法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
先のことなど知りようがない。
どれだけ頑張れば報われるのか。どれほどの苦しみが必要なのか。
愛しい人を取り戻すのに、この先何が必要なのか。わからなかった。
最初に願った時、アユミチは誓った。
どんな苦しみも何を犠牲にしても構わないと。
本当の気持ちだった。
だけど、必死でもがいて進んだ先で、目の前でカヨウが死にそうになった時。
もういやだと思った。
アユミチの為に、アユミチのせいでカヨウが死ぬ。
カヨウにとって何も良いことなどない。報われない。なのに、ただアユミチの願いを叶えるためだけに命を捧げるなんて。
もういい。
もういやだ。
アユミチがどれだけ傷つこうが、仮に死んだって、ゼラの命の引き換えならいいと思っていた。
だけど、アユミチが死んでもカヨウが命を捧げても、それでゼラが生き返るわけではない。
ゴールが見えない、どこまで手を伸ばせばいいのかわからない望み。
自分のわがままに付き合わせて、カヨウにあんなことを。
――もう、いいんだ。
その気持ちも嘘じゃない。本当だ。
自分がどれだけ身勝手だったか、分不相応なものを望み周囲を巻き込んでしまったのか。
そして、ゼラとカヨウのどちらかしか救えないのならと思った時、心の中の天秤が壊れた。
もういい。
もう考えたくない。
逃げ出したくなって。
ファニアがいた。
アユミチとレーマ様の約束も知らず、やはりアユミチの為に命を張ってくれる人が。
寄りかかっても許される女性で、そのファニアが帰ってきてくれて。
望みの糸を手放した。
実際に切り捨てたわけじゃない。背を向けようとした。
なのに。
そんなアユミチの目の前に、女神が手を差し伸べてくれる。
ほら、すぐそこだから掴めよ。
もう一月頑張れば届くから。
腹の底から沸き上がる負い目。後ろめたさ。歓喜。欲求。羞恥心。自己嫌悪。心咎め。
目の前にゴールがある。
諦めようとした。首を振った望み。
会社をやめようと心を決めていった朝に、来月特別ボーナスが出ると聞かされて辞表を握り潰すような浅ましさ。
現金な、軽薄な自分が恥ずかしい。
カヨウの目が、アユミチを慕ってくれる少女の目が、一転して冷めるのではないか。
ゴミでも見るような目で蔑み、口もきいてくれなくなるんじゃないか。
そんなことはないと思うけれど、それはカヨウが優しいからであって、アユミチの
「どっちも、本当の気持ちだった。嘘じゃない」
『……だから?』
ノクサはあまりまともに聞いてくれなかった。
愚にもつかないアユミチの愚痴。うじうじと本当に情けない男だ。我ながら。
「何を犠牲にしてもいいって……本当に」
『そうね』
「諦めなくていいなら――」
『あーもうっ!』
ノクサの機嫌は悪い。
なし崩しに行かないと言っていた神域に連れていってしまったのも悪かったと思う。
それに加えてこのアユミチの愚痴。イライラするのも当然だ。
『ノクサは関係ないでしょ! アユミチが悪い、間違ってたって言って欲しいならそう! その通りよ!』
「……ごめん」
『……知らないっ』
そうだ。ノクサは正しい。
責めてほしかった。
自分より上位の誰かに、お前が悪いって言ってもらいたかった。
それで許される気がして。何かに謝りたくて。
罪を告解する人の気持ちはこういうものかもしれない。
色々、自分が間違えてきた。
それでも、望んだ気持ちは本当だ。
レーマ様が世界に再臨し、ゼラを生き返らせてくれる。
アユミチの悲願だった。
嘘じゃない。
本気で願い、叶える為にならどんな苦しみも何を犠牲にしてもいいと思って進んできた。
――私は、知っていますから。
ノクサに叱られ、カヨウの優しさに包まれて。
どちらも必要だった。
叱られて、許されたかったのだから。
カヨウの腹にすがりついて泣く。
悔しくて、でももうカヨウの温もりから離れられなくて。
腹に当てた額が、カヨウのヘソにぴったりと吸い付くように。
カヨウの熱と心地よい匂いに、頭がどうにかなりそうだ。
“欲しい”
熱で
“俺のだ”
欲求。
手放したくない。
“俺のものだ”
この優しさも温もりも肌の感触も肉も、自分のものに。
アユミチの弱さもずるさも全て許してくれる、癒してくれる存在。
他の誰にも渡さない。
この体は他の何者にも汚させない。自分だけ、アユミチだけのものにする。しても許される。カヨウはアユミチが何をしても、どんな淫らなことでもひどいことをしてもきっと許してくれる。だから何をしてもいい――
“ヤっちゃえバいいんデす”
「っ!?」
幻聴、ではない。
口を開きかけ、カヨウの肌の味を知ろうとしかけていた自分に気づき、はっと離れた。
「……アユミチさん?」
「カヨウ……いや、なん……?」
“ヤりたいならヤりまショうネ!”
脳に響く。
ノクサの声とも違う。なんだこれは。
これが、アユミチの本心か。
「いいんですよ、アユミチさん。私なら」
「違う!」
“違いまセんがっ”
「黙れ!」
「っ……」
いや、カヨウに言ったわけじゃない。
しかし、カヨウを見ていると腹の底から湧いてくる気持ちが抑えられそうにない。
顔を背け、誤魔化すように周囲を見渡す。
薄暗い荒地。
元々捨て森周辺の何もない場所。
去年の爆風の影響で折れた木々が、また少しずつ形を取り戻そうとしつつあるような。
捨て森から王都に向かう途中の、何もない場所に……
「なんだぁ、バレちまったか?」
「構わねえ、たかだか二人だ」
「……」
満月からひとつ欠けた夜。
闇の中にいくつか、ギラリと光る。
「野盗か」
『脱走兵とかでしょうね』
ノクサは先に気づいていたようだが、不機嫌で教えてくれるのが遅い。
国内があれだけ荒れたのだ。当然、治安も悪い。
王都近郊から逃れてきた武装集団。
数は、十数人くらいか。
「……カヨウ」
人数が多い。
手加減をしていられる余裕はない。
そもそもアユミチに、武装した集団相手に手加減などできる実力もない。
「ノクサ、力を――」
少し喧嘩してしまっていたが、こういう事態ならそんなことも気にしていられない。
『わかってる』
「ああ――」
“十回連続デす”
「十回続けて……」
『うん? いいけど……アユミチ?』
カヨウには指一本触れさせない。
全力で殺す。容赦はなしない。
“テュズとヤるのは私たちデすからネ”
「……は?」
“力の使い方を教えてあゲまショう、ホドウさん”
ゆらりと、アユミチの脳からの指令を受けた体が、水面に映る月のように揺れた。
脱走兵の集団たちにとっては悪夢だっただろう。
戦場から逃げ出した先で、人間離れした力と技を振るう一人の男に為すすべなく終わらされたのだから。
“いつモ全力なんテ必要ありマせんヨ”
気持ちが良いと感じてしまうほど洗練された動きで敵を殺した。
人を殺した。
◆ ◇ ◆