法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

195 / 237
6-31.受命と命の使い道

 

 世界に必要ないものはいっぱいある。

 いっぱい、いっぱい。

 どうでもいいもの。なくなっていいもの。

 人間だってそう。

 自分しか自分を必要としない。本当の意味で必要な他人なんていない。

 代替えがきく。

 

 上司でも部下でも、親兄弟でも友人でも。恋人だってそう。

 同じだけ自分に有用なら代わりが利く。

 前のよりもっと有用なら取り替えた方がいい。

 

 だってそうでしょう。

 望みをいっぱい叶えてくれて、すごくすごく気持ちよくさせてくれる主がいるならそれが幸せ。

 今の主より上がいるなら、そっちの方がいい。

 神様はその最上位。それ以上はいない。

 

 

 二十年くらい前だったろうか。

 いいところの娘が顔を怪我して教団を頼ってきたのだと聞いた。

 貴族にとって娘は商品程度の扱い。大した問題にもならないだろう。なったところで教団に逆らえるはずもなし。

 当時の太光師が気に入ったとかで光にどっぷりと漬けこんだ。

 

 上位の貴族の娘。

 魔法の力もそれなりに見込まれてビッテスに指導を託された。

 

 ビッテスと違ってずいぶんと恵まれた生まれだったらしい。

 頭が狂っても、言動の端々にそんな甘い、甘ったるい、幸せめいたものが見えた。

 ビッテスの神経を逆なでする娘だった。

 

 だから。

 治癒を欲しがっても欲しがっても与えず、死ぬまで狂わせた。

 任務中の死亡なんて珍しくもない。

 まさかその娘を、大貴族が必死に取り戻そうとしているなんて思いもせずに。

 

 たかが娘くらい、また作ればいいじゃない。

 たかだか人間くらい、また産ませればいいじゃない。

 何か特別なの?

 代わりが利かないような、神様みたいな特別なの?

 あぁ、死なせてよかった。

 そんな奇妙なもの、生きていたらビッテスが不快だもの。

 

 

 ビッテスは死なない。

 死なないで、永遠にエクピキの悦びを得て生き続ける。

 本当に特別なものは輝いているもの。こんな娘なんかじゃない。

 貴族に生まれただけでしょう、この娘は。

 

 ビッテスは……

 特別だから、死なない。死なないのに。

 

「死……」

 

 死ぬ、の?

 なくなる? ビッテスが世界からなくなる?

 

「や……」

 

 つまらない男に殺される。

 意味もなく、理由もなく、あんな名もない男に殺されるなんて。そんなの許せない。

 手から、零れてしまった。

 掴んだはずの、王様からいただいた綺麗な貴石の粒が、全部こぼれてしまった。

 もう、ビッテスの手には何もない。

 

「あ……?」

 

 倒れたビッテスの瞳に映るもの。

 少しだけ、ほんのり明るく光を反射する。

 泣き顔。

 男の、老人の泣き顔。

 

「お、……とう、さま……」

 

 そうだ。

 あの娘は確かそう呼んでいた。

 トローメの大貴族のことを、そんな風に。

 

「あぁ……」

 

 男も死ぬ。

 ビッテスも死ぬ。ここで。

 

 だけど。

 男の目に映っているのはビッテスじゃない。

 とうの昔に死んだはずの、特別でもなんでもない娘の顔。

 

「や……なくな、る……」

 

 何にもなくなる。

 誰もビッテスのことを見ていない。

 アユミチも、ビッテスを殺した男も、誰も。

 エクピキも、遠く。

 

 

「おとう、さま……」

 

 せめてその目にビッテスを映して。

 わたしが、あなたの娘の代わりになるから。

 だからビッテスを見て。

 わたしを、見てよぉ……

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 イドラとファニアでは明確に実力の差がある。

 研鑽では埋めきれない差があると認める。

 

 認めた上で、勝つ。

 アユミチに託されたのだ。任されたのだ。この決着を。

 だから敗北はない。

 

 不思議と、できないという感覚がなかった。

 むしろできる、やれて当然というような。

 正面から対峙して、イドラ・ディドラーという戦士の強大さは計り知れないものだと実感しているのに。

 

 手にする見事な矛戟は、伝説の武具天雷の葬槍(ケラヴノス)か。

 さらにエクピキの治癒の恩恵まで享受している状態。

 卑怯と言いたくば言えということだったが、ここまでくると面白いほどバカバカしい。

 

 勝てるわけがない。

 誰もがそう言うだろう。

 だからこそ意味がある。

 奇跡の薬師アユミチの伴侶として、彼の剣として。

 これ以上の敵は望むべくもあるまい。

 卑怯とは言うまい。

 

 

 国王ネロが、少年の腕ほどの【指】を腹から生やしている。

 飛び込んできた瞬間は、この場の状況が全くわからなかった。

 何がどうなっていて、誰がアユミチの敵なのか。味方なのか。

 

 鬼巫アハラマと戦っていたのがイドラ・ディドラー。

 そのイドラを倒すことをアユミチに任されたのだから、今は他のことは考えない。

 星光のビッテスもいるけれど。

 他を気にして生き延びられるほどイドラは生易しい相手ではない。

 アユミチの為に、そして鬼巫アハラマの為にも、イドラを倒す。それ以外のことは全て頭から切り捨てた。

 

 

 ファニアがすべきことはひとつ。

 イドラを倒す。

 相手が悪人か善人かは関係ない。剣として主命を果たす。

 

 イドラだけを認識して、他は全て遠くに。

 呼吸、重心、視線。その筋肉の軋みまで感じる。

 

 

「ま――」

 

 揺れた。

 巨岩のごとき圧力で不動と感じたイドラが、水面(みなも)が揺れるように揺れた。

 二度あることではあるまい。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 迷わなかった。

 格下のファニアが迷って届くはずがない。

 真横に振り抜いた剣は、わずかに遅れた矛戟の柄を薙ぎ、イドラには届かず。硬質な金属音を響かせファニアの右に抜ける。

 しかし反応が遅れたイドラは押し込まれ、かかとに重心がかかった。

 

「はっ!」

 

 振り抜いた剣が返る。右手一本。

 

「遅い!」

 

 遅くはない。

 ファニアの剣閃は、およそ世界の剣聖の一撃と劣らぬ速さ。

 イドラがそれを上回るだけ。

 やや仰け反りながらも()ち上げた矛戟が、あっさりとファニアの剣を折った。

 

「っ⁉」

「ふ!」

 

 即座に折れた剣を手放し、手刀でイドラの胸を貫こうと――

 

「させん!」

 

 搗ち上げた矛戟の返りも、ファニアより速い。

 振り下ろされた戟がファニアの右手を斬り飛ばした。

 

「あァっ!」

 

 腕は二本ある。

 折れた剣を手放したけれど、折れるとわかっていたから。

 だから、右手から離れたそれを左手で掴んでいた。

 仰け反った体勢で捨てた剣の行方までは見ていなかったイドラに、左手の折れた直剣の断面が突き刺さった。

 

「ぐっむぅ!」

 

 おそらくイドラは最初の一合でファニアの剣を誤認した。

 異常に硬度の高い金属だと。

 鋼の頑丈さはその粘り、柔軟性と剛性にある。

 しかしファニアは先に病毒を嫌って刃を炙った。硬さは増したが柔軟さが損なわれ、これ以上の戦いに耐えるものではなくなっていた。

 元より妙に頑丈だったのは、これがアニラービーを斬ったという事実が剣を強くしていたのだ。

 天雷の葬槍(ケラヴノス)と正面から打ち合えば分が悪い。

 

「俺は――」

 

 脇腹から上に、肺近くまで(えぐ)る折れた剣に対して、イドラは退かなかった。

 かかとにさらに力を込め、傷を(いと)わず。

 

「ネロの!」

 

 天雷の葬槍(ケラヴノス)が輝く。

 イドラの意志と力を受け、雷光の力を。

 

「ネロは俺の全て!」

 

 イドラの筋肉が異常なほど痙攣してファニアの剣を止めた。

 噛みつくように。

 

「俺の命だ!」

「いや」

 

 

 本当に残念だ。

 この男が弱っていなければ、本当の戦士の頂を見ることができただろうと。

 そんなことを言っている状況ではないのに、ファニアは心からそう思う。

 

「お前は主命に背いた」

 

 右手を引く。

 綺麗な断面の骨。

 持っていた剣よりも鋭利に斬られた。痛みすら感じない。

 

「残念だよ、イドラ」

 

 ファニアの右腕がイドラの左胸に突き刺さった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「……が、ば」

 

 雷光よりも速かった。

 ファニアの一撃が。

 

「な、ぜ……」

 

 天雷の葬槍(ケラヴノス)は持つ者に人の限界を超えた力を与える。

 代わりに使えば死ぬ。

 

 

「そんなものに頼らなければ」

「……」

「お前の一撃は雷光よりも速かったのに」

 

 なぜ。

 なぜ、ファニアに遅れたのか。

 イドラの方が強かったのに。その答え。

 

「傷を癒せるせいで無理な体勢で応じた。仕切り直せばよかったものを」

「は……」

「それと、三つ」

 

 右の肺に折れた直剣が突き刺さり、左の胸にはファニアの右手が突き刺さったまま。

 そうか、そうかと。

 聞いて、得心して。

 

 

「主命に背いたお前と主命をいただいた私では、覚悟が違う」

「……」

「お前が弱さに負けていなければ、私は勝てなかったさ」

 

 ずるり、と。

 血濡れた右手が抜かれた。

 

 

「……?」

 

 ファニアの手が、指先まである。

 切り捨てたはずの右手は、床に転がったまま。

 

「治癒、の……?」

 

 エクピキの治癒がファニアに与えられたのか?

 まさかネロが、イドラではなくファニアを認めたというのかと。

 

「勝手でしたが」

 

 そうではなかった。

 ファニアの後ろから光を放った者がいた。

 

「役に立てた、なら……」

「陽灯司長……カシキ?」

 

 ファニアも気づいていなかったらしい。

 イドラの血に濡れた自分の右手を不思議そうに眺めてから、斜め後ろから光を放ったカシキにちらりと目をやった。

 

「薬師殿に……どうか」

 

 カシキの顔には死相が浮かんでいる。

 経緯はわからないが、【指】持ちがエクピキに逆らった末路なのかもしれない。

 ファニアを癒し、助けた。

 

 

 敗れた。

 ネロの盾として負けてはならぬはずのイドラが。

 両肺が潰れている。

 時間をもらえれば治癒の力で治るとしても、まともに動けるまで待ってはくれまい。

 

「最後に……」

 

 最後に、ネロの顔を。

 謝りたい。

 許されるはずもないが、それでも。

 

 

「ネロさ、ま……ネロ……」

 

 振り向く。

 言うことをきかない体を無理やり曲げて、ネロに向き直り。

 

「……?」

 

 先ほどまでビッテスがいた辺りになるのか。

 そこに立つのは薬師に襲い掛かったビッテスではない。

 (ひざまず)き、砕いたはずの折れぬ棒を高く掲げた幼女が。

 

「ネロ、さまを――っ!」

「イドラ!」

 

 動けば、自分の動きで命が尽きるだろうとはわかっていた。

 それでもいい。

 目の前でネロを殺させはしない。

 もう一度天雷の葬槍(ケラヴノス)を握りしめ、命を捨てて飛び出した。

 

「やらせん!」

 

 無表情な幼女だったはず。

 だが、イドラの最後の一撃で貫かれるそれは、満ち足りた聖母のごときほほえみを浮かべたまま――

 

 そうだ。

 ファニアが現れる前に周囲を見た時に感じた違和感。

 少女のいる場所だけ何か歪んでいるような。

 

 まさかそれが、死にかけたイドラの目にネロの居場所を見誤らせるなど。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 ムンジィが来てくれて気が抜けていたわけではない。

 アユミチはしょせんは人間だ。

 腹に深々と膝を叩き込まれた後で、すぐさま動けるはずはない。

 

 まともに体が動かない。

 それでもムンジィの言葉に答え、反対でファニアがイドラに勝利したのを確認して。

 終わった、と。

 そう思ったとしても誰が責められるのか。

 

 

「ネロ、さまを――っ!」

「イドラ!」

 

 イドラが唸り声を上げ、ファニアが叫び。

 その向かう先を見れば、何かが揺れる。揺らぐ。霞のように。

 

 

 ビッテスの放った針で霧散した時の何かと似ている。

 もっと濃く、何か。歪み。

 

 滅ぼす手立てを失った邪神に、英雄が命を代償にして振るう神槍を突き刺したら?

 その英雄は邪神を守ろうとしているのに。

 では、見誤らせたら?

 邪神の放つ光まで歪めるのは簡単ではあるまい。

 どれだけ優れた幻術使いだとしても、すぐ傍に、一緒に貫かれるくらい近くにいなければ。

 

 

「か――」

 

 呼ぶことも敵わない。

 鋭い穂先がその幻影を貫いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。