法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
鬼巫の隠れ里。
隠れ里がなぜ世に知られたのか。
ベゼロイタ地域でひとつの手記が世の明るみに出た為である。
深い山中に隠された里。
そこに住むのは見目麗しい女のみ。死ぬまで若々しい女たちは夜と死の女神を崇める民。
月光の下、女同士でまぐわい子を為す。
遥か神代の頃、子を失い嘆く女たちを女神が掬い上げた隠れ里。
神話の中の一節に過ぎないと思われていたが、事態が動く。
トローメの西北西にホスバルドル、北東にはベゼロイタ。
ベゼロイタの歴史は、興亡を含めればトローメよりも古い。
そのベゼロイタで手記が話題になり、隠れ里を探す者が出てきた。
話によれば、それは神代より続く太古の修練者の一族より漏れたもの。
真実かもしれない。実際にそれにあたる石塔を迷いの山中で見たという者もいる。
探索者が隠れ里を探し始める。
宝の山を探すように。
長く人が踏み入らなかった山々の奥で、珍しい魔獣や神の遺物のかけらが見つかった。
熱が高まり始めた頃に。
死者が出た。
人死にというだけなら珍しいわけではない。
未開の山中で事故死したのか帰らなかった者もいるし、仲間同士、探索者同士で争い死んだ例もある。
そういうものとは違う。
何度か探索を試みてある程度慣れた探索者が町で殺された。
手記の写しを売っていた者が殺された。
情報を持つ者を狙った殺人が続く。
ただの神話、噂話ではなく、本当に隠れ里は実在する。
女神の加護を受けた老いぬ美女たちと、神の遺物があるに違いない。
金になる。
ことによれば世界を一変させるほどのものかもしれない。手にした者が王者に。覇者に。
そんな時代がしばらく続き、最終的に隠れ里があると言われる山域はトローメ王国の領土となった。
噂の鬼巫はトローメの北方の守護者として正式に歴史の表舞台に現れた。
手記があった。
それは神と人がまだ繋がっていた時代から遠くない頃の手記。
手記を遺した者は、鬼巫の隠れ里を訪れたのだ。
歓迎されたかその逆かはともかく。
神に近づかんと望む者。
狂気である。
正気であれば言葉づらでしかないだろうが、本気で挑むとなれば常軌を逸する。
神に近づく。
神を超える。
まともな人の身では決して届かない。
なら、人を捨てればよい。
北方極地に住む少数民族に生まれた者。
かつてポスフォスが砕けた時に散った光を受けたと言われる民族で、その中でも特に強靭な一人。
さらなる高みを目指し、狂気に走る。
人では届かない。
だから、より原始的で神の欠片を色濃く残す魔獣と混じる。
使われたのが己の血縁か違うかは誰も知らない。
北方極地では不死の象徴とされる土喰い蛙。それの変異種の魔獣と人を混ぜて作った。後継者を。
なぜだか蛙を神や人と近しいと信じた狂気の産物。
ベゼロイタ北方の修験場の一家は、そういった出自と噂されていた。
蛙魔人の一族の者。あるいはその始祖とも。
それが鬼巫の里を侵し手記を遺した者だった。
何百年よりもさらに長く悲願として、宿怨、呪詛として受け継がれてきた目標。
実際には既に燃えカスのように
ベゼロイタで異色の戦闘集団として恐れられ、体制側やその敵対者に力を貸して余禄を得て、ついでに武力持ちとしての顔を売る。
裏社会のちょっとした顔役。それで十分に好き勝手に生きていられる。
しかし、大国トローメが揺らぐのであれば。
捨て森が神の炎に焼かれ、西港は落ち、名も知れぬ女神を掲げる者が内乱を起こす。
技は磨き続けてきた。
およそ人間相手には過剰な武技。殺戮手段。
試す機会があるというのなら面白い。
蛙魔人の一族は、鬼巫の里を襲って神の隠れ里を暴きたい。
始祖の果たせなかったことを成し、世界に我ありと知らしめたい。
ベゼロイタとしても千載一遇の好機。トローメに痛打を加え、北府周辺の肥沃な――ベゼロイタの国土よりも――土地を手に入れることも叶う。
歴史上、長く目ざわりだった鬼巫を排除できるなら協力する。
大規模な軍事作戦は頓挫した。
ここにきて死病が流行したのだ。ホスバルドルや他でも発生しているらしい。疫病の世界的な流行。
少数精鋭での鬼巫の隠れ里の襲撃。
手記が蛙魔人の一族から出たというのは事実だと数百年ぶりに明らかになる。
彼らはさらに詳細に、鬼巫の里への侵入手口を知っていた。
◆ ◇ ◆
「お前たちも知らなかったというんだな、ゾーハ」
「伝え聞く以上は知らん」
極北の民は肌が焼け目が細い。
気候的な理由でそうなるわけだが、ソーハの外見はそういう域を越えている。
泥に住む蛙を人型にすればこんな風になるのだろう。
蛙の魔獣の血を引くというのも本当かと思う。
ベゼロイタの特務指揮官ベンデックは冷や飯食いだった。
五十も近くなり、任された仕事は国の鼻つまみ者への監視、対応。
実際にはゾーハ一族への便宜とごますり。嫌われ者たちが無軌道に国を荒らさないよう調整するのが仕事だ。
蛙魔人とも言われる奇異な一派だが、戦闘に関しては国内で並ぶ者がいない。
過去には処刑部隊が向けられたが、バラバラに潜伏されて反撃されたという。何年もの間、処刑部隊所属の者の家や知人を襲撃され、処刑命令が撤回されてもしばらく続いた。
一族の数は多くない。
相性があるらしく、ベンデックや先任者たちが用立てた女でも孕む者とそうでない者がいる。
生ませた子供の中で成人まで育つ者も多くはない。
血と技を繋ぐ為に女は必要とされ、好き勝手に国を乱されないようにベンデック達が用意してやる。
国はこいつらを管理していると国民に示すために、ベンデックのような役回りがあった。
内情を知っていれば誰もやりたがらない仕事。
ゾーハや一族の誰かの機嫌が悪い日に当たって殺された部下もいた。十年の間、両手で数えられるほどで収めているだけマシなくらい。
敵に回せば厄介で、味方にしても信用できない。
それでもうまく使えば役に立つ。
昨年のトローメとの戦争。ホスバルドルと共同で行った際、ベゼロイタは小さな砦を攻め落とした。
トローメ内部からの協力もあった。防衛軍の戦力は整わず、ゾーハ一族も働いた。
嘘か誠か土喰い蛙の魔獣の末裔。魔獣ほどの力はないが、常人とは比べ物にならない。
トローメ側の戦力不足に鬼巫達はホスバルドル方面に向かい、こちらは手薄だった。
小さな足掛かりを得た。
そこから鬼巫の隠れ里探索を行う。
ゾーハ一族では人数が足りない。人をまどわせる広大な山中で隠れ里の入り口を探すのはそう簡単ではない。
人手が必要。利害の一致があり、より踏み込んだ情報をゾーハから聞き出した。
彼ら一族に口伝で伝わる鬼巫の隠れ里の入り方。
大昔、手記が出回った頃は、鬼巫の隠れ里の実在が疑われていた。そんなもの本当にあるのかと半信半疑。
今は違う。鬼巫は確かに存在し、トローメとの約定で守られている。
あるかどうかわからぬものではなく、実在するとなれば探す側の本気度も変わる。
鼻つまみ者の冷や飯食いだったベンデック達だが、鬼巫の隠れ里を見つけたなら。
そこに住むという年老いぬ美女たちを捕らえれば、どれだけの功績か。
トローメの内戦騒ぎもあってさらに動きやすくなり、とうとう見つけた。
見つけた時には国内外で疫病が大流行していて、鼻つまみ者として距離を置かれていたベンデックの部隊はその流行からも外れていた。
これまでの扱いから一転する好機。
ゾーハ一族と共に隠れ里に入ったのだが――
「空が転ぶような異変が起きるとは……」
侵入してすぐ、見張りの女がいた。
隠れ里の入り口だ。いてもおかしくはない。
逃げようとした女をゾーハたちが追い、仕留めた。
ベンデックの部隊は多くはない。臨時招集を含め百名程度。できるだけ隠密に里の奥に迫り、できれば鬼巫や主要な者を人質に取りたい。
相手の数がどれほどかはわからないが、いたところでしょせんは女。警戒すべきは鬼巫と花札たちだが、それこそ少数だ。
戦える者は殺すか捕らえ、他の者の心を折る。
戦いで皆殺しなど現実ではない。逆らっても無駄と刻み付け、屈服させる。女ばかりというのならより楽しみも増える。
「ここでは当たり前に起きる、ということもないらしい」
最初の女が逃げようとした方角に進み、次第に人里が近づく様子があった。
道が違うのだ。
人の行き来がほとんどない山中の獣道ではなく、少しずつ広く歩きやすく。
途中、山小屋も見つけた。小さいながら天然の湯殿まで備えた休憩所。美女たちがここで汗を流していると思えば香りも心地よい。
そうしていよいよ、里の気配に近づいた時に。
大地が響き天が転んだ。
地震か、火山の噴火か。経験したことのない天変地異にベンデック達は驚かされ、里の住民たちも同じく。
異変に飛び出してきた女たちに見つかった。
隠密に接近するという当初の目標は崩れ、先行していた斥候部隊とゾーハで戦うことになった。
さすがに数の不利は否めない。
ある程度やりあったところで一時撤退。途中で見つけたまだ年若い少女二人を手に、山小屋まで退いた。
「これで帰るというわけにもいかん」
「当たり前だ、何のために手を貸してきたと思う」
小娘二人を手に入れて、それで終わりというわけではない。
隠れ里の生き証人にはなるが、別に珍獣を捕まえにきたわけではないのだ。
この隠れ里を制圧してベンデックの領土にできれば最上。そこまでは無理でも、もっと驚かせるほどの成果がほしい。
鬼巫と花札の首。生け捕りできれば何より。ゾーハたちがいれば不可能ではない。
この数十年、ベゼロイタでこれだけの軍功を上げた者はいない。
「お前の息子たちは?」
「舌が……ああ、鼻が利くせがれが、もっと濃い匂いに引っ張られていったわ」
「……」
彼らは舌で匂いを感じるらしい。
まったく、気味の悪い奴らだが今は役に立つ。
先の戦闘時には既にどこかに消えていた。ごく少数で里の中心に向かっていったか。
「次は、もう少し柔らかいのがほしいわい」
ゾーハの感想。
それはベンデックも同感だ。
部下たちの士気高揚になればと順に回してやったが、もう少しくらいは成熟している方が具合がいい。
「匂いは極上だったな。兵たちも喜んでいるようだ」
「ふたつでは足りまい」
もちろん足りない。
だが、宝はまだまだそこにある。こちらから探しに行かずとも向かってきてくれるだろう。
順番に楽しみ終わったら次の為に一段と頑張ってもらわねばならない。
いつの時代、どこの地域でも同じ。
勝者は奪い、敗者は何をされても抗えない。
表向きの法やらなんやら、そんなもの現実には踏みにじられるだけ。勝者に、あるいは強者に。
隠れ里の女たちが知らないのなら教えてやろう。
「鬼巫も、簡単に捕まってくれればいいのだがな」
「それはいかん」
この後、鬼巫やその側近が反撃にくるはず。
楽に事が進めばいいと言うベンデックにゾーハが首を振った。
「始祖の悲願。神をも破る為に続けてきた。簡単に終わってもらっては困ったものよ」
まあ、異常者の一族だ。
どうやら本気でそう思っているらしいゾーハ、握った四つ指の拳を見て、半笑いしか浮かばなかった。
◆ ◇ ◆