法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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6-32.花葬

 

 僕は何もできない。

 王に選ばれる資格なんてない。

 

 叉波王に選ばれ海の至宝千海の中子(なかご)を手にして、その重さに耐えられなかった。

 兄がいたのだから。

 ネロがいるのだから僕が王になることなんてありえない。

 父の死を聞かされ、濃紺の宝珠はネロの手では輝かずニーモの手に。

 不安と重圧と、その宝珠の力に負けた。

 以来、ずっと病弱な体になり左潮伯カッダ・マノスの庇護下にあった。

 

 捨て森に現れた奇跡の薬師アユミチ、その薬は本当に万能だった。

 虚弱だった体が嘘のように、また宝珠が持つ暗く深い力の影響も薄れて。

 トローメ国内の情勢が切迫していて、もう逃げ続けることは許されなかった。

 

 進む。

 けど、やはり不安だから。

 兄と会って話して、一緒にトローメを守っていこうと思った。

 だけど兄とは話すこともできなかった。

 責めたい。恨み言も泣き言も聞いてほしい。

 正直な気持ち、もし兄がエクピキの力で生き永らえて王となってくれるならそれでもいいと。それがいいと。

 教団は確かに腐敗して多くの問題を抱えていたのだろうけれど。

 人を癒すエクピキの何が悪いのか、僕にはわからなかった。

 僕にはなにもわからなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「……」

 

 ――ケラヴノスが海の底から拾われていて、使えるだけの英雄が命と引き換えにすればね。

 

 ノクサと会った日に聞いた言葉だ。

 魔獣渇きの王蠍(おうけつ)。人間に倒せるようなものじゃない。

 倒せる可能性としてそういう武具があり、使った人間も死ぬ。

 

 おそらく、ただ突いたり振るったりするだけなら死ぬことはないのだろう。

 全力を発揮させれば使い手が死ぬ。

 白と灰色の塊になったイドラは、床に突き刺した矛戟を握った姿勢で、その後にばしゃりと粉々に崩れ落ちた。

 

 

「かよ、う……っ」

「無理しねえでくれ、旦那」

「だっ」

 

 無理やり体を起こして駆け寄ろうとするアユミチをムンジィが止める。

 今、イドラが貫いたのは……霞のように霧散したのは、プレヴラの姿を模した――

 

 

「邪魔を……」

「ふふっ」

 

 苦々しい声と、からかうような妖艶な笑い声。

 蜃気楼のように歪み、霞がかかるような空間はよく見えない。

 

「……そうか、ムンジィ。お前がここまで来れたのは」

「俺だって旦那を助けたかったんですぜ、姐さん」

「責めているわけじゃない」

 

 イドラの背を追おうとしたファニアは、歪みの先が見えたらしい。

 ひとつ息を吐き、アユミチを支えるムンジィに気づいて不満めいた声を漏らす。

 なんで、今天雷の葬槍(ケラヴノス)に貫かれたのは……

 

 

「幻術、ですか……」

「苦手じゃあないのよ、私も」

 

 カヨウの声。

 それに応える女は楽し気に。

 

「神様の光を歪めるまでは無理でも、お嬢ちゃんの()いた幻の場所をちょっとごまかすくらいなら、ね」

「……それで」

 

 なぜ見落としたのか。

 イドラが貫いた場所ばかりを凝視していたアユミチは、少しだけずれた場所に立つ妖艶な女が視界に入っていたのに認識できていなかった。

 

「残ったこれはどうするつもりですか?」

「さあ?」

「アユミチさんは! エクピキを殺さなきゃいけないのに!」

「そうね」

「あなたが邪魔をして!」

 

 イドラの最後の一撃は床を貫いただけ。

 既に命は尽きる直前だった。

 万全なら大聖堂ごと吹っ飛んでいたのかもしれないが、先にイドラの命が尽きた。

 

 

「エクピキを殺さなきゃ、アユミチさんが!」

「先生は私を褒めてくれると思うわよ。ねえ、せんせ?」

 

 妖艶な女。アスパーサ。

 アスパーサが、カヨウの幻をさらに歪めてイドラの目を欺いた。

 槍は空を突き、イドラは何もなすことなく死んだ。

 最後に主の顔を見ることもなく。

 

「嬢ちゃんは大丈夫だ、旦那」

「あ……あぁ……」

 

 タイミングよく助けてくれたムンジィは、アスパーサと一緒にここまで来たのか。

 捨て森消滅後の彼女の生死については知らなかったが、予知の力を持つ彼女なら生きていて不思議はない。

 ムンジィがアユミチを守り、アスパーサがカヨウを助けてくれた。

 

 

「ありが、とう……あ、あぁ……あぁ、ごめん……ありがとう……」

「どういたしまして」

 

 腹から、膝から、力が抜けた。

 へたりこみ、礼を言いながら喉がしゃくりあげる。

 恐怖と安堵とわけのわからない感情で、アユミチの肺がびくぎゅくっと震えて言葉がうまく出てこない。

 奥歯ががちがち鳴り、全身から水気が失われたように涙も出てこない。

 

 怖かった。

 怖かった。

 ただ、怖かった。

 

「だけど!」

 

 へたり込んだアユミチとは反対に、カヨウが怒声を上げた。

 

「どうするんです! このままじゃエクピキが復活するのに!」

 

 もういい、もういいんだ。

 カヨウ、そんなに怒らないで。

 もういいから。俺はもういいからと、声が出ない。

 

『あの子の言う通りね』

 

 カヨウだけじゃない。

 怖くてどうしようもない事実から目を背けさせてくれないのはカヨウだけじゃない。

 

『このままじゃエクピキが生まれる。たぶんまともな精神状態じゃない。何が起きるか……』

「ノクサ……」

『どうにもできないわよ。エクピキが復活した世界じゃレーマだって戻ってこられるかわかんないし』

 

 もう、わからない。

 何をどうすればいいか、ただの一般人のアユミチにわかるはずもない。

 わからない。もう嫌だ。

 

 

「あなたが殺せるんですか!? その槍で、神殺しを」

「私には無理ね」

「じゃあどうしようもないでしょう! 私は、アユミチさんの為に考えて……」

 

 ケラヴノスで、イドラ自身にエクピキを殺させる。

 自らの身も囮にして。

 イドラに勝つ術がなく、エクピキを殺す手段も見失っていたアユミチの為にカヨウが考えたこと。

 それは間違いなくアユミチの為に。アユミチの為だけに小さな命を投げ打ってまで――

 

「なら私が討とう、カヨウ」

「ファニアぁ!」

 

 腹から声が出た。

 腹の底から、激情と共に思い切り彼女の名前を吐き出した。

 

「だん、な?」

「その槍に触るな!」

「アユミチ……」

「その槍に触るな!」

 

 アユミチが知っているくらいだ。

 ファニアだってわかっているのだろう。ケラヴノスを使えば死ぬと。

 確かに、ファニアなら槍を扱うに十分な英雄かもしれない。だけど。

 

「しかし……」

「駄目だ! だめだ、だめなんだ。頼むから……お願いだから……」

「……」

『アユミチ……』

 

 ノクサの声にも首を振り、それからこみ上げたもので咳き込んだ。

 内臓が逆流しそうだ。

 脳がぐちゃぐちゃで、何もかも忘れて消えてしまいたい。

 何も考えたくない。

 もうこれ以上つらいのも苦しいのも嫌だ。

 

 

『もう時間がないよ』

「女神スカーア。それに薬師アユミチ」

 

 両手を床について激しく呼吸を繰り返すアユミチに声をかける女。

 

「……鬼巫」

「いや、アユミチ。彼女は花札の一人マベラだ」

 

 同じ顔が二人いた。

 黒い鉄扇でビッテスに襲い掛かり、魔法で迎撃された女。

 西港でアユミチの首を切った女だった。

 

「ディサイでの詫びとして私が」

「勝手は許さぬぞマベラ!」

 

 今度はアユミチではなく本物の鬼巫が激昂した。

 彼女らはファニアと共に鬼巫の花札と呼ばれる存在。ケラヴノスを使うに値するのかもしれないが。

 

主様(ぬしさま)……」

「勝手なことを申すな! それは妾の役ぞ!」

「ラハ様、いけません」

「止めるでないクロロテッサ。妾であれば耐えてみせよう」

「いけません。レフカースもラハ様に言って……レフカース!」

「……」

 

 鬼巫たちもまた、復活前のエクピキを殺さなければならない。

 今ここにある手段は、天雷の葬槍(ケラヴノス)を使うしかない。

 誰がそれを手にしてエクピキを殺すか。自らの命と引き換えに。

 

「主様、こんな時の為のマベラ。覚悟はできてる」

「ならんと言っておる!」

「レフカース、主様のことお願い」

「……」

 

 話している間にもエクピキの指から伸びる光の根が、ネロの首元から頬へと伸びていく。

 あれが全身に回れば手遅れ。

 鬼巫たちも揉めている中、ファニアがアユミチの傍に膝を着いた。

 

 

「アユミチ……アユミチ殿」

「お前は俺の妻なんだろ。やめてくれ……許可しない、絶対に……」

「……」

 

 

 ファニアの覚悟は十分にわかる。

 俺の為にエクピキを殺す。その為なら命を捧げてもいいと。

 ファニアはゼラの復活のことなど知らないはず。

 だが、カヨウの様子から尋常ではない何かを察したのだろう。

 エクピキの復活は絶対に阻止しなければならないと。

 

「ファニア、もう一度呼んでくれ。君が俺を本当に好いてくれているなら」

「……アユミチ」

「あぁ」

 

 伴侶らしい呼び方を受けて、息が漏れた。

 彼女の肩を借りて立ち上がる。

 

 ネロの近くではまだカヨウがアスパーサを睨み、その横で輝きを増す【指】と照らされる天雷の葬槍(ケラヴノス)

 カヨウも泣きそうだ。

 俺の為に考え、決死の覚悟でイドラに罠を仕掛けたのに。失敗した。

 悪びれもせず微笑んでいるアスパーサにはいったい何が見えているのか。

 

 アスパーサは、いったい……?

 

 タイミングが良すぎる。

 彼女は何を知っていて、何のためにここに……?

 

 

「もういい。クロロテッサ、主様を抑えていて」

「わかったわ、マベラ」

「やめんかおぬしら! 妾は――」

「聞き分けなさい! 花の主として!」

「っ……」

 

 マベラが呟き、まだ喚く鬼巫をクロロテッサが一喝した。

 彼女らに、あまり良い印象はない。

 最初に首を斬られて殺されかけた。

 この大聖堂で、プレヴラを人柱のように扱いエクピキを滅ぼそうとしていた。

 事情はあるのだろうが、アユミチにとって良い印象などあるわけがない。

 それでも、マベラと呼ばれる鬼巫と瓜二つの女がこちらを向き、微かに微笑んで頷く顔を見れば、胸が痛い。

 

「スカーア様」

『ちがうって……ま、いつか会うことがあれば伝えるわよ』

「ありがとうございます」

 

 アユミチに微笑んだのではない。

 ノクサに対して。

 それほどスカーアとノクサは似ているのだろうか。

 そういえばいつだったかレーマ様も、スカーアのことを可愛いと評していた。

 

「……レフカ」

「……」

 

 槍に向かおうとするマベラの袖を、ずっと黙りこくっている白い花札が握っていた。

 顔を上げ、何か言おうとして、言葉にできずに俯いて。

 アユミチがファニアを止めたように、彼女たちにも色々な思いがある。

 口を挟めることなどない。

 できることなどない。アユミチに肩を貸すファニアを強く掴み、困った顔をさせるくらい。

 

 

「……」

「レフカ、わかったから」

「レフカース! マベラを――」

「だから、さあ」

 

 レフカースが袖を離すのとほとんど同時に。

 イドラだったものの塵を踏み、床に突き立つ神槍に手をかけるものがいた。

 

「ボクしかいない、じゃん……」

 

 既にぼろぼろで、大きく(えぐ)られた脇腹から大量の血を零している小柄な女が。

 それを見たレフカースが目を見開き声を漏らす。

 

「コッキノ、動けるはずが……」

「ボクがいちばん強い、しぃ」

 

 突き刺さっていた槍を引き抜く。

 バチュンと、光が瞬いた。

 

「ねえ、アーさまぁ……女神スカーアさま」

 

 止まっていても、命を長らえたかどうかはわからない。

 イドラとの戦いで深手を負っていた赤い女が、ノクサに笑いかけた。

 

 

「ボク、まだ頑張るから、さ」

「コッキノ、よすのじゃ……」

「だから」

 

 えへへ、と。

 この場にまるで似つかわしくない悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ケラヴノスを両手で高く掲げた。

 

「また、キュアナに会えるかなぁ……」

『……そう、ね』

 

 応じる。

 ノクサの言葉が本当なのか嘘なのか、アユミチにはわからない。

 神は人に嘘を言わない。

 だけど、ノクサは?

 

『あなたが望むなら、会えるよ』

「そ、かぁ……なら」

 

 

 花札たちの悲鳴めいた声と、ぎっと噛みしめるファニアの唇。

 

「うれしいなぁ」

 

 葬槍が鳴き、【指】が砕け散った。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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