法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-32.時、染みる

 

「あれから一刻半ほどになります」 ※(約三時間)

 

 フローシュと名乗った少女は簡潔に現状を教えてくれた。

 

「数日以上、魔法の眠りについておられたそうです。急に神業のごときお力を使われたので……どうぞ」

「すまない……ありがとう」

 

 目が覚めて、またすぐに意識を失ってしまうとは情けない。

 自責するファニアの手を取り、小さな手で包みながら飲み物の入ったカップを手渡す少女フローシュ。

 

「ファニア様のお力で里は救われました。今はまずお体を。食事と湯でお体を温めて下さい」

「賊はまだいるはずだ。悠長には――」

「パラーサ様から言い付かっております。身体をほぐし食を取り万全にしていただくように。渇いて硬くなったままではまた同じことになると。無茶なことだと仰っていました」

 

 言われてみて、確かに無茶な力の使い方だったかとも思う。

 差し出された持ち手のないカップを口にして、甘い味に少し戸惑った。

 何日も飲まず食わずだったわけだ。活力が体に染み渡る。

 

「お食事も今用意しています。先に湯殿をご案内します」

「里は?」

「守女の方々が見張りの紙鬼を巡らせました。この奥殿周辺は今はパラーサ様が当たって下さっていますから」

 

 パラーサ。名前は知っている。先代鬼巫ヨハルハの花札のはず。

 ファニアから見て先輩にあたる。パラーサがそう言うのであれば従うのが筋か。

 

 

「里が襲われたことなどありませんでした。私は……」

 

 飲み終わったカップを受け取り、盆に戻したフローシュの肩が小さく震える。

 

「ファニア様がいらっしゃらなければ……本当に、ありがとうございます」

「いや……そうか、ヒオーネ。彼女が注意を引いてくれたからだ」

 

 パラーサの名前から連なり思い出した。ヒオーネと呼ばれていた彼女もヨハルハの花札。

 

「不意打ちの襲撃だったのだろう。あの敵を相手に君を守ってくれた」

「……はい」

 

 返事の声とともに浮かんだ様子で察する。

 重症だった。ヒオーネは助からなかったのだと。

 

「私は、病人か怪我人と思われた。警戒されていなかっただけだ」

「ファニア様のお力あってのことです。フローシュはファニア様のお世話をさせていただけてとても嬉しいんです」

「……ありがとう、フローシュ」

「はい」

 

 名前を呼んでほしくて言ったのだろうな、と。

 正解だったらしく、憂いの色から紅く花が開くように頬が染まる。

 

「……なるほど」

 

 バツが悪い。

 大したことはしていない、情けない姿を見せてしまったと思うのだけれど。

 フローシュの方は、まるで女神の使いを見るかのような瞳をファニアに向ける。

 なるほど、なるほど。

 捨て森でアユミチがたびたび戸惑っていた様子を思い出した。今の自分も似たようなもの。

 

「……」

 

 そうだ、アユミチはどうしているのか。

 女神レーマ・ルジアの下に向かった。エクピキの悪あがきについては、あの神々しい戦馬車を遣わした女神であれば解決してくれたと確信できる。

 王都に戻ったのだとしたら、あの大サソリ王蠍と戦うことになるが。

 出現地点に出くわしてしまったファニアと違い、いるとわかれば正面からぶつかるはずもない。近づかなくていい。

 ファニアが死んだと思い、仇討ちに王蠍と戦ったりするのだろうか。危険を顧みず。

 

「……ふ」

 

 仮に本当に仇だったとしてもそんなことはしてほしくないと思う反面、こそばゆい気持ちも浮かんだ。

 物語のお姫様のような。

 似合わない。

 だけど、アユミチはファニアの英雄だ。いつも助けてくれる。

 存外、あの王蠍も倒してしまうのではないか。そうだ、王蠍ならばアユミチには倒せる相手だった。

 

 

「どうかなさい……わたっし、何か変でしたかっ?」

「いや……いや、すまない。違うんだ」

 

 ファニアの頬が(ゆる)んだのを勘違いしたフローシュが早口になるのを見て、また笑みがこぼれる。

 この後、何が起きるかわからない。

 アユミチが迎えにきてくれるかもしれない。アハラマに助けが必要になるかもしれない。

 何にしろ身体を万全にしておくのは絶対だ。

 

「そうだな、湯を頼もう」

 

 そういえばアユミチはマメに水浴びをしていた。

 ゆっくり湯に浸かりたいとも言っていた。貴族のようなことを。

 鬼巫たちも湯殿は好んでいた。ファニア以外の花札たちは連れだってよく長湯していたものだ。

 

「はい! こちらです」

 

 あの頃は恥ずかしさが勝って誘いを断っていた。

 習慣が違う。

 嬉しそうに湯殿に案内するフローシュに、当時の自分が何を恥じていたのかと恥ずかしく思い、苦笑した。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「や、それは……ちょっと、ま、っ……」

 

 お世話をするのだから当然。

 脱がせるのも洗うのもフローシュがする。

 まるで初めてのように恥じらい戸惑うファニア様に、なんだかとても嬉しくなってしまう。

 

 フローシュの宝物。フローシュの花……アハラマ様の花なのはわかっているけれど。

 守女の長リードゥ様からお世話を言い付かったのだからフローシュの役目。

 

「ファニア様、力を抜いてお任せくださいませ」

 

 肌を触れ合うのは互いを知るのにとてもよい。

 スカーアも奨めている。

 相手を知る、自分を知ってもらう。よく知り合えば不安も不和も消えていく。

 

「ここ、こんなに固くなって……ん、んっ……」

「あ、あぁ……っ」

 

 何日も眠っていた。

 魔法により、死に近い眠りだったそう。

 しなやかな身体でも節々が強張り、筋も凝ってしまう。

 

「おちから、抜いて下さい……ね?」

「うぁ……っ、はぁ……」

「どうです? 気持ちいいですか、ファニアさま?」

「んく、っ……あぁ……フローシュ……」

 

 明日檜(あすなろ)の板にうつぶせにしたファニア様の背を、手の平の下の方、手根(しゅこん)で強めに押し広げて揉みほぐす。

 手の平にファニア様の脈が、心音が響いてきて、心地よい。

 背骨から首を、脇の後ろ側を、腰を、腿を。

 力を抜けば柔らかな筋肉。強張るととても力強く。

 ファニア様の体内を巡る音をフローシュの素肌で感じる。

 ああ、ファニア様、ファニア様。ファニアさま。

 

 

 最初に掛け湯をして、フローシュの手で背中から肩、腕……指のあいだ、隙間、手の平と。丁寧に撫ぜるように清めて。

 足の方もしようと思ったのだけれど、逃げるように自分でされて湯に入られてしまった。

 

 二人で風呂にきたのだから、そういうことでは?

 ああ、ファニア様は外の生まれだった。里は初めてだ。

 外ではこうした自然な営み、触れ合いが欠けていると話は聞いている。

 どちらかの欲求のまま貪るような交わりや、そうした方が利得になると考えて交わるとか。互いの理解に欠けた繋がり。

 真実、互いのことを伝えあい結ばれることも稀にはあるそうだけれど。多くの人は得られない。

 

 外の世界では、歪んだことに男と女が交わるから。

 異物、異質。そんなものが交わるおかしな世界。

 ここは違う。

 あなたを傷つけるものなんてない。フローシュはファニア様が愛しいだけ。

 知ってほしい。フローシュの想いを。

 

 湯に浸かりながら、ファニア様の顔をずっと見ていた。

 困惑、戸惑い、いろいろ浮かぶけれど、フローシュを嫌悪するものはなかった。

 

 ――おからだをほぐします。こちらに寝て下さい。

 

 十分に身体は温まっただろう。

 香油の瓶を手にして促すけれど、ためらうファニア様。可愛いらしい。

 

 ――フローシュがリードゥ様に叱られてしまいます。おいやでしたら……無理は言いません、けれど。

 

 叱られるのは仕方がない。

 ちゃんとできないフローシュが悪いのだから。

 だけどファニア様は優しい。おずおずと肌を隠しながら板の上に寝てくれた。

 

 

「ファニア様」

 

 フローシュより大きい。頭ひとつ以上大きなファニア様に被さって、両手で頼もしい背中を押す。圧する。

 ぬるい香油で滑らかに滑らせながら、なるべく反応しないように(こら)えようとする震えを感じた。

 

「安心なさってください。怖がらないで」

「こわいわけ、じゃ……」

「はい」

 

 背中を強く押すのをやめて、ぴとりと全身を張り付けた。

 フローシュの心音もファニア様に聞こえるように。

 両手を左右に伸ばして、ファニア様の肩から二の腕に、血の巡りがよくなるように撫でる。さする。

 

 その気になればフローシュなど簡単に振り払える。

 そんなファニア様が子猫のように震えながらされるがまま。

 年上で頼もしい人なのに、可愛らしい。とっても嬉しい。

 

「フローシュはファニア様の味方です、から」

 

 ぎゅっと肘を曲げたファニア様の手の甲に指を這わせる。

 右も左も、手の甲を二度、三度さすって。

 強めに握られていたファニア様の手がほぐされて、柔らかく、やわらかく。

 指と指の股に滑り込む。股の間にフローシュの指が。

 香油が垂れたせいなのか、それとも。

 ファニア様が開いて、ファニア様から開いてくれたから?

 

「大丈夫、ですよ……あぁ」

 

 右手も左手も、手の甲の側から滑り込んだ指でぎゅうっと握って。

 フローシュの唇が、鼻が、頬が、ファニア様の首から耳にしっとりと張り付く。頬をする。上下に、ゆっくりと。

 折りたたまれる腕に引っ張られて、フローシュの手とファニア様の手がうつぶせの彼女をまとめて抱きしめる。抱き包む。

 しばらくそのまま。熱い胸の音を指先に感じながら。

 

 

「わかった……ああ、わかった……フローシュ」

「はい」

 

 わかってくださった。

 フローシュのことを理解ってくれた。

 嬉しい。嬉しい。

 

「お願いだ……離れて、くれ」

「どうして、ですか?」

 

 わかってくれたのに、どうして?

 ああ、次は向き合って?

 

「君を……傷つけたくない。怪我をさせたくはない、から」

「……」

「体は、ほぐれた。ありがとう」

 

 わからない。

 わからないけれど、ファニア様の言う通りに。

 体を離して、立ち上がったファニア様は今度は何も隠さない。

 

 

「君の気持ちはよくわかった。嬉しいよ」

「ファニア様」

「だが」

 

 優しい目。怖がっている顔。

 堂々と立つけれど、恐れている。怯えている。

 フローシュを傷つけたくないと、そういう顔だ。とっても嬉しい。

 

「私には、大切な人がいる」

「はい」

 

 わかっています。

 その人よりもフローシュを想ってほしいなんて言いません。

 

「心に決めたお……相手、だ」

「はい」

 

 知っています。お……鬼巫様です。

 ファニア様はアハラマ様の花札。フローシュが取り上げられるはずはない。

 

「だから……それに、フローシュ。君はまだ若い。こういうことは……」

「好いた方に想いを伝えるのに年は関係ないと思います。けれど」

 

 そう、ファニア様は外の世界の生まれ。

 世の正しい道を知らない。

 それはファニア様が悪いのではない。きっと時間が必要。ファニア様が里の女となるのに、まだ。

 

「私はファニア様に愛を抱いています。フローシュの気持ちを知っていただければ、今は……」

「……ありがとう、本当に嬉しく思う」

「はい」

 

 まだ、もう少し時間が必要。

 今はこの手に残るファニア様の熱で心満たされる。

 アハラマ様にお願いをすれば、里に不慣れなファニア様の傍仕えとして一緒にいることもできるだろう。

 そうでなくてもリードゥ様から世話役を仰せつかったのだから、見方によってはアハラマ様の許可すらいらない。

 

 

「おからだ、もう一度温めてください。そうしたらお食事にしましょう」

「あぁ……そうだな」

 

 ほっとしたように緩むファニア様の顔。

 とても優しくて。

 フローシュを傷つけないで済んだと安堵しているのがわかる。伝わる。ファニア様のことは全部わかりたい。

 

「里一番の食餌(しょくじ)です。ファニア様にも気に入っていただけるかと」

「それは楽しみだ」

 

 誰より素敵で頼もしい人を導く時間。フローシュに与えられた。

 里が大変な時なのに、フローシュはいちばん幸せな時間を約束されたと胸の中で女神に感謝の言葉を囁いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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