法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
正しい姿とは思えない。
生まれてから今日まで教わってきた正しい姿とは違う。
命がけの戦いに正しさなど必要ない。
敵との戦いとはそういうものだ。
里で教えられる原則と実際。
次代の花札の素質ありと見込まれた者は、央里の守女の元で教育を受けられる。
花札になれなくとも、里の守り手として皆に頼られる。
フローシェもその一人として選ばれ、朔月の社で教えを受けてきた。
女神スカーアの傍に仕える者として恥じることのないよう、まず正しくあれと。
性格の違いは皆それぞれあるが、フローシュは模範的な一人だとよく褒められた。
次代の鬼巫がまだ生まれていない現状を考えれば、フローシュが花札になることはないだろう。
よほどの事態、アハラマの花札が欠けるようなことがなければ。
外で加えた一枚が落ちたというが、それはそもそも員数外。
アデスタが死んだ。
先代鬼巫ヨハルハの花札。影のサノミアの他、アデスタ、シュキ、ヒオーネ、パラーサ。
そのアデスタが死んだと聞き、正直な気持ちで言えば怖くなった。
フローシュたちにとって花札は揺るがぬ絶対的な存在。外の世界にはその花札でさえ敵わない者があるのか。
そして襲撃。社の一部坤殿に集まっていたフローシュ達に、敵は横手から現れた。
フローシュ達がいたから、花札ヒオーネが警戒に当たっていた。
気配に気づいたヒオーネに敵は二人がかりで襲い掛かり、それでもヒオーネは善戦する。
敵が、未熟なフローシュ達に目を向けなければ。
生きるか死ぬかの戦いに正しさなど盾にならない。
けれど、身に
ヒオーネを置いて逃げるべきだった。
ヒオーネに協力して皆で一斉に敵を討つべきだった。
けれど判断ができず、遅れ、ヒオーネに決定的な傷を負わせた。
他の仲間がどうなったのかフローシュにはわからない。
どうにか正殿に駆け込んだフローシュを敵が追ってきたのだから、皆は逃げおおせたのではないか。
守女の方々がいれば、こんな敵くらい……きっと、どうにかなるはず。
だけど、目の前で花札ヒオーネが倒れ、敵はまるで無傷。余裕さえある。
怖い。
怖い。
怖い。恐ろしい。アデスタが死んで、ヒオーネも敗れて、敵は
殺される。
死ぬ。
それよりもっとひどいことだってあるって聞いた。外の世界では女は生きたまま食い物にされるんだって。
裸に剥かれ、吊るされ、生肌を舐めまわして肉と体液をしゃぶられる。油を搾るように女の生気を堪能するのだと。
フローシュも、そんな――
「大丈夫か?」
知らない、人。
わからない。何を聞かれてもフローシュにはもう、なんだかわからない。
里にこんな人はいただろうか。鬼巫の里の住民はそこまで多くない。央里の人なら大抵は顔くらい見たことがあるはずだけれど。
「もう、大丈夫だ」
優しい微笑み。見知らぬ里の人だ。でなければフローシュに優しいはずもないし、優しいわけがない。
でも、花札ヒオーネでさえ敵わなかった敵を相手に何ができるのか。
「あの連中は私が片付ける」
絵空事。
花札でも鬼巫様でもない彼女にできるはずがないのに。
だけど、その優しくて凛々しい微笑みと声音に、がちがちに固まっていたフローシュの心がほわっと熱を思い出す。
命がけの戦いに正しさなんて意味はない。
醜悪な蟇蛙がこちら側に向くより先に、烈風のごとき一閃が駆け抜けた。
その流星に、フローシュの心も貫かれて。
◆ ◇ ◆
死ねない。
こんなところで、こんな時に。
私は、死ねない。
アデスタが死んで、シュキは冷静さを失って。
ヒオーネとパラーサがしっかりしなければならない。
若輩のアハラマが連れてきた異物と、凶報。
ヨハルハが死んだ。確認はできなかったがその影サノミアも……いや、話を聞けば間違いなく。
続けて里の異変。
これもアハラマがもたらしたのではないか。
言いたくなるけれど、アハラマはエクピキを討滅し、いよいよスカーアが目覚めようとしている。
苦しくつらい時だが、これを乗り越えなければ。
ヨハルハ達に顔向けできない。
まだ未熟な花のつぼみたち。
この子らを守るのはヒオーネの役目だ。
侵入者は二人。しかしそれで済むとは思えない。
きっとまだいる。外の世界も経験してきたヒオーネには見えない敵の数も考えてしまう。
考え事をしていて戦える相手ではなかった。
相当な達人。姿形だけでなく戦い方も奇異で、それが二人。
攻撃した腕を掴まれた。敵の手のひらが異様なべたつきで、その感触に怖気が走る。
力づくで振り払い、毒の類かと距離を取った。
ヒオーネの気持ちが怯んだのを察して、敵の目が蕾たちに向けられる。
突然の襲撃に異様な男どもの姿。恐怖に竦んで動けない花の蕾たちに。
不用意な反撃は、敵の思うつぼだった。
深手を負い、それでも暴れて少女たちを逃がして。
中央に逃げようとする少女フローシュに目をつけた敵を阻止しようと、けれど敗れて。
死ねない。
こんなところで、このような輩に里を穢され。
せめて別方向の警備に当たっている花札パラーサが来るまでは。
ヒオーネは、死んでも死ねない。
見知らぬ女。
聞いてはいる。アハラマが外で加えた花札ファニア。
ヒオーネが勝てなかった敵に、ファニアが何をできようか。
せめて時間稼ぎだけでもしてくれるのなら。
怯えて震えていたフローシュに何やら優しく声をかける。
わずかに、フローシュの呼吸が柔らかくなるのがわかった。
アハラマに選ばれた女。少しは役に――
「っ!」
巨塊のごとき力が貫いた。
やわらかな空気から一転、一変して、フローシュの傍に屈んだファニアが敵を打ち払った。
ヒオーネが叩き込まれた壁の横に、それ以上の勢いで敵が吹っ飛んでいく。
ヒオーネの霞む視界ではもう見えない。
しかし、安堵していいのだと感ずるとぼやけた視界に波が湧いた。
もう大丈夫。
ヒオーネの役は、彼女が果たしてくれる。
ぼろり、ぼろりと。
熱いものを零して、かろうじて支えていた体から一緒に流れ落ちていく。
「あぁ……」
申し訳ありません。ごめんなさい。
私は、女神スカーアと生きるよりも。
あなたと一緒に死にたかったのです。
「よはる、は……」
あなたに与えられた使命よりも。
わがままを言って、ごめんなさい……
◆ ◇ ◆