃態勢を整え終っていた。

 

 

纏絲(テンシ)

 

 強力な魔法などいらない。

 詠唱も最小限。

 口に含んだ金の欠片を、渦巻く針のように吹き出すだけ。人体を貫くように。

 それだけで人は死ぬ。

 

 アユミチのような普通の人間なら。

 アユミチでなくても、アユミチより小さなカヨウの眉間を貫けば、死ぬ。

 

 

「はあぁ!」

 

 ファニアはイドラしか見ていなかった。

 ビッテスの動きに揺れたイドラに向かい、任された役目を果たそうと。

 

 

 

「かよ――!」

「――」

 

 ビッテスの口から撃ち出された金の針がカヨウの頭を貫き、霧のように揺れて消えた。

 カヨウが。

 

「はえ?」

 

 なんだ?

 カヨウが殺され――でもそこにいたのはカヨウではなくて。

 霧。霧散する。

 

『幻よ!』

「んあぁ!」

 

 考えるのは後だ。

 仕留めそこなったと理解したビッテスと、ダガーを抜き襲い掛かるアユミチ。

 アユミチはいつも尻込みして、遅れて、後悔する。

 ビッテスに言われた通りだ。

 カヨウはアユミチより賢く、先に自分の身を守るよう幻影を展開していたのか。

 ならもうこれ以上、アユミチの判断の遅さで傷つけさせはしない。

 

 

「ビッテスぁぁ!」

「ほんとにムカつく子ばっかりぃ!」

 

 ノクサの力で加速したアユミチと、そのアユミチの目測を誤らせるように突っ込んできたビッテスがぶつかった。

 

「殺す!」

「ええっ殺してあげますよぉ!」

 

 突き立てたダガーが、焼け(ただ)れた右手に突き刺さり、払いのけられた。

 半身火傷状態でもすさまじい戦闘能力は健在。

 しかし、右手はもう使い物にならない。

 

 

「カヨウによくも!」

「こそこそ隠れていやらしい子!」

「お前がっ!」

 

 カヨウに唾を吐いていいわけがない。この姦婦が、アユミチのカヨウに。

 許さない。

 

「言うなぁ!」

 

 折れた指の左手を握り、思い切り殴りつけた。

 気色の悪い柔らかさの胸に突き刺さり、殴り飛ばす。

 

「あはっ! あの子に惚れちゃってるんですかぁ?」

「黙れ!」

「じゃあゼラさんはもう――」

『待ちなさいアユミチ!』

 

 頭に血が上る。

 殴り飛ばし、数歩後ろに下がったビッテスに渾身の右を叩きこもうと――

 

「いらないんですねぇ」

「っ!?」

 

 戦闘技能、経験、反射速度でアユミチがビッテスに勝てるわけはない。

 痛撃を与えたと思ったとしても、相手は痛みも快楽に感じる狂人だ。

 するりと躱され、代わりにビッテスの膝がアユミチの腹を抉り、体が曲がるほど内臓を吐くほどに刺さり、蹴り飛ばした。

 

 

「げぶぅっ」

「あの子も探し出してちゃぁんと殺して……ぁ?」

 

 アユミチを蹴り飛ばしたビッテス。

 その腹に、小さな杭のような短矢が突き刺さっていた。

 リグラーダの短弓。

 零距離では避けようもない。

 

「あはぁ……いたぁい、いたいですねぇ」

 

 蹴り転がされたアユミチと、見下ろしながら腹の痛みに(わら)うビッテス。

 この、狂人が。

 内臓がへこむほど蹴られて、声が出ない。

 

 

「魔法がない、なら」

 

 ビッテスの敵はアユミチだけではない。

 イドラとの戦いで痛手を負っていても、鬼巫達はまだ死んだわけではない。

 鬼巫。西港でアユミチを殺しかけた黒髪の。

 

「お前なんて――」

 

 黒い鉄扇を、ふわりと浮いた姿勢から叩き落した。

 ビッテスの脳天に。

 

「あはぁ!」

 

 後ろに目がついているかのように、その一撃を半歩だけずれて躱す。

 続けて横に振られた鉄扇も躱しつつ、襲ってきた鬼巫を蹴り返した。

 

「鬼巫さんも死にましょうかぁ」

「死ぬのは――」

天河(てんかわ)より振る光網(こうもう)病蛆(びょうそ)(しぼ)る極北の凍棘(しきょく)

「んぎゃっ!?」

 

 左手にあった。

 白い小さな石を投げ、瞬いた光の棘が鬼巫の全身に突き刺さった。

 

「ネロ様、もっときらびやかなものを身に着けて下さってもよかったんですよぉ」

「マベラ!」

 

 黒い鬼巫とは対照的に、白い印象の花札が叫ぶ。

 

沫雪(まっせつ)か、夜半(やわ)に降れども音も無し。蕩け消ゆるに知る(よし)も無し」

 

 放たれた白い紙が、鬼巫に突き刺さった光の棘を吸うように消し去った。

 

 

「白のレフカースさんですかぁ」

「……」

 

 じゃらり、と。

 ビッテスの右手が音を鳴らす。

 ネロに寄り添った時に奪い取ったのだろう、小さな粒の貴石を鳴らして。

 魔法がないのなら、勝てていたのだろう。

 イドラとの戦いの後だとしても。

 けれど、ビッテスは補充していた。手数を。手札を。ネロの装飾品から。

 

 

「まだまだ楽しませてくれるんですねぇ」

「いんや」

 

 痛みはあったはずだ。

 全身に。

 体中のあちこちが痛くて、痛くて、それがわからなくなっていたのかもしれない。

 

「あんたの出番は終いだ」

「へ……?」

 

 ぶすりと、曲刀が差し込まれていた。

 ビッテスの背中から胸に。

 

「出る幕じゃあねえ、すっこんでな」

 

 霧のように。

 アユミチが持つ世界から消える魔法の道具を使うと、こんな風に見えるのかもしれない。

 いなかったはずの人間がそこに現れる。

 

 

「あ、れぇ……?」

 

 どぼりと、真っ赤な血が零れ落ちた。

 ビッテスの足元に。

 

「お前のお喋りなんざ誰も聞きたくもねえさ、なあ。アユミチの旦那」

 

 曲刀を突き刺した背中を蹴り飛ばして、エクピキの【指】から離れて倒れるビッテス。

 いなかったはずの男。

 

 

『タイミング良すぎじゃない?』

「……」

 

 まだ腹が痛くて声が出ない。

 けど、ノクサと気持ちは同じだ。

 

「間に合いやしたかね」

「おせえ、よ……」

 

 なんとか絞り出した声を受け、へへっと笑うムンジィ。

 霞のような中から現れたが本物に違いない。

 潰された腹が痛くて、痛くて。

 つい右目から涙が零れた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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