法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「俺はビビって、なんもできなくてよぉ……情けねえ……」
「プレヴラを連れて逃げるしかなかったのよ。彼女は時間稼ぎに残ったわ」
「そんな……」
アスパーサは仕方なかったというように言ってくれるが、ムンジィは自分を許せない。
アユミチが去った後、朝の光が遅れを恥じるようにゆっくりと差し込んできた。
誇示するようなエクピキの光とは違う。冬から春に変わりゆく季節の、白くうっすらとした陽射し。
夜明けだ。
長い夜が明けるのを感じたムンジィの背で、プレヴラが小さく声を漏らした。
目が覚めたか。よかった。
ほっとした。
アユミチから任されたことを果たすのはムンジィの使命。誇り。
死なないエクピキを片付ける為に女神の下へ向かったアユミチ。きっとなんとかしてくれるだろう。
禁域からどうやって戻るのか。帰りもあの天馬の馬車で戻るのなら、トローメの国民はみなアユミチを神の使いとして讃えるに違いない。
政治のことなどムンジィにはわからないが、そう言いだす者が現れても不思議はない。
そうなれば、ムンジィも大出世だ。
町を追われ腐っていた自分が新しい王様の側近とは。
出世欲があるわけでもないが、嫁ももらってこれからの生活を考えれば何も損はない。
よかった。
あの日、禁域でアユミチに出会えた幸運に感謝する。
ろくでもない人生で、どうせ未来なんてないと自棄になっていた。
悪事に手を染めてやるつもりでもなりきれず、中途半端なまま。
あそこでアユミチに出会えたのは女神様の導きだったのだろう。
禁域。
古くから魔獣が住み人を寄せ付けぬ、草木も育たぬ渇いた大地。
大魔獣と呼ばれる渇きの王蠍にも遭遇したわけだが。
建物のような巨体。
止まった状態から鳥が飛ぶような速度で駆けだす機敏さ。
金属の剣を小枝でも払うがごとく弾き返す甲殻。
人間がどうにかできる存在ではなかった。
ムンジィは吹っ飛ばされて気絶しただけだが、あれの恐ろしさはよくわかった。
死んだと思った。
元より生きるのを諦めかけていたようなものだ。
だけど、アユミチは違った。
何をどうやったのか王蠍を討伐して、一仕事終えたとでも言うように酒を飲んでいた。
すげえ。
なんと言うか、他に言葉が浮かばなかった。
ただただ、すげえ。とんでもない男だと。
そんなこんなで、気が付けば王国全土を巻き込む戦争の中心にいた。
忘れようとしていた親友とその妹とも再開し、あらためて縁を結ぶことになり。
アユミチがいなければこの夜明けはなかった。
感謝している。この先もずっとついていく。
新妻には申し訳ないが、妻と同じくらい惚れこんでしまっているのだ。自分より年下の青年に。
その結果が出世なら、まあ言い訳も立つだろう。
なんて隙間が、心の隙間があったから。
まるで気づかなかった。
音もなく気配もなく、巨大な魔獣が壊れかけの大聖堂に出現していたことに。
一目見てわかった。
知っている。
それが大魔獣渇きの王蠍だと、ムンジィは知っている。遭うのは二度目。
いつの間に、なぜ、どこから。
そんな疑問を挟む間もなく、あいさつ代わりのように魔獣の足が、がざざざじゃっと音を立てて床石を砕きながら広間を横断し、まだ残っていた壁を粉々に吹っ飛ばした。
蹴散らされたのは北府の紋章をつけた兵士たち。続けて左潮伯たちに向き直りまた駆け出す。
ただ走るだけで軽々と建物をぶっ壊す魔獣相手に何ができるのか。
大混乱の中、ファニアに怒鳴られた。プレヴラを連れて逃げろと。
逃げろと、命じてもらって。
よかった。
よかったと、助かったと。そう思った。そう思ったのだ。
情けない。情けない。情けない男だどうしようもないクズ。
アスパーサに先導され、そういえば来る時もアスパーサの案内で迷わず到着したことを少しだけ奇妙な気もしたが、とにかくアスパーサとプレヴラと一緒にその場を逃げ出した。
あれは渇きの王蠍だ。
勝てない。勝てるわけがない。アユミチがいなければどうしようもない。
ただ自分の命惜しさにぶつぶつと言い訳を口にしながら逃げ出して、町の外れまで来た。
アスパーサがここでアユミチを待つと言うから、その後も王都中を荒らしまわる王蠍から逃げ隠れながらアユミチを待った。
「ファニアの姐さんは……」
アスパーサに言われた。
渇きの王蠍と戦い生き延びた者はいない。
それ以上のことはない。
「生きてはいるわ」
言葉に詰まったムンジィに続けたアスパーサの言葉に、頭が回らない。
どうしようもなかったと言い訳したくて、きっとそれをアユミチもわかってくれるだろうとだけ考えていて。
言葉の意味を理解しようと、地面に擦りつけていた頭を上げた。
生きている。
生きてはいる。ファニアが、どこかで。
「な……っ! なんでそれを言ってくれねえんだ! だったら」
「言ったら探しに行こうとしたでしょう?」
「ったりめえだ! すまねえ旦那、俺が」
「落ち着けムンジィ!」
走り出そうとしたムンジィの襟をアユミチが掴む。
「お前のせいじゃない! いいから落ち着け!」
「だ、けど俺ぁ……」
「知っていて黙っていたんですか?」
アユミチに対する申し訳なさでとにかく何かしなければと、気ばかり焦るムンジィと対照的に静かな声のカヨウ。
それと、見知らぬ少年も連れている。
ただ謝ることに必死で何も見えていなかった。
「この状況で、私とこの子を置いていかれてもね。彼が向かってもあの魔獣が止まるわけもないし」
「アスパーサの言う通りだ。ファニアが無事ならまずはそれでいい。プレヴラのことも助かった。お前はやるべきことをやってる、ムンジィ」
「……面目ねえ」
「それを言うならこっちのセリフだ。悪い、ムンジィ。俺が見えてなかった」
渇きの王蠍の出現など誰にも予想できたはずはない。
みんな必死だった。アユミチはあの状況でエクピキの復活を阻止して戻ってきた。それ以上、何を――
「目的を聞いておくべきだった」
「だんな……?」
「なあ、アスパーサ」
掴んでいたムンジィの襟を離して、すっと向き直る。
微笑むアスパーサに。
「あんた、見えてたんだろ?」
「全部じゃあないけれど」
「ああ」
カヨウは強くアスパーサを
今もどこかで地響きが続く王都にあって、瓦礫の埃も感じさせないアスパーサの艶やかな笑み。
「神様のことは見えないわ。本当よ」
「魔獣は?」
「神様じゃあないわね」
「そうか」
「勘違いしないでほしいのだけれど」
知っていたという。
この状況を、魔獣が現れてこんなことになることを知っていた。
予知の力を持つ女。アスパーサ。
「先生と私の目的はおんなじよ」
「……」
「レーマルジアの復活。その為ならどんなことでもするわ」
たとえ、と。
並ぶ面々の顔を見ながら微笑み直す。
「誰にどれだけ恨まれることになっても、ね」
◆ ◇ ◆