法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-22.救い手

 

 正しい姿とは思えない。

 生まれてから今日まで教わってきた正しい姿とは違う。

 

 命がけの戦いに正しさなど必要ない。

 敵との戦いとはそういうものだ。

 里で教えられる原則と実際。

 朔月(さくつき)の社の横手から蛙魔人の襲撃を受けた時、少女フローシェはその現実に体が動かなかった。頭がついていかなかった。

 

 

 次代の花札の素質ありと見込まれた者は、央里の守女の元で教育を受けられる。

 花札になれなくとも、里の守り手として皆に頼られる。

 フローシェもその一人として選ばれ、朔月の社で教えを受けてきた。

 女神スカーアの傍に仕える者として恥じることのないよう、まず正しくあれと。

 性格の違いは皆それぞれあるが、フローシュは模範的な一人だとよく褒められた。

 

 次代の鬼巫がまだ生まれていない現状を考えれば、フローシュが花札になることはないだろう。

 よほどの事態、アハラマの花札が欠けるようなことがなければ。

 外で加えた一枚が落ちたというが、それはそもそも員数外。

 

 アデスタが死んだ。

 先代鬼巫ヨハルハの花札。影のサノミアの他、アデスタ、シュキ、ヒオーネ、パラーサ。

 そのアデスタが死んだと聞き、正直な気持ちで言えば怖くなった。

 フローシュたちにとって花札は揺るがぬ絶対的な存在。外の世界にはその花札でさえ敵わない者があるのか。

 

 そして襲撃。社の一部坤殿に集まっていたフローシュ達に、敵は横手から現れた。

 フローシュ達がいたから、花札ヒオーネが警戒に当たっていた。

 気配に気づいたヒオーネに敵は二人がかりで襲い掛かり、それでもヒオーネは善戦する。

 敵が、未熟なフローシュ達に目を向けなければ。

 

 

 生きるか死ぬかの戦いに正しさなど盾にならない。

 けれど、身に()みついた教えは、フローシュたちに判断を誤らせた。

 ヒオーネを置いて逃げるべきだった。

 ヒオーネに協力して皆で一斉に敵を討つべきだった。

 けれど判断ができず、遅れ、ヒオーネに決定的な傷を負わせた。

 

 他の仲間がどうなったのかフローシュにはわからない。

 どうにか正殿に駆け込んだフローシュを敵が追ってきたのだから、皆は逃げおおせたのではないか。

 守女の方々がいれば、こんな敵くらい……きっと、どうにかなるはず。

 だけど、目の前で花札ヒオーネが倒れ、敵はまるで無傷。余裕さえある。

 

 怖い。

 怖い。

 怖い。恐ろしい。アデスタが死んで、ヒオーネも敗れて、敵は蟇蛙(ひきがえる)のような醜悪な姿でげひげひ笑う。

 殺される。

 死ぬ。

 それよりもっとひどいことだってあるって聞いた。外の世界では女は生きたまま食い物にされるんだって。

 裸に剥かれ、吊るされ、生肌を舐めまわして肉と体液をしゃぶられる。油を搾るように女の生気を堪能するのだと。

 フローシュも、そんな――

 

 

「大丈夫か?」

 

 知らない、人。

 わからない。何を聞かれてもフローシュにはもう、なんだかわからない。

 里にこんな人はいただろうか。鬼巫の里の住民はそこまで多くない。央里の人なら大抵は顔くらい見たことがあるはずだけれど。

 

「もう、大丈夫だ」

 

 優しい微笑み。見知らぬ里の人だ。でなければフローシュに優しいはずもないし、優しいわけがない。

 でも、花札ヒオーネでさえ敵わなかった敵を相手に何ができるのか。

 

「あの連中は私が片付ける」

 

 絵空事。

 花札でも鬼巫様でもない彼女にできるはずがないのに。

 だけど、その優しくて凛々しい微笑みと声音に、がちがちに固まっていたフローシュの心がほわっと熱を思い出す。

 

 

 命がけの戦いに正しさなんて意味はない。

 醜悪な蟇蛙がこちら側に向くより先に、烈風のごとき一閃が駆け抜けた。

 その流星に、フローシュの心も貫かれて。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 死ねない。

 こんなところで、こんな時に。

 私は、死ねない。

 

 アデスタが死んで、シュキは冷静さを失って。

 ヒオーネとパラーサがしっかりしなければならない。

 

 若輩のアハラマが連れてきた異物と、凶報。

 ヨハルハが死んだ。確認はできなかったがその影サノミアも……いや、話を聞けば間違いなく。

 続けて里の異変。

 これもアハラマがもたらしたのではないか。

 言いたくなるけれど、アハラマはエクピキを討滅し、いよいよスカーアが目覚めようとしている。

 苦しくつらい時だが、これを乗り越えなければ。

 ヨハルハ達に顔向けできない。

 

 まだ未熟な花のつぼみたち。

 この子らを守るのはヒオーネの役目だ。

 侵入者は二人。しかしそれで済むとは思えない。

 きっとまだいる。外の世界も経験してきたヒオーネには見えない敵の数も考えてしまう。

 

 考え事をしていて戦える相手ではなかった。

 相当な達人。姿形だけでなく戦い方も奇異で、それが二人。

 攻撃した腕を掴まれた。敵の手のひらが異様なべたつきで、その感触に怖気が走る。

 力づくで振り払い、毒の類かと距離を取った。

 

 ヒオーネの気持ちが怯んだのを察して、敵の目が蕾たちに向けられる。

 突然の襲撃に異様な男どもの姿。恐怖に竦んで動けない花の蕾たちに。

 不用意な反撃は、敵の思うつぼだった。

 

 

 深手を負い、それでも暴れて少女たちを逃がして。

 中央に逃げようとする少女フローシュに目をつけた敵を阻止しようと、けれど敗れて。

 

 死ねない。

 こんなところで、このような輩に里を穢され。

 せめて別方向の警備に当たっている花札パラーサが来るまでは。

 ヒオーネは、死んでも死ねない。

 

 

 見知らぬ女。

 聞いてはいる。アハラマが外で加えた花札ファニア。

 ヒオーネが勝てなかった敵に、ファニアが何をできようか。

 せめて時間稼ぎだけでもしてくれるのなら。

 

 怯えて震えていたフローシュに何やら優しく声をかける。

 わずかに、フローシュの呼吸が柔らかくなるのがわかった。

 アハラマに選ばれた女。少しは役に――

 

「っ!」

 

 巨塊のごとき力が貫いた。

 やわらかな空気から一転、一変して、フローシュの傍に屈んだファニアが敵を打ち払った。

 ヒオーネが叩き込まれた壁の横に、それ以上の勢いで敵が吹っ飛んでいく。

 

 ヒオーネの霞む視界ではもう見えない。

 しかし、安堵していいのだと感ずるとぼやけた視界に波が湧いた。

 もう大丈夫。

 ヒオーネの役は、彼女が果たしてくれる。

 

 ぼろり、ぼろりと。

 熱いものを零して、かろうじて支えていた体から一緒に流れ落ちていく。

 

「あぁ……」

 

 申し訳ありません。ごめんなさい。

 私は、女神スカーアと生きるよりも。

 あなたと一緒に死にたかったのです。

 

「よはる、は……」

 

 あなたに与えられた使命よりも。

 わがままを言って、ごめんなさい……

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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