法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-17.満ち足りた世界

 

 糸を(つむ)(はた)を織る。

 遥か昔から続く人の生業(なりわい)

 鬼巫が手づから織った布で仕立てた衣服は、特別な力があるわけではないが里の者には特に喜ばれる。

 以前にアハラマが残していた布で作られていた三着。

 

 ふたつをキュアナとコッキノの肉親に。

 もうひとつを、かすかな吐息で眠るファニアに贈る。

 エクピキ討滅に多大な貢献を果たしてくれた。その礼と言えば誰も不満は言わない。

 

 ファニアの心音は非常にゆっくりと、呼吸も同じく。

 仮死状態、冬眠状態といったところか。身体の機能がほとんど眠っているよう。けれど生きている。

 

 着替えさせる為に脱がせて、ほの温かい湯で濡らした手拭いで丁寧に優しく体を撫でる。

 アハラマとファニアだけの奥殿。

 一糸まとわぬ姿のファニアの隅々まで、アハラマの手で。

 

 誰かの裸体など見慣れている。けれど他の誰とも違う。

 里の女たちと比べれば、少し筋肉が硬い。

 綺麗に揃った肌の目もどこか質感が違うように思えた。

 ずっと昔、清流の照り返しを浴びた若鹿に目を奪われた時と似ている。その美しさに心を奪われ、うっかり逃してしまった。

 

 里の女たちとは違う。

 彼女らはアハラマを慕い、アハラマもそれを嬉しく愛おしく思うのは間違いないけれど。

 ファニアはそうではない。

 スカーアの乳をいただき育つ里の女とは違い、泥水に満ちた外の世界で生まれ育った。

 なのに、アハラマの心に刺さる存在。

 

 トローメの暮らしに膿んでいたせいで、たまたま見つけたガラス玉の輝きに浮ついたのか。

 そうではない。

 ファニアは確かな玉であることを証明してくれた。

 そして、アハラマの手に戻ってきてくれた。

 

 若い女鹿を逃がしたくなくて、以前は手を伸ばすのをためらった。

 今は、アハラマの手の中にある。

 嫌われていることはない。大丈夫だ、理を持って誠実に話せばファニアも受け入れてくれるはず。

 薬師のことは忘れ、アハラマの手を取ってくれる。

 そうでなければ死を与えるしかないのだから。

 

 乳を与えよう。

 首を縦に振らないのなら、頷くまで牢に捕らえて、繋いで、その間にスカーアの乳を口に注ぐ。それで彼女も里の民。

 里の者なら生まれてすぐと、三つと七つの祝いにいただく女神の雫。

 赤子の時は覚えていないが、七つの時は確かに覚えている。

 眠るスカーアの乳をいただき、その胸に抱かれて。

 こんな風に――

 

「……」

 

 凛とした筋肉に張られた乳房は、そこだけ優しく柔らかい。

 ふんわり炊いた飯をむすぶような感触。体温は低いけれどほんのり温かい。

 とくん………………とくん、と。

 頬で彼女の小さな音を感じて、安堵する。

 アハラマの愛しい女鹿。

 

 

「……何用か」

 

 部屋の外に誰かの気配。

 悪いことをしているつもりはない。

 自分の宝を愛でているだけ。これも里の女であれば、アハラマのすることは傷つけぬ限りなら何であれ許される。

 けれど、そうは言っても、後ろめたい気持ちもある。

 

「ラハ様に戻っていただきた……く」

「っ……」

 

 他の者ならそのまま戸の外で話しただろうに。

 よりにもよってクロロテッサ。マベラとは別で、アハラマにもっとも遠慮のない相手だった。

 眠り姫に頬を寄せる姿を見られ、かっと顔が熱くなる。

 

「シュキ様より。里に近づく気配ありと」

 

 わずかに言葉を詰まらせた後、何事もなかったかのように報告するクロロテッサに、苛立ち交じりの溜息が漏れる。

 下らぬ。

 

「里に入れはすまい」

「ほとんど迷わず楔塚(くさびづか)に向かっているようです」

「ぬ」

 

 隠れ里と外界を隔てるのは二つの防壁。

 迷いの山と楔塚の結界。

 知らなければ迷わず楔塚には辿り着かない。

 

「……わかった。先に戻り皆を集めてくれ」

「ラハ様」

 

 立ち上がったアハラマのすぐ前にクロロテッサが立つ。

 彼女は背が高い。アハラマが小柄なのもあるが、どうしても見上げる形になる。

 

「わかっておる。すぐに戻ると――」

「ラハちゃん」

「……」

 

 するりと締め帯をほどき襟を緩めた。

 ファニアよりまだ豊かな胸が零れる。

 

「ごめんなさい、いっぱい頑張らせてばかりで」

「妾は……」

「大丈夫。大丈夫よ」

 

 アハラマが何か言うより先に、その胸で包みこむ。

 スカーアの乳をいただいた頃から知っている体温と香り。

 

「ラハちゃんは私が守るから。ずっと一緒」

「……ロロねえね」

「うん」

 

 アハラマは平気だ。別に追い込まれているわけではない。

 スカーアの目覚めも近く、この里も救われる。

 何に怯えることもなく穏やかに暮らせる夜明けが待っている。

 

「ねえね」

「うん」

 

 毒気に満ちた世界で苦みを食らう日々はもう終わり。

 ぎゅうと、強くアハラマを抱きしめるクロロテッサの温度に、しばしの時を委ねた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 外界からの襲撃なんてあるはずがなかった。

 千年以上の昔から里は女神スカーアに守られ、隠されてきたのだから。

 

 外の世界は恐ろしいところ。

 野卑な蛮人が闊歩する歪んだ世界。

 けれど里とは断絶されている。この里は女神に祝福された穏やかな楽園。

 

 空が割れた。

 異変の直後に現れた数名の人間――男どもは、魔法とも違う力で守り手のパストーサを引き裂き、里に狂乱を(もたら)した。

 

 数名だった。

 数で対抗すれば勝敗は明らか。

 里の女たちはその多くがいくらかの魔法を使える。

 

 空の急変から大騒ぎになってしまったのは侵入者にとっても計算外だったようで、すぐに里から離れる。

 里外れにいたカンナとクヌーイ、まだ体重も小さなふたつの宝を戦利品替わりに奪い、逃げた。

 里の平穏は無法に破られ、静かな世界は終わり迎えた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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