法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-19.喧嘩不慣れ

 

 死んだ。

 自分は死んだのかと思った。

 

 空気が違う。今まで生きてきた間に感じたことのない質感。

 冷たいとか温かいというわけではなく、なんとなく肌触りが異なる。

 目に映る光景も全く覚えがない。生まれ育った土地から海を越えた向こうとか、そういった遠さを感じさせた。

 

 死んだのか。

 これが死後の世界。

 薄ぼんやりとした明りに照らされ、木と草の匂いがする。

 神の世界とは違うようだ。聞いていた――アユミチから聞いた神の住まいとは印象が……

 

 

「あ……」

 

 名前を思い出して、連なって記憶が頭に浮かび上がってくる。

 ファニアの記憶。最後は目の前に迫る鋼のごとき鈍色の魔獣の巨体。

 

「なん……ここは……?」

 

 もう一度、ぼやける頭と目に意識を集中して周囲を確認する。

 綺麗に整えられた木目の天井に、塗り痕がわからぬほど丁寧に仕上げられた白壁。

 冷たいほど白く美しい布団に寝かされていた。

 

「う……ん……っ」

 

 体を起こそうとしてやや眩暈(めまい)(うめ)き、節々の鈍い痛みを感じながら起き上がる。

 首も背中にも軋みを感じる。目覚めの感覚から、しばらく動かなかったせいだろうと理解した。

 小さな痛みのおかげで頭がはっきりしてくれるのは助かる。

 

「……?」

 

 妙に空気を肌に感じると思ったら、それもそのはず裸体だった。

 全裸で眠るような習慣はない。

 気を失い、負傷したファニアを看護する為に誰かがそうしたのか。

 淫らなことをされたという雰囲気ではない。とても静かな、大切で神聖な場所に寝かされていたと感じる。

 その証になるかどうか、起きたらこれを着ろというように枕元に黒い服が一式置かれていた。

 全体的に黒い、少しだけゆったりとしたズボンと上掛け。肌着も揃えてある。

 勝手に着ていいものか。この状況から自分以外の為に用意されたものではないだろうと納得して身に着ける。

 悪くない。

 肌触りもいいし動きやすい。

 留め帯が独特だけれど、だいたいわかる。鬼巫や花札たちの着ていた服のつくり――

 

「アハラマ様か」

 

 あらためて記憶を辿り状況を理解した。

 王都イオドキッサに出現した魔獣と戦い、気を失った自分をアハラマが助けてくれたのだろう。

 渇きの王蠍。禁域でアユミチが倒したと聞いたが、まだ他にもいたらしい。

 

 

「となれば、ここは……」

 

 ファニアが感じる異質な空気、おそらく鬼巫の隠れ里。

 余人が立ち入ることは許されないはず。

 王蠍はどうなったか。他の者たちは無事なのか、どこにいるのか。

 部屋の隅の盆に置かれた水を少し飲み、全身の筋を一度伸ばしてから部屋を出た。

 

 何もせずその部屋にいたなら、ずっと静かなままだったのかもしれない。

 一歩踏み出した外は、不安と混乱の空気に満ち溢れていた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「どうなっているんだ」

 

 建物の造りがトローメとは違う。

 トローメの都市は多くの人が密集する為、上に高い建物が多くなる。

 人気の少ないここは横に広いようで、一階層の建造物がいくつも渡り廊下で繋がっているようだ。

 素足のまま渡り廊下の板を踏み、ただならぬ気配の方へ向かった。

 

「誰か! 誰かいないか!」

「誰です!!?」

 

 横にスライドする木戸を開けながら声をかけたファニアに、はっと振り向いた女が鋭い視線と問いを向ける。

 振り向いた。

 反対側、どうやら表側に注意を向けていた様子の女たち。四人。

 

「私はファニア・イア・い――」

「鬼巫様の客人。目が覚めたのですか」

 

 名乗りかけたところで相手側が先に納得した。

 ファニアも、やはり鬼巫の里なのだと理解する。

 

「ああ、ファニアという。アハラマ様はどちらに?」

「よそ者が……」

 

 横にいた女の一人、噛みしめた口から苦々しげに()れる。

 悪意を向けられる道理はないけれど、歓待の言葉を期待していたわけでもない。

 

「ただならぬ様子と見受ける。アハラマ様の助けとなれるなら協力したい」

「……私たちは里の守女。客人、その心がけは結構なことです」

「アハラマ様は――」

「里が襲撃されています。あなたと同じよそ者に」

「しゅうげ……隠れ里が?」

「お前が呼び寄せたのではないのか!」

 

 ファニアを見定めようというのか、代表らしい女は静かに、周囲の女の一人はきつく目を向けた。

 理由はわかったが理解が追いつかない。

 隠れ里に侵入者がいて、よそ者で、同じくよそ者のファニアに対して殺気立っている。

 いったん彼女らの事情を頭で生理してから、首を横に振った。

 

「先ほど起きたところだ。そんなことできないし、やるはずがない」

「よそ者の言葉など!」

「……鬼巫様の客人。詮無きことを申しました」

「いや……事情はわかった。混乱するのも仕方がないでしょう」

 

 彼女らと対立しても仕方がない。

 状況から考えて敵意を向けられたのも理解できた。言いがかりだが気持ちはわかる。

 

 

「リードゥ様!」

 

 慌ただしく横の戸が明けられ、少女が駆けこんできた。守女の代表らしい女をリードゥと呼ぶ。

 

「坤殿で皆といなさいと」

「敵です! 裏手から――」

 

 必死の顔で訴えかけた少女が、先ほど開けた木戸と共に吹き飛ばされた。

 

「ぶ」

 

 小さな声ひとつ。

 打ち破られた木材の破片と、一緒に飛んできた女の体とまとめて部屋の反対側に転がる。

 ファニアの脳を戦場に呼び覚ます一撃。

 

 

「ヒオーネ!」

「う、が……」

「鬼巫ってのはここかナぁ?」

「集まってこられても困るので、早く片付けたいですが」

 

 片刃の刃が床に転がっている。

 扉と壁を砕いてぶち込まれたのがヒオーネ。先に報告しようとしていた少女を巻き込み、腹や耳から血を流して立ち上がれない。

 戦っていた。少女を守ろうと、その後ろから現れた男たちと……?

 

「花札のヒオーネが、そんな……」

「……」

 

 ファニアの知らない花札。先代ヨハルハのだろう。

 しかし相手が特異。

 ファニアが目を疑った相手。

 

「人、か……?」

「ひひっ! 男を知らネえってよ!」

「他の者に先を越されてもつまらない。鬼巫を呼んでもらいましょうか」

「これが……おとこ」

 

 守女の一人が息を飲むけれど、違う。

 明らかに異常。異質。

 異様な黒目をぎょろりとさせた二人。片方は太くたるんだ肌にぶつぶつとイボを無数に浮かばせた。

 もう片方が、やはり異様な黒目をカマキリのように三角に広がった顔の右端左端に光らせる、およそ人間離れした造形。

 里の者が男を知らないのはそうなのだが、ファニアの知る人間の形ともかなり離れている。

 

 

蟇蛙(ひきがえる)……」

 

 ぽつりと誰かが零した。

 ぬらりっと真っ黒な目玉が光り、言った守女の引き攣った顔を照らす。

 

「言ったゼ兄ぃ、聞いただロ?」

「ベゼロイタでそれを言えば、男なら生皮むいて死ぬまで吊るす。女なら」

「ぶくぶく卵を産まセてヤるぉ、カエルみてえにヨぉ」」

 

 気にしている禁句だったらしい。

 ベゼロイタの者か。国は違うがあちらの人間が皆こんな姿ではない。だから他人から言われるのだろう。

 

「不浄の者が!」

「我らが里に踏み入った罪、とくと後悔させてくれよう!」

「ヒっ!」

 

 駄目だ。

 身構える守女たちは、まるで素人という風ではない。おそらくそれなりに稽古は詰んでいる。

 しかし致命的に実戦経験がないのが見てわかる。綺麗に足を揃え侵入者に向き合うが、これは稽古ではない。

 獣相手の狩りとも違う、命がけの対人戦闘をしたことがないのだ。

 おそらく経験者だっただろう花札ヒオーネは二対一で敗れ、これでは。

 

「大丈夫か」

 

 裏手から入ってきたファニアと守女たちの間は少し離れていた。

 雰囲気的にも、この状況でどう動くか迷ったファニアを見た敵は、対処の優先度を下げてくれた。

 揃って身構える守女たちに注意を向けるのは当たり前でもある。

 

「う……っく、ぁ……あなた、は……?」

 

 攻撃に巻き込まれた少女。苦し気にうめきながら寄り添ったファニアを見上げる。

 直接攻撃を受けた花札ヒオーネほどのダメージはない。ぶつかった衝撃で苦しそうではあるが、深手ではない。

 ヒオーネの方は、腹に深めの傷を負い脂汗を流して立てない。

 

「他に敵は?」

「……わかりませ、ん……」

「わかった」

 

 少なくともこの子が見た中にはいない、ということだ。

 見ていれば他にもいると言うはず。

 ならば。

 

「私が片付けよう」

 

 膝を十分に落とした姿勢。ヒオーネが落とした武器までは普通の歩幅で二歩半。太った敵はそこからやや右に進んだ先。。

 

「おまえ……」

「あなたが……?」

「あぁ」

 

 横手からの襲撃者にお行儀よく向き合う必要などない。

 仮に正面からだとしても。

 去年、アユミチに助けてもらった時の記憶を重ねながら不安げな少女に微笑んだ。

 

「もう、大丈夫だ」

 

 下衆な野盗の襲撃に折れそうになったファニアに、アユミチはあの時こんな風に言っていたと思う。

 

「あの連中は私が片付ける。全員潰してクソ虫の餌だ」

 

 ぎょろりとした気色の悪い黒い眼玉がファニアを映すけれど。

 守るべき子供がいると格好つけたくなってしまうのは、アユミチもこんな気分だったのかとどこか納得できた。

 彼は、彼こそ、他人と争うことに不慣れな人だったのだから。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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