法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
おかしい。
クロロテッサは自分が絶対強者でないと自覚がある。
イドラ・ディドラーのごとき絶対者ではないし、レフカースのような天才でもない。
それでも、たったひとつ誰にも負けないと思うことがある。
アハラマを守る。
ただそれだけは誰にも負けない。どれほど無理をしようと、どんな手段を用いてでも。
他の誰もできない。クロロテッサのこの意志だけは他の誰も勝ることはない。及ぶことすら許さない。
目的の為なら悪すら厭わない。
南部でポスフォスの脊椎と巫女を見つけた時、ファニアにばかり目を奪われていたレフカースに相談もしなかった。
なんでもなさそうな木の棒が神の遺物。
ビッテスの目はエクピキで濁っていて気付かない。普段から間近で神の光にあてられ、目が酔っている。
しかし、クロロテッサが興味を示せば見直すかもしれない。気づくかもしれない。
レフカースはだめだ。彼女にうまい芝居を期待するなど不可能。それこそ、たまに酔った時に意外な機知を見せることもあるが、通常は視野が真っ直ぐ。
これをやる、と決まっていれば誰よりも巧みに正確に遂行するのだけれど。
まさか強い酒で酔わせて良い結果を期待するわけにもいかなかった。
幼子を攫う。
悪いことだろう。だけれど仕方がない。
いつ復活するかもしれぬエクピキの様子を考えれば、対抗し得る神の遺物を手にする優先度は高かった。生きていたファニアのこと以上に。
クロロテッサはアハラマの為になら何も
イドラ・ディドラーとの戦闘は、絶対的な実力差があったとはいえ痛恨だった。悔恨の極み。
二度とない。
次にどんな敵と当たるとしても、二度とアハラマに命の危機など齎さない。
女神スカーアに誓って。
ただの決意ではないつもりだった。
何を切り捨てでも、必ず。上っ面ではなく命を懸けて。
なのに、対峙していた敵をこぼし、アハラマを危険に晒した。
あの敵の爪は一撃必殺というまでではなかったが、それでも。
痺れる傷に薬を塗り込み、自分の手でぎゅっと絞って痛みで麻痺を塗り潰した。
こんなもの、なんでもない。
どれだけクロロテッサが傷つこうとも関係ない。
里方面に回り込まれた敵兵。
里の守り手たちとの戦闘が始まっているが、それはいい。問題ではない。
兵士どもはどうとでもなる。
問題は、今、今夜にもアハラマを害し得るほどの力を有する連中。
マベラの言う通り、あれらを放置はできない。自由にさせては危険。
おかしい。違和感。
手を抜かれた。
こちらも奥の手や底力まで出したというわけではないが、敵はどうなのか。
害意は間違いなく。こちらを煽るような言葉を並べていた。
こちらが意図して運んだとはいえ、アハラマを集中して狙うでもなく分散して。ゾーハと名乗った男は真っ先に、自分がアハラマとマベラを引き受ける形を作った。
共闘が得意という様子でもなかったのでそういうものかとも考えたが。
荒々しい態度と言葉を吐きながら、その実やったことは時間稼ぎ。
崩れた兵士どもが立て直し背面に回るまでの時間稼ぎだったのか。
そういうタイプの人間とは思えなかったが、それくらいしか思い至らない。
態度とは裏腹に、時間稼ぎの様子見。一歩引いて対処していたのだとしたら。
クロロテッサが捉えたと思った攻撃をいなしたのも納得いく。黒爪の戦い方はそもそもが一撃必殺でもなく、隙を見てじりじり削る戦法なのだから。
兵士どもが背後に回り、こちらが動揺するとでも思っていたのか。
救援に戻れば、奴らは潜伏して奇襲、暗殺を狙う。人間離れした異様な敵だ、見失うのは危険。
足取りが追える今、確実に仕留めるべき。
「なん……なの?」
アハラマ、マベラ、レフカースの魔法が紡がれる。
その網目の隙間とでもいうところに、敵の声が滑り込む。波長を合わせ、気色の悪い。
波長。
アハラマの魔法が引き出すその波に、共に指をかけるような。これは――
「いけない、ラハ様!」
時間稼ぎのわけを理解したのは手遅れだった。
煽っていたのもこちらの魔法を見るために。鬼巫や花札が使う魔法は外の世界とは少し異なる。風土ともいえる特徴がある。
それを見て、知って、合わせた。
「切れ間に!」
日が暮れかかる空。山際に太陽が入りかけ。
夕と夜との狭間。どちらでもない。
その隙間の波際に複数の魔法の力で指をかけ、ひっくり返す。
「なんて邪法を!」
誰が考えたのか、こんなことを。
世界をめくり、まくり、裏側を暴いた。裏面にした。
考えたこともない。わけがわからない。
時や場所の条件を揃え、その上で異質な力同士を利用して魔法的なてこの原理のごとくやってみせた。
「世界が、裏返るっ!?」
「封印されし我が神よ! 吾に永遠の命を与えよ! 我が神、ノクサリージュよ!」
影を差す太陽に向かって歓喜の声を上げる連中と、
「なん……じゃ……?」
何が起きたのかわからず茫然とするアハラマ。
マベラとレフカースはとにかくアハラマを守ろうと前に立つけれど、二人も敵が何をしたのか理解できていない。とにかくあり得ないとそれ以上は動けない。
「お、おいっなんだ!?」
「ゾーハさんたちと……この空ぁなんだってんだ」
小屋から出てくる兵士もいた。まだ残っていたか。
ゾーハの知覚にも何人か兵士はいる。里に回ったのが全員ではない。
兵士どもも影のように光る太陽と、それに照らされて黒く明るく感じる空に驚き戸惑う。
疲れ切ったのか、口の端から涎を垂らしているゾーハの子飼いとは違い、兵士どもは何も知らない。
ゾーハ自身は影の太陽と、それに照らされる小さなスカーアの似姿に向いている。
子飼いどもは疲れ切ったのか両ひざを地に着いたまま。
兵士は何をどうすべきか周りを見回し、警戒するマベラとレフカースに近づこうともしない。
薬師一行もまた小さなスカーアの似姿を中心として、目を見開き、驚愕で動けないまま。
「ラハ様、ラハちゃん!」
敵のことなどどうでもいい。まずは何を置いてもアハラマだ。
放ったはずの魔法が、その直前までアハラマの魂に響いていたはずの力が、ふっと抜けた。
抜けて、逆に敵のよくわからない目的に使われた。
この場の誰よりもショックが大きい。驚きと戸惑いで錯乱してもおかしくないほど。
「……ろ、ねえね……?」
震えて、迷子の幼子のような顔でクロロテッサを見上げる。
絶対の自信と覚悟を持って放ったはずの一撃が、防がれたどころか利用された。
何か、取り返しのつかない失敗をした。
一瞬でアハラマの意思は砕かれ、心の火がふつりと消えてしまうほどの喪失感。
「ごめんなさい、私が……もっと、はやく……」
なんて言えばいい?
合わせ歌から外れていたクロロテッサは
とはいえ、なんと説明すればいいのか。
握っていた黒い鉄扇を今にも落としてしまいそうで、その手を握るくらいしか。
魔法を使わずともアハラマは強い。けれど、魔法は一番得意で頼みとする力だ。
それが想像もしない手法で敵に利用された。
防御や回避ではなく、無でもなく、相手に利するように。
しかも、何をされたのかわかっていない。自分の魔法に集中していたのだから仕方がない。
「今のは……」
気にするなとか、そんな言葉で収まる混乱ではない。
剣士だとすれば、最高の技をもって全力で斬った相手が水のようにすり抜け、さらにその力が敵に利用されたようなもの。
次にどうすればいいなど考えることさえできない。混乱していないクロロテッサにもわからない。
「レフカ……」
マベラの声もか細い。
未知の敵に異様な空。不安にならない方がおかしい。
「今、の……?」
「……マベラ」
弱々しく呼びかけたマベラに返すレフカースの声も震えて、だけど――
――ぱんっ!
頬をはたいた。
レフカースが、自分の頬を。
「……そんな顔をする必要はありません」
――ぱん。
渇いた音が、続けて。
隣に立つマベラの頬を打った。
「……レフカ」
「珍しい手品です。太陽を塗り替え、名もなき神を呼び寄せた。それだけ」
「……」
「やることは変わりません。奴らを殺します」
「……うん、わかった」
今にも鉄扇を落としそうなアハラマの手を握るクロロテッサの前で、レフカースは強く。
正直、見くびっていた。
この異常事態に対し、花札でもっとも動揺するだろうと見ていたレフカースが、力強く。
マベラの心も引き締め直してくれた。
「敵は大した魔法を使えるわけではありません。ただ姑息な芸を使うだけです。二度はさせません」
「できる?」
「もう見ました」
なるほど。
元は里の神童、天才レフカース。
覚悟を決め腹が据われば見かけのような儚く脆いものではない。
そう考えれば妹カンナが敵の手に落ちてくれたのは悪くはなかった。この半日でレフカースを最高の花札にまで昇らせた。
「ラハちゃん……」
「ロロ……うん、ん……うむ……」
鉄扇を握る手に力が戻る。
泣き出しそうな顔をぎゅっと締め、再び開かれた目は鬼巫としてのもの。
「レフカちゃんの言う通りよ」
「……うむ」
魔法が通じないのなら鉄扇で。剣でも拳でも、なんなら牙をむいてでも。
毒でもなんでも構わない。
このゾーハどもと、その神と呼ばれる薬師一行を殺す。
そうか、失われた神を信奉すると聞いていた。
異常な手段もこの里に侵入したのも、それらの手引きだった。
エクピキを倒すのに手を借りたが、どうせ男。あの場で殺しておけばよかったのだ。
「やはり黒蝶! 美しき黒アゲハか!」
「なん……なに、これ……?」
「ノクサリージュ、我が神よ!」
両手を広げ、スカーアの似姿に寄るゾーハ。
神と呼ぶけれど、力強さなどまるでない。
スカーアの姿を盗み取っただけの偽神。矮小な、名もなき神。
恐れる必要はない。いや、夜がくれば真なるスカーアが降りられ――
「近づくな!」
立ちはだかった。
素人でもわかるだろうに。ゾーハが異常な力を持つ達人であることくらい。
そういう迫力がある。あの薬師はとにかく鈍そうだが、それでも。興奮した凶獣の前に立つようなもの。
偽神の傍仕えだから殺されないとでも? そういう常識が通じる相手でもない。
「ゾーハである!」
「聞いてねえんだよ! ノクサに近づくな!」
いや、馬鹿だ。
あの男、イドラ・ディドラーの前でひどい無様を晒していただろう。
ゾーハはあれよりは劣るけれど、お前の頭なぞ指ふたつで粉々にできる。
話の通じなさで言えば最底だ。ドブネズミに人の道を説く方がいいのではないか。
「貴様に話など――」
手を伸ばした。
ハエを払うように、ただそれだけで
「寄んなっつってんだよ‼」
よく、見えなかった。
ゾーハの最初の手を事も無げにくるりと捻り、逆から出てきた蹴り足を身を反らして躱して、反対にゾーハの軸足をさらうような回し蹴り。跳び避けたゾーハの腹に肘を叩き込んで吹っ飛ばした。
「は」
今の動きは?
数日前、クロロテッサが大聖堂で見た人間と別人?
いや、そんなはずはない。あの時の、勢いと口先だけの薬師の男だ。
役に立つこともあるけれど、まるで大した人物ではない。どこにでもいる凡百の、ちょっと口の立つだけの。
「ほ、ぉ……なんと、なかなかに……」
「どういう状況かわからないけど、なぁ」
ぎりり、と。
情けない男の顔しか覚えていないが、その顔が今は怒りに震えている。
「お前がなんかやったせいだな。許さねえ」
小さなスカーアの似姿を背に庇い、己より頭半分以上大きなゾーハを睨みつけた。
仲間ではない、のだろうか?
「俺のノクサに何しやがったクソガエル野郎!」
「あらぁ……?」
低く吼えた薬師の後ろで。
小さなスカーアの似姿は、苦し気に胸を押さえていた手を結び、少し恥ずかしそうに小首を
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