法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-29.目まぐるしく

 

「きれいなツラしてやんじゃねえか、気に入ったぜ」

「……」

「おめえが鬼巫じゃあねえな」

 

 力を受けきれず下がらされた。

 武器は持たず、巨体の手足を振り回す敵。

 ぶよぶよの奇体。戦士の体つきではないが、だから弱いというわけでもない。

 

「ならヨシだ。おめえはこのスロローペの女にしてやる」

「……」

 

 答える価値がまるでない会話。

 こいつの命はもう尽きる。名も、意思も、存在する意味がない。

 

「なんつったか、白い花札。れ、れは……れふか?」

「……」

 

 花札として名が知られているのは仕方がない。仕方がないが、愛称のように呼ばれ怖気が立つ。

 外見の特徴からレフカースと見当をつけられて、当たっていることさえ不快。

 他の仲間の名を呼ばれたとしても苛立ったのだろうけど。

 

「いちいち覚えていらんねえなぁ」

「……」

「黙っちまってどうした? 最初の威勢は」

「……」

「おめえを寝かしつけたら次ぁ鬼巫だ。クソ親父にやられちまったらクソにもなんねえ」

 

 ぐひひぃと、異様に大きな口を歪めて笑う。

 クソ親父。マベラに向かって名乗りを上げた初老の男か。

 マベラとアハラマの二人を相手にするのを心配する様子もない。

 それだけ自信があるのか。それとも、二対一で不利だから自分の番がくるとでも考えているのか。

 愚にもつかない。お前の番などない。お前に次などない。

 

「顔は守っとけよ。俺ンもんになるんだから、よぉっ!」

 

 ぶよぶよの、レフカースの四倍ほどの巨体が跳ぶ。

 歪む。

 砲弾のような勢いで、ぶよぶよの肉が臭気をまき散らしながら突っ込んでくる。

 

「っ」

 

 先ほどレフカースは初動を見切れず防御した。

 符紙の盾で受け、押し込まれ、二撃三撃と押し込まれた。

 見かけからは想像しづらい速度に驚かされたが、紙の柔軟な応用力とレフカースの技術で対応できないことはない。

 

「へっ」

 

 躱す。

 敵の速度は知った。踏み込みの呼吸も見た。

 スロローペの巨体を躱し、先ほど紙の盾で見えなかった攻撃を目で追う。

 重さと速度はすさまじい。まさに砲弾を思わせる威力で大樹の根本を爆散させた。

 巻き散らされる土の粒とスロローペの体臭。ひどい臭い。

 目に染みるほど。

 

「へはぁ!」

 

 蹴りつけた地面の底で、異様に膨れ上がった両足をぐぐぅっと曲げて。

 通り過ぎた時を超える速度で再度打ち出した。

 レフカースの腹の中心、へそに向かって回転しながら突っ込んでくる。

 食らえば悶絶では済まない。

 

「直線なら」

 

 威力、速度ともに凄まじい。

 しかし真っ直ぐならレフカースの反応速度で対処できる。

 射線から軸をずらし、やり過ごして反撃の――

 

「んべぇぇっ!」

 

 だぁめだぞ、とでも言うように。

 跳んだ直後のスロローペの体が歪んだ。

 

「みっ!?」

 

 ぶよぶよの巨体。

 真っ直ぐ突っ込む時は、円錐のような形で回転していた。

 その円錐が、レフカースが避けようとした方向に重心をずらし、方向を変える。

 跳ぶ瞬間にレフカースの足を見切ったのだ。異様な動体視力。

 手を伸ばしても届かないくらいの距離を避けようとしていたレフカースは、それ以上避けられない。

 掠るだけでも致命的だ。

 敵は異常な体質で衝撃を物ともしない。レフカースは違う。

 回転に巻き取られ、叩きつけられて。朦朧としてしまえば後はこのスロローペの思うがまま。

 外の世界での制約と違う。外の世界で敗れれば、ほどなく巫気切れで命を失うのだけれど。

 

「つぅかまえ――」

「――見ましたから」

 

 紙風船。

 思えば最初に触れた紙の道具だったかもしれない。母様が作ってくれた。

 妹に作ってあげたことはなかった。

 

「知っています」

 

 ここで会敵する前、山中で見た。

 どうやっているのかは知らないが。体の内で重量の配分を置き換えて空中で軌道を変えるのを、既に見知っていた。

 アハラマが潰したトカゲのような動きの敵がやっていた。

 ならば、他の者もできると考える。

 

「んおっ?」

 

 正面から受けるには強すぎる力。

 スロローペの攻撃とレフカースの間に符紙で作った紙風船を浮かべた。大きな、レフカースの体がすっぽり隠れるほどの。

 紙風船を弾き飛ばすスロローペと、その裏に乗って樹上に跳ぶレフカース。

 

 

「くっっそ!」

 

 再び地面に大穴を穿ちながら止まり、振り返って木々の上を見渡す。

 人間離れした動体視力でも、紙風船の裏のレフカースがどこに跳んだかまでは見えなかったらしい。

 

「どこ、ちぃっ」

 

 見つけた、と言うように目を向けたのは、破れて枝に垂れさがった紙風船の残骸。

 白く、レフカースと見誤ったのも無理はない。

 

「色彩れば目もあやなり、(あや)綾織(あやを)り千切り紙」

 

 金銀砂子。金と銀の数百の紙片が舞う。

 綺麗な長方形に揃った無数の紙片。きらきらと。

 視界を奪う目的ではなくて。

 

 

「異様な血肉。泥細工のように手足の好きなところに押し固め、膂力とする。無節操に」

 

 無様にだらしなく(たる)んだ肉体。その内側に流れる腐った血なのか肉なのか知らないが、どこにでも移し替えができるよう。

 踏み込む時は足、ふくらはぎに。殴る時には腕に。あるいは背筋、腹筋に。

 異様な巨体に蓄えた力を好きなように付け替えて戦う。

 肉体そのものも常人とは比べ物にならない力で、攻撃ごとに最適な形に変貌する。本当に節操のない。

 

「その戦い方では武器を持ちにくい。だから無手」

「ひ、ひっ……あぁそうだ……俺ぁいっちばんこれが得意でよぉ」

 

 レフカースを探そうと目を走らせながら、下卑た笑い声を垂れ流す。

 

「どこにだってできんだ……お前の股ぐらン中で、尻の奥でも、いぃっぱい詰め込んでよ。ひいひい悦ばせてやるからなァ」

「……」

「昼間にとっ捕まえた小娘どもも、そりゃあ悦んでたもんだ」

 

 スロローペとすれば、とにかくレフカースを煽って見つけ出そうと汚い言葉を並べただけ、だったのだろう。

 ちらちらと散る金銀の紙片を両目に移し、ぎょろぎょろと目を回しながら。

 べたつく唾液の垂れる大きな口を開け、何を思い出したのか声量を上げて嬉しそうに続ける。

 

「ちっこくてなぁ! 俺の口ンなかで泣いて悦んでた。俺の口ぁこのでかさだ。おめえの顔もぜぇんぶ咥えてなめ――」

「死ね」

 

 知っていたわけではない。

 その小娘のどちらかがレフカースの妹だと知っていて言ったわけではない。

 ただ汚い言葉で汚しただけ。汚い口で――

 

「拗ねなくったっていい、ちゃあんとおめえも味わってやる」

「許さない」

 

 声の熱が隠せない。

 熱は伝わる。

 金銀の紙片が舞う樹々の中、見失っていたレフカースの姿をスロローペの濁った真っ黒の瞳が映す。

 

 

「そおやって俺ぇ呼ぶなんて、可愛いおめえを」

 

 見つけて、見据えて。

 にやぁぁっと。

 

「つぅかまえたぁ!」

 

 声鳴る方へ。

 いっぱいの力を込めた両足で飛び出した。

 

 

「あぇ?」

「……」

 

 ずれる。

 目測がずれる。

 それはほんの少しだけ。

 ただ、勢いが違う。

 全力の半分くらいの勢い。

 

 

「紙切りの、夕と夜との切れ間には。空と海とて分かつ端の目」

 

 この速度なら、迎撃が間に合う。

 紙はレフカースの生家の生業(なりわい)。白い紙を漉く手間を知っている。

 母たちが手づから漉いて作った符紙でできないことなどない。

 

 夜と夕の境のほんの刹那、一筋の稜線のように。

 紙が、世界を分かつ。

 飛び込んできたスロローペの巨体を、その重量に任せて分断する。

 

「ぐゃぃっ⁉」

 

 蛙の潰れたような声というのだろうか。蛙にすら礼を欠くとも思うが。

 回転し振り回していた右手が肘から、足は脛から斜めに、すっぱりと切り落とされた。

 赤黒い血を吹き散らしながら樹木にぶつかり、地面に落ちた。

 

 

「……」

 

 マベラに。

 マベラに、感謝する。

 先に知っておいてよかった。全然、よくない。よくないけれど。

 知らないで、ただ無事を期待しているだけでここにいたのなら。

 おそらく敗れていた。

 レフカースの符は破られ、敗れていた。

 

「う、ぐぃぃぃっ……おれ、のっうでぇ……」

 

 生きている。

 まだ生きている。この敵どもはどうも衝撃には強い。

 落下したダメージは致命的ではない。

 

「……聞くだけ、聞きます」

 

 地面に降りて、体を丸めて呻くスロローペを見下ろす。

 ぱらぱらと、大小の長方形の紙片も大地に落ち、きらきらと消えていった。

 微妙に大きさの違う金銀の紙片。

 

 スロローペの目は異様なほど優れていた。

 見失ったレフカースを探す為に、ひらひら舞う金銀の紙片全てを判別するほどに。

 光を反射するものを見つめるのは普通より疲れる。それが無数に、ちらちらと舞えば余計に。

 

 目が(くら)むと言う。目が回る。

 スロローペの目は良かったかもしれないが、頭は悪かった。レフカースの思った通り。

 全ての情報を受け取り酩酊に近い状態になったのだ。

 いつもなら得意として当たり前にできていた筋力操作が狂う。本人の自覚なしに。

 

 

「捕らえた子たちは?」

「いてぇ……いでぇよぉうぅ……」

 

 汚い血を故郷の山に流されるのも不愉快。汚れる。腐った臭いが染みつく。

 何が痛いだ。

 その子たちの苦しみはお前などの比ではない。

 

「答えないのなら殺してから探すだけです」

 

 探す前に、聞けるなら聞いておきたかっただけ。

 生きているのかどうか。

 生きていてほしい。その希望を捨てる覚悟が、まだなくて。

 

「俺ぁ、しらねえ……むぐぅぅっ……兵士、どもが小屋に……っ」

「……」

 

 

 小屋に。この先の山の湯殿にいる。

 囚われて、命があるのかどうかはわからない。

 この連中を皆殺しにして助けに行く。レフカースにしてあげられるのはそれだけ。

 

 聞かなくても同じだったかもしれない。

 けれど、過去があった。妹カンナとうまく関係を結べなかった負い目があった。

 姉として、心配しているという体裁を保つ為に聞いたのかもしれない。

 矮小な自分が恥ずかしい。

 

「もういい。死になさい」

「い、やだ……まってくれよ、俺ぁ……」

 

 黙れ、息を吐くな。

 お前の時間はここまで。この先を見ることは――

 

 

「まだ死なねえんだ」

「っ!」

 

 腕が生えた。

 足が生えた。

 血を放ちながら振り回した。新しい手足を。

 

「く」

 

 生き汚いクズ。

 赤く濁った汗を顔から流しながら、げへへぇっと飛び退いたレフカースに笑いかける。

 汚らしい血の臭い。頬についた。

 

「しぶとい、今すぐに殺し――」

 

 襟の符紙を挟もうとして、指が空を掴む。

 空振り。

 あれ、そんなはずは――?

 

「げへぇ……どうだぁ? 俺の味は」

「……な、に……?」

 

 気持ち悪い。

 吐き気を覚える。

 すえた臭い。腐ったような……ひどく悪い酒のような。

 

 

「俺の汗とかよぉ、血の臭いなぁ。酒みてえなモンなんだと」

「……」

「吸い込んだよなぁ? いいっぱい、おめえの鼻ンなか、腹ンなかによぉ」

 

 思わずこみ上げる唾を飲み込めず、口に溜まり、べっと吐き出した。

 目の奥からも、不快感が湧いてきて溢れそう。気持ち悪い。気持ち悪い。

 

「おめえに千切られて、ちいっと小さくなっちまったなぁ」

「……化け物」

 

 人間じゃない。

 イモリやトカゲには尻尾や手足も再生するものがいる。

 内部の血肉を自在に操れるのなら、千切れた手足も同様に。

 見れば、新しい手と足はぬるりと艶のある桃色。ぬめぬめと気色の悪い色。

 

「そろそろねんねしてもらうぜ。俺ぁ鬼巫をヤらねえとなんねえんだ」

「この程度で」

 

 ねばつく舌で口回りを舐めるスロローペを睨み、符を握り直した。

 

「ひはぁ、いい顔だぁ」

「……」

 

 

 聞いていてよかった。

 くらむ目を見開き、きつく唇を結ぶ。

 妹は、妹の苦しみはこんなものじゃない。

 だから。

 レフカースは、姉として。

 こんなところで弱音も胃液も吐いていていいはずがないのだと。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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