法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
高揚する酔いは一兵卒を精兵に変貌させる。
女だけが住む隠れ里。女神スカーアの祝福を受けた者たち。
噂の通り、噂以上に、美しい肌と整った顔立ちの女ばかり。
捕らえた娘たちを味わった部下たちの士気は高い。
この作戦にうまみがある。自分たちにも分け前がある。わかりやすい楽しみが。
戦闘後の略奪を許している軍は珍しくない。人間、やはり実利があると気構えが違う。
たった二人、足りないという塩梅もよかった。
まだ順番待ちの連中に、先に済ませた者が語る。自慢げに伝えて、他の者の心も踊る。
都合よく湯が湧き出る休憩所。今日の為にあつらえたような。
「親父、敵だ」
ゾーハの手の者が慌ただしく駆け戻ってきた。
息子だとか甥だとか、特務指揮官ベンデックはいちいち覚えていない。連中は誰もが当主ゾーハを父と呼ぶ。
その時代で一番強い者が当主であり父。そんな慣習だそうだ。
「イルッポはやられた。鬼巫だ、四人だった」
「よし」
家族の一人がやられたと聞いてもゾーハの顔に苦いものは浮かばなかった。
ベンデックにぎょろっと目を向け、ほらみろと言うようにゆっくりと頷くだけ。
「ああ」
偵察のつもりが戦闘にもつれ込んでしまった時、ゾーハは即座に一度退くとベンデックに言った。
いや、押し切れる。
すぐに後ろの本体も合流する。村の主だった者を殺し、捕らえ、ここを拠点にすることもできそうだ。
ベンデックはそう思ったが、ゾーハたちがさっさと退いたのでそれに従うしかなかった。
なぜ攻めなかったのか。
敵が態勢を整えれば面倒が増える。
ベンデックの考えをゾーハは笑った。
アリや蜂の集団には役割がある。
里を見て、そういう空気を感じたのだと。
戦う者、作る者、育む者。そういう役割分担が根強い集団。
鬼巫や花札といった連中がまさにそれだ。
ここで無理に押せば、女ども全員の闘争心に火を点けることになる。
退けば、こちらを追ってくるのは戦う役割の者に限られる。
数は決して多くはないだろう。
その戦力を潰してしまえば、残った女たちの心はどうなる。
折れ、
絶望し無力を思い知らせてからの方が、占領は容易いだろう。
女王蜂と兵隊蜂を潰し、蜜蜂は手に入れる。
ゾーハの息子の一人が言っていた。アリの子はうまいとか。
ベンデックにはアリやら蜂やらの巣を採って食った経験がないので共感できなかったが。
結果としては最上だ。
隠れ里の最高戦力がごく少数で向かってくる。
巣を突つかれて飛び出してきた、といった様子。ゾーハの言う通りで気持ち悪いくらい。
過去のトローメでの戦闘記録でもそうだった。
鬼巫たちは正規軍と連携することは少なく、機動力のある遊軍のような働きをしていた。
強力な魔法使いの集団で、極少数でも万の軍勢のレベルなのだが。
「鬼巫をヤった奴が親父ってことでいいよなぁ?」
ゾーハの一族の中にも考えの違いはあった。
現代最強であるゾーハは、鬼巫アハラマの首を取り、神の祭壇へ昇りたいと。世界最強であると刻む為に。
死亡報告されたイルッポは、体表の色も変われば骨格まで曲がる特異体質。潜み、目標を殺すという一点では一族一番だと自負していた。
イルッポの死を報告したカルレは、回避に特化している。トカゲのような動きで、避けることだけに専念すればゾーハの連撃でも避け切る。
先にどこかへ姿を消したボルトイとサンミ。これらはゾーハを親父として認め、従っている。
次期当主の座を求め、ゾーハを上回る腹積もりの者もいる。
スロローペ。ベンデックより頭ひとつでかく、全体にぶよぶよした体型。
肌にイボのようなぶつぶつが無数にあって、発酵した泥のような印象を受ける。
鬼巫を倒した奴が次の親父、と。
先代を殺して代替わりということもあるらしいが、今回はわかりやすく別のターゲットが設定された。
ベンデックとしては、協力して鬼巫と花札を討ち取ってほしいのだが。
競争という形でもこの連中がやる気になってくれるのならいい。
「他の者が殺したら認めるのか? スロローペ」
「そん時ゃならわしの通りだ」
巡り合わせで別の誰かが鬼巫を倒したら?
従来通り、殺して代替わりと。
野蛮な連中だ。実際、育つ課程でも兄弟同士殺し合うこともあると聞く。
「なんでもいいが、身内争いは作戦が終わってからにしてくれ」
「……だそうだ」
「んナことぁわかってんだよ! バカにすんな青びょうたんが!」
口を挟んだベンデックにぐわっと口を開いて罵声を浴びせてきた。
口がでかい。
比喩ではなくて、人間を頭ごと飲み込めそうなくらいにでかい。化け物だ。
「わかっておるなら――」
ゾーハがぎらりと睨みつけると、スロローペは忌々し気に口を閉ざす。
「早い者勝ちだ。さっさと向かえ」
「……けっ」
天幕からスロローペの巨体が出ていくと、ふうと息が漏れた。
ベンデックはそこそこ腕が立つ。ゾーハの一族が口だけではないことはわかっている。
人間離れした実力者。でなければ国の英雄級の相手とまともに戦えない。
ベンデックの部下百人全員を犠牲にして消耗戦ができれば、花札の一人や二人は殺せるかもしれないが。その場合、消耗しきる前に相手が休息の為に一時撤退するだろうから現実的ではない。
「こちらも向かおう」
「あぁ、頼りにしている」
準備は整っている。
天幕の外の兵士たちは、新しい獲物が来るのを舌なめずりしながら待っている。
追っ手との戦闘に備え、魔法を防ぐための盾と短い投げ矢。凶獣を相手にする時と似た装備で迎え撃つ。
少しでも消耗させて、後はゾーハたちに任せればいい。
士気は高い。
ただ駆り出されて前線に立たされている兵士ではない。
欲しいものが手の届くところにある時、男がどれだけ強くなれるか、女どもに教えてやろう。
「始祖の見た地へ」
鬼巫の天敵。
かつて鬼巫を倒したと称する者の末裔と、ベンデックの部下たちで辿り着く。
「その先へ、だな」
「はっ、悪くない……その通りだ」
ベンデックの言葉に大きく頷いたゾーハと共に天幕を出た。
◆ ◇ ◆
――代々の鬼巫、守女の長しか知らぬ。
――はるか昔、鬼巫が殺されたことがある。
――北方の蛙魔人の手で。
――里で伝えられているのはそれゆえだ。
はるか昔の魔獣の話がなぜ隠れ里で語り継がれてきたのか。
危険を忘れない為。
凶事そのものは限られた者のみが知る。
ただ、その存在を忘れさせぬ為に昔話として残されていた。
レフカースが落ち着くまでの少しの時間、アハラマから花札たちに伝えた。
最大級の警戒が必要だと。
敵の蛙魔人も死んだと伝わっている。
ベゼロイタ地方にそれの後継を標榜する者がいることも聞いてはいた。
討伐するかという話もあったそうだが、敵が未知数だ。
再び鬼巫が敗れるようなことがあれば里の危機を招きかねない。
先人たちが守りを選んだのを責めることはできない。
トローメ建国に協力したのも、北東ベゼロイタからの侵食を畏れたから。
今回の件もその蛙魔人の一族が関係しているのだろう。里に侵入した方法も当時から伝わっていたと考えれば腑に落ちる。
変異種だ。
世界の生き物はみな神の血から生まれた。稀に妙な変異を起こすものがいる。
アハラマが知る最たるものは、イドラ・ディドラー。
あれは人間の変異種。人の魔獣と呼んでいい。
英雄と呼ばれるような人間はそれらの類だ。
血肉がより原始的に、元の素に近づくせいで、人間以外の種とも子孫を作れるのかもしれない。
天と地が分かたれる前の生命とでも言うのか。
おぞましい。
神秘の半月でもないのに交わり子を為す外界の節操のなさでさえ、アハラマたちにとっては異質で異常なのに。
雌雄どころか蛙の魔獣と交わった者がいるのか。
体色を変化させたり、吸盤のような手で逃げていった敵を思い出し、胃からえぐいものがこみ上げそう。
危険な敵。
だからと言って退けない。
だからこそ退けない。
スカーアが教えてくれたのだ。
目覚めを前にしたスカーアが、里を震わせ敵の接近を知らせてくれた。
ならば、当代の鬼巫としてすべきことは決まっている。
レフカースは、アハラマの話を聞いたレフカースは平静を取り戻した。
――当時の鬼巫様には私たちがいなかった。
そうだ。花札は過去の凶事を受けて生まれた鬼巫の親衛隊。
今のアハラマには花札がいる。欠けたとはいえ、誰よりも信頼できる彼女たちが。
レフカースは、救いだった。
アハラマにとってのレフカースは救いだった。
里の誰よりも、世界の誰よりも強くなければならない。そう育てられたアハラマにとてって、レフカースの存在は救いだった。
稀有な天才。里始まって以来の。
鬼巫をも上回る魔法の才を持つ者。
悔しい気持ちもないではなかったが、負けてもいい相手だと誰もが認めた。
救われた。
そのレフカースにこんな顔をさせた敵を、許せるはずがない。
「この――」
スカーアが言っている。
里を侵した男どもを生かして帰すなと。
仲間を殺し、奪った連中を消し去れと。隠れ里の天を震わせたのだ。
ならば、アハラマがその先頭に立つ。
スカーアの代理として里を守り戦う。それが鬼巫なのだから。
「下郎ども! 失せよ‼」
世界から消え失せよ、と。
レフカースの符を張った鉄扇を思いさま振り抜いた。
近ければ大木をもなぎ倒すほどの猛烈な烈風が、列を作った兵士に叩きつけられた。
数十の、盾を構えた兵士ども。
アハラマの一撃をレフカースの符で激化させている。
一振りで符は散り散りになってしまうが――
「大振りは――」
盾を構えていた兵士どもはどうにか耐えているが、よろけて目も空けていられない。
中には煽られ隣に、またその隣にぶつかって転がっている者もいる。
そんな中、地面すれすれを這うようにアハラマに肉薄する者がいた。
先ほど見つけ、逃げていったトカゲのような走り方をする男が、大振りのアハラマの足に食らいつこうと――
「ふっ!」
即座に鉄扇が返る。
振ったのなら戻す。それだけのこと。
食らいつこうとしたその顔を叩き切る勢いだったが、ぬるりと。
アハラマの一撃はぬるくはない。
今のタイミングなら、たとえ相手がイドラ・ディドラーだったとしても躱すことはできなかったはず。
奴ならば防いだだろうが。
しかし、後ろ足に鉤爪でもついているかのように、食らいつこうとしてきた上半身を引っ張り戻して回避した。
潰したタイミングだった。
振り戻したアハラマの体は大きく開き、今度は紛れもなく大振りの隙。
喉首が、小柄なアハラマの小さな喉が、敵の眼前に晒されたまま。
「ちっ」
「俺がいちば――」
散り散りになった符が戻った。
白地に黒く書かれていた符が、時間を逆回しにするかのように、今度は黒地に白い文字の符となって。
振り戻したアハラマの鉄扇に、半拍遅れて戻った。
レフカースの符にマベラが重ねた影の魔法。
とかげ男、その戻りに気づいて身をひるがえしたのは凄まじい。
回避だけならイドラ・ディドラーをも上回る。しかし――
「いなくなるわけではあるまい!」
二発目、逆から叩きつけられる烈風。アハラマとマベラに隙などない。
大木をもなぎ倒す烈風を、とかげ男は目の間でまともに受けた。
強引に身をよじった無理な姿勢で、逆から叩きつけられた空気の塊。
避けるもなにもない。
先にこやつの回避能力は見ていた。
「ぶびゃっ!?」
地面に叩きつけられ、圧力で両目と舌をひり出しながら潰れた。
びゅるっと赤黄色い血漿が耳から零れるところまではいちいち見ていない。
「ぐぉぁっ!?」
野太い声。
アハラマの二度目の烈風が、兵士の多くをなぎ倒している。
踏ん張ったところに再び烈風。今度は逆風。
盾持ちでなくとも軽くはない武装をしている兵士が耐えられるものではない。
暴風に持っていかれた盾の角で、鼻面を強打する者もいる。
尖った道具を多く持っていれば、ただ重なって転ぶだけでも危険なものだ。
「それよ!」
クロロテッサが声を上げた。
アハラマたちも考え無しでやっているのではない。
「異様な気配は四つ! 一番大きいのがそれ!」
「承知しました」
野太い声を上げた男を指し示す声に応えるレフカース。
広範囲を薙ぎ払ったのは、他の雑多な気配を流すため。
突如発生した凄まじい台風の真っ只中に立てば、誰だろうと踏ん張るしかない。
右から左からとなれば余計に。
他の生き物を流し出し、雑兵どもの足取りを掴み、それ以外のものを探す。
ここは鬼巫の里。その山中。我らの故郷だ。
集中したクロロテッサが大地に探査を走らせれば、欺ける者などいない。
「く、そ……べっ」
トカゲ男に続けて襲い掛かろうとしたのだろう。
巨体。
だからこそ思い切り烈風を受け、思わぬ方向からのそれにたたらを踏んだ。
開いていた大きな口に泥でも入ったのか、べっと吐き出して。
「ってくれるなぁ、風のお遊びなんぞで」
「口を閉じなさい」
アハラマがまず全体を攻撃、クロロテッサは状況の把握。
最も危険と思われる敵はレフカースが第一に対処する。
「お前などに許しません。里の空気、吸ってよいなど」
「へ……へっ、生意気言いやがる」
「腐った息を吐くなと言いました。ああ」
頭ふたつは大きな、重さで言えば三倍はあるだろう巨漢に、レフカースが縮こまる様子はない。
淡々と、真っ白い紙の端のような鋭さで。
「
見下ろすようにすっと目を細め、色のない声で付け足した。
◆ ◇ ◆