法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-36.未知との会遇

 

 理解は安らぎ。

 全て知っていれば不安はない。

 

 自分より大きなものは見えない。

 自分より輝くものは見えない。

 わからない。理解できない。おそろしい。

 ――はずなのに、惹かれた。惹きつけられて、彼女の中で微睡(まどろ)む。

 

 明日をも知れぬのに、大樹の下で眠る生き物のように。

 目を開けた時には招かれざる何かに食われているとしても、ただ身を委ねて。

 理解の及ばない何かがあることに救われていた。

 

 

 そんな大きな彼女でさえ、混沌の中に見つけた宝物に心を揺さぶられる。

 

 混沌の海。

 最初に、前の誰かが尽きる時に、限りなく満ちた混沌に吹いた末期の吐息。

 吐息は無数の、無限の泡となり、無限の海に散らばり、それぞれの世界を形成す。

 前の誰かが見た夢幻の色が世界を色取り、様々な形で広がっていく。

 数えきれない石鹸玉(しゃぼんだま)世界。

 そこからはじき出された僕や僕たちを拾ったレーマルジアが、繭を閉ざす黒い蝶に魅せられて、レーマルジアの色が変わっていった。

 

 何も知らないただの蝶。

 手品を見せてやるように、卑しい蝶が知らぬことを教えてやる。

 閉ざしていた繭の中を開かせて、知らない色を見せてあげよう。

 レーマルジアがそう望むのだから。

 

 

 どうせうまくいかない。

 僕にはわかっていた。

 僕とおんなじくらいの大きさの彼らが何をするのか、それはぼんやりとしか見えないけれど。

 この繭の中にぶちまけて、黒く輝くそれの本性が僕と何も変わらないのだと暴いてやれば、レーマルジアの目も覚める。冷める。

 

 澄ました顔で、僕はあいつが大っ嫌いだ。

 繭の内に入ったせいで、レーマルジアがお前を見失ったのはいい。ざまぁみろ。

 本来の何かを忘れても、ここを美しく楽しい場所にしようってレーマルジアは思っているみたいだけれど。

 どうせうまくいかない。僕にはわかっている。

 ここもはじけてしまえばいい。

 そうすればレーマルジアは元に戻り、僕は元通り大樹を得る。安らかな惰眠を。

 

 

「どうすればいい?」

 

 理解は安らぎ。

 そんな僕でも理解を拒むものはある。

 

「どうすれば、レーマルジアは私を愛してくれる?」

 

 不相応な望みを抱えながら、いつもレーマルジアの足裏で見えぬよう隠れているお前。

 (けが)れ。()まれ、(いと)われ、遠く隔たれ。

 レーマルジアの嫌うものを影にしまい続けるお前が、身の丈を弁えぬ望みを抱く。

 

「知らないよ」

「お前ならわかるのでしょう」

「知らないよ」

 

 そんな道が見えているのなら。

 僕が、お前なんかのために道を教えてやるわけがあるか。

 

「お前でもわからない。フォティゾ」

 

 いらっとした。

 レーマルジアが最も嫌うだろうお前なんかが、何でも知っている僕に。

 

 

「無理だね。たとえ死んだって――」

「死んだって、いい」

 

 見なかった方角。

 意識的にか無意識だったのか、見ていなかった方角を見た。

 知った。

 深い霧の先に道があるのだと。

 

「教えて」

「……」

 

 僕は、僕の欠点を知っている。

 教えてと言われれば、あるいは言われなくても。

 僕の口から零れだす。閉ざせず、板も立てられず、立て板に水を流すように。

 

 行き止まりと思っていた先に道がある。

 忌々しいスカーアはそれを聞き、アニラービーを(そそのか)すのだろう。

 穢れが愛を得る為に。

 

「……」

 

 ああ、そうか。

 僕はどこまでも僕でしかない。

 霧の先を見たい。僕の目で見て、その先を知りたい。

 

「なんだよ……」

 

 見つけてしまったから。

 知らない道を見つけてしまったから。

 そうしたら僕は、レーマルジア。

 あなたに背を向けてでも、あなたに向かい進みたいと思ってしまうのじゃないか。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「砕けろ!」

“いエ”

 

 体がぶれた。

 ほんの半歩程度、殴りかかる重心がかかっていたつま先に横へ跳ねる指示を送った。

 無理な体勢。普通なら数センチもずれなかっただろうが、黒蝶の力で増幅して。

 

「っ!?」

 

 目測がずれる。

 心臓をもぎ取ろうとした貫き手は脇を掠め、放った左拳はゾーハの喉元をすり抜け。

 

「あ――」

 

 服が鋭い爪を滑らせた。

 脇腹を掠ったゾーハの爪が、引っかかった糸を……糸のように感じる何かを掴み。

 

「散れぃ!」

 ビィィンンッ!

 

 裂帛の声が喉を震わせた。

 間近で浴びせられたホドウさんの腹の底にまで響くような声の波。

 波。力のある波。

 空間に轟き破砕する重い力で――

 

 

“その波は”

 

 調律と言うのが近い。

 ホドウさんと黒蝶が話していた間、ゾーハが整えていた。

 異常な感覚器官で、対峙するこちらの魂の波長を感じ取り、見定め。

 

“ワタシじゃあアリません、ネっ!”

 

 剥き出しの魂状態になった今だからわかる。

 魂の波長。ホドウさんの知識によれば位相というのかもしれない。

 縦横奥行きというのとは別軸に波打つそれは人によって異なるよう。

 さらに、その波も他の影響や時によって変化する。

 

 ゾーハはその変化まで追って、波を打ち消そうと。

 律動(リズム)を読んでいた。

 

 

“まァ、お互いサマというコトで”

 

 どちらかが消えるのなら。強い方が残るべきでしょう。

 魂の形を知り、操り、この瞬間だけでもホドウさんと重なれば。

 こんな魂の形は到底ワタシとは相容れないので、即座に反発して変化してしまいますが。

 

“幸運を、ホドウさん”

「なん――?」

 

 ワタシが重ねた波を打ち消す衝撃が貫いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 アユミチの左手にはリグラーダが使っていた小弓がある。小さなボウガンのような、パチンコのような。

 過去の魔獣の黒い頭蓋と、魔獣の毛をより合わせて作った弦の、特別な小弓が。

 矢はつがえていない。けれどすぐ発射できるよう弦は引いていた。

 

「なん――?」

 

 小弓の端がゾーハに引っかかり、弦が弾けた。

 ゾーハが力を込めた怒声と同時に、喉を響かせた。

 

 

「くぁっ!」

“むぅ!?”

 

 ゾーハの怒号と同時に弾けた両手が、アユミチの脇から引っ張り出した何かに強烈な衝撃を伝えた。

 脳が揺れる。震える。

 その痛みにやや眩暈を覚えながら、掴まれた糸のような何かを振り払おうと手を振った。けれど何もない。

 

 何も掴まれていない。

 なんというか、蜘蛛の糸が引っかかったような気がしたのに何もなかった。そんな感覚。

 

 

「なんだ、っ!?」

 

 くぐもった声をあげてゾーハが飛び退いた。

 理解できないというように距離を空け、自分の手を握り直して首を振る。

 

「なんだ……? たかが弓……いや魔獣……神の残滓、か」

 

 何らかの魔法のような力だったのだと思う。

 ゾーハの声が、小弓の弦の振動を受けて乱れたのか。

 

 アユミチにはわからない。アユミチには魔法が使えず、その手の力が理解できない。

 先ほどノクサの体の異変が見えたのだって、不可視の力ではなく、彼女の周囲から霧のような光の膜、薄皮に似た何かが剥がれたから。

 

 しかし、魔法使いはだいたい言葉で魔法現象を起こす。

 手では触れられない何らかの力を、声を用いて呼び起こす。

 光にも似て、きっと魔法とか魂の力は粒子であり波である、みたいなことなのだろう。

 

 

「だとしても、今の……なんと、なんだ? きさま」

「何を言ってる?」

「人間では……糞溜めのような手触り」

 

 糞溜めに手を突っ込んだことでもあるのか。

 両手をわななかせ、アユミチを気味の悪い何かのように見るゾーハ。

 カエル面をした黒ギョロ目怪人に言われるのも腑に落ちないが、そういえばレーマ様にも言われたことがある。

 肥溜めに手を突っ込んだような、というように。

 なんだろうか。アユミチの魂的な何かは肥溜めっぽいのか。

 体臭がキツいとかそういう。

 

“ぐ……しっぱい、デした……ね……”

 

 パテシーイが苦しそうだ。

 アユミチが苦しくても痛くても平気そうなパテシーイだが、今の攻防ではダメージを受けている。

 

“逡巡……ワタシ、が? はハ……”

「魂を穢す! バカにしておるのか!」

 

 パテシーイもゾーハも戸惑いが大きい。

 アユミチにわかることは、少しある。

 

 先ほどの刹那――ゾーハに何かを掴まれた瞬間、フラッシュバックのように重なった。

 パテシーイの生涯が、断片的にだけれど走馬灯のように脳を巡った。

 ろくでもない奴だ。間違いなく悪人で、褒められた人生などではない。

 

 最低の人生経験。

 けれど、善人だったなら生き永らえなかった。常識に沿っていては生き延びられない境遇だった。

 周りの人間を掻き分け、引きずり落とし、騙し裏切り踏みつけて進まなければパテシーイはとっくに死んでいた。

 そういう場所で生まれ育ち、そうして死んだ。

 

 自分がその場にいたならどうしていたか。考えると全てを否定できなくて、わずかに同調してしまった。

 それがパテシーイの逡巡。

 敵が放った攻撃、小弓の弦がわずかに乱してくれたそれをパテシーイが受けた。盾のように。

 

 

「貴様のようなものがいていいはずがない。この、世界に!」

 

 なるほど、ゾーハの混乱にも思い当たる。

 アユミチの魂はこの世界のものとは違う。見たことも触れたこともない異物。

 何がいるかわからない床下に手を突っ込むような、得体の知れない感覚があるのだろう。

 肥溜めのように感じる気持ちは理解できた。

 それがまともな人の顔をして歩いている。まさにお化けを見るようなものか。

 

「確かに、旦那はちぃっと変わりモンだな」

「ちょっとじゃないと思いますけど」

「二人とも、そんな……その……まあ……」

「あっはっはっ! こいつはおかしな男だぜ」

「おかしさだけなら世界一。弟よりもイカれてるってさ」

 

 怯んだゾーハを揶揄するように笑うムンジィとカヨウ。

 フォローしてくれそうなクルサドの声が途切れ、けらけら笑うノクサと双子。

 

「まともでは、ない……狂った死人、か」

 

 魔法のある異世界だけれど、ゾンビや幽霊の類は見たことがない。

 ゾーハでも薄気味悪く感じるらしい。ノクサに永遠の命を願っていたから、死はおそろしいのかもしれない。

 死なない為に神の復活を目指した。太光師の連中と同じか。

 

 頭の狂った死者の群れ。

 アユミチたち一行がそんな風に見えたのか、かかとが下がる。

 決して戦況が有利だったわけではないが、ムンジィの軽口がさらに正体不明の余裕をにじませ、ゾーハの心を怯ませた。

 

 

「く……」

 

 目を走らせる。

 黒目ばかりのギョロ目が(せわ)しなく動き、やはり戸惑うだけの兵士や鬼巫たちを映す。

 

「……」

 

 白装束のレフカースが紙を構え、鋭く睨んでいる。

 彼女はずっとそうしていた。

 こちらの手助けをするでもなく、口も挟まず。

 アユミチたちがここにいるのもおかしいのだ。邪魔をしないでいてくれるだけいい。

 

 

「や……おれ、っ……」

 

 ゾーハではない。

 場の緊迫の絶望感に耐え切れなかったのは、山小屋近くにいた兵士。

 

「おれはっ」

 

 生き物の習性。

 命の危険を感じた時、何かに隠れようとする。障害物の隙間に逃げ込む。

 手近なのは、壁も屋根もある山小屋で、おそらくそこは兵士どもが休憩所にしていた場所。安全を感じていた空間。

 危機から逃れようと、最初の一人が我先に。

 

 また、生き物の習性。

 一人が駆け出せば、その場の同類もその行動に引きずられる。釣られて後を追う。

 数名の兵士と、放心していたゾーハ以外のカエル怪人も、ゾーハも遅れて。

 全員が山小屋に逃げ込もうとしたのではないだろうが、いったんはとにかく同じ方向に向かい。

 

 

「ま――」

「「――――‼」」

 

 アユミチが追うまでもなく。

 白のレフカースが放った札が届く――よりも先に。

 

「許さない」

 

 黒い、鬼巫の怒りが、山小屋を爆散させた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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