法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-01.重責

 

 僕のせいだ。

 僕のせいだから。

 僕がなんとかしなきゃいけない。

 

 そう思うのに、兄さんは僕のことを否定する。

 お前には無理だ。

 お前にはできない。

 甘ったれた僕は馬鹿で無能で、よけいなことをせず黙って指を咥えてみていろって。

 

 でも、それじゃあレーマルジアは戻ってこない。

 兄さんのやり方は正しくて厳しくて、世界を一色に染める美しさ。

 そうじゃない。レーマルジアが夢見た世界は、もっと色に溢れた美しさだもの。

 

 僕と兄さんの性質は相反する。

 触れてはいけない。

 本当なら、アニラービーのことがなければ、触れ合うことはなかった。交わることはなかった。

 

 運悪く、運よく、日は陰り。

 僕は兄さんを滅ぼした。

 

 

 どうしよう。

 これからどうすれば?

 

 ふらふらと、レーマルジアに会いたくて。

 そこにいたんだ。

 あれが。君が。黒い蝶が。

 レーマルジアと入れ替わって、反転して、ああ、なんだったか存在がぐちゃぐちゃになってわからない。

 

 レーマルジアの代わり。

 レーマルジアの生まれ変わり。

 

 ああ、だったら。

 僕のママだ。

 ママ。

 泣いて、泣いて、いっぱい泣いて、僕はもう空っぽだ。からからだから。

 おっぱいをちょうだいよ、ママ。

 いいでしょ、僕、ママのおっぱいがほし――

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 エクピキを送り、憂いを帯びたレーマ様は見とれるほど綺麗だった。

 女神っぽいと思わせる雰囲気だったのだが。

 ほどなく、変顔のように顔をひどく歪めた。

 エクピキに触れた自分の手を見て、とても嫌そうに。

 

 クソ溜めみたいな、と言っていた。それくらい汚い類のものなのだと思う。

 ニーモ少年が汚らしいというわけではない。絵に描いたような王子様といった容貌だが、憑りついていたエクピキの問題。

 むすっと不機嫌になり、ちょっと待ってろと建物の中に入っていった。

 

 そういえば以前、アユミチを追い出した後にアユミチに触れた手を一生懸命洗っていたのを思い出す。

 あれと同じ。

 あれと同じ、か。

 色々片付いてほっとしたせいか下らないことが気になってしまい、なんだか情けない。

 

 

「建物、変わってますね」

「ん、あぁ」

 

 神域。レーマ様の寝所。

 前は丸いドーム状の建物だけだったが、それと併設して五重の塔のような建物ができている。

 位置関係で言えば雲海側に。

 通常、入ってくる入り口側から見ると斜め後方。

 今日は天馬に引かれて訪れたアユミチ達は裏口側に届けられたので、隣に見上げるようになる。

 雲海とレーマ様の寝所の間、砂浜とも違うが柔らかな地面にニーモを寝かせたまま眺めた。

 

「住民が増えたから作ったのかも」

「さすが女神様ですね」

「そうだな」

 

 のんびりしていていいのか。

 戦いに決着はついたとはいえ、決して国が安定したわけではない。

 とはいえ、アユミチが戻っても政治的な話などわからない。

 ニーモが目を覚ましたら……十歳を過ぎた程度の少年に背負わせるのもどうなのか。

 

 差し当り、左潮伯や北府の高官、ファニアや鬼巫達がどうにかするのだろう。

 アユミチがすべきことは、なんだ?

 レーマ様の機嫌を取って、やるべきことを聞いて。

 今までとあまり変わらない気がする。

 

 

「なんだか……気が抜けちゃったな」

「だから大丈夫だって言ったんですよ」

「カヨウの言う通りだ」

 

 どうもカヨウはレーマ様に気に入られている様子。

 何かお願い事をする時はカヨウを通した方がいいのかもしれない。

 それも情けない話だが。

 

「結局、カヨウに頼ってばかりだったよ」

「そんなことありません」

「カヨウがいなかったら何もできなかった。だけど」

 

 向き直り、カヨウの顔を正面から覗き込む。

 綺麗に整った笑顔。ニーモを王子様と言うならカヨウはお姫様だ。

 血筋とか関係なく。

 

「二度と、俺の為に犠牲になろうなんてしないでくれ」

「命令、ですか?」

「そうだ……」

「私は……カヨウは、アユミチさんの何ですか?」

「……」

 

 俺の……

 カヨウは、俺の……

 

「……大事なんだ。大切なんだ」

「私の気持ちは大事じゃないですか?」

「それは……頼む。わかってほしい」

 

 カヨウの気持ちを、上から押さえつける要求。

 そんなことを言う権利がアユミチにあるのかと。少し言葉が弱くなる。

 

 

「……聞けません」

「カヨウ」

「命令なら従います。アユミチさんの命令なら聞きます」

 

 頼みなら聞かない。

 命令なら聞く。

 

「カヨウはアユミチさんの命令ならなんだって聞きます。なんでも」

「……」

「命令ですか?」

「……そうだ。命令だ」

「わかりました」

 

 ゆっくりと頷いた。

 

「アユミチさんの為に命を投げ出したりしません」

「約束だ」

「約束します」

 

 意外と意地っ張りな面もあるんだなと。

 とりあえずでも聞き入れてくれたことに胸をなでおろし、カヨウの微笑みに苦笑いを返す。

 

「俺の為じゃなくてもだめだからな」

「私がアユミチさん以外の何かに命をかけると思いますか?」

「そりゃあ……」

 

 アユミチの為ならなんだってする。なんでも命令を聞く。

 女の子がそんなことを言うもんじゃないと思うが、嫌な気分ではない。

 

「……いつか」

 

 この先、もっと未来でもカヨウが同じ気持ちで傍にいてくれるのなら。

 たぶん勝てないだろう。この子の魅力に。

 その前にアユミチが見限られそうな気もするが。

 

 

「目を」

 

 アユミチを見上げるカヨウの瞳。

 抗いがたい。勝てない。

 吸い込まれるよう。

 

「覚ましたようです」

「は……? あ」

 

 目と目が触れそうなほど近づきかけたところで、カヨウの唇から漏れた言葉の意味を考え、はっと顔を上げた。

 目を覚ました。

 ニーモが。

 

 

「あ、やっ……」

 

 雲海とレーマ様の住む建物の間の、柔らかな地面に寝かされていたニーモが気がついた。

 目を開け、上空の海を見上げて涙を零している。

 慌ててカヨウから離れるアユミチだが、ニーモはアユミチたちを気にする様子ではない。

 

「落としましたよ」

「あ、うん」

 

 慌てたアユミチの懐から落ちた封筒。

 まともに話す時間はなかったが、陽灯司長カシキが死ぬ前にアユミチに渡したものだ。

 目を通す時間がないまま、今もとりあえず受け取って懐にしまう。

 

 

「……ニーモ、でん……陛下?」

「……」

 

 ゆっくりと、唇を結んで首を振る。

 ニーモではない。まだ精神はエクピキなのか。

 

「僕は……王なんか、できない……」

 

 気を遣って陛下と呼んでみたが、それが悪かったらしい。

 

「エクピキの心が……流れ込んできて、エクピキは……ただ、人を幸福にしようと……ずっと、その為にもがいて……息もできないのに……」

「……」

「ポスフォスを殺したから、僕がやらないといけないって……なんにも見えないのに」

 

 【指】だけで生き永らえていたエクピキ。

 呼吸もできず何も見えず、それでももがいていた。

 

「人が苦しまないよう、痛みに泣かないように……そうすれば道が開くと信じて……」

「そうか」

「僕は……」

 

 エクピキの治癒は、決して悪しきものではなかった。

 重大な怪我でも苦痛なく治せるなんて奇跡、誰だって喜ぶ。

 うまく運べば、それで人の世を明るく導き、レーマ様復活の土壌を整えていたのかもしれない。

 しかし、エクピキの力を得た人間は私利私欲に使い、腐敗が広がっていっただけ。

 

 ――お前、ズレてんだよ。

 

 レーマ様の言っていた通りか。

 やりたいことはあっても、何かズレている。

 そんな人もいる。そんな神もいたのだろう。

 

 

「僕は……兄を犠牲にして、だけど……」

「ニーモ」

 

 呼びかける。

 王なんて無理だという少年の名を呼ぶ。

 

「自分を責めなくていい」

「僕は……王の子、だから……」

「だとしても、まだ子供だ」

 

 なんと言ったらいいかわからない。

 王の責務や重圧なんてアユミチにわかるはずもない。

 ただ事実として、ニーモはまだ子供だ。

 

「今回のことは君のせいじゃない」

 

 ニーモに何ができたか。

 何もない。国内の状況や彼を取り巻く大人たちが進めたこと。

 お飾りと言ってしまうのは悪いが、実際に玉座に据えられただけのニーモに未来を変える術はなかった。

 

 

「薬師……アユミチ、ですよね」

「そうだ」

「僕も、あなたの薬で救われた……」

 

 王弟ニーモは長く公の場に出ていなかったと聞いた。

 病気で()せっていた彼に、アユミチの薬が巡り巡って届いたらしい。

 

「僕が……僕は、あのまま死んでいたら……」

「……」

 

 アユミチの薬なんて、ただ偶然に授かっただけのもの。

 努力や苦労をして得た能力ではない。

 それでニーモの病は治せたかもしれないが、彼の境遇を救うことにはならなかった。

 

「ごめんな」

 

 王族として負う責任の重さは想像もできない。

 責任を負うのを怖がるのはアユミチも同じ。ニーモに対して偉そうに言えるわけもない。

 ニーモが子供であるのとは別に、アユミチ自身も立派な大人ではないと痛感する。

 

「それでも」

 

 わからない、けれど。

 断片的に聞いた話から、想像できることはある。

 

「君のお兄さんは、君が生きてくれることを望んでいたと思う」

「……はい」

 

 ニーモの目からもう一度、大粒の涙が零れた。

 

 

 情けない。

 何もできなくて、情けない。

 これ以上声もかけられず、手持無沙汰に。

 居心地が悪くて、さっきカヨウに拾ってもらった封筒を見た。

 

 何か言いたげに陽灯司カシキが最後に託したもの。

 そういえば何だったのだろうか。

 

 場の雰囲気をごまかすように中を確かめてみた。

 

 

『パテシーイ! デすっ!』

 

 実際にそう記載されていたわけではない。

 アユミチはこの世界の言葉も文字もわからず、自動翻訳されて理解する。

 そのせいか、ニュアンスがそのまま脳に焼き付く。

 いや、書いた人間の人間性を考えると、案外本当にこの通り書いてある可能性も十分にある。否定できない。

 

「う、ぐ……」

 

 嫌がらせだったか。

 気持ちがフラフラしていたところに思いもしない大声量を叩き込まれた感じで、頭がくらくらした。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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