法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-11.名もなき蝶

 

 ファニアは南部の郷司イオルテ家に生まれた。

 トローメ王国では女の立場は強くない。女だからと責められるわけではないが、家督や権威は男が上位。

 力で勝る男がおおよそを支配し、慣習的に女はそれに従う。トローメに限らず周辺国も同じようなものだ。

 

 ファニアは幼い頃から武術に騎馬に男勝りの資質を発揮した。

 少し成長して、兵士や兄たち、果ては父まで打ち負かすほどの力を身に着けた。

 母からは女の子なのだから慎みなさいと言われたけれど、それが飲み込めず余計に反発したと思う。

 

 父はそんなファニアを叱りはしなかったが、持て余し、都の貴族との繋がりを得る為に国軍に推挙した。

 才能が悪いわけではない。だが女が身を立てやすい社会でもない。

 良縁を得るのも幸せのひとつ。ファニアは親の勧めに従ったつもりだ。

 

 都というのに憧れはあったが、案外とつまらない男ばかりだった。

 理想が高すぎたのかもしれない。

 身分違いな上級貴族から声をかけられるはずもなく、半端でファニアより弱い男ばかり。歯の浮くような美辞麗句をもらっても、薄弱さが透けて見えて心を動かされることもない。

 世の中こんなものかと。

 

 

 収穫期の北府には賊が出やすい。隣国ベゼロイタとホスバルドルが後ろにいるわけだが。

 北府の穀物は重要な資源だ。国軍も警邏に当たる。

 そんな中、鬼巫と花札達の戦いを目にした。

 

 舞うように踊るように賊を血祭りに。

 国軍幹部の挨拶も素気(すげ)なくあしらい、彼女たちのいる場所だけ花畑のような空気に包まれているようだった。

 

 別世界。

 話を密にしなかったせいだろう。取り逃した賊の一団があった。

 ファニアは部隊長の指示を置き去りにそれらを殲滅した。

 直前に見た鬼巫たちの美しさに魅せられ、気持ちが昂っていたかと思う。

 

 後日、呼び出しを受ける。

 独断専行に対する叱責か。

 ファニアの予想に反し、そこにいたのはレフカースとアハラマだった。

 

 いくつかの質問。

 そして勧誘。

 

 ――妾の手を取り花札となるつもりはあるか?

 

 返事に窮したファニアに対して、

 

 ――アハラマ様に命を捧げるということです。我が身を捨て、名も家も切り捨てるだけの覚悟があなたにありますか?

 

 どうせ頷けないだろう、というレフカースの態度が鼻についた。

 まともに話したのも初めてで、立場はあるが王宮内では冷遇されている鬼巫に命を捧げるなんて。

 まして家を捨てる決断など、それなりの家に生まれた者にできるはずがない。

 

 ――喜んで。

 

 レフカースへの反発心もなかったとは思わない。

 ただ、前回の戦場でファニアはすっかり魅せられていた。

 自分と同じ女の身で、誰に遠慮することもなく悠々と舞う彼女らの姿に。

 鬼巫の里は男子禁制。家を捨てることに何も思わないわけではないが、鬼巫の側近になる栄誉は父母にも不利益ではないだろう。

 何より、つまらない男に嫁ぐよりずっと自分に合っていると思った。

 

 

 レフカースはその後もファニアに含むところがあり、ファニアもレフカースを苦手に感じていた。

 アハラマの夜伽を花札が務める。

 ファニアが願い出られなかったのはレフカースの目があったから。

 恥じらいや、美しい花札たちに気後れするところもあったけれど。

 

 新参者として、アハラマにいいところを見せなければと気は焦る。

 主である鬼巫に害悪なエクピキ教団の暗部を暴けないかと動き、何者からの襲撃を受けることもあった。

 キュアナから注意を受け、クロロテッサにたしなめられても無理をして、無理が祟り。

 

 死病を受け、レフカースに厳しく叱責された。

 もはや居場所はない。

 アハラマに命を捧げるという誓いに背かず、己の愚かさを噛みしめながら捨て森で死のうと。

 ファニアを陥れた一端が教団にあるという手がかりがあったと、それだけがせめてもの救い。

 

 ――お前の忠義を認めます。せめて静かに死になさい。

 

 レフカースの別れの言葉は短く。

 アハラマの花札ファニアは死んだ。

 そんな自分にもう一度命の火を灯してくれたアユミチに、あらためて剣と命を捧げた。

 

 

「やはり、あなたを花札になんて認めなければよかった」

「……」

 

 アユミチがニーモを連れて空に去っても、戦いの後の王都がただちに元通りになるわけではない。

 王城は崩れ、エクピキ大聖堂もほぼ全壊。

 町には病が蔓延(はびこ)りさながら終末といった雰囲気まである。

 

「レフカース、私は」

 

 アハラマはクロロテッサと共に左潮伯や北府の軍幹部と何やら話し合っている。

 今後のことなど色々とあるだろう。

 ニーモがいない今、どう収めるかなど見通しが立たない。

 

「私の忠義は果たしたつもりだ。今でも、短い時でも花札として鬼巫様にお仕えできたことを嬉しく思っている」

「ならアハラマ様の手を取ればいいでしょう。そんなにあの男がいいとでも?」

「主を比べるのは品を欠く。鬼巫様を誇りに思うように、アユミチを誇りに思う」

「あんな――」

「レフカ」

 

 綺麗な唇から汚い言葉が零れる前にマベラが止める。

 先ほどアハラマにも言われていたはずだが、また同じ話を蒸し返しそうになるレフカースを。

 

「やめる。さっき主様も言った」

「……」

 

 レフカースにとってアハラマは至高の存在。アハラマよりアユミチを選ぶファニアが面白くないのだと思う。

 秤にかけるわけではない。

 ただ順番が違うだけ。

 幼い頃からアハラマをいただいてきたレフカースには、それ以外を選ぶ気持ちはわからない。

 わからないものをどう言っても仕方がない。時間の無駄だ。

 

 

 花札になってからわかったことだが、彼女らの独特な価値観もひとつの強さだった。

 里の外の人間を異民族、異国人という以上に遠いものとして扱う。とりわけ男には酷薄に。

 普通、人間同士であれば命を奪うことに多少の忌避があるものだが、彼女らにはそれがない。

 果樹に群がる害虫をできるだけ効率的に駆除しようというように、戦場の敵を処理するのだ。

 

 隠れ里という環境で生まれ育ったから。

 女だけで成り立つ以上、男は恒常的に敵なのかもしれない。

 仮にファニアが奴隷商の立場であれば、里の女たちの価値は高い。噂の隠れ里の所在が知られれば(ろく)なことにはならないと確信できる。

 

 

「マベラ、その……アユミチの黒蝶のことだが」

「うん?」

「女神の似姿をあの男のもののように言うのはやめなさい」

 

 レフカースが不快そうに口を挟んでくる。

 ファニアを嫌いなら突っかかってこないでほしい。

 

「私が知る限り、黒蝶はずっとアユミチと共にいた。最初からだ」

「最初は?」

「捨て森で……アユミチが捨て森に来た時だ。彼を導いているようだった」

「女神が……」

「あの黒蝶が女神スカーアなのか?」

「マベラには黒アゲハの羽をもつ美しい女神に見えてる」

「……」

 

 ファニアには見えないものが見えている。

 きっとそれはアユミチが見ているものと同じ。

 

「声も……?」

「スカーアの声はわからない。占夢で聞いたことはあるけど直接じゃなかった」

「占夢?」

「マベラ、外の者に教えることなどありません」

「でもレフカはファニアを諦めてない」

「っ……」

 

 ぼそりと言うマベラにきっと眼を鋭くして、ぎゅっと唇を結ぶレフカース。

 

「ファニア、思うところがあるのはわかる。でも、私たちはお前を拒んでいない」

「ああ、嬉しいよ」

 

 

 マベラの言葉は素直に嬉しい。突っぱねるようなレフカースの態度も少しだけ引っ込んだ。

 黒蝶のことを知りたい。

 アユミチと黒蝶がどんな会話をしているのか。ファニアも知りたい。

 花札には聞こえているというのなら、きっと鬼巫の隠れ里に理由がある。

 

「黒蝶の姿は女神スカーアに似ているのか?」

「うん」

「似ているのではありません。同じです」

 

 同じ。

 そうまで断言できるというのなら、

 

「見たことがある、のか?」

「前にも言った。マベラたちはスカーアの民。スカーアは里と共にある」

「ええ、花札に迎えた時に言いました」

「そういう意味とは……」

 

 神は我らと共にある。

 なんというか訓戒的な、もっと観念的なものだと思っていた。

 具体的に、女神スカーアの御神体そのものが里にあり、里の者はそれを見知っているのか。

 となれば見間違いということではなく、本当に瓜二つ。同じ。

 

「声は……」

「スカーアは眠ってる。ずっと、ずっと昔から」

「その眠りを守り、女神の目覚めをお待ちする。それが里の役目です」

 

 過去にもそんな話は聞いたが、正直に言えばあまりしっかり内容を記憶したわけではない。

 心構えとか戒めとしての言葉だと思っていて。

 現実に神の復活などという歴史的な出来事に居合わせるとは、当時のファニアは想像もしていなかった。

 教育係的な立場だったレフカースとの関係が好意的でなかったのも理由だけれど、言い訳にはならない。

 

 スカーアの信奉者であること自体は秘密ではない。それは世間でも知られている。

 エクピキ教の強いトローメだから、特に女神スカーアの存在を誇示するような言い方をしているんだと思い聞き流した。

 本当に現実に女神がそこに存在しているなんて、神を見たことがなかったファニアにすんなり信じることはできず。ただ、鬼巫アハラマは女神スカーアの分け身で代行者という言葉は素直に受け入れて、アハラマに仕える歓びを感受したものだ。

 

 

「女神スカーアではない、と……アユミチが言っていたんだ。アユミチを導いた女神はスカーアじゃないって」

「うん」

「噂に聞いています。北府に一夜のみ降臨した女神。レーマ・ルジア」

 

 ファニアの耳にも届いている。

 失われた女神だという話だったが、アユミチの尽力で姿と名を取り戻しつつあるのだろう。

 美しい女神。アユミチにはゼラがいて、女神がいて、カヨウがいる。

 ファニアはいなくてもいいのかもしれない。少なくとも女として求められてはいない。

 仕方ない。男勝りで背丈だってアユミチと同じくらいで無骨で、指だって綺麗じゃない。

 だけど剣として、武で彼を支えられる。

 それだけでいい。

 ファニアはお綺麗な姫様ではないし女神様でもない。そんなものになれない。

 

「レーマ・ルジア……」

 

 それがあの黒蝶の名だろうか。

 いや、違う。彼が時々呟いていた名は――

 

「……ノクサ?」

 

 アユミチが異様な力を使う時、あるいは何か疑問を投げかける時に口にしていた。

 そう、聞いていたのだが、名前が頭に残らなかった。

 今こうして思い返してみてようやく認識できる。

 

「ノクサと呼んでいた。何か思い当たることがあるだろうか?」

「知りません」

「聞いたことがない。だけど西港でもそう言ってた」

「西港?」

「マベラが西港で薬師を見つけた。その時も、ノクサはスカーアじゃないって」

 

 何か関係はありそうなのに。

 その辺りの疑問は隠れ里に行けば解決するのだろうか。

 アユミチが戻ったら相談して、彼が反対しなければ隠れ里に――

 

 

「姐さん……」

 

 それまで口を挟まなかったムンジィの声が震えた。

 低く、小さく。

 

「少しま――」

「姐さん、だめだ……こいつは……」

 

 朝日が差してきたのに。

 急に暗くなったような。

 まるで夜が戻ってきたように、影が。

 

「王蠍……渇きの、王蠍だ……」

 

 いつから。いつの間に。どこから。

 下手な家よりも大きな魔獣が、崩れかけた大聖堂の広間に現れた。

 まるで影から湧いて出たように。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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