法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-02.恩と負い目

 

「ファニア」

 

 呼ばれて、嬉しい気持ちと困った気持ちが胸に去来する。

 どんな顔をして応じればいいか。

 頬を締め、静かに軽く頭を下げた。

 

「はい、アハラマ様」

「再会嬉しく思う」

「私も、嬉しく思います」

 

 かつて忠誠を捧げた主。

 斑徂症によりファニアはアハラマの下を離れることになったが、敵対したわけではない。今も敬愛している。

 

「今さらなにをと思うかもしれぬが、其方(そなた)の無事を聞いて喜んだのは本当じゃ」

「疑うことなどありません」

「死病を治す薬師の噂を聞いたラハ様は捨て森に向かったの。私たちの反対も押し切って」

「それは……」

 

 知らなかった。

 ファニアの生死も曖昧だっただろうに、鬼巫自身が捨て森に足を運ぶとは。

 

 

「妾が森に着く前にあの爆発じゃ。国軍が捕らえていたおぬしの仲間から話は聞いたが」

「仲間……?」

「村人と陽灯司じゃった。ジルボンと言ったか」

「お会いになられたのですか」

「おぬしが捨て森で邪神と戦ったと言っておった。妾の為に……ではなかったようじゃな」

「彼らは無事なのですか?」

「……そうじゃな。北府ヴォラスで暮らせるよう手配はした」

 

 アハラマへの恩義を改めて感じ、しかしファニアが戦ったのはアハラマの為ではない。アユミチの為に。

 申し訳なさをごまかすようにジルボン達の処遇を聞くと、アハラマは小さな溜息交じりに答える。

 捨て森の住民たちは無事だったか。

 北府ということは、アハラマの顔が利く方面に逃がしてくれた。ありがたい。

 短い期間でも寝食を共にした人々だ。無事でいるとわかってほっとする。

 

 

「ファニア。ファニア・イア・イオルテよ」

「はい」

「奇跡の薬師アユミチは、其方の命の恩人ということで間違いないか」

「そうです」

「死病から救ってくれた恩を返す為に剣を捧げたのじゃな」

「……いえ」

 

 確認されてみて、あらためてファニア自身も自らに問いかけてみて、首を振る。

 

「そうではありません」

「……」

「恩人には違いありませんが、それで剣を捧げたわけではありません」

 

 恩人だから、ではない。

 その理屈で忠誠を誓うのなら、医者が玉座に就くことになるのではないか。

 エクピキの陽灯司が強大な権勢を誇ったのを見れば、恩義に対して何か返したいと思うのは道理かもしれないが。

 

 

「……」

 

 好きだから。好きになってしまったから。

 言葉にするのは気恥ずかしい。

 恋する少女のよう。

 口ごもり、言葉に詰まる。

 

「妾の花に戻らぬか?」

「アハラマ様……」

「虫のいい話と思うかもしれぬが、ファニア。今一度、このアハラマの花札に、妾の手に戻ってはくれぬか?」

「……」

 

 鬼巫の花札。

 隠れ里の者以外でそこに加えられる者は極めて少ない。

 女だけの隠れ里。男社会に嫌気が差していたファニアは、かつてその申し出を受けて舞い上がるほど嬉しく思った。

 今でも、まさかもう一度手を差し伸べてもらえるなど考えてもおらず、戸惑いの中にも間違いなく喜びがある。

 

「アハラマ様」

 

 本当に、嬉しい。

 身に余る言葉。畏れ多くて震える。

 だけど。

 

「私ごときがいただくにはもったいないお言葉です。ですが」

「……」

「あなたの下を離れた私は、あなたに比肩する主と出会い、剣を捧げました」

「アハラマ様を――」

「その誓いを軽々に翻すようでは、あなたの花に相応しいとは言えないでしょう」

「……そうか」

 

 また誘ってくれたから、と。

 アユミチとアハラマを比べて、どちらがどうと言うのではない。

 人の出会いにはタイミングというものがある。

 今、秤にかけろと言うのであれば、ファニアの気持ちはアユミチにあるけれど。

 仮に同じだけの経緯があったとして、ファニアが最初から今までずっとアハラマの花札であったのならアハラマを選んだと思う。

 ただ、現実はそうではなかった。それだけだ。

 

 

「ファニア」

「レフカース……」

「あなたは、アハラマ様がこうまで仰って下さるっているのに、あのような男などに――」

「言葉に気ぃつけろよ、花札の姐さんよ」

 

 それまで黙っていてくれたムンジィが嘴を挟む。

 ファニアはレフカースが苦手だ。

 彼女との会話はどうしても険悪になりがち。

 

「うちの旦那はすげえんだ。あんたんとこの鬼巫さんを悪く言うつもりぁねえが、アユミチの旦那は世界一だ。みくびってんじゃねえぞ」

「男なんかが――」

「そうねえ」

 

 続けたアスパーサに視線が集中する。

 

「何の得にもならないのに死病患者を助けていると思ったら? アニラービーを倒して西港の陽輝卿も片付けて。反乱軍起こして王都までひっくり返しちゃうんだもの」

「……」

「おんなじことができる人は、そうそういないでしょうねえ」

 

 レフカースの目には、先ほどのビッテスとの戦闘であまりいい所のないアユミチくらいしか映っていなかったのだろう。

 情けない男を選んでアハラマの誘いを袖にするなど、レフカースの価値観で言えばあり得ない。

 無礼なファニアに怒りを覚えるのもわからなくはない。

 

 

「レフカース」

「……」

「アユミチは人を良い方に変えてくれる人だ。私は彼を支え、彼の力になりたいと思っている」

 

 戦闘巧者ではないし、何か際立って才気を感じさせるというわけでもない。

 けれど、彼の優しさに救われる人は少なくない。

 一緒にいて安心する。傍にいたい人。

 

「詫びる。レフカースも今は平静じゃない」

「マベラ、私は」

「別に薬師アユミチを悪く言うつもりはなかったと思う。許してほしい」

「いや、俺ぁ別に……わかってくれんならそれでよ……」

 

 間に入ったマベラの謝罪にムンジィはしどろもどろに、それからふと思いついたように大きく頷いた。

 

「詫びってんならこっちだ。プレヴラのことだぜ」

「……」

 

 レフカースの端整な顔が歪んだ。

 苦しそうに。

 

「無事だったからよかった、ってぇ済ませてやりてえところだけどな」

「それは……」

「あんたらが(さら)っていきやがったのは間違いねえよな? その辺はどうなってんだ?」

 

 

 レフカースの表情を見れば、犯人であることは間違いなさそうだ。

 南部でファニアたちと会談した後、プレヴラを誘拐して姿を隠した。

 この場にプレヴラがいることからも、彼女らに何か理由があったのは間違いないが、母コニーの心労を思えば誤って許される話ではない。

 俯いたレフカースの代わりにマベラが答える。

 

「エクピキを倒すのに必要だった」

「ハぁ?」

 

 間抜けな声を漏らすムンジィと、眉を顰めるファニア。

 何を言い出すのかと思えば。

 

「純真無垢な依り代としてポスフォスに選ばれていた」

「ポスフォス?」

「持っていた棒。あれはポスフォスの遺骸だったから」

「ありゃあ旦那の……んー、あぁ……」

 

 なるほど。

 アユミチの持ち物だったあの折れない棒。

 あれが神の遺物だったとしても不思議はないか。

 捨て森で一緒に過ごした中で、最も無垢なプレヴラが何かのはずみで触れて、ポスフォスの依り代に選ばれたのかもしれない。

 

「棒は?」

「砕けた。もうない」

「そう、か……」

 

 捨て森焼失の騒動の後プレヴラが持っていた。

 大事そうに抱えていて、アユミチと再会したら返せばいいと思っていた。というか、ただ頑丈な木の棒としか認識していなかったので、そのままでいいかと。

 プレヴラの身が狙われた理由がわかり、とりあえず納得する。

 

「それならそうと話してくれたらよかったのに」

「わた、しは……」

「レフカちゃんは」

 

 唇を尖らせるレフカースにクロロテッサが被せる。

 花札で一番年長、姉のような立場のクロロテッサ。

 

「ファニアちゃんに罪悪感があるのよ」

「罪悪感?」

「クロロテッサ、勝手なこと……」

「だって」

 

 レフカースとファニアの関係は良好とは言えなかった。

 前からぎくしゃくすることばかり。

 

「ファニアちゃんが病気にかかった時、レフカちゃんの命令だったでしょう? 一人で裏通りに行くように、って」

「あれは……」

 

 足の負傷を抱えたファニアが死病の血を浴びることになった時の指示。

 確かにレフカースからだった。

 

「誰が悪いわけでも……」

 

 ファニアが悪い。

 恐れと意地とで治癒を受けなかったファニアが悪い。

 そのままではアハラマの役に立たないと言われ、売り言葉に買い言葉。無意味な指示を受けて、そこで偶然……

 

「事故……ただの事故だ」

 

 仕組まれていたわけではない。

 死病患者を使うなんて、そんな外道。外法。

 

「……」

 

 病気を武器にするなどという邪道。ともすれば自分たちにも降り掛かる災いなど、まともな人間が選ぶはずがない。

 何もかも滅べばいいなんて思うわけでもなければ、誰がそんなことを。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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